第90話 アンタ、タマァ?
<放送中>
<いやー、参ったわ。なんなのあの子、キュート過ぎるでしょ>
画面の向こうで軽口を叩きながらもパシパシと顔を叩いて半ば本気で気を散らすラングに、通信を受けた天野は脳内で『だからそう言ったじゃない』とツッコミをいれた。
玉鍵たまの実物は画面で見る映像の何倍もの破壊力がある。意志力を感じる強い瞳、生命力に溢れる美しい肢体、そして同性でも陶酔しそうになる甘いにおい。
断言してもいい。
「私がレズじゃないって分かってくれた? あの子が特別なのよ」
男性と付き合っていた自分がなぜそれを知っている友人から同性愛疑惑をかけられねばならないのかと、内心かなり憤怒していた天野はこちらの目を気にせずツナギを脱いでシャワーの準備を始めたラングに顔をしかめた。
「それで何の用? 振られた私を慰めてくれるわけじゃないんでしょ?」
防犯のため可能な限り玉鍵の送り迎えをする予定だった天野は、CARSというエリート層でも有名な送迎サービスによってお役御免となった。
あの送迎サービスは世界各国のエリート・一般層に支社を置く大企業で、契約内容によっては階層を跨いで利用できるというのは天野も知っていたが、まさか十代前半の少女が個人で最高レベルの契約をしているとは思っていなかった。
<あの子の学園での生活環境が危険水域よ。何を見ていたの?>
「え……」
<こちらでも少し調べたわ。酷い嫌がらせをする連中が野放しになってるわね。ちょっと昔の法子を思い出したわよ>
「玉鍵さんの事は教え子の何人かに見てくれるよう頼んでおいたんだけど、そんな報告は来てないわよ?」
入念な自己管理と運動で端正なプロポーションを維持し、ブラの力を借りずとも未だ張りのある大きな胸を溜息と共に揺らしたラングは、天野を画面の向こうから睨みつけた。
<講師に放置してますなんて言うわけないでしょ。それに学生の狭いコミュニティで少数派に味方する子がいると思ってるワケ? 変に庇ったら自分がイジメられると考えちゃったら、もう動けないわよ。特に多数派のボスが暴君ならなおのことね>
「玉鍵さんから嫌がらせの話は聞いたけど……私では相手にしないように言うくらいしか」
<彼女が相手にしなくても向こうが止めないならやられっぱなしじゃない。それに黙っていたぶられるようなタイプじゃないわ――――たぶん暴力沙汰になったら相手にシャレにならない怪我をさせるわよ、あの子>
玉鍵たまのプロフィールには基本的に絶賛ばかりが書かれているが、その中にポツポツとだが黒い実績と評価も散見する。
彼女は非常に短気で暴力的な面があるとされており、実際に一般層で転校初日に10名以上の生徒を大怪我させ、その多くを入院にまで追い込んでいる。
詳しく踏み込めば止むを得ない事情があったと分かるものの、もう少しどうにかならなかったのかというくらいには過剰に攻撃的な面があるようだった。
自己防衛のためにちょっと応戦する、なんて生易しいものではない。さながら『これはどちらかが死ぬまでの殺し合い』とでも言うように徹底的に痛めつけ、二度と関わりたくないと思わせるのを目的としているかのようでさえあった。
<別にいいけどね。猛獣と知っててちょっかいをかけるバカなんて、子供でもエリートにはいらないわ。勝手に食い殺されればいいのよ>
「それはマズいでしょ……子供には更生のチャンスをあげるべきよ」
<―――まあ、あんたには分からないか。でも、子供なら口で言って矯正できると思ってるなら大間違いよ?>
天野の学園生活は入学から卒業まで慕われ賞賛され傅かれる生活だった。目立つ者の常として妬む者はもちろんいたが、その陰の部分は『憧れのお姉さまに贔屓されている』と決めつけられた高屋敷法子という、鬱憤を晴らす恰好の生贄がいたことで表に出てこなかった。
そのためか天野和美という人間は人の、特に子供の陰湿な悪意に疎い面があるとラングは分析している。
<背後にいる親のほうはこっちでも何とかしてみるわ。どうも銀河の連中は
ラングの言う下とは一般層にいる銀河派閥の一族の事である。このサイタマに巣食う質の悪い権力者たちの資金源となっていた『星天』という血族は、これまでの悪行が暴かれ一斉に摘発されたことで崩壊の危機に直面していた。そうなれば彼らの
玉鍵をあっさり銀河の手から救い出すことができたのも、この騒動が遠因と言っていいだろう。
長らく蔓延している銀河の不正と台頭が、ほんの数週間に起こった変化によって大きな綻びが出来始めていた。
<というワケで、今後はあの子をこっちで預かるわ>
「ちょ、なんでそうなるのよ!」
カメラの前で躊躇いなく下着を脱ぎだしたラングに思わず赤面しつつも天野は食って掛かる。
<保護してるあんたが頼りないからタマは自分でなんとかしようとしてるんでしょ。私ならどうにも出来ないなりに『相手にするな』じゃなくて、親は何とかするから『思いっきりブン殴ってやれ』って言うわね。そう言っとけば、むしろ殴る以上の事はしないんじゃないかしら?>
「そんなムチャな……」
<一般層から上がってきた叩き上げって立場はアンタだって経験済みでしょ。人間関係ってね、絶対に話し合いじゃ済まないから人間は年中争ってんの――――殴らなきゃ分かんない
「ラング? ああもうッ」
そのまま通信はあっさりと切れた。友人に弁解の余地を残さないということは、あの若き指導者にとってこれは決定事項の通達なのだと理解するのに天野は数秒を要した。
サイタマ基地は
元はいずれも新構想のスーパーロボットを開発するために建造された施設で、開発後はその設備が整備や修理に都合が良いという理由からそのまま専用基地として流用されている。
大日本に3つある地表都市の中では一番大きく、スーパーロボットの技術系譜が無秩序な基地。それがサイタマ基地。
(ホットスナックおいちい)
《草。意外と根に持つナ。お出かけのとき食べられなかったのが悔しかった模様》
(自分で作るのと店で買うのじゃ、同じホットドッグでも満足する
《スーツちゃんは他の命をエネルギーに変換しないと生存できないような、超低次元な存在ではないので食べ物が例えだとわかんにゃい》
(さようで)
一般層と違って基地の警戒レベルが緩いのか、わりと建物に近い敷地にキッチンカーが軒を連ねていたから下地の塗装が乾くのを待つ間に利用してみた。若い胃袋はちょっと働くとポンポン入るから困るぜ。
基地ってヤツは整備とパイロットだけじゃ回らねえ。そういう意味じゃこの非現実な代物でも沢山の雇用を生むって意味では現実的な金の卵だ。地域の労働者たちのための受け皿という側面は、もしかしたら資源獲得と同じくらい価値があるかもな。
職の無い地域なんて過疎と荒廃とスラム化まったなしだ。見方を変えれば雇用を生むだけでも立派な平和貢献だとオレなんかは思うね。
まあ雇用と働く場所の重要性の話は置いといて。人の数だけ物の需要があり、動く胃袋どもの数を目当てに飲食業界も自慢の食い物を
数が多ければ激戦区になって必然的に質も上がるし、店は大変だろうが客からすればいい話なんだよな。関連メディアの後押しでクソみたいな店がさも人気店みたいに紹介されたりもするがよ。
そういや一般層だとちょいとサクラで店を囲んで、そこだけカメラに映して『行列が出来てます』みたいに自演してるのを見たなぁ。メディアは流行を映してるんじゃない、あいつらが金貰って流行らせてるんだってのがまさにアレなんだろう。
(オレたち人間からすれば食う事は娯楽でもあるんだよ。楽しいおかげで必要以上に食うヤツがいて、肥満やら虫歯やら成人病やらで大騒ぎだがね)
《不便じゃのう。もしも飽食の国で無駄にした栄養を距離と時間を無視して足りない人間たちに与えることができたなら、過去の餓死者の数は天文学的に無視していい数に減るんじゃね?》
(減りはするだろうがディストピア感がするなぁソレ。栄養がありゃいいってもんでもねえよ。人間は欲張りなんでな、どうせ食うなら自分で選んだり迷ったりできるのが楽しい飯ってモンなのさ――――あんな風にな)
学校から基地に行く前に小腹を満たしに寄る制服姿のパイロットらしい生徒。休憩中に買い食いに来た職員らしき服装の大人。他には隠れたグルメ行脚気取りの一般人なんかもチラホラいる。
ここよりうまい店はあるだろう。安い店もあるだろう。けど選んだのはここ。そういう自由がいいのさ。特に間食の買い食いはな。
《うむ。スーツちゃんも女の子が着替えで『着ている』のか『脱いでいる』のかで、
(お黙りエロスーツ)
《こんなスーツちゃんに一言だけ言わせてたもれ》
(申されよ)
《なんかブルマ着用公約がじわじわ現実味を帯びてきたのでお覚悟を》
(なんで!? 何の話!?)
《まあまあダイジョブダイジョブ、公約は守らないとネ》
(いや大丈夫じゃねえし、オレは約束してないぞ。それと公約ってのは別に実現しなくてもいい、努力するポーズだけ見せときゃいい目標ってやつだろ。守らなくても罪には問われないはずだ!)
《公約への印象が捻くれてるナ。だがしかし、スーツちゃんは愚かな人類と違って約束をちゃんと守りマス。なお色とデザインの指定はできません。ご了承ください》
(人を巻き込むな人を。しかも被害をおっ被るのはオレだけじゃねえか)
「た、玉鍵さん。ちょっと」
あん? 今ちょっと立て込んでんのに、なんだよ
「あんたが玉鍵ぃ? ちっこいわね?」
あ゛!?
困った顔の眼鏡の横からズイッと出てきたのはブレザー姿のツリ目の女。胸元のリボンを見る限り同級生か。というか誰がちっこいだ、テメーと大して変わんねえだろ。
(……
《ランちゃんに似てるかな。年齢的に親戚とか?》
(あ、それか。似てる似てる)
あの赤毛ねーちゃんをもっと若くして、大人の余裕みたいなものを取っ払ったらこんな感じになりそうだ。
赤みの掛かった茶髪は地毛か? いわゆるツインテールって髪型をしていて目付きがスゲー生意気そうな中坊だ。
「(チッ)その玉鍵だ。どこの誰だ(テメエ)?」
(っと、いかん。ガキ相手にトラブル起こしたばっかだった。さすがにこんな短期間で何度もやらかしたら義理が立たねえ)
《前振り乙》
「あら? 教官から聞いてなかった? 私はアスカ。アスカ・フロイト・敷島よ!」
(………………)
《痴呆かな? 和美ちゃんの言ってた天狗になってる新人パイロットやで》
あれかぁ……。初日に言われちゃいたが
「教官からアンタに揉まれて来いって言われたのに、なんで基地に来ないのよ」
んなこといわれてもな。こっちだってやることがあんだよ。不毛だし金にもならねえとはいえメンツが関わるとなりゃ別だ。突っかかってくるタコは自腹切ってもシメないとな。
「まあいいわ。見せてもらおうじゃない、教官と同じ一般層の叩き上げの腕ってヤツを」
鼻息の荒いガキだなオイ―――まあ、まとってる空気で考えると才能は間違いなくありそうだ。
「(しャあねえ。これも滞在費の内か)シミュレーションでいいんだな?」
「私たちはパイロットでしょ。他の何で勝負できるのよ。さあ、すぐ登録に行くわよ。
ナスカとやらは自分が名残惜しそうにかじってたアイスクリームの
なんだありゃ、完全に背中見せてやがる。オレが
「物言いや態度はアレだけど、あれで結構気遣いが出来てお行儀いいの。指摘すると怒ってすごく面倒臭くスネるから、本人には言わないでね」
コソっと耳打ちしてきた
《ツンデレツインテ、素晴らC》
(見た感じ本当に
《ムホホ。思考加速、情報分析、肉体強化、操作代行。各種支援は取り揃えておりますジョ?》
(いや、いつも通りシミュレーションは
《負けたら一気にナメられるのでは?
……言わんとするところは分かる。賞賛された人間がコケたときの世間の態度は、落ち目になった悪党への対応と同じだ。すぐ手の平返しでバカにしてくる。ここじゃまったく味方のいないオレにとって強者のメッキが剥がれるのは、武器も財産も奪われて素っ裸にされると変わらねえ。けどな―――
(―――ちょうどいいさ。いつだって後が無いのが戦いだ。こっちも必死になる理由が出来て良い訓練になるってもんだろ)
さて、まずは手を洗わねえと。食い物を食った手で操縦棹を握るのはよろしくねえ。自分で握って気持ち悪いし整備してくれてるヤツにも悪いからな。
<放送中>
「なんでアンタがいるのよ!?」
大いに荒れて落ち込んで、やっと気持ちに一区切りをつけたアスカが帰宅したとき、朝に家を出たときは無かったはずの見知らぬローファーが揃えられているのを見て、さすがに変には思っていた。
加えて言えばドアを開ける前から微かに漂っていた、塩と胡椒で具材を炒める香ばしい香りにも気付いてはいた。
この部屋は高級マンションの一室とはいえ、他所の部屋の換気扇の向こうから多少の生活臭くらいは漏れてくることはある。だからこれも隣の家あたりから漂ってきた夕食の香りだとアスカは思っていた。
この家に住む二人の住人はどちらもレンジで既製品を温めるのがせいぜいで、凝った料理などしないのだから。
「おかえり」
闖入者はアスカに顔だけ振り向いてそれだけ言うと、ブラックラピスのように輝く黒髪を束ねた後ろ姿でキッチンに目を戻す。
「ただい―――って、いやいやいや! 質問に答えなさいよッ!」
思わず呆けて挨拶を返しそうになったことがアスカはなぜか無性に恥ずかしくなった。それを誤魔化すように手をブンブンと払って改めて目の前の少女に問い詰める。
「……ラングさんからしばらくここに泊まれと言われてな。よろしく敷島」
「はあぁぁぁぁ!?」
何を言っていいのか、どういうリアクションを取ればいいか。アスカは混乱の極みに見舞われた。あまりにも突然に自身の生活圏へ異物が飛び込んできた中学生の反応としては、これは順当なところであろう。
「聞く限りアレルギーは無かったな? キッチンを使う許可は貰ったが、冷蔵庫に何も無いと聞いたから今回は適当に買って鍋とレンジだけで作れるものにしておいた」
二人暮らしにしても皿が少な過ぎじゃないか、などと言い放った少女は呆気に取られるアスカを置き去りにテキパキと動く。よく見ればテーブルに見知らぬ食器がいくつかあった。
叔母からキッチンを使う許しを貰う過程でこの家の台所事情を聞き、基地の帰りにでも買い足したのだろう。
「フライパンが酷い状態で奥に突っ込まれていたぞ。あれはさすがに処分したほうがいい」
「いやそういう話じゃなくて……」
少女はアスカの混乱など気にも留めない。そこでちょうど手を掛けていた料理の下ごしらえが終わったようで、鍋の火を止めるとまた別の準備を始める始末である。
セラミック製の白い包丁を巧みに使い、サクサクと慣れた手つきで果物を切っていく。それを見てアスカは『包丁なんて家庭的な代物がこの家に実在していたのか』と、現実逃避するような思考が浮かんでは消えた。
「
(ウサギさん……)
コトリとテーブルに置かれた皿には、手にしてから30秒と掛からずウサギの形に剥かれたリンゴがくしを二本だけ刺してきれいに並べられていた。
その一本を摘まんで口に運んだ少女は改めてキッチンに向かう。もう何年もそこを使っている主婦のように。
腕を捲った制服にエプロン。その姿は親の手伝いが高じて一人前に家事をこなせるようになった中学生のようにとても家庭的で、ついさっき自分を冷静冷淡・完膚なきまでに叩きのめした悪魔のようなパイロットとは思えなかった。
「ああ、手洗いだけじゃなくうがいもしておけよ?」
「~~~~っ、余計なお世話よ!」
不意に振り返った彼女が何を言うかと身構えていたアスカは、大見栄を切ってボロ負けした自分に嘲笑でも侮蔑でもない言葉しか出てこなかったことで逆に調子が狂いそうになる。
(今に見てなさい! 絶対勝ってやるんだから!)
諸事情から叔母にあたるラング・フロイトの下で暮らすことになって2年。
アスカ・フロイト・敷島は突然やってきた新しい同居人と暮らすことに不安は覚えつつも、不思議と嫌という感覚は湧かなかった。
たった一戦だけでアスカに決定的な敗北を味わわせた一般層上がりのパイロット。玉鍵たま。
自分の上にいるのが悔しいし腹立たしい――――それでも不快感は感じない、とても不思議な人柄の少女だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます