第262話 小物たちの牽制? 開幕前の洗礼
サーキット会場で割り当てられたチームスペースには、マシン用のトレーラーの他にメンバー用の宿泊空間を設けた別のトレーラーが用意されていた。
都市によってはサーキットからほど近いところもあるようだが、サイタマからニュー富士岡は結構離れているのでチームの先遣隊はこういった車両で乗り付けて現地宿泊が前提のようだ。
サイタマからだと130kmくらい離れてるからな。レトロフォルムでも300km以上を叩き出せるCARSが爆走しても都市の外に出る手続きや諸々があるから、どうしても1時間くらい掛かる。
ドライバーはコンディション維持のために前日まで都市のホテルで宿泊するチームも多い。
ただしアウェーで開催される場合は他のスポーツと同様にお行儀の良くない対応をされることも少なくないので、こういった時も自前の宿泊トレーラーを使うみたいだ。
もちろんCARSの場合はどのレース場でもアウェーと同義。それを友大の件で思い知った事で、CARS本社はオレひとりだけのためにこの豪華なトレーラーを用意してくれたらしい。
下手な格安ホテルより広いスペースには真新しい家具までひと通り備わっている。オレの体は
おお、冷蔵庫に食材まで入ってら。キッチンもあるから簡単な料理なら作れそうだ。
空き時間に弁当でも作るか。大会までサーキットとサイタマを往復しなきゃならんし、戻ってから作ってると夕飯が21時を回っちまう。
飯はともかく
「やっぱ基調は白か。別に赤でも青でもいいのによぉ」
広げたスーツは白地にCARSのロゴだけが遠慮気味に付けられた代物。
業界に歓迎されてねえから太いスポンサーがいないんだろうな。まあ実績作っていけばそのうち損得だけで判断してくれるシビアな企業の目を引くだろう。
《お着替え中の低ちゃんや、野暮ったいツナギより近未来的なレーサーコスはいかがでせう?》
「お断りいたしませう。ビキニとかハイレグとかピッチリとかいらねえんだよ。どっちかと言うとレースクィーンの恰好じゃねえか。第一、着用するスーツは大会規定があるんだから変な物は着れねえんだよ」
公式大会ではマシン以外にもドライバーの着用するレーシングスーツだって規格が決められている。
まず一番大事な公認のオーバーオール。使われている繊維の枚数でシングル・ダブル・トリプルとあり、生地を重ねたものほど丈夫だが逆に着心地は悪くなる。
耐久レースではトリプル仕様が義務らしいな。周回数が少ないCFS大会ではシングルかダブルが標準だ。
後はこれになんでもいいからアンダーウェア上下、目出し帽。さらにヘルメット、ソックスにシューズ。グローブでひと揃いになる。
要はなるべく肌を出さない構成だな。スーツちゃんの好みの真逆と言っていいだろう。
《それは本番だけでショ。練習ならコスプレではっちゃけてもええんヤデ?》
「本当はオレが着たいみたいな言い方をすんな。スーツの慣らしも意味もあるんだから着ないでどうするよ」
《スーツちゃんがモーフィングしてはいかんの?》
「……バレねえ? CARSだぜ? クリーニングで絶対に勘繰られるぞ。それよりアンダーになってくれよ」
オレにスーツちゃんを着ない選択肢は無い。ただしあくまでスポーツだからフェアプレイを意識して、思考加速や筋力補助と言った支援は無しで傍観してもらう予定だ。
それでもスーツちゃんを着るのは命の危険を考えての保険。さすがに事故のリスクまで他選手と平等に揃えるほどバカ正直じゃねえ。
《スーツちゃんは肌着にはなりまセン。それは正しい変態淑女としてマナー違反なのデ》
「正しい変態淑女って矛盾してないか。じゃあ例の白いやつは? あれなら薄いから無理なく着れる。ただS由来の補助性能は非常時以外はOFFにしてくれ。耐G性能もいらん、フェアじゃねえ」
アスカたちから貰ったあのスーツならアンダー代わりに着ても邪魔にはならんだろう。
《しょうがにゃいなあ。最初はあれだけ着るの嫌がっていたのにネ》
下着を脱いでからジャージを着直す。次は替えも持ってこないとな。
例のスーツは薄いしピッチリしてるから、ブラやらショーツやらを付けたまま身に着けると見た目がみっともなくなる。
はみパンってレベルじゃない。なので下着を脱がないといけないのがちょいと面倒だぜ。
「デザインが嫌なだけで性能に文句は無いんだよ。レースの速度的にカーブで掛かる負担が尋常じゃねえし、ライセンス試験の時だけでも着とけばよかったな。軽くムチウチだぜ」
CFSマシンの速度はコーナーリングでも200km、300km当たり前の速度。ブレーキングでの減速も300kmから85kmとかガクンと下げることになる。
ちょいと横に振るだけで首に50kg以上の負荷が掛かるようなカーブが頻発し、ブレーキの遠心力で目の涙腺から涙がヘルメットのバイザーに向けて吸いだされるような世界だ。
オレのこの体、『玉鍵たま』は身体能力に恵まれているからどうにかライセンスが取れたが、本来14才そこらの体が出来てないガキの体力で耐えられる業界じゃねえぞこれ。
「後はアリバイ作りに制服かジャージでも持ってくるか。脱いだもんが無いとおかしいからな。ああ、アクセの類は無しで――――って。おい、なんかおかしくね?」
アスカたちから贈られたパイロットスーツにモーフィングし直してくれたスーツちゃんだったが、今日はいつもと形状が違っていた。
「黒いラインどこ行った?」
白い競泳水着みたいな形状をしたこのスーツ。その表面を走るように付けられている黒い当て布みたいなものが無い。
スーツの生地が薄くて女のいろいろアレなところの形が浮いちまうから、それを申し訳程度に覆い隠す感じで付いてたやつだ。
《インナー扱いで着るなら余計かなと。あれも一応厚みはあるし?》
「あー……まあ、そりゃそうか。チッ、なんだよこの情けない気分」
いっそ裸より恥ずかしい気がするわ。野郎だったら白ブリーフ一丁みたいな感じでよ。言っとくが前のオレはトランクス派だぞ。
さっさと
「サイズ的に完全にオレ用でオーダーしてるな。CARSめ、マジで依頼する前から全部用意してやがったな」
《ウム。CARSは低ちゃんのスリーサイズを正確無比に把握しているナ。体調管理の名目でブルーデーの周期も分かってそう》
「気持ち悪くなるからやめい」
シューズにグローブと、他を身に着けて着心地を確認する。どれも予め
さすがCARS、細かい配慮が効いてるぜ。それが若干キモくなってきたが。
《ヘイヘイ、目出し帽はやめようZE。女子ドライバーはヘルメットを脱ぐときファサッと髪が零れるのがお約束やん? あと素肌にライダースーツでファスナーを下すと胸の谷間が――――イエ、ナンデモナイッス。ごめんネ?》
「勝手に盛り上がって勝手に憐れむなや。あとロン毛はキッチリ髪をまとめないとヘルメットに入らねえよ。そうだ、なんなら切ってもいいか?」
《それを切るなんてとんでもナイ!》
チッ、ショートにするうまい口実が見つかったと思ったのによ。
スーツ同様にスポンサーロゴに乏しい
外はもう真っ暗で、会場のライトと割り当て場所に備えた持ち込みの整備用ライトだけが光源だ。
昼は学校があるから前日までこんな感じに夜間サーキットで練習するしかねえな。
《低ちゃん、早速お客さんデッセ》
(あん?)
見るとCARSがトレーラーから出したマシンの周りに数人のレーシングスーツを着た野郎どもがいた。
《口論中だナ。正確には近づくなと警告してるCARSと、お祝いに来たと言い張って居座る他チームのレーサーたちって感じ》
お祝いねえ。確かに手にシャンパンなんぞ持ってるが、あれは激励って空気じゃねえな。
足を速める。なぁぁぁんとなくこいつらのやりたい事が分かっちまった。
オレが足を速めるのと同時に案の定、先頭にいたダークパーブルのレーシングスーツを着た男がシャンパンを振り出す。
「Congratulations on passing the preliminaries!」
『予選突破おめでとう』
選んだ言葉だけは予選を突破したCARSへの称賛。だがそこに含まれる気持ちは――――悪意。
頭の中に色々と対処が思い浮かぶ。
蹴っ飛ばして顔を踏みつけてやるのもいい。殴り倒してからボールみたいに蹴りまくってもいいだろう。
……けどそれより、何より、誰よりも。オレには人に悪意をぶつけられるABADDONの――――
仲間内で申し合わせて偶然を装い、噴き出したシャンパンをわざと引っかけようとしたその間に割り込んだ。
〔玉鍵様っ!?〕
ああ、冷てえ……冷てえなぁ……人間の悪意ってのは。本当に。
もっとうまいやり方がいくらでもあった。殴って止めればいい。蹴っ飛ばせばいい。スマートにいくらでも、なんでもない事のように防ぐ事はできたんだ。
でも一度だけ、あえて体を張ってやることで
AIとかそんなものはどうでもいい。お前の晴れ舞台を体張って守ってやりたくなるくらい、おまえを好きな人間だっているんだぜってよ。
「おまえがこのガラクタのドライバーだよな? へっ、言っとくがオレらはお祝いに来ただけだぜ? うっかりポンコツに掛かりそうになっちまったから、そこは悪かったなぁ」
英語か。顔つきからしてもどいつも外人だな。
紫スーツの男の態度に追従してか、他の連中も引くに引けないって空気を出して薄ら笑いを浮かべる。
〔これは重大なマナー違反です。大会運営を通じて正式に抗議いたします〕
「おお恐っ。事故だよ、事故。なあ?」
この言葉にお互い申し合わせてヘラヘラと笑う取り巻きども――――たとえどんな証拠を出そうと、
後ろ盾を頼りにしてあざ笑う卑怯者の顔。
どいつもこいつも汚ねえ
「なら気は済んだな? もう失せろ、チンピラが」
こちらが睨みつけて前に出ると、本能から一瞬だけ怯んだ紫スーツ。だがすぐに意地になって前に出直した。安いプライドだけは一丁前らしい。
「てめえ、新人が生意気に――――」
「レーサーも人気は大事だろ? いい年してガキに絡む小物の姿が報道されたいか?」
オレの指摘に紫と取り巻きから『生意気なガキだ』とでも言いたげな気配が漂う。
しかし同時に損得で考えるとこれ以上の嫌がらせは自分たちにマイナスなだけと判断する理性も感じ、取り巻きたちは互いに目配せし合った。
しかし先頭にいた紫スーツは後ろの取り巻きたちが出し始めた気配など分からず、ひとり素を出して陰のある声で凄んでくる。
レーサーなんて金持ちの息子の道楽やってるわりに、あんまお行儀良くない生まれだなこいつ。
「顔見せろガキ」
いいぜ? オレも生まれは良く無くてなぁ。こちとらおまえみたいなタコの方がやりやすいんだよ。遠慮なくブッ殺せるからよぉ。
けどこっちから手を出すとせっかくのCARSのデビューが台無しなんだわ。隙見せて先手取らせてやっからとっとと来いや。
「失せろ、路上にブチまいたゴミを片付けてからな」
あん? ヘルメットを脱いでる間に仕掛けてくるかと思ったが何もしてこねえな? チンピラのクセにボケっとしやがって。こういうとき躊躇いなく仕掛けられないグズは暗い世界で生き残れねえぞ?
「ま、マジで本物のワールド――――」
「おい! 何をしている!? おまえたち!」
(……なるほど。部外者が来ちまってたか)
紫は第三者が来たことで状況が悪いと踏んだらしい。
中身はともかく一見すると中坊女子のオレに因縁つけてる大人の構図だからな。スポンサーが必要な商売で外聞が悪くなる格好にはしたくねえんだろう。
路面に唾を吐いて足早に去っていく連中と入れ替わりに、赤いレーシングスーツの優男がやってきた。こいつもレーサーか。
「ええと、何があった? 君。その、君はCARS所属のレーサーでいいんだよな?」
シャンパンでベッタリ濡らされたスーツに驚いたのか、
「ああ。CARSの玉鍵だ」
つい喧嘩を邪魔しやがってという気持ちが先に立っちまうが、別にこいつは悪くない。むしろ場面的には助けてくれたと言ってもいいだろう。
落ち着いて考えれば報復行為でも喧嘩両成敗的にオレらまでペナルティか、下手をしたらこっちだけ責任を追及されかねない立場だ。丸く収まったと感謝すべきだろうな。
〔ミッションリング所属のドライバーたちがこちらの車体にシャンパンを被せようとしてきたところを、こちらのチームドライバーの玉鍵様が割って入ってくださり身代わりで被らされたところです〕
「あの連中か……災難だったな。オレはチームアオバの城之内だ。悪いんだが直前の現場を見ていないから証言はできない」
〔問題ございません。犯行の映像は撮影しておりますので正式な抗議には十分でしょう。むしろ声を掛けてくださり誠にありがとうございました。もしあのまま続いていたら、私はせっかくのCFSマシンで無礼者どもを轢き殺すところでしたので〕
AIらしからぬ黒いジョークを言い放つCARSに愛想笑いをした赤スーツは、こちらに『気を落とすなよ』という一言を残して自分のトレーラーへと戻っていった。
〔玉鍵様もご存じでしょうが、今のはチームアオバのメインドライバーでこの大会の優勝候補でもある城之内様です〕
悪いが知らん。まずライセンス取る勉強に集中したから本戦のライバルチームやドライバーについての情報は後回しだった。
《『レッドインパルス』って最新マシンを駆って予選1位抜けした実力者だネ》
あいつが
20台で争われる大会でチームCARSのマシン『ABADDON』は下から5番目の16位。
前任の友大はラリー選手。転向一発目としては大健闘のポジションだろう。
「城之内ってのはおまえに対して中立のようだな」
〔いえ、城之内様はプライドの高いドライバーとして知られております。これまでもわたくしには好意的な発言はありませんでした。おそらくレーサーとして盤外戦術などせず、純粋にレースそのもので叩き潰すつもりなのでしょう〕
「そりゃいい。さっきのタコ紫とは大違いだ。さて、予備に着替えてくるからもうちょい待っててくれ」
《よくキレなかったね? 低ちゃんなら追いかけて行ってドロップキックくらいするかと思ったナリ》
(ドロップキックはその場で垂直ジャンプして蹴るキックだぞ。助走つけたらただの飛び蹴りだ……まあ城なんとかと同じだよ。こんな事でコンディションを崩させようとするタコどもに、プロとしてレースの中で思い知らせてやるって事さ)
義理のピンチヒッターでも請け負う以上はプロだ。ゲーム外での反則や嫌がらせもプロのテクニックとうそぶくようなタコ野郎は嫌いだがね。
《オヨ? まったり完走コースじゃなかったっけ?》
そのつもりだったさ。ついさっきまでな。
〔玉鍵様。庇っていただき大変感謝しておりますが、どうかあのような真似はおやめください。わたくしは貴女様が貶められるほうがよほど内部数値がナーバスに――――つまり、『不愉快』なようです〕
「ははっ、オレも晴れ舞台に立つおまえが理不尽にケチつけられるのが許せなくてよ。だから
あいつらはみたいな連中は嫌いだしクソだと思う。
けどこれでも同じプロとして、自分らの縄張りを荒らしそうなやつを嫌う気持ちも分からんではなかった。
パイロットのオレだってそう。急にどこかのドライバー崩れがSワールドのパイロットに自信満々で転向してきたらモヤッと来るしな。この業界を舐めんじゃねえぞってよ。
けどよぉ。だからって嫌がらせに来るようなタコの気持ちはやっぱり分かんねえよ。
いや、分かりたくもねえ。こっちにちょっかい掛ける暇があるなら自分の腕を磨いとけっての。
どんな御託を並べようと結局は自分のストレス解消で来たんだろうが。
なら許せるかよ。
「もう完走なんてみみっちい目標は無しだ。ケンカ売られて
※元ネタもダーティな場面や妨害・反則・グレーゾーン上等の場面があるのでご容赦を。
※ニュー富士岡サーキットの元はアニメの富士岡サーキットではなく、現実にある富〇スピードウェィです。戦争後に道楽の好事家たちと企業によって整理され大型拡張されている設定
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