弱虫ウインの冒険譚
とんぼとまと
名無しの怪物と双子のお姫様
第1話 秘密の絵本
深い深い森の奥、一匹の怪物がひとりぼっちで暮らしていました。怪物は太陽が昇ると木の実や果物を食べ、夜は暗くなる前に寝てしまいます。暗い暗い森の奥、怪物は真っ暗な夜が嫌いでした。
長い長い河の畔、怪物は怪我をした子供に出会いました。真っ赤に染まった彼を見て、怪物は棲家に連れて帰りました。深い深い森の奥、怪物は何日も眠らずに懸命に手当しました。
広い広い森の奥、怪物と子供が暮らしていました。子供は聞きます、君の名前は?怪物は答えます、俺はななしだ。暗い暗い夜の闇、いつしか二人の会話は弾みました。
青い青い空の下、怪物と子供は旅に出ました。彼の故郷を探すため、森を進み、山を越え、河を渡りました。長い長い旅の途中、子供は言います、僕等はずっと友達だよ……。
「あら、ウイン寝ちゃったのかしら?」
「お兄ちゃん寝ちゃったね……。お母さん、お話はまた明日にしよう?」
ベットの上でスヤスヤと眠る銀髪の男の子、そんな彼を優しそうな母と可愛らしい弟が優しく見つめていた。そろりと寝室のドアが開き、精悍な顔つきの男が入って来る。
「アイリス、ウィルはまだ起きてるか……、何だ、二人ともいるじゃないか」
「あなた、お帰りなさい。ここ最近は色々とお迎えの準備が大変ね。雨も続いているし。もうウインは寝ちゃったのよ、まだまだ甘えん坊ね……」
「そんなことないよ、お兄ちゃんは凄いんだ。強くて、カッコいいんだよ」
「あら、ウィルはお兄ちゃんに詳しいのね」
そんな母子のやり取りを父のクレインは困った顔で見つめた。
「ウインは自分の部屋があるだろう、アイリスが甘やかし過ぎなんだぞ。今年で6歳じゃないか、俺の時は……」
「あなた、ウインが起きちゃうわよ。それに甘えん坊の何が悪いのかしら?私は幸せよ、二人が私の腕の中に居ることが……」
アイリスの言葉にクレインは黙り込んだ、とても神妙な面持ちで。その晩は久しぶりに彼等は家族4人で眠ったのだった。
翌朝、僕は窓から差し込む朝日に起こされた。辺りを見回すと、母も弟も既にベットに居ない、みんなは早起きなのだ。あくびをしながら着替えを済ませ、顔を洗うと食卓に向かった。
「おはようございます」
そう言った先には父と母と弟が居た。みんな僕におはようを返してくれる、特に弟は満面の笑みで。知らない人が見たら女の子と勘違いするくらい可愛い弟だ、そして僕よりも優秀だ。
剣術も魔術の才能もある。5歳にして既に英才教育が始まっているくらいに。この家は弟が継げば良いと僕は思う。ウィル、ダメなお兄ちゃんでごめんよ。僕は心の中でそう思った。
「ウイン、起きるのが遅いぞ。長男としての自覚をだな……」
父は最近とても僕に厳しい。後1ヶ月もすれば、僕の7歳の誕生日だからだろう。もし僕が大人になったら、この街でのんびり暮らしながら絵本を描いて暮らしたい。でも、そんな甘い考えを父は許してくれそうになかった。
「あなた、朝からお説教はかわいそうですよ。さぁ、早く朝ご飯を食べましょう。ウインも席に座ってね?」
こんな光景が僕の日常だ。こんな毎日がずっと続けば良いと思う。
朝ご飯を食べ終えると、母は出かける準備をしていた。どうやら隣の街に用事があるらしい、馬車で出掛けて夕方には帰ると言ってた。僕も誘ってくれている、もちろん行くだろう。
父はブツブツお小言を言っていたが、仕事で直ぐに出掛けてしまった。最近は色々と忙しい様だ。
弟は国から派遣されている先生に英才教育を受けている。今日は魔術の勉強らしいが、教育に係る費用も国が出しているそうだ、破格の待遇だ。きっと父は王様の弱みでも握っているに違いない。
国境に面した深い深い森、そんな森に囲われた領地。父のことを友達が辺境候と言っていた、ついでに田舎の貧乏貴族とも。そんな家に、これだけ手厚い援助をするのはおかしな話だと思う。
僕はそんな事を考えながら、一人自分の部屋に戻った。窓際の椅子に座ると、高い高い空を見上げて、いつもの様に呟くのだ。
「教えてよ、この物語の続きを……」
途端に目の前で光が溢れ、中から一冊の絵本が現れる。これが僕が使える唯一の魔法だ、みんなには秘密にしているが。そして絵本をめくり、一番新しいページを読むと、黒い文字が書いてあった。
『回る車輪は絶望に向かう。
それは誰にも止められない。
行ってはいけない、乗ってはいけない。
君の命は谷の底で潰えるから。』
胸の奥がキュッと苦しくなった、とても酷い内容だ。おまけに子供の落書きみたいな絵が描いてある、谷に落ちる馬車の絵だ。
これが僕の未来、絵本の神様が教えてくれる僕の物語。僕は深呼吸をしてから、急いで母の元に向かった。
「お母様、あの……今日のお出かけは止めにしませんか?」
「あら、どうしたの急に?」
そう言った僕を、母は怪訝な顔で見返した。こんな突拍子もないことを言っても、解決にはならない。だから僕はこう続けた。
「昨晩とても怖い怖い夢を見て、ええと、馬車が崖から谷に落っこちて。僕とお母様が、それで死んでしまって……」
僕は泣いた、頑張って泣いた。母が死んでしまうと思いながら、一生懸命に涙を振り絞った。優しい母は僕を抱きしめ、頭を撫でてくれる。とても柔らかくて温かい、優しい匂いだった。
母は執事を呼んで、何かを話していた。しばらくすると馬車の車輪に不具合が見つかった。まずは一安心だ。
それから僕はお留守番になった、母は馬に乗って隣の街に行くので、僕を連れて行けないそうだ。最近降り続いた雨で道がぬかるんでいるかもしれない、子連れでは危険なので、従者を数人従えて母だけで行くことに決めたようだ。
お留守番になった僕は、一人また呟くのだ。
「教えてよ、この物語の続きを……」
再び現れた絵本、先ほどのページを見ると、その内容が変化していた。
『弱虫ウインは駄々をこねた。
みっともなく泣き叫び、母を引き留める。
幸いな事に馬で出掛けた母は街に着き。
土砂降りの中、夜には屋敷に帰って来たのだった。』
肺から空気がなくなる程に、重い重いため息が漏れた。
これで大丈夫だ、母は無事に帰って来る。こうやって僕は自分と家族に降りかかる災難を避けてきた。今までも、そしてこれからも、僕はこの生活がずっと続けば良いと思う。
それにしても、この絵本は僕に厳しい。わざわざ弱虫ウインと書かなくてもいいと思う。さて次のページも確認してみよう。恐らくは白紙だ、そう簡単に絵本のページは変わらない。そして僕はページをまためくった。
『轟音と共に希望は閉ざされる。
それは人の力では抗えない。
行ってはいけない、入ってはいけない。
君等は苦しみながら穴の中で息絶える。』
本当に今日は良くない日だ、もう屋敷から一歩も出ない事にしよう。そんな軽い気持ちで、その時は自分に誓った。
お昼ご飯は一人で食べた、みんな忙しいのだから仕方がない。
昼過ぎに来客があった。とても背が高くて力持ちのギル、衛兵志望で剣術の上手なオックス、紅一点の魔術師見習いエンリだ。みんな物心ついた時からの友達だ。
「なぁ、ウインどうせ暇だろ?俺達と洞穴の秘密基地に行こうぜ!ちょうど三人とも空いてるんだよ、大人はみんな忙しくてさ」
オックスが笑いながら言った、他の二人も誘ってくる。
街から北に1時間ほど歩く、すると大きな木が三本生えている。その近くの洞穴を僕達は秘密基地として勝手に使っていた。みんなと仲良くなった思い出の場所だ。
だが僕は毅然とした態度で断ろうと思う。
「今日は止めておくよ、何だか体調が悪いから。それに秘密基地は危ないよ、今日は絶対に行かない方がいいよ」
「ウイン、風邪でも引いたの?」
エンリが心配そうな顔で僕を見つめている。とても綺麗な瞳だ、つい見とれてしまう。待て、今はそんな場合じゃない。
「あっ、そうかも……エンリ達に風邪がうつったら大変だし。元気になったら、鬼ごっこでもしようよ!」
「オックスもエンリも、俺も鬼ごっこだとウインに勝てないけどな……」
僕が断ると三人はつまらなさそうな顔で帰ってしまったが、これで大丈夫だ、三人は秘密基地に行かないだろ。穴の中とは秘密基地の事だろう。そこで息絶えるとは、どう考えても不安しかない。
それから一人お留守番を続けていると、雨が降ってきた。それは日が傾く頃には土砂降りになり、ずっと降り続いていた。
まだ父も母も帰って来ないので、弟と執事とお留守番を継続だ。屋敷の執事で一番偉い人が居る、白髪の老紳士スミスさんだ。お爺ちゃんの代から仕えているらしい、とても立派なだった。
雨が止まない、そんな話を三人でしていると屋敷の入り口がドンドンと強く叩かれた。急ぎの要件だろうか、スミスさんは僕達を部屋に残して向かった。だが部屋越しに大きな声が聞こえるのだ。
「ウイン様はいらっしゃいますか。うちの子が帰って来ないんです、オックスが何処に行ったか、ご存じではないでしょうか?」
僕はその言葉を聞いて血の気が引いた。慌てて絵本を取り出すと、ページをめくる。黒い文字は変化していない、君等は苦しみながら穴の中で息絶える、そう書いてあった。
スミスさんの元に向かうと、三人の両親がずぶ濡れで立っていた。真っ青な顔をして今にも泣きそうだった。みんなが僕を見つめる。
「あの……洞穴の秘密基地、三本のっぽの木の近く……そこで遊ぼうって誘われて。ごめんなさい……僕は今日は断って」
涙が溢れて来た、身体が震えていた。僕は取り返しのつかない事をしたのではないか、そんな気持ちが胸いっぱいに広がった。
スミスさんが僕の背中を支えてくれているが、身体に力が入らなかった。
「衛兵に連絡を。この雨です、洞穴で雨宿りをしているだけかもしれません。みなさん落ち着いて下さい」
スミスさんが指示を出し、使用人達が急いで駆け出して行った。衛兵のみんなが三人を助けてくれる、そう願った。
息を整えると、胸元に抱えていた絵本に気がついた。確かめないと、そう思いページをめくる手が震えた。けれども黒い文字は変化していない。今度こそ僕は大きな声で泣き出してしまった。
どうしよう、どうしたらいい。怖くて、辛くて、痛くて、悲しくて、どうしようもない。秘密基地はみんなと仲良くなった場所なのに、僕等はずっと友達だって約束した場所なのに。それなら僕が助けに行かなきゃ。
「俺の足は早いんだ、一足飛びに山を越え、風の様に駆け抜ける……」
確かに僕はそう言った。
スミスさんの制止を振り切って、屋敷を飛び出した。土砂降りな空の下、街の中を疾走して、全力で真っ暗な森に向かって駆け出したんだ。
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