第249話 野に下った王子様? 女装は世を忍ぶ擬態です

 艦橋ブリッジの床で座り込んだまま渡された水をガブガフと飲み、ガツガツと固形栄養食を貪った女装野郎はふうと大きくひと息つくと、『ラビ・フィアナ』と名乗った。


 アニメにでも出てきそうなキザったらしい名前だが本名かね? まあ生きて戻れば人物照合で分かるか。国が違えば変に思える名前もあるよな。


 まだまだ食い足りなくてお代わりが欲しいらしく、オレの持っている残りが欲しいようでチラチラ見てくる。


 それでもしばらく飲まず食わずだった体でガッついても戻すだけだし、もう少し待ってから食わせてやると諭すと、男は無念そうに同意した。


「《水と食料を感謝する。それと、いきなり殴り掛かってすまない。ストレスで完全におかしくなっていたんだ》」


「そのようだ。頭をカチ割られるかと思ったよ」


 こいつから奪った金属パイプを軽く振って面打ちの真似をすると、女装野郎はまだ乾きが癒えず調子が悪いままの喉で軽く笑う。


「《まるで相手になってなかったけどね。これでも白兵戦の訓練は受けているんだけどな》」


 ちなみに海外の人間であるこいつはぜんぶ英語で喋っているが、実践英語がさっぱりなオレに代わってスーツちゃんがリアルタイムで同時通訳してくれるので不自由はない。


 ただ最近はこの体の優秀なおつむのせいか、だんだんと通訳なしで聞き取れるようになってきているんだよなぁ。

 やっぱスゲえわこの体。前のオレじゃネイティブな言語なんざ一生喋れねえし聞き取れねえよ。


 ラビと名乗った女装野郎はスーツちゃんの情報通り、アイルランドの都市に属するパイロットだった。


 ここで驚くのは遭難してから今日で2週間目だってことか。食糧こそ手持ちがほとんど無かったが、なんと飲料水だけはこの戦艦の中で手に入ったらしい。


 前に遭難した向井たちの時と違って極寒の世界ってわけでもないから、とりあえず水さえあればギリギリ生きていられたってわけか。


「《蛇口とバルブがあるからもしかしたらと思ったんだ。この船、まるで人間が乗り込む前提みたいな作りなんだよ》」


(遭難者にしちゃペラペラ喋るな?)


《人恋しかったんでナイ? 極まった状況から脱するとフレンドリーになるもんだヨ》


(ああ、はいはい。見知らぬ相手なのに事故から助かった同士で慰め合ったり、思わず抱き合ったりするアレな)


「まだ失神するなよ。ひと息ついたなら脱出の算段を立てる」


 救助が来て安心したために最後の気力が尽き、逆にそのまま死んじまうって事例がたまにある。オレがやった飯で死なれちゃたまんねえ。


「あんたのロボットは? どうして遭難した?」


 こういうときは適度な緊張の維持と目的の設定、後は話しかけることが大事だ。


 別に話す事なんて無いけどな。気になると言えば女装してる理由を聞きたくもあるが、当人の趣味なら藪蛇だ。適当にどんな状況で遭難したかでも聞けばいいだろ。


「《……マシントラブルさ。擱座した後しばらくは甲板に転がっていたけど、この船の移動中にズリ落ちてそれっきりだよ》」


 忌まわしい、とでも言いたげな顔をした女装野郎はベラベラと話し出す。


 まあこっちは生きたままでいてくれたら十分。聞いておいてアレだが、こいつの背景はどうでもいい。とりあえずこうして喋ってる間は生きてるだろうさ。


(ホバーをやられたギャリーのジャンプ能力で脱出シャトルに飛び乗れるかね?)


《補助スラスターは健在だし、タイミングがシビアになるけど上がれる高さだと思うデ》


(つまり問題はこの戦艦の間合いからどう離れるか、だな)


 艦橋の外に張り付いている形のオレのロボット、ワーカーギャリー。


 今は砲門の死角に入っている事と、パイロットのオレが乗っていない事で攻撃を受ける様子はない。だがオレたちが乗り込んで戦艦から離れたら、待ってましたと攻撃してくるだろう。


 ギャリーの機動力の担保である背面ローターが壊れたイカれたこの状態では、全力でケツ捲っても逃げ切れるか怪しいところだ。逃げ回ってる最中に別の敵に出くわす可能性も低くない。


(先に内部からブッ壊すか)


 ギャリーの武装と残弾では残りの砲門を潰すのは難しい。特に船の先端にあるふたつの大砲はバズーカの弾が残っていても無理だろう。船の大砲ってのは基本的に自分の砲の直撃に耐える防御力を持つ設計だしな。


 30メートル級が担ぐ程度のバズーカと、170メートル近い戦艦の200ミリ砲の防盾じゃ勝負にならん。


《可動部にスパナでも投げ込むノ?》


(大砲の旋回がそんな程度で止まるかよ……いやまあ、手動式だったらその程度でも止まるかもだが、こいつは無人機なんだから砲も自動だろ。爆破だ、爆破)


 外から無理となったら内部から破壊するしかあるめえ。完全でなくてもいい、オレらが逃げ切るまで使えなくする程度でいいんだ。


(実体式の砲があるなら砲弾や炸薬もあるだろう。古典的な時限信管でも作って炸薬を爆発させちまおう)


 口径の大きい大砲で使う弾は重いため、弾頭と炸薬が分かれているものがある。自動装填では一体型かもしれんが、なぁーんかこの船のレトロな空気的に人力も想定した分割方式に思えるんだよなぁ。


 砲弾の事はともかく、時限信管はギャリーの操縦席のパーツをいくつか拝借して作りゃいい。これでもチマチマした工作もやってるんだぜ? リスタート直後は夜になると暇で、よく料理の練習と工作の真似事をしてたもんだ。


 最初に作った料理はコロッケだったっけ。素人同然のあの時から考えると色々作る事になったなぁ。工作の方は元々慣れたもんだからメリケンサックくらいしか作ってねえけど。ガラクタから道具を作るのは下層の人間が生きてくには必須技能だ。


「(あー、えー……ラ、ラ、えーと)」


《ティキーン! が出来ないと突破できないチューリップ畑》


(時は見えねえよ。ナギナタブンブン丸が拗らせるトラウマの話はいい)


《ラァァァァイ!》


(突然なんだっ)


《最強兵器を使い過ぎると最後のほうで出撃できなくなるユニット》


(知らん! ああもう、じゃなくてこいつ名前なんだっけ?)


《ラビな。oh、男の名前をスーツちゃんの記憶領域に残すのは遺憾でありマス。特に女装が似合うせいで新たな性癖の扉をオープンしそうなのがコワーイ》


(正気に戻れ。いや、すまん。最初から正気じゃないよな。ともかくありがとよ)


《ヒドクナイ!? 見境なしのモンスターにならないよう耐えているのにぃ》


(耐えてる時点でおかしいわい。女装すればOKとかビックリだわ)


《可愛くて似合ってるのが大前提デス。お間違えなく!》


「(あーはいはい。)ラビ、しんどいだろうが艦内を案内してくれ。適当に壊して無力化しておきたい」


「《それで私は女の姿に身をやつし――――ええと、どういう話?》」


 あん? ……ああそうだった。気を失わないよう好きに喋らせてたんだったな。スーツちゃんと話していてすっかり忘れてたわ。


(スーツちゃん、こいつが何言ってたか簡潔に頼めるか?)


《アイアイ。継承権が下だし庶民の家の養子に出されていたりで安心してたら、数年前から本筋の家族がバタバタ死んで最近キナ臭くなってきました。気付けば派閥闘争の渦中に巻き込まれ始めたでゴザルの巻き》


(そりゃご愁傷さま)


《血筋に誇りはあるけどそれはそれ。王室に入る気なんて無いから継がないアピールで女装までしたけど、対立派閥には生きてるだけで目障りだったみたいダネ。何度か事故を装って命を狙われてるんだってサ》


なるほどなる。それで避難のためにパイロットになったのか)


《みたい。パイロットになっちゃえば基本的に引退までは暗殺に怯えず済むからナ》


(エリート層のパイロットなら免許だけ取ってれば良かったろうに。何で戦地に出てきたんだか)


 一般層なら出撃しないと訓練手当が出なかったりと地味に嫌な罰則があるが、エリート層のパイロットには未出撃のペナルティは無い。暗殺対策にするだけなら引き籠ってりゃいいのに。


 ――――とはいえ、基本は『Fever!!』案件でも例外的な殺害方法はいつくかある。


 例えばSワールドで死ぬよう仕向ければいい。たとえスクラップ寸前のロボットがパイロットに引き渡されても『F』は関知しないのはオレも経験済みだ。


 もうひとつはパイロット同士の諍いの形にする事だ。パイロット同士なら殺し合っても『F』は出てこない。


 それが命令を受けた暗殺者であってもかは知らねえが。ガキを大人に都合のいい兵隊や暗殺者に仕立てるのは昔からある話だよな。胸糞悪い。


《それについても言ってたゾイ。なんで戦わないんですかー、って他のパイロットたちに陰口を言われたから、ついカッとなって出てきちゃったってサ》


 男として気持ちは分からんではないがなぁ。どっちの立場でもよ。


 やめ。今のオレらにとってはこいつを取り巻く境遇なんてどうでもいいこった。何もかもまずここから生きて戻ってからの話。


 ふたつめの飲料水と栄養ブロックを投げ渡し、立つよう促す。


「最低でもこの戦艦の武装を黙らせないとシャトルが呼べない。生きて帰りたかったら協力しろ」





<放送中>


(映像で見たことはあったけど、本当にすごい子だな……)


 艦内を案内する役目を負ったラビは、久しぶりに摂れた栄養が頭を巡った事で薄れていた意識がはっきりとしてきた事に伴い、ここまでのやり取りを反芻する。


 極度のストレスと栄養失調でもはや意識が混濁としていたラビ。壊れかけた彼にとって自分に呼びかけてくる相手など、国務顧問の送り込んできた暗殺者にしか見えなかった。


 よく考えれば矛盾や無理がある推測。しかし2週間に及ぶサバイバルでとうに壊れ妄想に捕らわれていたラビには、この少女でさえ卑劣な暗殺者にしか見えなかったのだ。


 そんな満身創痍の状態とはいえ、まさか古代ケルトの戦闘術を元にした白兵戦闘を学んだ自分の攻撃を簡単にいなされるとは。


 今さらながらに張られた頬がヒリヒリとしてくるが、ラビはこの痛みに恨みを抱いたりはしない。襲い掛かった自分に手加減をしてくれた証なのだから。


 彼女は見かけによらぬ身体能力とパワーの持ち主。もし加減なく拳で殴られていたら歯のひとつふたつは砕かれていただろう。


 同時に彼女が強かった事にも感謝する。


 ――――もしラビのスィングが当たっていたら。極限状態だった自分は人生で初めての殺人と食人をしていたかもしれないのだから。


「内部はどこまで調べたんだ?」


「行けそうなところはひと通り。水はわりと早くタンクを見つけたけど、食料はどうしても見当たらなくて……ポーチに突っ込んでいたチョコレートだけが命綱だったよ」


「渡したブロックはちょっとずつ口に含め。一気に食べると眠くなるぞ」


 タマ・タマカギと名乗った少女は外国語も複数出来るらしく、会話にまったく不都合は無い。ラビは日本語がほとんど分からないのでこれも助かった。


(ケルトの言葉まで分かるとは思わなかったよ。アイルランドの国民だってろくに喋れないのに)


 本当に久しぶりの人間との会話。助かったという浮ついた気分もあって、つい冗談のつもりで織り交ぜたゲールの単語にも平気で返してくる少女にラビは驚きを隠せない。


 ゲール語はブリテンから独立したアイルランドの第一言語として登録されているものの、ほとんどの国民は第二言語の英語を使っている。

 ラビもゲール語は王族の血を引く者の嗜みとして覚えさせられただけで、普段使っているのはほぼ英語であり、いっそタマカギのほうがケルト言語に精通しているようにさえ思えた。


「まずここがブリッジの下にある格納庫らしいところ。4段の吹き抜けになってる」


「毛色の違う青い車両があるな」


 猫渡りからタマカギの見下ろす先にはこの戦艦に備えた作業用らしい地味で粗末な小型ロボットの他に、異彩を放つ巨大なトレーラーが置かれている。


 彼女が『毛色が違う』と称したようにそのトレーラーは酷く場違いなデザインをしており、何より荒野には不釣り合いの明るい青色をしていた。


「あれも調べたけど内側からロックが掛かっていて乗れなかったよ」


 あれほど巨大なトレーラーであればもしかして食料があるかも。あるいは脱出に使えないかと発見時は期待したものだ。


 とんだぬか喜びだった事と同時に、ラビは歩きながら手すりの下を覗いている少女の過去の偉業を思い出した。


「タマカギは敵のロボットを使って脱出したんだろう? どうやってロックを外したんだ?」


「エディオンの事か? あれは最初からロックが掛かっていなかったんだ。すんなり入れたよ」


「駄目かぁ。まあ君が乗ってきた機体に乗せてもらえれば……乗せてくれるよね?」


「座席も複数あるし保護くらいはするさ。そのギャリーで逃げるためにも仕掛けを作らないといけない」


 淡々とした口調だがここまでのやり取りを考れば助けてくれると判断したラビは安堵する――――その瞬間、急激に意識が飛びそうになってよろけた。


「まだ安心するな、気を張れ。もうひと踏ん張りだ――――くさ」


 倒れかけたラビをすっと支えてくれたタマカギは、顔を露骨にしかめて酷い事を呟いた。


「しょ、しょうがないだろう。見つけたタンクの水だって補充されるか分からなかったから、体を洗うとかは出来なかったんだよっ」


「戻ったらまずひたすら寝て、起きたら飯を食べて。後はふやけるまで入浴するんだな」


 思わず文句を言い返したラビにふっと小さく笑った少女。その優しい笑みに少年は今のやり取りは激励だったのだと感じた。


 ともすればこの場で気を失いそうになる自分を奮い立たせ、生きて返すために少しでも心を軽くする冗談を言ったのだと。


「こ、ここから甲板の下を抜けて行けば大砲のある艦首に行ける。その下も小さめの格納庫になっているけど、そっちはもぬけの殻だったよ」


 女性に臭いと言われて一気に気恥ずかしくなった少年は、小さな体でも力強く支えてくれたタマカギから慌てて身を離す。


 ……しかし、少女の腕から離れたラビは再び大きくよろけることになった。


 疲れ果てているラビの足がもつれたのではない。この船自体に直下地震のような強い衝撃が襲ったのだ。


「攻撃、だな。運よく外れたが夾叉きょうさってやつだ。予定を変える」


 振動をものともせず平然と立っているタマカギは、この衝撃の正体を『攻撃』と断言するとラビに肩を貸して、否。少年を肩に抱えてフリッジへと走り出す。


「た、タマカギ!?」


「しゃべるな、舌かむぞ」


 人ひとり抱えながら驚くべき身体能力であっという間にブリッジに、つまり見晴らしが良い位置へと戻ってくる。


「やってくれる……」


 ここにきて少女の淡々としていた口調が崩れた。


 ラビは先程よりブリッジ内に荒野の空気をよく感じる事に気が付く。


 機銃によって空けられた窓の穴。その先にタマカギが乗ってきた緑色の機体が見えなかった。


「し、下に落ちたのか!? あの機体!」


 敵の攻撃らしい振動はこの船にこそダメージを与えなかったが、ラビたちにとってとんでもない急所を削ぎ落していた。


「頑丈なロボットだ、落ちたくらいじゃ駄目にはならん。後で拾うさ。問題は――――」


 少女の声をかき消し、荒野を耕すような着弾の爆発。遅くに聞こえる風切りの音色はその飛来音か。


「――――敵もこいつ・・・と似たような部隊と戦艦持ちらしい」


 栄養失調で一時的に視力が落ちているラビであったが、タマカギが親指で指し示す先の光景は嫌でも目に入る。


 遠くから土煙を上げて突き進んでくるその暗い青の巨体は、こちらの乗っている戦艦とそっくりであった。

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