第57話 アンジーの幸せな時間

 LAVでヘキサゴンに帰還した三戸達を待っていたのは、志願兵に加えて、こちらの世界の銃を持った難民の有志達。そしてジャンヌと肩に乗ったブリューナク、リチャード、サラディン。


「ミト、アンジーは大丈夫?」

「青龍も大丈夫じゃったかの?」

 

 ジャンヌとサラディンが心配そうな顔で駆け寄ってきた。

 実は帰りの車中で、青龍偃月刀の中にいる青龍とスヤスヤと眠っているアンジーに、ナイチンゲールが注射器から柔らかな光を照射している。そのおかげか、アンジーは人型を維持しながら歩ける程には回復していた。


「ああ、何とかな。けど、二人とも消耗が激しいんだ。魔物の襲来までは休ませたい」

「うむ。それがよかろう。余が全周囲に堀を作った故な、しばらくは時間を稼げよう」


 それにリチャードが気遣うような表情で同意した。この男のこのような表情は珍しい。三戸はそんな彼の言葉に甘えて、ヘキサゴン内部の少し開けた場所にアンジーを連れて行った。それに他の救世者メサイア達と志願兵、さらには難民達から選抜された有志達も付いてきた。

 彼らから見れば三戸が上官との認識であるし、その相棒であるアンジーも同様だ。心配なのだろう。


「ここでゆっくり休め、アンジー」

「マスター、ありがとうございますっ!」


 アンジーがにっこりと笑ってペコリとお辞儀すると、若い男の兵士達から思わずため息が漏れる。

 さらにアンジーは、きめ細やかな色白の頬をピンク色に染めながら続ける。明らかにもじもじしながら、何か羞恥に耐えているような、そんな様子だ。


「あの……マスター。ひとつだけ、お願いがあるのです……」

「ん? なんだ?」


 もじもじしながら上目遣いでのお願い。この時点ですでに目を血走らせている兵もいる。


「あの……私が休んでいる間、私の中へ入ってきて欲しいです……」


 ――ザワッ!

 

 その言葉に周囲がざわつく。もちろん三戸は正しく意味を理解していたし、ファントムに搭乗して戦うのを見ている他の救世者メサイア達も同様だが、現地登用兵達は完璧に勘違いした。唇を噛みしめ涙を流している者すらいる。


「みんな、すまないが俺達はここにいるから。用があればいつでも声を掛けてくれ」


 その一言にまたしても周囲がざわつく。邪魔していいのか? いやいや、それはダメだろ。そんな声すら聞こえた。そこへ、ナイチンゲールが三戸とアンジーに向かって一歩進み出る。


「ミト。これはまだ仮説に過ぎませんが……」


 いたって真面目な表情で彼女が三戸に伝えた仮説とは。

 本来救世者メサイアの相棒とは、常に一緒に行動する者として存在しているはずである。元々が道具であったり武器であったり、使い手が居なければ役に立たないものだ。

 しかし、アンジーの特異性はそこにある。あの大きなファントムの機体では、共に行動するには支障がありすぎる故に、初めから人型として存在できたのではないか。

 さらに、道具は使われる事によってこそ十全にその能力を発揮できるもの。その道具が意志を持ち、自律して行動できるようになったとしても、その使用者なしでは恐ろしく消耗するのではないか。現に、ジャンヌの近くを飛行していたブリューナクは自律行動をしているのにも関わらず全く消耗していないのに対し、関羽から離れていた青龍はかなり消耗していた。


「あくまでも、聴診器を当てた事から得られた情報を元に組み立てた仮説ですが」

「なるほど……」


 話を聞いた三戸も、ナイチンゲールの仮説に対して特に破綻している部分はないと思えた。今までどれほどの戦闘こなしたとしても、アンジーがこのようになる事はなかったし、ここまで長時間離れて行動した事もなかった。そこへ、遠慮がちにアンジーが話しかける。


「あの、マスター。ナイチンゲール様の仰る事は本当なんです。私達にはご主人様成分と言いますか……マスターの、『愛着心』とでも言うべきものが必要なんです」

「……初耳だ……」


 そもそも愛着心と言われても実感がない。いや、ファントムに対する愛着なら誰にも負けないと自負してはいる。現に、現役パイロットの頃から丹念にメンテナンスをしていたし、下手をすればメカニックよりも詳しい事もあった。

 だが、こちらに来てからはアンジーを気遣うくらいで、特に何も手を掛ける事はしていない。


「よし! アンジー、工具とかオイル類、消耗品パーツとか出してくれよ!」

「え? あ、はい?」


 はたと思い出したような突然の三戸の指示にきょとんとしながらも、アンジーは言われたものを次々に出していく。


「ほらほら、機体の姿に戻れ。メンテナンスの時間だ」

「あ、はい……」


 アンジーは言われるままに、ファントムの機体へと姿を変える。初めてアンジーの真の姿を見た者達は驚きを隠せず、先程までの彼女の発言を大きく誤解していた事に恥じ入った。

 そこから先は、ファントムのメンテナンスに没頭する三戸の邪魔にならないように、そっとその場を離れていくのだった。


『うふふふっ』


 きちんとした設備もないこの世界では、メンテナンスと言っても出来る事は限られている。駆動部にグリスをしている三戸。そこに、アンジーの物凄く嬉しそうな笑い声が聞こえた。


「ん? どうした?」

『こうしてマスターにメンテナンスをしていただけるの、久しぶりだなぁって! これでアンジーはあと十年は戦えますっ!』


 その嬉しそうな声に、三戸は申し訳なく思う。グリスで汚れた部分をウエスで拭きとりながらアンジーに答えた。


「済まなかったな。お前が戦闘機で、機械だって事を完全に忘れてたよ。メンテナンスなんて、日常的にやるのが当たり前なのになぁ……」


 しかしその言葉は、アンジーに歓喜を持って受け入れられた。なぜならそれは、三戸が自分の事を単なる武器、単なる道具としてではなく、相棒として見ていてくれたという事に他ならない。


『マスター! マスター!』


 三戸がアンジーに呼ばれてファントムを見上げると、キャノピーが開いた。


『乗って下さい! アンジーのお願いですっ!』

「おう、ちょっと待ってろ」


 三戸は軽く叩いて衣服の埃を落とし、コクピットへと乗り込んだ。いつの間にかアンジーの一人称が『私』から『アンジー』に変わっているのに気付いていない。


『マスター! マスターもアンジーのシートで休んで下さい! メンテナンスももちろん嬉しいですが、マスターが座って下さるのが、一番安心します!』

「……そうか」


 三戸はアンジーのシートに座り、軽く目を瞑る。決して座り心地が良い訳ではないが、不思議と安心感があるのは三戸も同様だった。まもなく暮れ行く夕日を浴びながら、二人・・は微睡むのだった。

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