「眠れないモーニング」


 総平曰く、今のぼくは『能力の使いすぎで脳の一部が麻痺している』状態らしい。

 以前起こっていた“デメリット”が悪化したようなものだと思えば納得いく。

 能力がコンビニエントになればなるほど、比例するように反動も大きくなったと。

 文ちゃんから逃れるために乱用していたのだから、その後のぼくがこうなってしまうのももっともなことだ。

 理路整然として腑に落ちる。


(総平は何をどこまで知っているのか)


 ただしこれは“能力者”ではない総平からの指摘という一点を除けば、という条件付きである。

 ひょっとしたらぼくが知らないだけで総平もまた能力者なのかもしれないが、能力者なのであれば本部のリストに名を連ねているだろう。

 ぼくの立場ならばすぐにアクセスできる。

 クリスさんに『本当にこのぼくがヒーロー研究課になってしまったのか』を確認し『本当にそれでいいのか』の念押ししたい。

 衝撃的な一日から一晩明けた今日。

 今日は本部へ行こう。


「さっちゃんおはよ!」

「???????????????????????」


 盛大にクエスチョンマークを撒き散らしてしまった。

 決心して目を開いたぼくは、まさに目と鼻の先に天平先輩の顔を見つける。

 ぼくが寝入ってから潜り込んできて、ぼくが目覚める前に先に起きていたようだ。


「おはよ」

「おはようございます」


 ここは風車邸の空き部屋で、夕食(ゼリー飲料だった)の後にフリーに使ってもいいと総平に案内された。

 四畳半の広さにベッドがひとつ。

 カギはかからないが、かかっていたとしても【転送】で解除してしまうだろう。


「なんや。まだ体調悪いん?」


 夕食といえば。

 総平や天平先輩、夕食の時には部屋から出てきた智司は普通のカレーライスを食べていた。

 あの赤さや具材の目玉はぼくの見間違いか?

 思い出すとまた吐きそうになってしまう。


「いえ、大丈夫です」


 ぼくは自宅へ帰ろうとしたが、天平先輩が「ヒーロー研究課ならうちにいてええんちゃう?」と言い、総平も「幸雄くんに何かあっても対処できないよ?」と右に同意した。

 思えばオーサカ支部の頃はキャサリンの自宅で過ごしていたから、常に人がそばにいる暮らしをしている。

 結局、ぼくは一人では生きていけないのか。

 一時期の一人暮らしは一見して順風満帆だった。

 が、それはぼくの勘違いで、実際はただただ漫然と日々を消費していたに過ぎなかったのかもしれない。


「せやせや。土曜の件やけど、つくもも来たいって言っとるしつくもも来てええ?」


 ベッドから下りて伸びをしてから、トラの着ぐるみパジャマの天平先輩がぼくに訊ねる。

 三点ほど質問したい。

 三点のうちの一点はおそらく「トラかわええやん! どこがおかしいん?」と答えられそうなので実質二点。


「デートだったのでは?」


 これではぼくがデートを楽しみにしていたように受け取られてしまうか?

 総平からはああ言われたが、ぼくの良心は許してくれない。

 案の定天平先輩は「せやったわ。つくもには『さっちゃんが2人きりがええって言うからまた今度な』って送っとくわ」と返答してポケットからスマートフォンを取り出した。


「つくもは死んだはずでは……?」


 ぼくの三点目の質問に「生きとるがな!」と迅速なツッコミを入れてきた天平先輩。

 論より証拠とばかりにスマートフォンの画面を見せてくる。

 顔を近づけて“既読”の2文字を読んだ。


「お借りしても?」

「ええよ。見られて困るもんないし」


 天平先輩からスマートフォンを拝借して、画面をスクロールしてみる。

 つくもがオーサカ支部に所属していた間は天平先輩と暮らしていた。

 実の妹のように可愛がっていたのは覚えている。

 血縁関係はない。


「あのなぁさっちゃん。会えてないからって勝手に殺さんといてや」


 昨日も朝に何件かやりとりをしていて、夕方から夜にかけては膝のサポーターの話題をしている。

 体育の授業でバレーボールがあり、バレー部のようにサポーターを巻いたほうがいいかどうか……といった内容の相談だ。

 天平先輩は『授業ぐらいでそんなけったいなもんいらんやろ』と返しているが、つくもはスポーツブランドと値段を比較している。

 温度差が微笑ましい。


「この返事のない時間帯は」


 ぼくが河川敷にいたのは朝から昼にかけての時間帯だろう。

 腕時計を見る余裕がなかったので正確な時間はわからない。

 指摘に対して「つくもは高校生やぞ。平日昼間は授業中やし返事できひんやろ」と天平先輩は回答した。

 真面目なつくものことだ。

 想像に難くない。


「なるほど」


 通知音が鳴ってつくもから送られてきたスタンプが画面上に表示される。

 ウサギのような動物が泣いているスタンプだ。

 天平先輩は画面を覗き込んで「泣いとるやんけ」と眉間に皺を寄せた。


(生きている……?)


 ならば、昨日河川敷で見た光景はなんだったのか。

 あれもまた文ちゃんと同じく、ぼくにしか見えていなかった幻覚のようなものだったとしよう。

 そうに違いない。

 つくもは生きている。

 死んでもいい人間などいない。


「電話しても?」


 ぼくの提案に「声聞かんでもどっからどう見てもつくもとのやりとりやろが」と言って天平先輩はぼくからスマートフォンを取り上げる。

 おっしゃる通りだ。

 ぼくが神経質になってしまっているのは、信頼している人から裏切られてしまったからだろう。


「サタデーにはつくもも来てもらおう。ぼくから連絡してもいいだろうか」


 顔を見たらより安心できる。

 はずだ。

 スマートフォンの向こう側にいる存在がつくもである、と。

 天平先輩は「まあ、ええけど……」と少しばかり歯切れの悪い返事をした。

 ぼくの考えすぎならばいい。

 コンコンとドアをノックする音が聞こえてくる。


「そろそろお話終わった?」


 ガチャリとドアを開けながら総平が入ってきた。

 この家の食事は総平が作ることになっているらしい。

 それ以外の家事は分業制で、ぼくは今日から掃除当番である。

 フライ返しを置いてくればいいのに「今朝は幸雄くんも食べられそうなものを作ったから、冷める前に食べてほしいー」と急かしてきた。

 そう言われてしまっては行くしかない。


「お手並み拝見だ。覚悟したまえ」

「お。なんか調子戻ってきた?」


 総平に促されるままにぼくは食卓へと移動する。

 天平先輩も「あたしもおなかすいた!」と手を挙げてついてきた。

 昨日よりは気持ちが楽だ。

 楽だが、まだヒーロー研究課への所属を認めたわけではない。


「お、おは、おはようございま」


 智司がもじもじながら挨拶したので、ぼくも「おはよう」と返す。

 目を合わせてはくれない。

 物理的な距離は縮まったが、精神的な距離は未だ果てしなく遠い。

 どうしても壁を感じずにはいられない。

 総平は「挨拶できてえらい!」と智司の頭を撫でて褒めているので、ぼくもフレンドリーにコミュニケーションを取っていけばいいのか?


「さっちゃんが来てからえらい静かやん」


 ぼくの様子を横目で見ていた天平先輩が助け舟を出す。

 今後本当にヒーロー研究課でやっていかなければならないのなら、ぼくとしても智司とは親しくしておきたい。

 昨日の夕食の時はカレーを口に運ぶとき以外は口を開かず、さっさと退席してしまった。


「兄貴ぃ」


 智司は総平のことを“兄貴ぃ”と呼んでいる。

 総平が32歳で智司が23歳。

 母親を亡くして父親は多忙とあって総平や作倉部長が様々なシーンで親代わりをしてきた、と智司が自室に戻った後に聞いている。


「幸雄くんは隠し事のできない真っ直ぐないい子だし、智司とも仲良くできるよ」


 ぼくはパーフェクトでマーベラスな天下に並ぶもののない存在だ。

 ヒーロー研究課への所属が確定した暁には、どんな困難があろうと共に立ち向かっていこう。

 智司は「兄貴ぃが言うなら……」とぎこちない。

 いいだろう。

 これからはぼくのほうからもアクティブに話しかけていこう。

 逃げ場がないぐらいに。


「で! 総平さんが腕によりをかけた朝食とはなんや!」


 天平先輩のアシストを受けて、総平が「スペシャルモーニングセット!」と叫びながら台所からパンケーキを持ってきた。

 ホットケーキ?

 パンケーキとホットケーキの違いとは?


「これ食べたら“知恵の実”に会いにいくよ」


 空腹であるはずなのに、朝食を目の前にしてぼくと天平先輩は硬直した。

 総平の口から“知恵の実”の言葉が出てくるとは。

 想定外も想定外だ。

 しかも、会いにいく?


「勝負前の食事ということか」


 ぼくという戦力の加入で、霜降先輩を陥れて作倉部長を殺害するまでに導いた憎き“知恵の実”に天誅を下すと。

 そういうことならば承知できる。

 腹ごしらえは大事だからな。

 だが総平は「芦花さんも幸雄くんも、大先生のことを誤解してない?」と慌てている。


「総平さんこそなんや。その“知恵の実”っちゅうんはあゆを殺したんやぞ」


 そうだそうだ。

 天平先輩の言う通りだ。

 オーサカ支部の解散の間接的な原因でもあった。

 元オーサカ支部のぼくたちとしては到底承服しかねる。


「智司、氷見野雅人博士のこと覚えてる?」


 無関係を装ってホットケーキにハチミツをかけていた智司に話を振る総平。

 智司は「う、うん。勉強教えてもらってたし」と答えた。

 能力者研究の権威たる氷見野博士と風車兄弟に交流があったとは意外だ。


「“知恵の実”は『博士が亡くなってからも能力者に関する研究を続けられるように作られた人工知能』だよ」

「しかし現実にはぼくの魂を肉体から引き離そうとしていた」


 自分の名前の形も思い出せないのに、去年の12月23日のやりとりは鮮明に覚えている。

 ずいぶん都合のいいメモリーだ。

 ぼくの反論に総平は「向こうはなんて言ってた? 思い出せる範囲でいいよ」と続きを求めてくる。


「知恵ちゃんとしてはぼくのようなインテリジェントな能力者をチョイスして、魂を肉体から引き離して世界をコントロールするそうだ」

「ふむふむ」

「パスワードは火事で死んだからオリジナルのデータは破壊されない。だから、永久の命を得ることになると」


 総平は「ははーん? だいたいわかった」と頷いている。

 ぼくと知恵ちゃんを近づけていけないリーズンがわかってもらえただろうか。

 ぼくはこの肉体で定められたライフを生きていたい。

 知恵ちゃんの提案は受け入れられるものではない、と今も思う。


「何遍聞いても意味わからんな」


 ホットケーキを切りながら天平先輩は感想を述べた。

 智司は首を傾げながら「火事で死んだって、博士のことすかね?」と聞いてくる。


「ありとあらゆる生体認証でロックがかかっていると言っていた。管理者としてのアクセス権限があるのが博士しかいなかったから、博士の死で外からの介入がインポッシブルとなってしまったというわけだ」


 ぼくが説明すると「なおさら会いにいきたくなってきた。親父もたまには役に立つなー!」と総平が奮起している。

 どうしてそうなる?

 会いにいかない流れではなかったか?


「あたしは会いたくないんやけど」


 ぼくも行きたくない。

 またあの勧誘を受けるのだろうか。

 総平は「話は戻るけど、“知恵の実”は研究の末に“デメリット”を軽減する方法を編み出していて、そのおかげで作倉さんを回復させることに成功した」とぼくを説き伏せにかかる。


「このまま幸雄くんは本部に戻れず、幻覚を見たり気持ち悪くなったりしてもいいならいいけど……治したくない?」


 治したい。

 こんな不安定なメンタルで日常を生きていくなんて、試練としては重すぎる。

 とはいえ、知恵ちゃんに会いたいかといえばそれは別問題だ。


「他に頼りになる人はいないのか?」


 それか、以前作倉部長が治癒した方法をまた試すとか。

 どうしても会いにいかねばならないものなのか。

 カウンセリング的なものなのか?

 首を横に振りつつ「いないよ。能力者に関する研究って氷見野博士しかやってなかったんだから」と総平は否定してくる。


「大丈夫大丈夫。こっちは必殺の一手があるから」

「なんだそれは」

「現地で見せるよ」


 自信満々の総平。

 必殺というからには「破壊できない」と豪語する“知恵の実”を破壊できるほどなのだろう。

 天平先輩は「さっちゃんが助かるためにはしゃあないってんなら、しゃあない……」と独りごちる。

 この天平先輩の友人でありぼくの先輩でもあった人を自殺に追い込んだ相手である、と考えれば考えるほどにぼくも複雑な気持ちになってきた。


「兄貴ぃ、俺花持って行きたいんすけど」

「気持ちは嬉しいと思うけど、大学側が困りそう」

「そうすか……」

「お供えのお菓子ぐらいにしとこう。長持ちするやつで」


 提案を一度却下されてしょげた智司だが“お菓子”という単語に表情を明るくした。

 知恵ちゃんは知恵ちゃんであって氷見野博士そのものではないが、お世話になっていた人に手向けるのは悪くない。

 行き先は大学か。

 ぼくはハチミツが染み込んだパンケーキを口の中へ捩じ込む。

 美味しい。

 久しぶりに固形物を食べた。







【兄弟は左右の手なり】


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