第117話 白と青のヒーロー!?
床に扉が倒れる振動と空気の流れ。そして片面が大きく開かれた倉庫の正面を、もう待ちきれないと言わんばかりにトレーラーが強引に進んでいく。
扉の倒壊に押されてプワリと入ってきた外の空気が、チリチリと肌を焼く排気煙と混じり合いなんとか落ち着いてきた。
「力士くん! 無事か!?」
オレにのし掛かっているデップリした腹から何とか這い出す。
多少は離れていたとはいえ、ブラストからオレを庇った力士くんの背中はランチャーから弾け飛んだウッドチップが叩きつけられ、熱風で軽く焦げていた。
……無茶しやがる、死ぬような怪我じゃねえのは幸いだ。
《ちょっと破片が刺さってるけど軽傷。火傷も大したことは無いゾ。それよりトレーラーを追わないと》
(それよりって事は
《治癒の超能力もあるし、ダイジョブダイジョブ》
だからそういうんじゃねえっての! 治るから平気って事にはならねえ。痛いもんは痛いんだからな。チッ、こういうトコは無機物のスーツちゃんと意識の差を感じるぜ。
「誰か来てくれ! アスカ! 負傷者だ! 連絡を頼む!」
「だ、大丈夫たい。この程度……」
かすれた声で言うことか! 高熱の排気煙を吸っちまったか? 横から仰向けに転がして気道を確保――――って、重いなオイ! いつも元気にドンブリ飯か!? 健康に育ってんなぁ、力士くん。
「呼んだわ! タマ!」
猫渡りにいるアスカが連絡を入れてくれたようだ。後は―――――グランドホイールの音? 倉庫の外からかすかに響いてくる高い音は紛れもなく
さらに固いもの同士の激突音。これは……トレーラーの移動を妨害している音か!?
「玉鍵しゃん、
破片が当たったせいだろう、短い頭髪の頭から頬まで血を伝わせた力士くんは、それでも強い瞳で『自分は問題ない』とアピールしてくる。
……オーケィ。おまえ良い男、いや、漢だぜ。
少しでも呼吸をし易いようにと抱えていた頭に、せめてもの治療としてハンカチを巻いて……こいつ頭がデカいから、オレのハンカチくらいじゃ葬式で死体につける三角のアレくらいの面積しかねーな。
しょうがねえ、自分で押さえとけ。見た感じ破片は刺さってないからそのまま圧迫止血すれば止まるだろ。
「ありがと(よ。これで貸し借り無しだ)」
Sワールドで助けた分、確かに返してもらったぜ。義理堅いおまえとは良い付き合いができそうだ。
「玉鍵さん! 大丈夫!?」「大さん! 大さん!」
先に下に降りてきたのは花代と先町。遅れて降りてきたアスカは二ヶ所で呻く黒づくめどもが気になるようで、油断なくそっちを睨んでいる。
「賊には変に近寄るな! まだ動けるやつがいる!」
スーツちゃんの見立てで手榴弾なんかはもう無いと分かっている。壊された手首ではまともに銃も使えないだろうが、それでも興味本位で近寄るもんじゃねえよ。
女1人を除いて全員の両手と片膝打ち抜いてるから、ほとんど何もできないだろうが念のためだ。これ以上ガキどもに怪我させるわけにはいか―――
(―――! スーツちゃん、ロケット撃った車に生き残りはいるか!?)
クソッ、オレも焼きが回ったってやつだぜ。こんな当たり前の事を確認しないでボケッとしてるとはな。
もし生きてたら最後っ屁とばかりに妨害してくるかもしれねえじゃんか。パイロットは殺せないとはいえ、多少怪我をさせる程度なら『Fever!!』様は出てこないからな。
《車内人数、前席に2。一応、どっちも生きてる。あの手榴弾、火薬を少なくしたタイプってわけではなかったみたいだけど。うまいこと車内のくぼみにでもハマったかのぅ? まーどのみちもう動けないっショ》
そりゃよかった。出来ればガキに殺しなんて見せるもんじゃねえ。
昔の塹壕なんかには投げ込まれた手榴弾対策に縦長の穴が掘られていたなんて聞くが、似たような理論でくぼみにハマって破片の拡散が制限されたのか?
ちょいと都合が良すぎる気もするが、まあいい。手榴弾の破片食らったからって絶対死ぬってわけでもない。
後部座席に乗っていたのは2人か。最初にオレが撃ってランチャー発射を食い止めたヤツは床に転がってるし、引き継いだヤツは手榴弾の爆発に煽られて同じく床にダイブ。どっちもわずかに息してるから死んではいないようだ。
車内にいた残りは運転席と助手席の2人。なるほど、座席が破片のシールド代わりになったのか。鼓膜はパーンしてるだろうがな。
この車両だけ人数が少ないのは……トレーラーの方か。最低でも運転手が1人。さらに1人くらいは乗ってそうだ。
オーライ。外でつみきか
(ランチャーの弾はまだ残ってるか? 頑丈そうなトレーラーだったが、こいつがあればタイヤのひとつくらいはブッ飛ばせるだろ)
《うーん、車内にあるけどケースから出た状態で転がってる。手榴弾で損傷してるかも》
(チッ、サイコパス野郎と同じ目にはあいたくねえな)
もう無茶せず保安部隊に任せるか。足止めもここまでやれば十分だろ。となれば頑張ってる
外から響いてくる音的に
なら目の前の装甲車、こいつを使おう。車内の備品がフッ飛んでも足回りは普通に動くだろ。そうとなったら中でのびてるタコ二匹を引っ張り出さねえとな。
《彦星君はミンチよりヒデエ状態だっ―――――伏せて!》
「伏せろっ!」
スーツちゃんの警告を聞いたオレの反応速度は、他のどんな動作よりも早い。このおちゃらけた無機物が声を張り上げるときは絶対ヤバイやつ確定だからな!
「人゛類゛の゛ためにぃぃぃぃぃ!」
絶叫めいた女の声。その瞬間、装甲車が爆発して真上に跳ねた。4輪のうち3輪が宙に浮くほどの跳ね上がりを見せた装甲車がガタンと落ちてくる。
しかもその爆発は目の前のこいつだけじゃない。オレにブチのめされて無人になっていた他の2台も同時に炎を上げて跳ね上がった。
―――――あぁんのクソ女! この爆発、最初に
声がしたのは詰所のあたり。そこに転がしていた女がいつのまにか意識を取り戻し、両手で銃のトリガーのようなスイッチを押してやがった。あれってこの車両の自爆スイッチかよ!?
「っ、見るな!」
オレの視線を追いかけて、無意識にそっちを向こうとした花代の目を遮る。その間にも女は躊躇なく自分の首にナイフを走らせ、周囲に赤い飛沫を撒きながら後ろに倒れていった。
……カルトのクソどもがぁ! くだらねえ最後っ屁に念を入れやがって!
《ゴメン。まさかパイロットが近くにいるのに自爆ボタンを押すとは思わなかったヨ》
(過ぎた話だ。大方ブン殴られて正常な思考ができないくらい意識が混濁してたんだろ)
訓練された兵隊でさえ前後不覚になることはある。オレに殴られた拍子に頭から大事な情報がスポーンと抜けたのかもしれねえ。たまに理屈じゃないことをするのが人間だしな。
「全員無事か?」
最初からそういう仕掛けだったのか、爆風が真上に吹く感じの爆発だったから破片を貰ったヤツはいないようだ。爆音で耳がクソ痛いがな。ガキどもの鼓膜が破れてなきゃいいが。
「う、うぅ……」
むしろ精神的なショックのほうが大きいか。一番近い車の窓は飛び散った血と肉でビッショリと真っ赤になっている。肝の座ってるアスカたちはまだしも、先町は続けざまの暴力的な光景に動揺が大きいようだ。
「テルミしゃん、大丈夫。もう大丈夫やき」
仲間の震えを見かねた力士くんが自分の怪我を押して起き上がり、先町に寄り添う。治癒能力の恩恵もあるんだろうが、おまえホント漢だなぁ。ちょっと好きになってきたぞ、もちろん同性としてな。
(しゃあねえ、自分の足で走るか)
《ちょっと遠くね? 近くにバイクでもないかのぅ》
(駐車場近辺ならともかく、こんな倉庫の近くには停まってないだろ。あっても倉庫仕事用のフォークリフトがせいぜい……バイクか)
先町の予知に出てきたというバイクのイメージと06基地。このタイミングで何か見つかるのか?
「さきま……(ダメだ。今は使い物にならねえ。)自分で見つけるか」
ブルってる女を引っぱたいてでも聞く場面じゃねえ。むしろ先町みたいな反応が普通の女の子ってやつなんだろうしな。
というか訓練ねーちゃんよ、アスカたちをしごき過ぎじゃねえの? 中坊の時点で訓練された兵士みたいな度胸と対応力じゃん。
「玉鍵さん、バイクじゃないけど職員で使ってる共用のスクーターが1台、確かあったと思う」
あん?
《あ、確かに倉庫正面の入り口近くに年代物のスクーターが停まってるのを見たネ》
花代の話だと、
S基地で扱ってる物が物だけに、とにかく広いからな。そういう細かい足も各所に設置されているってワケか。
なら贅沢言ってられねえ。そいつで行くか。電子的な鍵ならスーツちゃんがいれば無いも同然。物理的なヤツなら壊して直結してやる。終わったら直すから勘弁してくれよ。
「おまえたちは保安を待て。また爆発するかもしれないから物陰に隠れてろ」
「玉鍵しゃん! これを!」
っと。力士くんが投げてきたものは―――――どっかの車両の電子キーか?
「基地の備品車両共通の電子キーたい。酔っぱらった博士が乗り回しては事故を起こすんでの、取り上げてそのまま
「助かる(。おまえもう無理せず休んどけよっ)」
「タマ! 私も!」
ダメだ。スクーターに2ケツして行くとこじゃねえよ。
(スーツちゃん、ガキを振り切るぞ)
《あいあい。加速装置!》
さすがにねーよ。それでもアスカとの距離はグングン広がる。あいつも足は速いほうだがスーツちゃんの補助を受けたオレの脚力には追い付けない。
……外では未だに人の声が聞こえてこない。保安の給料泥棒どもめ、何やってんだ?
<放送中>
ホワイトナイトは保管のためのカバー等を掛けられておらず、玉鍵たちのいる倉庫とは別の小さめの倉庫にあった。
ちょっと間借りしていますと言わんばかりに隅に置かれたAT用のトレーラーの上で、
「あった!」
遠目だろうとその雄姿をつみきが見間違えるわけもない。
白地に清く青のラインが塗装されたその機体は、初めて見た時より細かい傷が出来ている。
だからこそ、駆け寄っていく春日部つみきというAT乗りに、自分は歴戦の猛者が駆った手足であることを物語っていた。
只ならぬ顔つきで走ってきた2人を作業中の職員が見咎めたが、職員に捕まったベルフラウを囮にする形でスルリと抜けたつみきはホワイトナイトへと走る。
「あ!? ズルイ!」
後ろからベルの本気の文句が飛ぶも、今のつみきの耳には聞こえていない。
(ホワイトナイト! たまさんの乗機!
自分たちを歯牙にもかけない勢いでなぎ倒していった白い暴力。2対1だろうが実弾を携行した相手だろうが、この機体はすべてを鮮やかに倒してきたのだ。
それもただ力技で勝利したのではない。今後のATの運用の可能性を広げるような、まさに技巧で魅せる戦い方でだ。素人の度肝を抜く派手さと、玄人ほど唸らせる隠れた技術をもって。
そんな玉鍵の技量に応え切った機体、LAT-06H『スコープダック』。個体名称『ホワイトナイト』。
少しでもATに関わる者ならこの機体を見て興奮しないわけがない。
しかし、そこに響いた爆発音でつみきも我に返る。
爆発に驚く職員の相手は引き続きベルフラウに任せ、つみきはホワイトナイトの胴体にある簡易コンソールを弄ると、コックピットへの出入り口となる頭部カバーを開く。
(よし、ゴーグルもある!)
ATは全機種共通の仕様として、操縦席に外の景色を映すモニターが無い。その役割を代わりに果たすのが操縦席とケーブルで繋がるゴーグルだ。
これが無ければ視界を確保できず、頭部のカバーを開いたままにして動かさなければならなかった。
「座席は……さすがに弄るよ、ゴメンねたまさん」
身長が150センチほどと、女子としてもかなり低い部類の玉鍵のセッティングではつみきの足がつっかえる。元よりATのコックピットは非常に狭く、しっかりとした調整をしないと体のあちこちをぶつけてしまうほどなのだ。
とはいえ繊細な調整などしてはいられないので、最低限のセッティングで体を押し込んだつみきは、コンソールと操縦棹が一体になったスティックを引き起こす。
連動して頭部のカバーが閉まると、最低限灯っている各回路のランプの明かりだけを頼りに、春日部つみきというAT乗りは無言でゴーグルを装着した。
降着状態を解除した機体は人工筋肉『マッスルチューブ』をしならせ、即座に脚部の関節が駆動して起き上がる。
――――スコープダックはつみきにとって乗り慣れた機体。というよりほぼこれにしか乗ったことが無い。このシリーズを販売している会社『ギルガメッシュ』がサイタマ学園バトルファイト部の支援企業だからだ。
だがそれもつい先日の話。親族経営の膿によって不祥事が吹き荒れたあの企業は、学生の部活支援どころではなくなっている。同じく不祥事まみれのバトルファイト部とて遠からず破綻するだろう。
だからこそつみきはバトルファイト部を見限り、巻き込まれないようAT部という新しい部活を立ち上げたのだ。
Sワールドのパイロットになろうとしているのも、すべてはATスポーツの存続のためである。
しかし立ち上げたばかりのAT部は、バトルファイト部のようなスポンサーがいない。だからつみきは当面の部費を稼ぐために、知己となった天野和美教官の下でパイロットになるために勉強中である。
(でも、このホワイトナイトが活躍すれば、
ベルフラウを出し抜くような真似をしたのは、玉鍵のために急いでいたからだ。それは本当の事。
だが、つみきには同じくらい打算があった。
それは部の宣伝。世間が注目したこの機体を自分が駆って活躍すれば、つみきの前に立ち塞がっているいくつもの困難もきっと解決する気がしたのだ。
部費、評判、信用。いずれもきっと好転する。この白い騎士の力があれば。
「春日部つみき、ホワイトナイト。行くっス! かっちゃん、後よろしく!」
トレーラーから飛び降りさせたホワイトナイト、その脚部に搭載されたグランドホイールを起動する。
猛烈に唸りを上げたホイール音に、思わず耳を塞いだベルフラウと職員を尻目に、つみきは扉の前までくるとATのアクションプログラムから、扉を強引に開ける場合の動作を呼び出す。
訓練にATも使っているベルフラウたちでも、これくらいなら可能だろう。しかし、その検索のスムーズさはこれまでAT一本で学んできたつみきならではのものだ。
「ちょっと! 無茶しないでよ! 開けてもらうから!」
扉の開閉で軋んだ音が響く中、たまらずベルフラウが騒音に負けない大きな声で職員に開ける事を要求する。
外部の音声を拾うマイクが『フロイト』という言葉を聞き取ると、まごついているだけだった職員がリモコンを操作して扉を開いた。おそらく話をスムーズにするために、ベルフラウがラング・フロイトあたりの名前を出したのだろう。
「ありがとっ」
開いていく扉を待ちきれず、白いATはホイールを鳴らしてその間をすり抜けていく。
「うっ!?」
外に飛び出したホワイトナイトの前に、先ほど見たトレーラーがヌッと顔を表したのはほとんど同時だった。
「こんにゃろ!」
本能的に正面衝突はマズいと感じたつみきは、とっさに機体を切り返し、横に避ける形を取った。
なにせ軽量級のスコープダックの重量は自動車程度しかない。確実に数十トンはありそうな大型トレーラーとがっぷり組むなど不可能だ。
だからこそつみきは工夫する。あの玉鍵がこのホワイトナイトを使ってそうしたように、機体をぶつけるだけしか能が無かったATに生まれた新しい技を繰り出す。
「ホワイトスパイク!」
玉鍵が聞いたら困惑しそうな技名を叫び、つみきはこのゴーグルに表示されていたショートカットから、キックによる攻撃と思われる項目を選択した。
AT乗りとしてのつみきのカンは的中し、ホワイトナイトはゴーグルに表示された箇所へと蹴りを放つ。
玉鍵のようにそっと足をそえるのは不可能だが、ただキックするだけならつみきにもできる。後はタイミングよくスパイクを起動するだけ。
つみきの狙いは牽引機であるトレーラー本体。その駆動部となる足回り―――――しかし。
「に゛あ゛っ!?」
軍用トレーラーの堅牢さはつみきの予想以上で、スパイクは内部に突き刺さらなかった。
だがATの急制動に用いるスパイクもまた頑丈であり、金属の芯はタイヤとタイヤの間に挟まる形で入り込んだ。
それによって30トンもの重量を持つトレーラーの動きに振り回される形となったホワイトナイトは、なまじ噛みこんでしまったスパイクに引っ張られて仰向けに転倒する。
……ある意味で、つみきはトレーラーの逃走を妨害できていると言っていいかもしれない。
ATという重りをつけられたうえに、片面のタイヤがスパイクの噛み込みで動かなくなったトレーラーは、真っすぐ走ることもままならず大きく移動を阻害されているからだ。
その余りあるパワーでホワイトナイトを強引に引き摺ることはできているが、とても速度を出せる状態ではなかった。
「あ、あぁ、えらいこっちゃ。たまさん、ごめん。ホントごめん」
玉鍵には持ってこいと言われたのに、つみきは自分の打算からトレーラーの逃走を阻止しようとして失敗した。
無様に引き摺られていくホワイトナイト。それだけで傷だらけになるのは明白であり、すでに危険な音を立て始めている脚部や股関節のダメージを考えるに、下手をしたら玉鍵が乗る前に機体が壊されてしまう。
細かい傷はあっても中枢を損傷することなく、最後まで戦い抜いたホワイトナイト。そんな不沈艦のごとき機体が自分のせいで壊される。
つみきの脳裏に失望した目を向ける玉鍵がよぎり、功名心に走った少女はどうしようもなく後悔した。
だがしかし、そんな中でも現実は無情に動いていく。つみきは決断しなければならない。
ホワイトナイトを守るためにターンスパイクを除装するか、機体を壊されてもギリギリまでトレーラーの逃走を妨害するか。
「う、う、うぅぅぅぅぅ~~~~~~っ、ゴメンッ、ホワイトナイト! 絶対あーしがレストアするからね!」
最大の目的はトレーラーを逃がさない事。失敗は頭を抱えたくなるほど山盛りだが、つみきは肝心かなめの一点だけは守る選択をした。
メキメキと音を立てだした機体に、つみきはゴーグルの中で涙が出そうになる。自分の大ポカが
「脚部へのPR溶液循環をカット!」
ATの人工筋肉を動かすPR溶液は発火性が高い。破損しても炎上のリスクが低くなるよう、つみきは機体に流れる溶液の循環を制限した。もはや致命的な損傷は免れないと覚悟したのだ。
やがて脚部の内部構造が破壊され、脱落し、ATの筋肉であるマッスルチューブが千切れ飛んでしまうだろう。
―――――その最悪の光景を想像していたとき、つみきのゴーグルが不意に真っ暗になった。
「えっ?」
厳密には完全な闇ではない。スコープダックの視感装置である頭部の複合スコープに何かが被ったのだ。
視感の違和感に一瞬思考が止まったつみきは、すぐに聞き慣れた音を聞いた。
それはATの頭部カバーが開く音。焼けたタイヤと金属の臭気を伴った外気が流れ込み、つみきは本能的な危機感から役に立たなくなったゴーグルを頭から外した。
「……パイロット、じゃないな」
無機質な声。倉庫でつみきが見た黒づくめの男たちの中でも、ひと際大きな体格をした男がホワイトナイトの胴体に足をかけて頭部カバーを開いていた。
「ま――――」
待って。おそらく自分はとっさにそう言いたかったのだろう。そんな言葉を聞いてくれるような相手ではないと理解していながら。
無言で後方に引き絞られた男の手刀が何を貫こうとしているのかなど、考えるまでもない。
その手はまるで悪魔のような形状で、機械仕掛けであることだけは分かった。
(死、殺)
死ぬ。殺される。ひどくゆっくりに感じる世界の中で、その単語だけが脳裏に繰り返される。よく聞く走馬灯など流れない。たったひとつ、自分を殺すために伸びてくる指の先だけがハッキリと見えた。
春日部つみきという人間がここで終わる。大した話は何もない。どこにでも転がっている血気に逸った若者のくだらないDEAD・END。
助けてくれる都合のいい神様などおらず、降ってわいた都合のいい幸運など掴めず、15年生きてきただけの少女の命が潰えるだけの物語。
そう、これは大した話ではない。どこにでもある命がひとつ消えるお話。
――――――――――――――――――そんな大した話でもない事に、己のすべてを賭けてでも、全力で抗う誰かがいなければ!
心臓へと一直線に伸びてきた指が逆回しのように引っ込んで、コックピットのつみきに影を被せていた男の体が、ドカンという重い音と共に真横に吹っ飛んだ。
その体に、ウイリーめいた体勢でカッ飛んできた古めかしいスクーターを叩きつけられて。
「春日部! 無事か!?」
スクーターを手放し、さっきまで男の足が踏んでいた場所に軽やかに着地したのは―――――
「――――縞」
つみきを庇う位置取りで着地した少女は、衝撃を殺すためか体を大きく屈伸させる。
サイタマ学園の制服である短いスカートの中が、ほぼ真下にいるつみきには間近で丸見えとなっていた。
……つみきのいるこの世界に、良い神様はきっと存在しない。
しかし、人を救うヒーローはいると春日部つみきは白と青の世界を眺めながら確信する。
その確信は、主に鼻から赤く溢れ出した。
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