Day24 月虹
私の部屋のポストに水を撒いていく奴がいた。三日続けて郵便物をびちょびちょに濡らされ、怒り狂った私は彼氏に相談という名の愚痴吐きをやった。
彼はひどく決まりの悪そうな顔で私の話を聞き、突然土下座して白状し始めた。前の彼女との別れ話がこじれているというのだ。
「こじれてる間に新しい女なんか作るな!」
私は彼の頭をスリッパで踏みつけた。が、別れようとは思わなかった。多少だらしなくても許せるくらい顔がいいのだ。許してやるから一週間できっちりケリをつけてこいと告げると、彼氏は「はい!」といい返事をした。
顔と調子のよさだけで世渡りしているような男だということは知っている。それでも一応私という新しい恋人がいるのだし、ちょっとは本腰入れるだろう、と少しは期待したものの、正直さほどあてにしていなかった。
ところがなんと、ポストへのいたずらは四日でぴたりと止まった。あいつ思ったよりやるな、と感心して、私は彼に会いにいった。
「いやぁ、前カノさぁ。全然話聞いてくれないから掃除機で吸ったら、水になっちゃった」
ヘラヘラ笑いながら彼氏が差し出したのは、元々ウィスキーが入っていたと思しきガラス瓶だった。中には透明な液体が入っている。こいつが私の家のポストをびちょびちょにしていたのか、と思えばそんな気がしなくもない。規則的なカットの入ったガラス瓶に入った液体は振るとちゃぷちゃぷと鳴り、平和で美しい。
私は以前、彼を脅して見せてもらった元カノとやらの写真を思い出していた。ちょっと非現実的なくらいの美人で、
というかそもそもこれって「ケリをつけた」ことになるのだろうか? 瓶を掲げながら私は自問する。まず本当にこれが彼女だという証拠もない。が、いやがらせが止んだのもまた事実だ。
元カノを如何に掃除機の中に吸い込んだか、身振り手振りを交えて語る彼氏をおいておいて、私はテーブルの上に置かれたボトルをまじまじと見る。あなたが私に嫌がらせをしていたんですか? 答えは特になかった。振ると水がちゃぷちゃぷと音をたて、小さな波の中に一瞬女の目が見えた。切れ長の綺麗な目だった。
彼氏の方を見ると、ひとりで夢中になってますます熱く語っている。どうやら酒が入っているようだ。これなら放っておいてもよかろうと判断して、私はそっとそのボトルを持ち出した。
瓶を抱えて夜道を足早に歩きながら、元カノ、美人だったな、と頭の中で彼女の姿を反芻する。あの美しい人が美しい液体になってガラス瓶に入っているとすれば、これはなかなかよいものではないだろうか。私の腕の中で、瓶はちゃぷちゃぷと囁くような音をたてている。
自宅に着いた私は、部屋の明かりを消して窓を開けてみた。よく晴れた夜空に、嘘みたいに大きな満月が浮かんでいた。月光はガラス瓶と水とを通り過ぎ、テーブルの上に小さなプリズムを作った。
私は部屋の明かりを消して、月が沈むまでいつまでもいつまでも瓶を眺めていた。
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