「象の葬式」


 風車邸がヒーロー研究課の所在地らしい。

 所属しているのは総平と智司、それに天平先輩の三人なので、もはや風車家とヒーロー研究課とはイコールの関係性であると言ってしまっていい。

 食卓に座らされたぼくは、総平が食事を用意してくれるのを待っている。

 温められたカレーの香りがこちらまで漂ってきた。


「ぼくを発見したとき、近くに女の子がいなかった?」

「女の子?」


 総平はカレー皿をぼくの目の前に置いて「いや、幸雄くん一人だったよ」と答える。

 トウキョーの街中であれだけ目立つ白いドレスを身に纏っていたプリティーな文ちゃんが見えていないとは。

 もったいない。

 余程視力が低いのか、それとも、ぼくの幻覚だったのか。

 文ちゃんも正しく加齢してぼくと同じく24歳になっているはずなので疲れすぎていたぼくが見てしまった幻覚の可能性は高い。


「その女の子って制服だった?」


 ぼくの向かいに総平が見当違いなことを聞いてくる。

 最近見た制服姿の女の子といえば……。


「つくもが」


 無我夢中で文ちゃんから逃げたおかげで脳内から振り払えていた。

 肉体が一瞬にして木っ端微塵となった、あのビジョンが再生される。

 吐き気が込み上げてきて口を塞ぐ。


「あ! ごめん! カレー嫌いだった?」


 総平が皿を下げようとする手を押さえて、ぼくは否定するために首を横に振った。

 吐こうにも胃の中には何もない。

 不快感が口内にじわじわと広がっていく。


「白菊つくもがいたってこと?」


 これもまた違うので、首を横に振る。

 つくもがあの場にいたのなら最初から“女の子”とは言わない。

 なんとか不快感を飲み下して「つくもがつくもと同じ顔をした能力者に殺された」と伝える。


「なるほどね」


 総平はつくもと顔見知りでも同僚でもなかったから、薄い反応で済ませられるのだろう。

 かすかな怒りを覚えながらスプーンを手に取る。


「赤い」


 香りはぼくの知っているカレーなのに皿の中は真っ赤だ。

 ライスの部分が若干ピンクがかっている。

 おかしい。

 握ったスプーンを置いてから目をこすり、もう一度見てみる。

 やはり赤い。

 スプーンで具材を一つ掬ってみると、


「ひっ!」


 

 

 瞳孔は開き切って、考えてみれば、この赤さは血の赤さのように思えてきた。

 ぼくは短い悲鳴を上げて、スプーンから手を離す。


「やっぱりカレー嫌い? カレー以外だと今用意できるのって冷凍食品しかないけど……」

「目玉が!」


 椅子からも離れて総平と距離を取る。

 普通のカレーに目玉なんか入っているものか。

 魚の目玉だとしてもそうそう入れないだろう。


「えぇ……?」


 総平はカレー皿を自席に寄せて、ぼくのために用意したスプーンでぐちゃぐちゃと混ぜ始める。

 ぼくは総平のことを信じたい。

 まだ。

 だからこそ現在進行形で起こっている出来事に、落ち着いて対処していきたい。

 まずは深呼吸しよう。


「ああ。わかったわかった。あのとき作倉さんのときと一緒だ」


 総平には思い当たる節があるらしい。

 この男がこんな嫌がらせをしてくるはずがない。

 そう思いたい。

 ぼくが疲れすぎてしまっている。

 立て続けにおかしな出来事が起こって、ぼくの精神が参ってしまっているのだ。


「今朝、天平先輩からテレフォンがあって」

「うん。毎日電話してるよね」


 知っているのか。

 総平は冷蔵庫からヨーグルトドリンクを取り出すと「これなら飲める?」と言って手渡してくる。

 これは密閉されている容器にストローをさして飲むのだから、不審な物体が混ざっている心配はない。


「今度のサタデーにデートしようって」


 総平は動揺する様子もなく、むしろ「いいんじゃない?」と肯定してきた。

 天平先輩の婚約者では?

 こうもあっさりと許可が下りるとは。


「芦花さんが幸雄くんに惚れているのはわかってる。うちの親父はアホだからこの自宅ぐらいしか資産残してくれていないし、付き合うならカッコイイ人の方がいいよね」


 自嘲気味に語ると、総平は本棚の中から一冊の本を取り出した。

 表紙には何も書かれていないが、似たようなサイズで色違いの本が12冊並んでいるうちの1冊だ。


「これは6回目の日記だよ。芦花さんが隠せてないのに隠し通そうとしていることを幸雄くんが話しちゃうのは、この回が似てるかな」


 ぼくの視線に答えてくれたので、ぼくは「6回目?」と首を傾げる。

 ヨーグルトドリンクは喉を難なく通過して胃に染み渡った。


「今回は13回目の世界だ。って言っても多分実感湧かないだろうな」

「13回目……?」

「6回目はほんとにやばくて。まず芦花さんが妊娠するし、幸雄くんは俺に謝りに来たのに、その後芦花さんが幸雄くんの首をポキっとして……キレた智司が芦花さんを滅多刺しにして」


 地獄絵図だ。

 ぼくが天平先輩に手を出すなんて。

 破廉恥な所業をしてくれる。

 総平という存在があるというのに?


「6回目のぼくを引っ叩いてやりたい」


 引っ叩くだけでは気が済まない。

 天平先輩と力を合わせて首の骨をへし折りに行くかもしれない。

 考えるだけで無意識に力が入ってしまい、容器を握りつぶしてしまう。

 日記を元の位置に戻した総平は「俺自身の“人間的な感情”がだんだん薄まってきているような気がする」と前置きして、こう語り始めた。


「この前作倉さんが亡くなったときは『悲しい』とか『悔しい』とかいう感情よりも『また死んじゃったか。次こそ頑張ればいいか』って考えている自分がいて。人生はコンティニューできないはずなのに、できてしまっている。そのことに気付いてしまった俺がこの世界でいちばんおかしくなっているんじゃないかな……」


 先程の“人の死に対する薄い反応”の正体はこれか。

 この世界が繰り返している、というのは奇想天外な事象であり、ぼくには理解し難い。

 何らかの能力者の仕業ではあるだろう。

 ぼくは総平が片付けた日記帳の隣の本を手に取る。

 数字が若い順に並んでいるのか、ぼくが手に取ったのは“7回目”のようだ。

 2015年。


「2009年が“1回目”?」


 指折り数えて確認してから総平に問いかける。

 総平は「俺が日記をつけ始めたのは2回目の途中からだから、ここには12冊しかない」と答えた。

 7回目の総平とぼくは映画を観に行っている。

 6回目に許されない罪を犯しているのに、この“幸雄くん” はどの面を下げて総平と会っていたのか。


「最初は俺も気付いてなくて、確信が持てなくて。でもなんか、すごいデジャブがあったんだよ。だから日記を書き始めた。そしたら、ね」


 7回目の最後の日付は8月25日。

 組織の本部が焼け落ちたところで終わっている。

 実行犯まではわかっていないようで、当時の総平の筆跡からは混乱が見てとれた。

 ほかの日記帳はどのようになっているのか。


「ただいまー」

「ただ!」


 ほかの日記帳に手を伸ばしたところで、扉が開いた。

 一人は天平先輩、もう一人は(声のトーンとサッと天平先輩の後ろに隠れたところから推測するに)智司だ。

 買い物に出掛けていたようで、芦花さんはハイビスカスと思しき派手な花を配したエコバッグを提げている。


「今日から幸雄くんはヒーロー研究課に配属になったよ」


 思いがけない総平の一言で、三者三様に仰天した。

 最も驚いたのはぼくに違いない。

 寝耳に水どころの話ではない。


「ほんまに!?」


 天平先輩にとっては吉報だろう。

 一旦は引き離されたがまたこうして、しかもヒーロー研究課なら一つ屋根の下で寝食共にすることになったのだから。

 ……いやいや。

 ぼくは納得していない。

 智司の顔を見てみよう。

 開いた口が塞がらなくなっているではないか。


「勝手に人の所属を変更しないでいただきたい」


 断固抗議する。

 総平はぼくの手から7回目の日記帳を取り上げて本棚に片付けつつ「クリスさんは『いいよ!』って言ってくれるよ」と(クリスさんは決してそんな軽いノリで辞令を出さないであろう口調で)言ってのけた。

 配属に“なった”と過去形だったが、まだ承諾を得ていないのか。


「幸雄くんって街中大騒ぎにさせておきながらのこのこと戻れるタイプの人?」


 あ。

 そうだ。

 一報も入れずに休んだ挙句の現在なのだった。

 しかしエクスキューズはしたい。

 理由もなくぼくが休んだと誤解されたままなのは心外だ。


「それに、今の幸雄くんが本部に戻っても何もできないと思うんだよ」


 総平はグリーンのノートの最後のページをビリビリと破り、ペン立てからボールペンを一本取る。

 それからぼくに「どうぞ」とイスに座るよう促した。


「なんやなんや」


 天平先輩は荷物を適当な位置に置いてテーブルに寄ってくる。

 正月ぶりになる智司はその場からいなくなっていた。

 あの日それなりに親睦を深められていたと思っていたが、まだ足りないか。


「自分の名前は?」

「ぼくの?」


 総平は「そう」と頷きながらボールペンを渡してきた。

 書いてみろ、ということか。

 ぼくは渡されたボールペンを握る。


「左利きやったっけ?」


 天平先輩に突っ込まれた。

 ひだり?

 みぎ……?

 どっちがどっちだ?


「どう? 書けそう?」


 漢字の形が出てこない。

 自分の名前はわかっている。

 わかっているのに、手を動かせない。


「さっちゃん? どしたん?」


 天平先輩が心配そうに顔を覗き込んでくる。

 そうだ。

 ひらがななら。

 ひらがななら書けるはずだ。


「まあ、最近は予測変換で出てくるからさ。いざ『書け』って言われても難しいよね」


 ボールペンを持ち替えて、いざ書こうとしたところで総平に紙を取り上げられた。

 ぼくの口からは「総平の言うとおりだ。デジタルに飼い慣らされた人類に旧時代のライティングの技能など不要」と負け惜しみがこぼれてくる。







【循環端無きが如し】

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