第142話 ある少年の結末と、逆剥けに染みるレモン

<放送中>


 ボーイが目を覚ましたのは病院の個室だった。


 彼は自分の置かれた状況をかみ砕くのに数分を要し、その後に気を失う前の出来事を思い返すのにさらに数分が掛かる。


 湧き上がる後悔と絶望から顔を覆いたくても、彼の手首には厳重な拘束がされていて顔まで動かすことはできなかった。


(……そりゃあ勝てるわけがないよな。分かってたさ)


 深く眠ったことで興奮していた脳が沈静化した事もあり、自身の軽率な行動とバカらしさに気付いたボーイの口元には笑みさえ浮かぶ。


 物質転換機があれば、玉鍵を倒せばなんとかなる。なぜそんな理屈に辿り着いたのか自分でもわからない。ただあのときはそうするしかないと結論したのだ。


 ディンゴが、ピューマが、メッシュが死んだ。


 死んだ仲間の敵討ち。死んだ仲間の遺志を継ぐ。細切れに浮かぶ支離滅裂な思考をかき集めて、ボーイは壊れそうだった己の心を繋ぎ止めるために意味不明な結論に飛びついたのだ。


 ディンゴとピューマを殺したのはメッシュであり玉鍵ではない。メッシュを殺したのは玉鍵だが、それは彼女を敵に回した自業自得。分かっているはずなのに止められなかった。


 遺志を継ぐなんて嘘っぱちで。怪盗宣言なんてただの悪あがきで。


 本当はこの世から消えたかっただけ――――あるいは、誰かを悪者にして当たり散らして、自分は悪くないと叫びたかっただけだったのかもしれない。


 頭が冷えれば狂乱のツケかのように、死にたいほどの後悔だけが襲ってくる。


(なんで生きてるんだよぉ……殺してくれよ……)


 玉鍵は強かった。いや、彼女の名を口にする以前の問題だ。ロボットでなど戦ったことのないボーイが、ロボットに乗ったエースの相手になるわけもない。


 生身の彼女なら倒せると思っていたら、玉鍵は奪っていたバイクを当然のように見つけ出して対抗してきた。

 銀河との戦闘を隠れて見ていたボーイたちは、そのバイクが戦闘ロボになることを知っており、同時にそこまで強力な機体で無い事もスーパーロボットに詳しいディンゴが推測している。


 これならまだ自分でも倒せるかもしれない。そう考えた。


 機体スペックの開きとはテクニックでは覆せない絶望的な差となる。


 プロのバイクレーサーが乗ろうと50㏄の原付では、400㏄のモンスターエンジンには対抗しようがないように。火縄銃と現行ライフルで射程勝負をしても勝てないように。テクニックだけではどうしようもない面というものがある。だから勝てると踏んだ。


 ――――しかし、気付けば己は病室にいる。ボーイが覚えているのは2度の衝撃と有機材の焼ける酷い煙のにおいだけ。


 玉鍵がGUNMET撃破のためにどんな方法を取ったのか、ボーイには分からない。1度目の衝撃の時点で目を回していたため、外の様子がほとんど分からなかったのだ。


 それでもこの状況から自分が負けたことだけは分かる……玉鍵が自分を助け出したであろうことも。


 裏切った自分を彼女は助けてくれた。おそらくは善意からだろう。


 あのときのボーイの心は揺れていた。GUNMETのマシンガンで不意を打って殺そうとしながら、その後は拳銃を持つ玉鍵の前にあえて姿を晒している矛盾ぶり。


 相手を殺そうとしながら、自分が死んでもいいと思っていたのだ。これで撃たれて死ぬなら、それが結末でいいと。


 けれど玉鍵はボーイが演出した絶好の機会でさえ、わざと・・・射撃を外した。自分が殺されかけたのにも関わらず。


 あの時点で止められないならそれが運命。このまま目の前の宝石のような少女を殺して、人類の大罪人になるのも悪くない。そんな破滅的な考えさえ過って。


 後はこの体たらく。点滴を繋がれ、ベルトで拘束され。そして病室のベッドらしい薄いシーツは――――両足の膝から下の膨らみが見えない。


 いつしかボーイの口元には自虐の笑みさえ浮かんでいた。


 カッコつけて。被害者ぶって。やったことは下衆の極み。見知らぬ自分に肩入れし、ここまでしてくれた心優しい彼女の気持ちを、身勝手な理由で踏みにじった。


 だがこれで裏切者の悪役は退場する。ボーイというアンダーワールド出身らしい下衆として、似合いの最後が待っているのみだろう。


 無音だった病室にドアが開く音が響く。防音のために気密を保っている室内はドアの開放で気圧が変化し、その耳にくる圧迫感が音よりも雄弁に状況の変化をボーイに伝えた。


「どうも、私の事は覚えていますね?」


 不躾な言葉は相手への質問というより、ただの確認であろう。上司飼い主に似て冷淡な目付きの女性職員は、椅子に座ることなくベッドにいるボーイを見下ろす。


 加藤、という名のS課の職員であるとボーイは記憶している。メッシュに受けた銃撃による怪我の応急処置をしてくれたのがこの加藤であった。


「頭は回りますか? 回らなくてもフル回転させたほうがいいと警告しておきます」


「逮捕でもしに来たのかよ。有無を言わさず底辺層へ突き落せばいいだろ」


 別にS課の職務は市民を底辺送りにするものではないが、脱税や税金滞納者摘発に協力している面は少なからずある。

 さらに釣鐘つりがねという課長の爬虫類のような顔立ちから、アンダーワールドでもS課の人間は冷酷というマイナスのイメージがあった。


「……個人的に罵ってやりたい事はありますが、それはひとまず置きます。忙しいのであなたに時間をかけていられません。今から言う事には即答でお願いします。迷うようならNOの返答と判断するのでそのつもりで」


 少年の皮肉を社会人然とした口調で切って捨てた加藤は、スーツのポケットからとりだしたホログラムカードをスクロールさせる。

 そこには小難しい文面で何かがつらつらと書かれていたが、タイトルを見逃したボーイは何が書いてあるのかなど面倒で、解読する気になれなかった。


「不法滞在者の大掃除が決まりました。近日中に強制退去を敢行します」


「………っ」


「その後は薬剤を散布し、徹底的に駆除します」


「殺すのかよっ!?」


「不法滞在者にもテロリストにも、我が国――――いえ、サイタマ都市において人権はありません。前者は不法投棄されたゴミ。後者は害虫です。善良な市民の健康安全を守るために駆除・・するのは当然でしょう?」


「オレたちは人間だっ!」


「違います。それがこの都市、国、世界の基本的な判断です……個人的にひとつの事実を述べれば、あなたを庇って協力までした女の子を最後に裏切るような男を、私も人とは認めたくありせんね」


 ベッドに繋がれた拘束ベルトがミシリと鳴るほど激昂したボーイだったが、加藤の突きつけた事実と軽蔑の眼差しに貫かれて急速に怒りが萎んでいく。


「あなたはもう人間に、善良な市民になどなれない」


 人として最低の事をした者が、今さら人間面で何を求めるつもりか。加藤の冷たい目はボーイにそう突きつける。


 被害者・・・とは正当な側でなくてはならない。可愛そうな側で、助けたいと思わせる人間でなくてはならないのだ。でなければ、それは弱者の立場を利用した恫喝と変わらない。


 そしてボーイはもう、この悪徳の蔓延っていた国の政策に見放された無辜の被害者ではない。


 怪盗なんて立ち上げたから? 物を盗んだから? 金目当てに銀河に協力したから? 否、いずれもボーイは生い立ちを盾に言い訳する。こうするしかなかったんだと。


 されど、加藤の突きつけたたったひとつの行為だけは言い訳が出来なかった。


 助けてくれと叫んだ自分の、その手を取ってくれた優しい人間を裏切ったのだから。これだけはなにひとつ弁解ができない。


 戸籍が無くても人であると叫ぶなら。戸籍が無くとも人なのだと訴えるなら。こんな裏切りこそ、人間として許されるはずかない。


 それはアンダーワールドという、国に人と認められない過酷な社会に生きてきたボーイであるからこその、『人間の善性』への憧れでもあった。


 まともな人間ならこんなとき裏切らないはずだと。


 下層出身だからこそ、ボーイは心の奥底で『普通の人間』にそんな幻想を抱いていた。


 ならばもう、ボーイは普通にはなれない。善意を踏みにじった者が人間など名乗る資格は無いと、少年は自分を否定するしかない。


「S課のになりなさい」


 知らず涙がこぼれたボーイに、加藤からお構いなし唐突な言葉が発される。


「人間でなくても生きてはいけます。害虫は等しく駆除されても、飼い犬なら生存は認められますから」


 感情が乱れて混乱しているボーイに、加藤は最初に自分で言った『即答しろ』という言葉を保留して続けた。


「アンダーワールドの情報を流し、こちらのスパイとして動きなさい。その対価としてあなたと、あなたの家族程度であれば生かしてあげましょう」


 ボーイたちの住むアンダーワールドは、これまで発見もままならなかった地表と一般層の間の世界。取り締まる側の情報が圧倒的に不足している。半端な摘発では根絶が難しく、一部がより深く潜るだけであろう。


 そして彼らが行った事は最低でもテロ行為のほう助。むしろボーイたちは実行犯に過ぎず、怪盗の計画自体がアンダーワールドの有力者の策謀である可能性が高い。


 ならば今回の事件は『体制転覆』をもくろむテロ行為以外の何物でも無く、これを放置することは統治側として断じて許されない。徹底的な排除を行わなければ社会不安を招き、国際社会からも相手にされなくなる。


 ボーイという導火線を利用して、巣穴の奥の虫を一網打尽。それが加藤の上司たる釣鐘つりがねの判断だった。


「それと報酬の前渡しという訳ではありませんが、あなたの足の治療費と義足の代金を預かっています。玉鍵さんから」


「……なんで?」


 今のボーイは心がグチャグチャで、加藤の言葉はあまり耳に入っていなかった。しかし、玉鍵の名前が出ると、それまで聞き流していた言葉が脳裏で反芻されて意識が戻ってくる。


 正気に戻ったボーイが初めに思ったのは疑問。どうして玉鍵が治療費や、さらに義足の手配までしようとしてくれているのかと。


「あなたの戦闘報酬・・・・と、手切れ金。だそうです。二度と顔を見せるな、そう言っておいてくれと」


 玉鍵たまはパイロット。戦うからには報酬の事が常に付いて回る。その点をボーイにも適応して報酬を払ったというのだろうか。助成を頼み込んだのはボーイであり、報酬を払うならむしろボーイの側であるべきなのに。


 玉鍵は、あの強くて優しい少女は、たとえ裏切られても『一緒に戦ったことは本当の事』だとでも思っているのか。


(玉鍵、おまえ……お人好しすぎるだろ)


 違う。こんなものは理由付けに過ぎないとボーイは思った。彼女はただただボーイを憐れんだのだろう。そして彼女は因果応報によって落ちていくだけの裏切り者に、それでも小さな救いの糸を垂らそうとしている。


 この報酬は底辺行きになるだけのはずのボーイの未来へ、細くとも確かな生き残れる道を無言で示そうとしている気がした。


 ――――生きている限り、諦めるなと。


「……わかった、何でもするよ。犬でも、スパイでも、何でも」


「結構。傷が痛もうが心が痛もうが、泣き事は言えないと思いなさい」


 ボーイの言葉に小さく頷いた加藤は、『すぐ戻るわ』と素っ気なく言って端末を操作しながら退室した。


 ……サイタマを局地的に騒がせた怪盗事件は多少の交通網の混乱こそ招いたが、おおむね被害なく終結し、ニュースでは犯人全員が死亡したと報じている。


 そんな中、アンダーワールドにおいて『ボーイ』というコードネームを使っていた少年が、その日を境に表からも裏からも姿を消した。


 後にS課が非公式に使っていると言われる情報収集専門の下位組織に、いつのまにか両足が義足のエージェントが紛れ込むのだが、それはここから数年ほど後の事である。





 補欠怪盗から奪還した初宮を病院に担ぎ込んで検査してもらった結果、初宮が使われたのは吸引性の睡眠剤の類で、後遺症などは残らないとのことだった。顔の腫れも問題ないそうな。


 アスカのほうも大立ち回りによって肌に細かい怪我こそしているものの、痕が残るようなものは無い。


 誘拐された当初は肝を冷やしたが、まあまあどうにかなったほうだろう。これがパイロット以外だったらと思うとゾッとするぜ。


 この世界には『Fever!!』って最強の抑止力があるから、どんな凶悪犯でも無茶が出来ない。もしあの存在がいなければ、誘拐された女の末路なんて悲惨極まることになるだろう。


 世間じゃ『Fever!!』を人の自由を奪う存在として嫌う人間もいるけどよ、オレはタコがバカをしないためのリミッターとして機能してるって意味でも嫌いじゃないんだよな。


 だって人間じゃ罪を裁くのに限度があるからよ。


 不正で許されちまうやつもいれば、司法取引でお目こぼしなんてこともある。当の被害者からすりゃたまったもんじゃねえや。


 人間が人間を裁く限界については昔から言われてんだし、だったら『Fever!!』みたいなのが上にいてもいいんじゃねえの? あの存在ならどんな連中でも公正に裁いてくれる。


 どんだけ偉かろうが国の威信が傷つこうが、そんなものお構いなし。凶悪な犯罪組織が脅したくても懐柔したくとも、まして報復したくてもできゃしない。


 なにせ人間って存在よりステージが完全に上だからな。社会的な繋がりが無ければどんなコンタクトも無意味だ。それだけにスゲー公平だぜ。


「あんま仕事してくんねえのが難点だがな。特に最近はサボってんじゃねえの? もう少し勤勉にやってほしいぜ」


《料理中に独り言? 寂しいのネ、低ちゃん》


「寂しかねえよ。サっちゃんみたいなイントネーションで言うな」


 病院でアスカの野郎が頑張ったご褒美に、山盛りで唐揚げ作れって言い出した。今日の夕飯は残り物でさっとチャーハンのつもりだったんだがなぁ。


 しかしまあ初宮の検査の待ち時間も結構あったし、迷惑かけたししょうがねえからOKした。あいつを守ってくれたみたいだしな。


 一度病院抜けて鶏肉を大量に買って、とりあえずタレに漬け込んで冷蔵庫に突っ込んだらまた病院に戻るという謎ムーブ。唐揚げはこれをするかしないかで旨さが変わってくるから仕方ないのだ。


 そうやって下ごしらえしておいた鶏肉に衣をつけていく。


 できれば一晩くらい置いておきたいんだがなぁ。6時間も経てばまあまあ漬けこまれてるからいいけどよ。


 病院に2人を送った後は当事者のオレも後始末に駆り出されるかと思っていたが、意外にも細メガネのオッサンは『後は大人に任せてください』と言ってくれた。


 さすがにちょくちょく聞くことはあるだろうから端末は持っていてくれと言われたものの、今のところ通信は入ってこない。


 それならお言葉に甘えてと、初宮に付いていてやりたかったんだが、こっちはアスカが妙に迫力を出して自分に任せろという。

 しかも初宮のほうも落ち着いてからは心配しなくていいって言い出したので、ひとまず任せることにした。


 オレが行くまで補欠怪盗を相手に共闘してたみたいだし、友情でも深まったのかもしれねえな。けどアスカと初宮はちょっと毛色が違うからなぁ、実際の相性はどうなんだろうか。


《はっちゃんたちが心配かニャ?》


「…まあ。初宮は無理してても平気って言うタイプだしよ。アスカはアスカでギリギリになるほど弱音吐かないやつだし」


 性格のベクトルは違うが、そういう意味じゃ似たところもある。悪い意味で我慢強いトコとかよ。


 初宮もアスカも、危ないところでは大きな怪我も無く助かった。けど精神的にはキツいものがあったろう。


 2人とも戦う職であるパイロットとはいえ、スーパーロボットのパイロットってのは無人の敵が標的であり、命を賭けた対人戦闘は畑違い。害意を持って攻撃してくる人間の相手なんて、マジで勘弁してくれって気分だったろうよ。


 怪盗騒ぎで出た死者は3人。うち1人はオレが殺したが、残りは仲間割れによるもの。アスカたちが殺さず、殺されなかったのだけが幸いだ。


 生き残った怪盗、ボーイと補欠怪盗はS課預かりになっている。


 一応、本当に一応だが初宮奪還に協力した報酬として、あのガキには金を叩きつけてやった。最後に裏切りやがって、ガキじゃなきゃ殺してるわ。


 それと加藤のねーちゃんにアンダーワールドの大掃除にあいつの情報は役に立つだろうと、それとなくアピールだけはしてやったよ。これ以上は面倒見きれねえから後は自分でなんとかしろ。


 補欠怪盗の件は情報待ち。まあボーイとの仲間割れの後で急遽連れてきた補欠メンバーだったんじゃねえかなと予想してる。

 怪盗のスタメンに入らなかったのは絶対人格で落とされたんだろうぜ。女殴るタコ野郎が。顔面が複雑骨折して割れた仮面と混ざったらしいが知るか。


 奪還した功夫クンフーは当面そのままオレが管理することになったが、残してきたGUNMETの扱いについてはちょっと困ってる。


 スクラップだった本体はまだしも、武装は違法品の塊だからなぁ。春日部の親戚のおっさんが捕まることになったら、オレが恨まれるかもしれねえな。どっか良い落とし所は無いもんか。


「はあ……週末だってのに無駄に疲れたぜ。明日は出撃だってのに」


 ……って、しなくていいんだった。土曜になるとどうしても出撃ありきで考えちまうなぁ。これも一種の職業病かねぇ。


《そんなときはフルーツがオススメだゼ。アミノさんで回復だ。ウホッ》


「アミノ酸な。あとそれは阿部さんだ」


 スーツちゃんの言う通り果物でも食ってビタミンなり摂るか。しばらく寝込んでデリバリーや外食ばっかになってたし、栄養が偏っていそうだし。


 注射や点滴がてっとり早いんだが、さすがに10代前半の体でビタミン注射を要求しても医者が渋い顔しそうだし、大人しく経口摂取するか。


「んー? リンゴは食い切っちまってたか。今から買いに行くのはダルいなぁ」


 保管庫にもう少しあった気がしたんだが。そういやアスカがウサギリンゴで悪戦苦闘してたし、さては剥きに失敗して使い込んだな?

 失敗作を自分で食ってるならいいけど、もしゴミに出すなんてもったいない事してやがったら、あのツインテールの真ん中を引っぱたいてやらねえと。


 ビタミン摂れそうなのは野菜と、後は唐揚げ用に買ったレモンくらいか。食事前に芋や葉物野菜バリバリ食うのもアレだし、赤毛ねーちゃんが常備してる炭酸水を一本貰ってレモンを搾って飲むか。


 絞り器が無いから握力で代用だ。この家、もうちょっとキッチン周りなんとかしてえ。


《デンデン、デデデ、デーンデーン》


「筋肉芸人が出てそうなBGM」


《ア゛ーッ!》


「まだ搾ってねえよ」


 古い映像媒体に映ってたコメディアンの1発芸かよ。ああいうのは時間無い時でもチョロっと見れるからいいよな。というか出落ちみたいなもんだから、何分も観れたもんじゃないってのが正解か。


「う、いって。逆剥けに染みる……」


《あ、ここだったネ。逆剥けレモン》


「何だよ、知ってたなら教えてくれよスーツちゃん。あークソ染みる」


《逆ぁーか、剥っけレモンっ♪》


「CMか。まあレモン炭酸のみだし、蜂蜜くらい入れたい気はする」


《およん? アスカちんたち・・帰ってきたみたいやデ》


 ちと予想より遅かったな。まあ功夫クンフー飛ばして帰って来たオレが悪いんだが。ちょうどいいからアスカにも手伝ってもらうとするか。


「ただいまぁ。あー、疲っかれたぁ」


「おかえ―――初宮?」


「お、お邪魔します」


 アスカに続いてヒョコリと顔を出したのは初宮だった。こっちが訳を問う前に、アスカはオレが作ったレモン炭酸を勝手に飲んで渋い顔をする。


「すっぱ。もっと甘くしてよ」


「作る途中だったんだ( 、そもそも飲むんじゃねえよ)。それで?」


 文句を言いつつも結局ぜんぶ飲んだアスカは、オレの問いかけにコップを弄りながら訳知り顔で呟く。


「処遇が決まるまでここのほうがいいんじゃないかと思ってさ」


「許可は取ったか?」


「ラングには伝えたしS課もOK出したわよ」


「医者は?」


「体は問題ないから自宅療養でいいって。もう、あたしが無理やり連れてきたみたいに言わないでよ」


 口を尖らせ出したアスカ。こいつはこれ以上追及するとへそを曲げそうだ。


 仕方なく今度は借りてきた猫の子みたいな初宮に聞く。話しながら椅子に座るよう促し、追加の飲み物を用意する。やっぱレモンいてえ。


「エリート層の病院の入院費なんて、お、お金払えないし。その」


「そんなもの(オレが)立て替えるから平気だ。少しでも体調が悪いなら言ってくれ。初宮、無理をするな」


「大丈夫っ。検査でも平気だったし、それに――――玉鍵さんの近くにいたいの」


(……ガキが見知らぬ土地の病院にひとりは心細いか)


《ソッスネ。もう少し想像の翼を羽ばたかせてどうゾ。秒間1万くらいデ》


(1秒に羽ばたき1万ってどんな鳥だ。根元から千切れ飛ぶわ)


 地表には一般層の人間を差別するヤツもいる。病院の人間だから心配ないとも言えないし、怪盗たちは壊滅したとはいえアンダーワールドの連中もまだ健在。再び狙ってくる可能性もある。不安要素は大きいか。


「…家主が良いと言うなら、居候に言う事はない」


 それならオレが近くにいた方がまだしも守り易い。アスカのお節介も存外悪くないかもしれん。


「タマ、唐揚げ期待してるわよ。人数増えたから追加をお願いね」


「じゃあ皿買ってきてくれ」


「え゛ぇーっ、今からぁ!?」


 パーティ用の使い捨てがあった時代はもう昔。今は強化されたリサイクル法でああいったアイテムは売ってない。そのため買うとしたら陶器製とかになって嵩張るので、ここは人様の家だし余分な食器は置いてないんだよ。この家は元から皿が足りないしな。


「それなら(オレが)買ってくるから、アスカが唐揚げ揚げるか?」


「ヤダーッ。一緒に買いに行きましょうよー。ちょっと行って帰るだけなら、夕飯の時間は大して変わんないわよー」


「あ、あの、私が買いに行ってきますから」


「あんたじゃ右も左も判んないでしょ。それにあたしかタマがいないとマンションに入れないわよ」


「3人で行くか。初宮だけ残していくのもアレだ……初宮、本当に大丈夫だな? 倒れる前に言えよ?」


「あ、ちょっと待って――――ラングからね、帰ってくるのかしら?」


 スカートのポケットから端末を取り出したアスカは、通信に出た途端に何かを大声で言われたようで耳を遠ざけた。


「タマ。ラングから」


(? オレの端末じゃなくてアスカ経由なのかよ)


《そういえば低ちゃん、端末をポケットに入れたままだけど動いてる? けっこう無茶してたから壊れてるんじゃネ?》


(え。もしかして細メガネのオッサンから連絡が来ないのって……うわ、画面にヒビどころか本体に変形が。あちゃぁ)


 使い始めてまだ1週間も経ってないのに。どこで壊れた? マシンガンから逃げてたときか? ボーイに渡した金から端末代金差っ引きてぇーっ!


「(はあ……厄日だ、クソ。)もしもし」


〔タマ、ゴメン! 明日、出撃してくれない!?〕

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