第155話 大きな鳥の卵ほど、その殻は厚く固い

※今回主人公パートはありません



<放送中>


 窓の外に広がる青空と流れていく雲になんとも言えない違和感を感じながら、初宮由香は時間的に空いているトレーニングルームで壁際に据え付けられたルームチェアのひとつに腰掛けている。左手はジクジクと痛みを伴いながら腫れてきた顔に氷嚢を当てていた。


 まるでスペースコロニー。もちろん住んだことなどないけれど、少女はそう思うほど青すぎる空を非現実のように感じてならない。


 地下都市である第二都市で生まれ育った初宮にとって空とは天井のことであり、空から降ってくるのは雨ではなく、一般の人々を見下すために天板部に住むモラルの無い特権階級の人間たちの捨てたゴミがたまに落ちてくるばかりであったから。


 空の青の先には宇宙という黒がある。科学的な説明は学んでいるしあまり興味も無い。


 しかし初宮は物事の本質はすべて暗っ黒なのではないかと、雫のたれる冷たい氷の感覚に浸りながら考える。多感な年ごろの少女らしく、無性に切ない気分で。


 ツインテール女との大喧嘩は天野和美の仲裁によって決着を待たずに中断してしまった。


 相手は自分より明らかに強く劣勢であったことを初宮は認める。だが、最後の最後まで負ける気はなかったし、無我夢中の素人パンチとはいえ相手の顎を捉えたとき逆転の手応えがあったことだけは万人に主張するつもりだった。


 その代償に右の手首を捻挫してしまったが。どだい碌に拳を鍛えていない少女の全力パンチなど自分も痛めつけるのと変わらない。指を骨折していないだけマシであろう。


「由香ちゃん、具合どうかしら?」


 氷嚢を当てている側から声を掛けられたため姿は見えなかった。だが聞こえた声から地表に来た時からお世話になっている女性、天野和美だと分かった初宮は、氷が溶けてよりタプンとした氷嚢を持ち上げそちらに向き直る。


「平気です」


 言葉少なに返事をする少女に天野は気の毒そうな顔をする。


 元パイロットであり今では訓練教官をしている天野にとって打撲くらいは日常であったし、医療関係の免許も取得しているので知識としてもおおよその具合は見て取れる。怪我の深刻さという観点からはさしたるものではないと。


 ただしっかり冷やしているもののこれはしばらく青タンができるなと予想した天野は、十代前半の少女ふたりが顔を腫らすことになった痛ましい事件についてそろそろ真相を聞きたくなった。


 ――――問題が起きたのは基地内の有料休憩所ブースにあるカフェの店内だった。過去に初陣のベルフラウ・勝鬨かちどきと花代ミズキコンビを送り出した後に天野とアスカ、そして玉鍵たまで利用した店である。


 発熱を押して友人の出撃を見送りに来たアスカ・フロイト・敷島と、一般層から誘拐されてきた少女、初宮由香を休ませるために天野は今回もここを利用した。この店はリアルタイムで『スーパーチャンネル』を視聴できるためだ。


『スーパーチャンネル』をリアルタイムで視聴できるのは基地の施設内に限られる。


 国の都合による検閲を行う必要がある都市版はどうしても放送がズレ込むため放映が遅い。サイタマは国の制限から解かれたとはいえ、まだまだ法整備が追いついておらず暫定的に国基準での放送を続けているのだ。


 戦っている友人の状況を遅れることなく知りたかった二人は、家で寝ていろという天野の厳しい言葉を受けても頑として基地から出ていかなかった。


 ただでさえ友人と共に戦おうと必死に努力していたことを知っている天野は、せめて見ていたいという二人の希望を強く叱責することができず、しかたなく譲歩することにした―――――思えばこれがいけなかった。


 しばらく別件で席を外していた天野が休憩所から来た悲鳴に近い通報で駆け付けたとき、二人は発狂した猿のように掴み合いの殴り合いをしていて、その場のイスやテーブルをなぎ倒し床を転げまわっていたのである。


 天野が目撃した時マウントを取って殴っていたのはアスカであったものの、初宮はまったく怯むことなくアスカの顔に思い切り爪を立て、さらには打撃の隙をついてアスカのアゴを打って脱出すると、逆にマウントを取り返して殴り返す狂戦士ぶりを発揮していた。


 あまりの状況に一瞬呆けた天野であったが、鈍い打撃音を聞いて我に返ると店員と協力してなんとか二人を引き剥がすことに成功する。


 しかし羽交い絞めにされてなお、どちらも隙あらば相手に飛び掛かろうとするほど興奮していたため、二人を別の部屋に分けて隔離しなければならないほどであった。


「それで、何があったの? 私に教えてくれない?」


 隣に座って目線を合わせてきた年上の女性の気遣いに、初宮はアスカが口にした許せない暴言について打ち明けた。


 少女の話したケンカの切っ掛けを要約すればアスカと由香、二人にとって大切な友人である玉鍵たまの今後についての見解の相違だ。


 すなわち、玉鍵がどこで暮らすかについて。


 初めこそ内心ムッとしつつも初宮はアスカの物言いに愛想笑いが出来たものの、やがてアスカが優勢のまま話が進むとその笑顔は徐々に引っ込んでいった。


「確かにエリート層のほうが環境はいいと思います。敷島さんがパイロットとしてすごいのも認めます。でも――――」


「……たまちゃんが地表に残る前提の、絶対的に決めつけてる態度と言葉が許せなかったのね」


 コクリと頷く少女は、掴んでいる氷嚢をギュと握りしめる。


 やがて我慢できなくなった初宮はお客さんの態度をやめてアスカに反論を開始。


 否、この場合はささやかな抵抗と表現したほうがいいだろう。理屈の上でエリートと一般の格差を考えれば、どう考えても普通は地表に留まる一択なのだから。


 だからこそアスカも強気に跳ね除ける。一般層でチームを組んでいようとそれがどうしたと。


『あいつのパートナーは私よ』


 勝ち誇ったこの言葉は、初宮由香とアスカ・フロイト・敷島に決定的な溝を作った。


「敷島さんがザンバスターで玉鍵さんと一緒に戦った場面は観ました。悔しいけど、私たちよりずっと対等に近かった」


 初宮たちもブレイガーチームとして命を賭けて戦ってはいる。だがアスカと比べてずっと玉鍵頼りだと酷評されても、甘んじて受けるしかない内容だったと自分たちで認めていた。


 ここから『スーパーチャンネル』の内容に釘付けになった二人はしばらく沈黙が続く。


 秘匿基地、巨大な球体との戦い、味方を攻撃し始めた白いロボット。いずれもパイロットとして目を離せない状況であり、元パイロットの天野自身も自分の仕事を忘れて別室でモニターに見入ってしまっていた時間帯である。


 戦いに終止符が打たれたとき、アスカはすべてを打ち破った自分の相棒に喝采を送って喜んでいた。あまりにも時間が無かったため今回は・・・留守番に甘んじたが、次こそは共に出撃してやると息巻いて。


 ――――このときのアスカは考えもしなかったのだ。凱旋する玉鍵の機体がよもや一般層に行ってしまうなど。


 同じく予想外だった初宮だが、こちらはアスカに湧き上がった感情とは逆に大歓喜となった。


 玉鍵が一般に帰ってくる。自分の下に。


 そう思って浮かれたとき、これまでさんざん同世代にやり込められていた事が頭をよぎった若者が、意地悪な口をきく相手につい意趣返しをしたくなったのは人情であろう。


 立場の逆転した初宮は思わずアスカに皮肉ってしまったのだ。『玉鍵さんは貴女の下には戻らないようですね』と。


 後はもう酷いものだった。続くやり取りは売り言葉に買い言葉。なけなしの遠慮を投げ捨てた二人の若者は一言交わすごとに切りつけるような物言いとなり、いよいよ空気が張り詰める。


 最後にテーブルの飲み物を掴んで投げつけたのは二人同時であったという。ある意味で気が合ったと言えなくもない。


 そこからは上品なカフェに似合わぬ極めて原始的な時間。天野が駆け付けるまで女同士とは思えないほどの暴力的なやり取りが続いた。


「だから……だから私たちだって、玉鍵さんと一緒に戦えるように頑張ってるんです」


『あんたにあいつの横にいられる才能なんてないわよ!』


 胸に突き立ててきたアスカのこの言葉が初宮には許せなかった。


 ――――――――――そんなこと初宮だって分かっていることだから。


 それでも、凡人なりに一緒にいようとする努力さえ否定されるのは我慢ならなかったのだ。


 胸に籠っていた言葉を吐き出し、初宮は決壊した心から小さな嗚咽を漏らした。


 …その姿がどこかかつての自分の親友と重なった天野は、弱々しく泣いているはずの少女にとても不思議な、根拠など無いはずの期待感を持った。


 周囲から凡庸とあざけられ、それでもたゆまぬ努力によって凡人の殻を破ったエースパイロット。高屋敷法子に少女は似ていた。






<放送中>


 現在の大日本国政府の中枢とも言える施設が置かれているのはトカチである。日本の首都は過去においてはキョート、次いでトーキョーと代々に渡って列島の中心近い部位に置かれていたが、これらの都市は今は存在しない。


 露骨な首都優遇によって引き起こされた都市間戦争の爪痕。他都市からの報復めいた集中攻撃を受けた結果、これらの土地とその近郊は政府が復興を初めから諦めるほど壊滅してしまっている。


 また環境破壊に伴う温暖化現象によって西側は高温多湿で住み辛くなっており、北国ながら気温が高まったトカチが土地として住みやすくなっていたことや、単純に赤い熊の国の侵攻が常に懸念される土地であったために他都市との内戦が少なく、都市戦争の影響が少なかったことも首都機能が移された理由であろう。


 なお侵攻を警戒されたかの国はすでに『Fever!!』の粛清によって消滅したため、海を隔てたいずれの方向からも攻撃を受ける心配が少なくなっており、それもまた権力者のお歴々がトカチに腰を据える理由であった。


「駄目だ。話にならない」


 仕事人として脂の乗った中年を過ぎ、そろそろ初老と言われ出す年齢の男性は議会に集まっている面々に首を横に振る。


「サイタマは本当にあの女を頭にすえて独立するつもりのようだ」


 周りでざわつく者たちはいずれもそこそこに年齢が行っており、男女問わず高級なスーツに身を包んでいるものたちばかり。


 彼らの多くは大日本政府の議員とその関係者。またモニターに映っているのはサガ都市に籍を置く議員や、独立したサイタマから退去してきた者たちだ。


 今回起きた事件の流れで大きく歯抜けになった議員席を、とりあえずそれぞれの派閥の人間で埋めたため、役職に対して明らかに貫目の足りない人物も散見している。


 彼らがわざわざここに集まったのは、今さらながらに独立を宣言したサイタマ都市を奪還する計画を立てるためである。


 ――――初め彼ら大日本政府の人間は、クーデターを起こした銀河派閥の壊滅を持ってフロイト派閥もコントロールを取り戻し、何もせずとも事態が鎮静化するものと思っていた。


 後は独断専行を行ったラング・フロイトと派閥の中核の罪状を挙げて拘束し、落ち着いたサイタマを取り戻せばいいと本気で考えていたのだ。


 この考えに違和感を持つなら大日本政府の関係者、その甘い蜜を吸っていた者ではない証明と言えるかもしれない。なぜクーデターを防いだ側のフロイトを裁くのかと。


 政府からすれば自分たちの命令を待たず、コントロールを飛び越えたこと自体が組織的な罪であり、集団として機能したことで潜在的な反乱の芽であると証明されたも同然であるのが大きい。


 今ひとつとして、サイタマが本当に大日本政府の手を振り切り独立するつもりとは想定もしていなかったのである。

 あの宣言は混乱の中で指揮系統を回復するための方便であり、フロイトはすべての後始末を終えたら指揮権限を放棄して、大日本に帰順するのだろうと思い込んでいたのだ。


 たとえ自分たち国の役人が右往左往するだけでの役立たずであったとしても、それはそれ。


 政府そのものが銀河派閥に侵食されていようとも。対応が後手後手に回って機能していなかったとしても。議会の判断を待たずにフロイトが動いたこと自体が法治国家では許されない。


 滅私奉公。ラングはどんな功績を挙げようと甘んじて罰を受け、法の律を正すと。彼等は長年の慣習から信じ込んでいた。


 この理屈を無関係な第三者が聞けば『思考がおかしい』と判断するだろうが、こういった考えを美談とする因習が昔から大日本には存在した。国を悪者にしないために個人が泥を被ってでも奉仕すべきという異様な考え方が。


「サイタマに残っている者たちは何をしているんだ? 反乱に抗議のひとつも出来ないのか」


「抗議したところで追い出されるだけよ。すでにそうやってトカチに来た方もいらっしゃるでしょう?」


 解決策ではなく文句だけを口にしただらしない腹の男に、無暗に黒く染めた髪と白く塗りたくった肌のコントラストが激しい女性議員が、皮肉気に対立派閥である男をチラリと覗く。


 脂肪で二重になった顎を怒りで震わせた議員に代わり、厚化粧の女性議員に野次を飛ばす取り巻き若手と応戦する女性側の腰巾着若手たち。


 ここにいる者たちは銀河派閥と繋がってはいない。


 しかしそれは銀河にとって『取り込む価値がない』と判断された程度の話であり、別段高潔な人格というわけではない者たちが大半である。


 銀河のクーデターは失敗した。だがそれを防いだフロイトがサイタマを支配してしまったら同じこと。


 しかもサイタマは立地的にトカチとサガを結ぶ陸の中継地点であり、ここを通れないのは他の2都市にとって物資的にも経済的にも大打撃となる。


 また安全に通れる整備された主道路は必ず都市を経由する形になっており、国の病的なまでの関税徴収のためにチェック機関はことさら厳格なものになっている。素通りなど不可能。


 都市を通らないルートもあるにはあるが、こちらは都市戦争時代の忘れ物地雷が数多く眠る整備が手つかずの危険地帯。陸ほどではないが海も機雷や設置型の魚雷がまだまだ埋設されており、こちらも安全とはとても言えない。


「これでは幕末に逆戻りだ。このまま内戦などしていたら世界会議の場で武力介入が提案されてしまうぞ」


 もちろん世界にとっても国の不都合はどの国であろうと間接的に悪影響を及ぼす。


 例えば各国・各都市で自給自足が基本とはいえ情勢によって物資の融通くらいはし合っていた。だが内戦状態ではどちらの勢力に向けて交渉すればいいのかわからない。事態の推移によってはどちらに交渉を持ち掛けていたかで、事態の収束後も国家関係に軋轢が残ることになる。


「そこまでの事か? こちらはトカチとサガ、そして下にある第一と第三の地下も加えて4都市だ。他の国がサイタマ都市とその下の第二だけの小勢力を相手にするわけがない。しばらくしたらボロが出るだろう。物資枯渇になればすぐ泣きついてくる」


 属する都市が少ないということは人も物資も少ないということ。大手問屋が個人消費分レベルで売り買いなどしないように、国家規模で対応できないなら誰も相手にしないだろうと、神経質そうな男性議員が吐き捨てる。


 彼からすればこういった会議の議題は組織間の調整によって水面下で結論がすでに決まっているべきであり、開かれる議会は世間に向けた決定通達の儀式でしかないという考えがある。そのためいくら緊急とはいえ、顔を突き合わせてグダタグと話し合うこと自体が不愉快だった。


「その可能性はとても低いでしょう。どんな物資でもどんな量でも、Sワールドで調達できれば他の都市の援助など必要ないのですから」


 恰幅のいい男性と厚化粧の女性のやり取りを皮切りに喧々囂々けんけんごうごうと野次が飛び交う中で、そのひどく冷めた声は声量以上に響いた。


「お忘れですか? サイタマ都市、フロイトの抱える人材にはワールドエースがいるんですよ?」


 水でも掛けられたように静まりかえる場で、するりと入り口付近の席から立ちあがる細いメガネの男。


 彼は注目を集める中でレンズの向こうに見える爬虫類めいた目を細めると、取り出した手帳を周りに見えるように開示する。


「S・国内対策課の釣鐘つりがねと申します。 ああ、現状この立場を担保してくれているのはサイタマですがね」


 S課、S課だ、誰が入れたと口々に囁く小物たちをギョロリとした視線で黙らせると、釣鐘つりがねはこの会議の中心人物に目を向けた。その人物をしてこの蛇のような目つきの男に視線を向けられると、わずかだが腰が引けてしまう。


「別に取って食いやしませんよ。あなた方が愚かな真似をしない限りはですが。それでどうです? 世界会議が怖いなら、その前にトカチとサガもサイタマに併合されては」


「ありえん! 民主政治が独裁政権に屈するなど!」


「はははっ、これまでも民主など名ばかりだったでしょうに。まあそちらの懐に入ったこれまでの物や金銭についてなど、我々S課の関知することではありませんがね。公僕として警告だけはしておきましょう」


「っ、……何が公僕だ! 独裁者に媚びを売った国賊が!」


「いえいえ。私は吹けば飛ぶような自称・民主政府に巣喰うダニにではなく、あくまで善良なる納税者に忠誠を誓っておりまして。政治形態自体はわりとどうでもいいのです」


 あまりの言葉に鼻白む議員を前にして釣鐘つりがねは言うことを言うと興味を無くし、部下に合図すると数名の議員を問答無用で拘束した。その手にはいずれも拳銃が握られており、議員のボディガードのはずの男たちは自身の銃を抜く間もなく取り押さえられている。


 議員の先生方の前で護衛ごときがスーツの前のボタンを開けておくなど無礼。そんな意味不明な忖度によって、懐の銃を抜く時間を余分にかけた結果であった。


「こちらの未納税のクソ、おっと。善良な納税者の顔に排泄物を塗りたくった連中に、アンダーワールドの件についてお聞きしたく参上しました。想像以上に早くサイタマを脱出されていたので、これでなかなか手間取りましたよ?」


 では失礼、実の無い会議の続きをどうぞ。


 皮肉を感じない素の声でそう言った彼は、再び部下に指示して『不当逮捕』『訴える』『議員特権』と喚く者たちに拳銃の底で強烈な殴打を与えさせて大人しくさせる。


 いつもの彼であれば薬物を使って穏便に鎮静化させるところであるが、たたでさえ忙しい中でサイタマからトカチくんだりまで追いかけさせられた鬱憤の結晶であった。


 やがてS課が完全に離れたと断言できる程度に時間が過ぎると、議員たちはそれぞれが対立している派閥に責任があるような物言いでS課を拘束させろと怒鳴りあう。


 口で何を言おうと自分たちでS課と事を構える気は彼らにはない。あくまで他の誰かがなんとかするべきであり、間違っても自分たちの派閥であってはならないためだ。


 無論、そのような議題が進むわけもない。やがて連行された議員のひとりの鼻から床に落ちた血の痕が乾く頃、有耶無耶のうちに別の話が持ち上がる。


「サイタマからあのパイロットを取り上げる方法は無いのか? 良い条件を付ければこっちに付く可能性だってあるだろう?」


「それをやろうとして破滅したのが銀河あの連中でしょ? 『F』を怒らせたいならそちらだけでしてちょうだい」


 銀河関係者の行方不明はその規模から『Fever!!』の粛清という見解が広まっている。


 一部の研究者からは粛清が淡白で『F』らしくないとの声もあるが、このような事ができるのは人知を超えたものであるという点だけは一致していた。


「ガキひとり懐柔できないやつが政治家をやるな!」


「あら、自己紹介?」


 女性議員からの小馬鹿にした返しに、いよいよ顔が赤紫になる恰幅のいい議員。だが彼とて選挙活動中や目上の前ならどんな真摯な顔でもできる政治である。


「……いっそ世界会議で他の国も巻き込むのはどうだ? あのパイロットの技量は人類で共有すべき、という方向に持っていくんだ」


 反乱を起こした1都市が国を超えるほどの巨大すぎる力を持っているのは世界安全的にもよくはない。また、フィールド運とパイロットの技量頼みで偏りがちな物資事情も、ワールドエースを各国が使えれば安定感が増すだろう。


 特に撃破が困難でありながら有益な物資が得られるSRキラーを倒せるパイロットは、どの国でも喉から手が出るほど欲しい人材。


 自国の駒として完全に手に入らずとも、レンタルという形で他国でも使えるという制度を提案するならば大日本側を支持する国は間違いなく多いだろう。


 あのパイロットを運用しているのがサイタマだけだから問題なのだ。ならばサイタマ以外の都市も恩恵を受けられるようにすればいい。そうすれば必然的にフロイトの価値も薄まる。


 後は人海戦術という名の政治力がモノを言う世界であり、カリスマだろうが女傑だろうが多数決の暴力で押し流せると、彼は臭い唾を飛ばす。


「どうせパイロットをやってる人種なんて大なり小なり英雄願望があるガキだ。世界中から期待されれば断れんだろう」


 命じるのではなく、世界中の人間からお願いすることで誘導する。これなら強制ではなく本人の意志で戦うことになるので『Fever!!』も出てこないと、男は割れた顎を揺らして周囲に演説した。


「選挙と一緒だ。神輿として気持ちよく持ち上げてやればいい」

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