Day10 水中花

 十年前、ふらっと入ったレトロ風の雑貨屋で、わたしは片手に載るくらいのちっちゃな瓶に入った水中花を買った。最近ではあまり見かけないけれど、母方の祖母の家にいくつかあって、見た途端に懐かしい気持ちになったのだ。

 瓶の中には黄色い花が咲いている。薔薇のような、菊のような、デイジーのような、でもどれでもない、たぶん架空の花だ。

 買ってきたその日は目新しいのでよく眺めていたけれど、まぁ毎日変化があるわけでなし、本物の花のようにお世話が必要なものでもないので、自室の窓際に置きっぱなしにしておいた。それから三ヵ月ほどして、

「窓際にあった瓶、蓋が外れてるよ」

 と、掃除のためにわたしの部屋に入った母が教えてくれた。

 窓際の瓶って水中花の? とここで初めてその存在を思い出したわたしは、リビングで足裏のツボ押しをしていたのを中断して、自室に向かった。

 なるほど、確かに蓋が開いている。開き方がちょっと普通ではない。中のものがパンパンに膨張して押し上げられたみたいに中央が膨らんで、斜めにガクッと口を開いている。そしてその隙間から黄色い花が顔を出している。

「えぇ、なんで?」

 後で調べてみたのだけど、一般的に水中花に使われているのは本物の花ではなく、紙で作られた造花らしい。わたしが買ったのもおそらくごく普通の水中花だったはず、なのに買ったときよりも明らかに大きくなっているのだ。花弁は大きく、茎は長く、太くなっている。

 水を含んだ紙が膨らんだから? こんな風になるものだろうか? 首を捻ったけれど、そう考えるほかにちょっと何も思いつかない。

 ともかく瓶の蓋が閉まらなくなっちゃったし、捨てるか……と手を伸ばしかけて、ふとあることを思いついた。わたしは階下に戻ると、ジャムの空き瓶を持ってきて、黄色い花を移し替えた。

 手に持ってみると、やっぱり本物の花なんかじゃなく、紙でできているということがよくわかる。ジャムの瓶に入れて水を満たし、蓋をきっちりと閉めた。

 ちょうどいい、ゆとりのある大きさだ。普通に植物の植え替えに成功したような達成感と安心感がある。わたしは満足して、ひさしぶりに水中花をほれぼれと眺めた。

 という奇妙なことがあったにも関わらず、三日も経つと、わたしはまた水中花のことなんか忘れて過ごすようになる。無視できなくなったのはそれからまた三ヵ月ほど後、夜中、ぱちんと音をたてて瓶の蓋がはじけ飛び、寝ていたわたしの顔に水滴がかかったときのことだ。

 わたしが「わっ」と叫んで起き上がると、窓辺に置いておいた水中花がまたいつの間にか大きくなって、瓶から黄色い顔を出していた。

 で、たぶん寝ぼけていたからこんなことをしたのだろう。わたしはまず「もう〜!」と言いながらキッチンに向かった。母が乾燥させたローリエをストックしておいた瓶を逆さまにして、ローリエはひとまずビニール袋に移す。空っぽになった瓶を水洗いすると自室に戻り、花をその中に移し替えた。

「よーし」

 わたしは満足してベッドに倒れ込み、そのまま朝になってアラームが鳴るまでぐっすりと、何かを成し遂げた満足感とともに眠った。

 翌朝、キッチンの母に「これやったのあんた? なんで?」と怪訝な顔でローリエの入った袋を見せられて初めて、わたしは「なんで当たり前みたいに入れ替えなんかやったんだろう?」ということに気づいた。あれは本物の植物じゃないのに。紙なのに。

「なんか気持ち悪いわねぇ。捨てちゃってよ」

 そう母に言われて、わたしもそのときは素直に「そうだね」と思う。でもいざ部屋に戻って水中花を見ると、急に愛着が湧いてしまって駄目だった。こんな可愛いものを捨てるなんてとんでもない、と思ってしまうのだ。

 結局わたしは水中花を捨てることができなかった。わたしの代わりに部屋に入った母も、水中花を見た途端に、急に「なんだかもったいないわね」などと言い始めてしまった。

 それでどうなったかって、そう、お察しの通りになっている。

 今や水中花は直径1メートルもある大きな瓶に入っていて、そしてなおも成長を続けている。正直かなり邪魔なのだけど、どうしても捨てられないのだ。

「あんたが早く結婚して、あれを持ってってくれたらねぇ」

 毎年瓶代が高くつくのよ、と母はこぼす。それは別に水中花がきらいなわけではなくて、いつまでも独り身のわたしに対する嫌味なのだけれど。

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