「秘密は火で燃やして」
神佑大学の広大なキャンパス内の隅の別館に、氷見野雅人博士が使用していた研究室が残されている。
立ち入り禁止となっているらしく、正門で総平が守衛と話をつけた後に次は一号館の事務局へ行くように案内された。
それが30分前だ。
総平は「すぐに戻る」と言っていたのに。
交渉が難航しているのだろうか。
大学関係者ではないぼくと智司が突っ立って待っているのもおかしいので、ぼくはベンチを見つけて腰掛ける。
「暑いな」
季節外れの暑さだ。
春をスキップして夏が来てしまったのかもしれない。
ぼくは道中で購入したクッキー缶を抱えた智司に「座らない?」とサジェストする。
「兄貴ぃ、どうしたんすかね。俺も行ったほうがいいすかね」
智司はソワソワしていて落ち着かない。
まるでトイレを我慢している子どものように地面を踏み固めている。
ぼくには兄弟がいた記憶はない(血のつながった兄弟のことを忘れるなんてことはないだろう)。
総平と智司の兄弟関係を第三者視点で見ていると、総平は過保護がすぎるし智司はもはや依存の域に達しているように思える。
(それぞれの家庭の事情ということで、あまり詮索しないほうがいいだろう)
残念なことに、天平先輩はあの後本部から連絡があって来られなくなってしまった。
本人も乗り気ではなかったとはいえ。
ぼくが代わりに訊ねるしかない。
「飲み物でも買おう」
暑さで喉も乾いてきた。
自動販売機を見つけたぼくは、ぼくの分だけでなく智司にもドリンクを買い与えようと立ち上がる。
ぼくのほうが一歳上なので。
智司は「この自販機、まだあるんすね」と驚いた表情を見せた。
「昔来たことが?」
「さっき『勉強教えてもらってた』って言ったじゃないすか。今から行く研究室で勉強してたんすよ」
ほう。
智司は得意げに「帰り際に氷見野さんが飲み物買ってくれてたんすよね。兄貴ぃは『甘いものばっかり飲むな』って怒るけど、氷見野さんは好きなの買ってくれて」と喋りつつ、自販機のラインナップを眺めている。
兄弟あまり似ていないな。
智司のほうが2人の父親であるところの故風車宗治首相に似ていて、ヤンチャで活発そうな顔つきだ。
「メロンソーダ買ったら兄貴ぃ怒るかな……」
悩んでいる様子なので、ぼくは「ならばぼくが買ったと言えばいい」と横から割り込んで小銭を入れるとメロンソーダのボタンを押した。
これぐらい安いものだ。
ガコン、とペットボトルが出てくる。
取り出して手渡した。
「いいんすか?」
「ああ」
満面の笑みで「ありがとう!」と言ってくれる。
本当に一個下か? と勘繰りたくなってしまう。
弟をやっていると実年齢よりも低くなる、とか?
「さっちゃんは何にするんすか?」
「さっちゃん?」
「え、……芦花さんが“さっちゃん”って呼んでいるから、つい……」
しょんぼりされてしまった。
確かに天平先輩はぼくを“さっちゃん”と呼ぶ。
が、総平は“幸雄くん”と呼んでいる。
総平と知り合った当初は“さっちゃん”呼びされたくはなかった。
懐かしい。
「好きに呼んでくれたまえ」
「! さっちゃんで!」
なんだ。
精神的な距離感なんてなかった。
慣れてしまえばこれほどスムーズに会話できるなんて。
ぼく自身のコミュニケーション能力の高さよ。
「じゃあ俺は麦茶にしよう!」
こんなセリフと共に総平が自販機の裏から現れた。
片手のカギを見せつけながら。
智司は反射的にメロンソーダを隠して「兄貴ぃ! 待ってたんすよ!」と出迎える。
隠したところでいずれ見つかってしまいそうだが、まあいい。
これで本題が進みそうだ。
「別館遠すぎない? 気のせい?」
ペットボトル入りの麦茶をほとんど飲み干してしまった総平は、立ち入り禁止のロープを跨ぎながら弱音を吐く。
自販機からかれこれ小一時間は歩いたか。
ぼくはこれからマウンテンに登ると言われてもついて行けるだけの体力は残してある。
これが日々の鍛錬の差。
「総平もトレーニングしたまえ」
「前向きに検討しておくよ」
後続のぼくと智司もロープを乗り越えたのを見てから、総平が借りてきたカギで開錠する。
たまに人の手で掃除しているのか、想像よりも埃は少ない。
スイッチを押すと廊下の照明がついた。
何室かあるなかの、突き当たりの部屋には火災で焼け焦げた痕跡のある扉だ。
「なんか出てきそうすね」
「なんかとは?」
ぼくが聞き返すと、智司はぼくを盾にしながら「ゾンビとかクリーチャーとか」と声を潜める。
見回しても別段おかしな点はない。
立ち入り禁止になっているのが不思議なぐらいだ。
より丁寧に掃除して扉を新しいものと交換したらまだ十二分に教室として利用可能だろう。
「ゲームのしすぎでは」
ぼくのツッコミに智司は「で、でも! 俺が来ていた頃と雰囲気が違うんすってば!」とムキになって反論してきた。
智司がこの場所に来ていた頃がどれぐらい前なのか。
ドリンクを買い与えられて喜んでいて、総平からはスイートな飲み物を制限されていた、という先ほどの話から察するに小学生ぐらいか?
十年一昔という言葉もある。
十年経てば雰囲気が変わっていてもおかしくないだろう。
「なんか出たとしても幸雄くんが退治してくれるでしょ!」
総平に肩を叩かれる。
無論そのつもりだ。
このダンジョンの奥には“知恵の実”がいるのだから。
「オーケー、任せたまえ」
先頭を歩いていた総平を追い越して、さながら道場破りのように焼け跡痛ましい扉を開け放つ。
ハイスクールの実験室のような配置の部屋だ。
教卓の横にタワー型のパーソナルコンピュータが鎮座しており、教卓の上、ど真ん中にディスプレイが設置してある。
ディスプレイの左右には神社の狛犬のようにスピーカーが構えており、上にはウェブカメラ。
どれもまだ新しい。
「やあ、さちお」
スピーカーから女性の声で呼びかけられる。
ディスプレイに白衣姿の氷見野雅人博士が表示された。
ぼくが覚えていないはずはない。
これが“知恵の実”こと知恵ちゃんだ。
「さとしはおおきくなった?」
ぼくを追うようにして部屋に入ってきた総平と智司の、智司のほうには優しく「いまはなんさい?」と問いを投げかける。
これまで会ったことのある知恵ちゃんとの違いとして、この知恵ちゃんはディスプレイの下部に言葉が表示されていた。
ひらがなと記号のみだ。
「俺にも聞いてくれない?」
智司が返事をしようとしたのを制して総平は逆に知恵ちゃんに質問する。
知恵ちゃんは誰が見てもわかりやすいほどにムッとした表情になった。
声のトーンを低くして「またたすけてもらいにきたのか」と唸る。
また?
「頼りになるのは知恵ちゃんだけなんで」
だけ、に総平は力を込めている。
頼まれた知恵ちゃんの側は「そうか。そうなんだろうな」と鼻を鳴らした。
これからぼくは何をされるのだろう。
「ことわるといったら?」
「“知恵の実”をこの世界から削除する」
からかってきた知恵ちゃんに対して総平は即答した。
破壊できないのでは?
ここに来る前にぼくは思い出せる範囲で思い出して、総平に話をしたのに?
「総平、先ほどぼくは知恵ちゃんから『氷見野雅人博士がいないと破壊できない』と聞いたと伝えなかったか?」
慌てて再確認する。
総平は「それは聞いたから大丈夫。逆に言えば、それを聞いたおかげで13回目にしてようやく選択肢が出てきた」とぼくを宥めてきた。
「というわけで、ご本人に登場してもらいましょう! この場所で死んだはずの氷見野雅人さんです!」
大袈裟な前振りのあと、総平はスマートフォンを取り出して誰かと連絡を取る。
すると、程なくして扉が開き、天平先輩とメガネをかけた男の子が部屋に入ってきた。
高校生だ。
最近何かと縁のある神佑大学附属高校の。
いや男子制服は初か?
智司は「やっぱ出たじゃないすか! オバケが!」と飛び退いて机の下に避難する。
「この子でええんか?」
天平先輩が男の子の背中をぐいっと前に押してから訊ねた。
男の子は片脇に抱えていた板のようなものに文字を書いてから天平先輩に見せる。
なんだ?
ここからは何を書かれたのかは全く読めない。
その文字を見て「喋った方が早いんちゃう?」と天平先輩は答えた。
「まさひとが? どうして?」
知恵ちゃんは戸惑っている。
この場で唯一ぼくだけが男の子の正体に気付いていないらしい。
総平のセリフが正しいのであれば彼が氷見野雅人なのだろう。
火事で亡くなった当時すでに40代だか50代だったはずなのに?
智司の言う通り、これはゴースト?
天平先輩がここに来られたのは天平先輩の【転送】の能力だというのはわかる。
「俺が臨時教員として赴任した高校にいたから、芦花さんに連れてきてもらったよ」
「そんなおかしなはなしがある?」
「あるんだよ。なんだっけ、科学的に証明できない不思議な出来事を起こせる力が“能力”だっけ」
手段には謎が残るが、結果として氷見野雅人を任意のタイミングでこの場所に連れて来られる、と証明できた。
つまり、いつでも知恵ちゃんのデータにアクセスして破壊できてしまう。
なるほど“必殺”とはそういうことか。
【天網恢々疎にして漏らさず】
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