第2話 許されざる者
寒い寒い冬の日、子供は風邪をひきました。怪物は子供を抱え、ゆっくり歩いて行きました。白い白い毛皮に包まれ、子供は言いました。僕は君のふわふわが好きだよ。
長い長い道の先、怪物は子供の住んでいた村を見つけます。子供は言いました、君も僕と一緒に行こうよ。辛い辛い面持ちで、怪物は言いました。俺は弱虫だから、そう言って子供を見送りました。
暗い暗い森の外れ、一匹の怪物がひとりぼっちで暮らしていました。暗い暗い夜の空、ある日、真っ赤に染まりました。それは確かに子供が帰った村の方角でした。
赤い赤い森の中、怪物は走りました。俺の足は早いんだ、一足飛びに山を越え、風の様に駆け抜ける。熱い熱い村の中、そこには剣を持った大勢の兵士がいました……。
ウィルはスミスに見守られ、兄の好きな絵本を読んでいた。彼の可愛いらしい声が室内に響いている。反対に屋敷の中に声はない、使用人達は息を潜め部屋で待機しているのだろう。
土砂降りの雨が降りしきる中、バタンと屋敷の扉が開け放たれた。クレインは騒ぎを聞きつけたのか、急いで屋敷に帰って来た様だ。雨具を脱いで、息を整えると、ウィルの居る部屋に駆け足で向かった。
「あっ、お父様おかえりなさい」
「ただいま、ウィル……。スミス何があった、説明してくれ」
「旦那様、先ほどウイン様のご友人が帰って来ないと、親御様が屋敷に訪ねてきました。勝手ながら、ウイン様のお心当たりから、救助のため衛兵へ遣いを走らせましたが……」
「それで、ウインは何処だ?」
「申し訳ございません。ウイン様は話が終わると屋敷を飛び出してしまい。数名の者で追いかけましたが見つからず。この責任は全て私にございます……」
クレインは話を聞いて、しばらく押し黙ってしまった。どうやらアイリスは未だ戻らない、この雨で帰りが遅くなっているのだろう。
「まさかウイルは彼等を探しに行ったのか、だかどうして……。スミス、アレはあれは持っていたのか?」
「はい、抱えておりました」
「念の為だ、俺はウィルを守る。王国から来ている教師達にも連絡してくれ」
「それではウイン様が……。いえ、かしこまりました」
稲妻が漆黒の空を駆け巡り、強烈な光が窓を照らした。二人の深刻な表情に影が落ちる。ただゴロゴロと遠くの空から雷鳴が聞こえていた。
「お母様も、お兄ちゃんも帰ってこないです……」
「大丈夫だ、もうすぐ帰って来るさ」
「そうですよね」
クレインはウィルを抱っこして、彼の背中をトントンと叩く。落ち着かせ様としたのだろう。けれども彼は額に汗を浮かべ、その表情には焦りの色があった。
衛兵からの連絡は未だない。妻も居ない状況でクレインは屋敷を離れる訳にはいかなかった。近くに雷が落ちたのだろうか、一際大きい音が聞こえる。土砂降りの雨はいっこうに止む気配がない。
突然ズドンと大きな音がして、ガタガタと屋敷全体が揺れた。使用人達の慌てた声が聞こえてくる。
クレインはウィルを床に下ろすと剣を腰に携えた。今でこそ彼は領主を務めているが、若い頃は王都の騎士団で名を上げた凄腕の剣士だ。年齢と共に身体の能力は衰えてきたが、今でも多少の相手には不覚を取らないだろう。
妻とは騎士団で出逢い、結婚を機に領地を継いで、そして生まれたのがウインだった。直ぐに弟のウィルも生まれ、今では幸せな日々を送っているはずだった。
けれども彼の表情は、まるで鉛を飲み込んだ様に酷く暗いものだった。
「あっ、お兄ちゃん帰って来た!」
そんな彼でも息子の一言が胸に突き刺さる、我に返った様だ。部屋の向こうから、クレインを呼ぶ声も聞こえてくる。急いで部屋を飛び出し、向かうは屋敷の入り口。
大きく開け放たれた屋敷の扉、暗闇の先にウインがずぶ濡れで立っていた。彼の身体の周りには白いモヤがまとわりついている。それは本人の数倍はあろうかという大きさだ。
得体の知れない息子の様子にクレインは固唾を呑んだ、腰に携えた剣の柄にグッと力がこもる。いつでも剣を抜き放ち、彼の心臓を貫ける様に。
静寂の中、ウインの足下にはポタポタと水滴が落ちる。服は泥だらけ、あちこち破れてもいた。しかし、その場に居た皆が一番驚いたのは、背中に大きな子供を背負って、両脇に男の子と女の子を抱えたていた事だろう。
「スミス、医者を呼べ。子供達の息を確認しろ」
「かしこまりました」
「ウイン……お前は何をした、答えろ!」
クレインは怒鳴りつけるが、ウインは俯いたまま黙っていた。そのまま子供達をそっと床に下ろし、けれども未だ無言で立ち尽くしている。そんな静寂を破ったのは、弟の可愛らしい声だった。
「おかえりなさい、お兄ちゃん……」
彼がそう伝えると、ウインは顔を上げて虚な目で辺りを見回す。驚いた様な表情を浮かべ、ゆっくり膝から崩れ落ちてしまった。
使用人達は我に返ると、大急ぎで子供達とウインを抱え、屋敷の奥に連れて行く。湯を沸かせ、着替えが先だ、屋敷の中はガヤガヤと途端に忙しくなった。
「落ち着きないませ、どうやら皆様も無事な様です」
スミスがたしなめる様にそう言った。クレインは我に返って、少し悲しい表情を浮かべてしまった。
「すまない、スミス……。ウインが屋敷を飛び出してから、どのくらいの時間が経っている?」
「三十分ほどです」
「分かった。ひとまず衛兵と彼等の親に連絡をしてくれ。だが他言無用だ、関わった者に口止めをしろ」
スミスは黙ってうなずいていた。
そしてアイリスが帰って来たのは、それから一時間ほど後の事だ。ウインは寝間着に着替えさせられ、既にスヤスヤとベットで眠っている。何事もなかったかの様に、幸せそうな寝顔で寝息を立てて。
寝室の中はランプの光がゆらゆら揺れ、二つの影が揺らめいている。隣で息子を見つめていたクレインは、アイリスに向かって重い口を開いた。
「もうすぐ彼が来る、これ以上は隠しきれない。ウインは普通じゃない、お前だって分かっているだろう……」
息苦しい程に、そして切羽詰まった声だった。
「ウインは私の可愛い息子です、ちょっと甘えん坊な普通の子供ですよ」
「これは重罪だ。国堕としにでもなったらどうするんだ、いっそ今ここで……」
「あなたは自分の子供を殺すんですか?それなら私は逃げます、ウインとウィルと一緒に。今日だって私を助けてくれました、友達の命も救ったじゃないですか!」
重い思いため息がクレインの口から漏れる。夫婦の議論は平行線を辿り、その行き先はいっこうに見えない。沈黙はしばらく続き、またクレインが話を始めた。
「衛兵の話では、子供達が閉じ込められた洞穴は土砂で完全に埋まっていた。その一方で、洞穴に続く土砂だけは全てなぎ払われていた形跡があったそうだ。ただの子供にそんな事は出来ない。分かってくれ、もしもの時は俺達でも止められない。それなら……」
「出て行って下さい、今日はウインと一緒に寝ます。私が今夜の記憶を封じます。ウィルの時だってそうしましたよね?」
「無駄だ、今日も例の本を持っていたんだぞ。どこぞの悪神がウインに指示を出している。その気紛れでウインが国堕としになれば、何万という人々の命を奪うかもしれないんだ。俺はそんな事をさせたくない」
「私の息子はそんな事しません、誰が何を言っても私には分かります」
「アイリス、それでも彼が来たら全てを話すぞ。俺がケリをつける、お前は恨んでくれていい。覚悟だけはしておいてくれ……」
クレインは二人を残して勢いよく部屋を出た。そして彼は廊下の天井を見つめ、しばらくは動けなかった。けれどもポタリと床に一筋の滴が落ちて、それは誰にも見られず。扉を挟んだ反対側では、アイリスは無言で一晩中泣き続けていた。ただ幸せそうな寝顔を浮かべる息子を見つめながら。
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