第270話 チーム・アオバのメインドライバー、城之内の視点

※今回、主人公パートはありません。



<放送中>


 城之内直樹はチーム・アオバに属するCybernetics・Formulaspecialレーサーである。


 世の多くのレーサーがそうであるように、彼もまた少年時代からカートレースを体験し、齢を経る度にカーレースと呼ばれるジャンルを順当にステップアップしてここまで来た。


 レースの成績は常にトップクラス。少なくとも彼の走ってきた界隈では『手強い』とは感じても、『越えられない壁』と感じるようなレーサーには出会ったことは無い。


 もちろん城之内にレースを勧めた張本人である親の潤沢な資金により、彼には常に強いマシンが回ってきた事も少なからず戦績に貢献していただろうが。


 それでも城之内直樹という人間が並の人よりレーサーとして適性を持ち、少なからず努力して国内のトップドライバーのひとりにまで上り詰めた事は、なんら恥ずべきことの無い事実であろう。


(あのオーナーの小言には毎度ウンザリしているが、今回は特に酷いな……レース前夜にプレッシャーを掛けに来るか普通?)


 ――――ニュー富士岡サーキットでの本戦はいよいよ明日に迫っている。


 チーム・アオバは予約していたサーキットでの練習時間を終えており、後は明日までドライバーの城之内に仕事はほぼ無い。ここからはメカニックたちによるマシン調整の追い込みの時間となる。


 普段の城之内であれば明日の本戦のために体力回復に努めて休むか、イメージトレーニングでもしている時間帯。


 しかし今夜の彼は『コースの最後の下見』と称して、自分に当てがわれているトレーラー室を抜けて外に出ていた。


 ドライバーが自分の足でコースを歩いて回る事は別段珍しい事では無い。マシンに乗って走っただけではコースの細かいコンディションを実感し辛い事もあるからだ。


 何より自分の目と足でコースを確かめる事は、城之内というドライバーにとって精神的に必要なルーティーンでもあった。


 問題はこのルーティーンを行うのはもっぱら昼であり、今夜のようにコース外を漫然とブラブラするのでは『コースの下見』という言い訳と噛み合わない事であろうか。


(就寝時間まで居座る事は無いと思うが……オレの方を切り上げた分、メカニックたちに長く矛先が向いていたら申し訳ないな。仕事中にされたら無用なミスをするぞ。その辺を分かっているのか、あのお嬢様は)


 彼がこんな時間に外に出たのは所属チームのオーナーから逃げるため。


 オーナーは青葉キョウコという若い女性で、ファミリーネームが示す通りチーム・アオバを擁する自動車会社アオバの所縁も所縁。社長令嬢である。


 いずれ会社を親から引き継ぐ事が決まっており、その多大な期待のせいか他者にも成果のみを求めるきらいがあった。


 競争社会に身を置くやり手の女上司とも取れるが、はっきり言って城之内にはかなりキツい女性という印象がある。事実としてスタッフに厳しすぎる面が散見するからであろう。


 城之内が在籍した時期から数えても、小さなミスをしたメカニックをその日のうちに強権で解雇したり、スランプで成果を出せなかったテストドライバーを一切のチャンスを与えず放出した例が何件もあるほどだ。


 それはお互いプロなのだから実力・成果重視は構わない。しかしその実力を出すための協力をしないどころか妨害とも取れる行為をしてくるのには辟易とさせられる。


 最たるものはパワーハラスメントとも取れるプレッシャーだ。成果を出せなければ解雇だと、わざわざ口に出して城之内を含むスタッフに事ある毎に何度も言ってくるという悪癖があった。


 中には彼女の圧力を受け続けて精神的に参ってしまい、チームを去ったスタッフさえいた。


 それを青葉キョウコも『負け犬』『弱者』と吐き捨て、引き留めることは無かったのも彼女の印象の悪さに拍車をかけている。


 固く舗装された路面に足音を鳴らしながら、手持ちのライトで照らされた黒い地面に城之内は重い溜息をつく。


 サーキットには各所に照明が設けられているとはいえ、全てが明るく照らされているわけではない。無用なケガをしたくなければ、こうして自前のライトくらいは持ち歩く必要がある。


 上には燦然と輝く会場のライト――――しかし足元はこんなにも暗い。


 その道のりが自分の選んだ方向の暗雲を暗示しているようで。城之内は内心で後悔を募らせていた。


 ドライバーとしてチーム・アオバを選んだ事を。






<放送中>


「おい! 何をしている!? おまえたち!」


 夜間で外にいくつもの整備用ライトの点いていた事もあり、そのブースでのやり取りは遠目にも目立っていた。


 ライトに照らされていた男たちは城之内も悪い意味で知るドライバー。


 チーム・ミッションリング。中でも目立っているチンピラのような男は『リオン・アルバート』であろう。

 

 彼はレース業界でクラッシュ王・巻き込み野郎とまで唾棄される人物で、城之内も過去に彼のクラッシュに巻き込まれ表彰台をふいにされた苦い記憶がある。


 その彼はひと際に小さいシルエットのドライバーを相手に、何かしら因縁をつけているようだった。


 このとき城之内はオーナーから圧力を受けた苛立ちと、アルバートへの個人的な恨みから反射的に声を荒げた。

 事情は知れないが、どうせ素行の悪い事でも評判のアルバート側が悪かろうと考えたのもある。


 そして予想通り彼らは第三者の介入を嫌ったようで、その場に唾を吐くと城之内が近くに行くまでに小物らしい姿で去っていった。


「ええと、何があった? 君。その、君はCARS所属のレーサーでいいんだよな?」


 アルバートたちは去り、状況は終わった。


 だが声を出した手前、残った者に挨拶くらいはするべきかと思った城之内はあまり良い印象の無いチーム・CARSについ関わってしまった事を後悔しつつも近付いていき――――そして数秒ほど呆けることになる。


 それでもレーサーとしての反射神経で再起動した城之内は、『ええと』という無様な前置きをした事を羞恥しながらなんとか急場を凌いで話を繋ぐ。


(映像では見たことがあるが……すごいなこれは)


 まず目を引くのは驚くほどの美形。


 トップレーサーの彼にはルックスを武器に近づいてくる女性も多いが、これまでの艶のある女性遍歴が消し飛ぶほどの美貌を持つ少女である。


 特に整備ライトに照らされた長い髪は夜空よりも黒く、それでいて星を包んだようにキラキラと輝いているかのよう。


 年の頃で言えば彼の範疇外のはずであるのに、女性の姿からなんの誇張もなく目が離せないなど初めての事だった。


 しかし、そんなものはおまけに過ぎない。


 城之内は男としてよりもレーサーとしての本能で、この得体のしれない少女に驚くほど戦慄している自分に気が付いていた。


(分かる。この子、とんでもなく強い。そういうオーラがある)


 まとっている空気自体が明らかに違う。強者から自然と放たれる圧迫感のようなものを城之内はこの華奢な少女から感じ取った。


 玉鍵と名乗った少女の経歴は城之内も知っている。


 S世界の狩人。若干14才にして飛び切りの戦績を誇るパイロット。


 ワールドエース。レーサーで言うなら無敵のグランドチャンピオン。


 業界は違えど正真正銘の超一流。幼い見た目に反して異様な風格があるのも納得だった。


 事情を聞いたもののアルバートとの諍いについては協力出来ないとして、城之内は彼女と別れた。しかしあの少女を見る限り、むしろミッションリングが痛い目にあう気がしてならなかった。


 同じく、明日ここで戦うレーサーの1人である自分も。


「チーム・CARSのデータを揃えてくれ、細かい事も全部だ」


 アオバのブースに戻った城之内は寝台には戻らず、すぐにスタッフに声を掛けてありったけの資料を要求した。


「城之内君? 体を休める時間にそんな下位のチームに頭を割く余裕があるなら、もっと上位のチームを研究するべきじゃないの?」


 だがそこに現れた青葉キョウコによってスタッフの手が止まる。


「このチームはドライバーが要求した資料ひとつ出すのにも、いちいちオーナーの許可がいるのか?」


 ……今まで城之内はキョウコへの対応を躱すに止めていた。


 鶴の一声で解雇できる権力者。仮にも女性。内心でそういった遠慮があったからである。


 それが今日初めて強い敵意を含んだ目で見られたキョウコは鼻白むことになる。


「明日は荒れるぞ。台風の目は間違いなくチーム・CARSだ。だから資料がいる、どんなチームよりも一番に」







<放送中>


 1年前。城之内には国内外のいくつものチームからメインドライバーを渇望され、それぞれ自慢のマシンのシートが提示されていた。


 トップクラスの成績を持つ彼にはその中から選べる権利があったと言える。


 その中から彼が選んだのがチーム・アオバ。


 国内でも規模の大きな企業であり、国際的にも高い評価を得ている自動車会社によって設立されたCFSチームである。


 決め手はやはりチームの資本力。身も蓋も無い事だが、ドライバーにとってこれ以上に魅力的なものは無い。


 資金力があれば大抵の事は解決するのだから。


 他チームより強力なエンジンが開発でき、新品のタイヤが常に用意され、流体力学に優れた高性能のボディが次々と試作される。


 豊富な走行データの取得も、サーキット毎のコースコンディションのリアルタイムの監視も。何もかもが金で解決できる。


 この理屈はモータースポーツに限った事ではないが、モータースポーツこそ間違いなくその急先鋒であろう。


 レーサーは生身で走るマラソンランナーではない。ドライバーだけの技量ではいかんともしがたい事がある。マシンの性能が低くてはどんな名ドライバーであろうと勝てはしないのだ。


 幼少期からレースマシンに乗り、他者と真剣に競っていた彼はその事を肌でよく理解していた。だからこそ資本力のあるアオバを選んだのだ。


 ……だが、その判断の成否が揺らぐほどにチーム・アオバの空気は悪かった。常に成果を出している自分でさえこれでは、他のスタッフは気が気では無いだろう。


 今後もあのキツい女上司の圧力を受け続けながらレースをする。そう考えるだけで気が滅入ってくるほど。


 それでもチーム・アオバの技術力と資金力は魅力があるし、何より預けられたマシンに城之内は惚れこんでいた。


 今大会のためにアオバが繰り出した最新鋭のCFSマシン。その名は『レッドインパルス』。


 このマシンの性能こそが城之内の心をギリギリでアオバに引き留めていた。


 レッドインパルスはその性能をいかんなく発揮し、予選を1位で通過して見事にポールポジションを獲得している。


(だと言うのに、今日はこれっぽっちも安心できない)


 不安の原因は分かり切っている。それは不満も露わに最下位グリッドに収まっている白いマシンのせいだろう。


 風防キャノピー越しの彼女の視線が告げている。


『おまえたちなど私が走るのに邪魔だ』と。


 1位からもっとも遠い位置にあるというのに、その車体に内包するドライバーの強い意志がここまで届いてくるかのよう。


 城之内だけではない。上位の者たちは皆この異様な空気に気がついている。


 チーム・CARSの『ABADDON』。あのマシンが誰よりも手強いと。






<放送中>


 レース中盤。ここまで映らなかった存在を、ほんの一瞬とはいえミラーに発見した城之内は死神でも見たかのように戦慄した。


(やはりこうなったか。とんでもない追い上げを見せてくれる)


 軽量化のため必要最低限の面積しかない鏡面に映ったのは、見紛うことなき白の車体に青のラインを入れたマシン。


 CARSのABADDON。


 並のレースなら20位スタートのライバルなど論外。周回遅れで以外では1位の目に視認するものではないはずだった。


 それがもう、トップ勢に迫っていた。


「ABADDONの順位を教えてくれ! 今何位だ?」


〔チーム・CARSは現在――――〕


〔城之内君。後続なんて気にせずトップのまま走りなさい〕


「口を挟むなぁ! ドライバーが要求してる情報を伝えろ! こんな事までいちいち妨害してあんたは何がしたいんだ!」


 通信に割り込んできた声を聞き、瞬間的に怒りをボルテージが振り切れた城之内はレースで昂っていた事もあって叫んでいた。


 少しの間のあと、正規の通信スタッフからABADDONの順位を聞かされた城之内は口元を無意識に吊り上げる。


「分野は違えどやはり超一流か。間違いなく迫ってくるぞ」


 わずか10周そこらで5位を走る『サイレンスボマー』を射程に捉えている。


 そのドライバーであり精密なテクニックを持つ男として知られる『ハインリヒ』。しかし途中からマシントラブルを抱えたらしく、彼らしからず上位からじわじわと引き離されていた事もあるだろう。


 ……そして予想は的中し、15周目にしてABADDONはついにベスト5へと浮上した。


 もしもマシン同士のドライバーで会話が出来たとするのなら、トップの城之内を始めとした4人は揃ってこう言った事だろう。


『こいつ悪魔と契約でもしたのか!?』と。


 でなければ最下位からトップ争いに食い込むなど考えられるものではない。確かに中堅勢は荒れ模様だが、コースタイムで見る限り上位の成績はむしろ振るってさえいるのだ。


 特に城之内の駆るレッドインパルスは、このままのペースで完走すればコースレコードに届くほど。


 それをABADDONは、あの悪魔の名を冠したマシンは着実に追い上げてくるのだから。


〔ホームストレート半ばでクラッシュが発生。次の侵入までにコース脇に片付けられそうですが、アウト側に細かい破片デブリがかなり残っています。イン気味で突入してください〕


「分かった!」


 マシンのクラッシュに伴う措置は色々であるが、レースを妨げないコース外などに車体や破片が転がればそのまま通常のレースが進行する場合が多い。

 逆にコース内に残った場合はセーフティーカーが出動し、クラッシュした車体が片付くまで各車の走行を制限する措置を行う。


 チームメイトの口調からコース内に事故車が残っていると察した城之内は、それでもレースの侵攻を妨げないほど孤立した周回遅れの事故なのかと訝しんだ。


「ここでブースターか! ゴボウ抜きにするチャンスを待っていたな!」


 とはいえ、そんな疑問もすぐに思考の彼方。


 あえて温存していたらしき2回目のブースターを吹かし、背後から4位3位2位を一気に引き裂いて肉食獣のように迫ってくるプレッシャー。強烈な圧迫感を受けて否応なく自分の走りに集中していく。


 恐怖と焦り。しかしそれ以上に感じる――――この高揚。


 今日までトップを走り続けていた城之内は今、間違いなく人生で一番ひりつくギリギリのレースを味わっていた。


 気が遠くなるほどの緊張を強いられる18周、19周。


 些細なミスも一切許されない。そのミスにこの悪魔は確実に食いついてくる!


 そしてラスト20周。


 己の能力と知識、経験のすべてを動員して迫りくるABADDONのアギトから逃れ続けるのもこれが最後。


「ファイヤーバード!」


 最後の勝負どころ。そう判断した城之内はホームストレートへと至る最終カーブ、そこから抜け出る直前にレッドインパルスの搭載するハイ・ブースターシステム『Fire Bird』を展開する。


(クソ、わずかにブースターの展開が遅れたか!?)


 だがそれに先んじて後方の悪魔が翼を広げたのがミラーに映っていた。時間にすればコンマ0.1から0.2遅れ。


 しかし加速開始の遅れは、最高速へ到達する時間の遅れに直結する。


 それでもなお、ここまでの距離の優位があればゴールに到達するのは赤き衝撃波の到達がわずか速い。


 ――――そう確信していた城之内の背後から、信じがたい追加速を見せたABADDONが我が物顔でレッドインパルスを抜き去っていった。


「負けた……か」


 自分より先にチェッカーフラッグを受けて走り抜けていくその後ろ姿に、いつしか城之内は言いようのない神々しさを感じていた。


 ……余談だが、このレースの後にオーナー会社のアオバは社会的信用を失墜し、これを見限った城之内は複数のスタッフと共にチーム・アオバを離脱することになる。


 落ちたりとはいえ大会社を出奔した彼らには逆風の船出。当初大企業に睨まれたくない業界は彼らに冷ややかな視線を向けていた。


 そんな流浪の彼らを諸手を上げて受け入れたのは、CFSレース規定の改定で一定数の人間のスタッフを募集することになったチーム・CARS。


 やがてこのチームは人とAIとマシンの、三位一体の走りを見せる強豪としてCFSレース史に名を轟かせることになる。

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