駿府の秘密箱

旦開野

第1話

 徳川家康は天下を取ったのち、息子の秀忠に将軍の地位を渡し、自身は駿府の地で隠居生活を送った。しかし隠居などとは名ばかりで、彼は大御所として江戸幕府の権力を握りしめたままであった。この時代は、江戸の秀忠政権、駿府の家康政権、2つの勢力が存在する二元政治の時代と呼ばれている。

 この時、日本の首都としての役割は駿府が担っていたと言うものもいる。海外から日本に渡ってきた使者たちも、秀忠ではなく家康を目的に駿府を訪れたとか。表向き首都である江戸の街には劣るとはいえ、駿府城城下町の賑わいもなかなかのものだった。

 そんな城下町にある寄木細工職人が店を構えていた。ここの親方、樹は中でも箱の側面を順番に動かして蓋を開く「秘密箱」を作るのが得意であった。彼の作るものはとても複雑で一般の人が自身の財産を守るためはもちろん、忍や、世間の裏にひっそりと生きる殺し屋なども店に脚を運んだ。情報交換の手段として秘密箱を使ったのだ。

 樹はその物怖じしない性格もあって顔が広かった。彼は職人であると同時に裏社会の情報屋としての役割も担った。

 樹の弟子である伊吉は最近やっと秘密箱を作らせてもらえるようになったばかりだ。商屋の次男坊である彼は、その手先の器用さから早くから寄木細工職人の樹の元へと出された。親が勝手に決めた道とはいえ、彼はなかなかこの生活を気に入っている。

「邪魔するよ。伊吉はいるかい? 」

 八つ時を過ぎた頃、店の暖簾をくぐる女性の姿があった。茜色の着物がよく似合う、気の強そうな女性で、最近よく店に顔を出す常連だ。

「はい、こちらに」

 女性に呼ばれて、伊吉は返事をする。

「できたかい?お前さんの秘密箱は」

 彼女は最近、伊吉の作ったものの出来をやけに気にしているらしかった。

「今ちょうど出来上がったところです。今回はいくら貴方様でも一発では解けないかと」

 伊吉が差し出した箱は、幾何学模様が美しい見事なものだった。女は出された箱をくるくると回して、柄を隅から隅まで眺めていた。しばらくすると側面を迷いなく少しずつずらしていった。


パカ。


彼女は最後の仕掛けを解くと、一度も間違えることなく伊吉の作った秘密箱をあげてしまった。開けた箱の中には何やら紙が一枚、折り畳まれて入っていた。

「うん。なかなかいい出来だったじゃないか」

「開けられた後に言われましてもね。やっぱり貴方様には敵いませんよ」

 伊吉はそう言って苦笑いすることしかできなかった。

「親方、例のものはもらっていくよ」

 彼女はそういうと、秘密箱の中にあった紙を懐へと入れた。

「また来るからね、伊吉。次こそあたいが解けない箱を期待してるよ」

 彼女はそれだけ言って店を後にした。


「はぁ」

「また開けられちまったか。全く、あいつもなんでまた伊吉にばかりちょっかいを出すんだか」

ため息をついた伊吉を見て樹は言う。

「まぁ、あいつも客だから、あまり色々言うもんじゃねえが……あの女に深く関わるんじゃねえぞ」

「あの人も、裏の人間なんですか? 」

 なんとなく察していたが、伊吉は改めて樹に聞いた。

「あぁ。最近ぽっと現れた腕の立つ殺し屋だ。金さえ積めばどんな案件でも引き受けて成功させちまう、バケモンみたいなやつなんだとよ」

 実際現場を見たわけじゃねぇけどな、と樹は続けた。

「そんな人が、どうしてこんな見習い職人にちょっかいばかり出してくるんでしょう? 」

 伊吉は素朴な疑問を親方にぶつけた。

「さぁな。とにかく、こんなことをしている俺が言うのもなんだが、あいつに深入りするんじゃねえぞ」

 まるで伊吉の本心を見透かしているかのように樹は繰り返した。伊吉ははいと返事をしながら、頭の中では彼女をどうやったら負かすことができるのかを考えていた。

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駿府の秘密箱 旦開野 @asaakeno73

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