第55話 基地長官、『高屋敷 法子』着任!(腕組み立ち)

<放送中>


「このたび基地長官に任命されました、高屋敷たかやしき法子のりこです」


 まだ若い、20代後半らしき彼女は体全体から放射される強いエネルギーのような物を持っていた。


 大人の女性として着こなしたスーツの下には筋肉質で頑健そうな肉体が収められているのが判る。元パイロットという肩書に偽りはないと、獅堂は彼女の評価を内心で上方修正した。


 それまで動きの鈍かった国から、ついに新しい長官が派遣されるという話は話題に上がってすぐに現実となった。むしろそれまでの対応はなんだったんだと憤りを覚えるほどである。


(あの辛気臭いメガネの言っとった『おかげで風通しが良くなった』ってのはホントなんじゃろうな)


 ブレイガーチームへの詐欺を発端とした、この国の暗部を相手取った外科手術・・・・は地下都市の市民を震撼させた。


 あまりにも多すぎる国の不正に驚く気力も湧かなくなって久しい市民が驚いたのだから相当なものである。


『星天』という、知る人ぞ知るこの国の屋台骨に我が物顔で吸い付き続けた寄生虫の一族が摘発された。その犯罪の規模と悪質さは筆舌に尽くしがたいものであり、癒着していた権力者も多数に上ったため、まさに国という体から悪性の患部を切除する外科手術といった状況をなしていた。


 ただし、組織というものは首を切ればそれで済むということはない。悪性なりに役割はあり、その席が空けば必然的に国政が滞ることを意味する。


 悪い部分だからと切除した結果、肉体が機能不全を起こして国という患者が死亡しては元も子もない。代替えの人材臓器をどこまで用意できていて、それらが正しく機能するかは今後に分かることだろう。


 ――――もちろんうまくいかなければ、その負債は国民が被ることとなる。


(なんにせよやっと肩の荷が下りたわい。餓鬼どもには迷惑をかけたの)


 人手不足の中で休学してまで手伝ってくれたサンダーバードたちや、体制が大きく変わって負担をかけた整備士やパイロットたちを思い、獅堂は心の中で最大級の敬礼をする。


 おそらくは面と向かってしまうと恥ずかしくて出来ないだろう。こんな頑固で二言目には若者を怒鳴りつける老人が、彼らに涙が出るほど感謝しているなど獅堂にはとても口に出来なかった。


(……まあ、この高屋敷って娘が本当に使えるならの話じゃが。前の長官みたいな輩だったら困るわい。さすがに女は殴りたくないしのぉ)


 内心でそう考えながらも恐らく平気だろうと獅堂は感じている。簡潔に挨拶を終えて仕事を始めた彼女に『できる人間』のオーラを感じているからだ。


「獅童整備長、いえ、獅童前任。よろしくお願いします」


「整備長でええ。長官なんぞ臨時で勝手にやっとっただけじゃしの」


 場合によっては罪に問われるような交代劇だったこともあり、獅童はバツが悪くなって頭を掻く。しかし、一通りの申し送りをするまでは自分が責任者だと考え直して高屋敷に向き直り、よろしく頼むぞと場を締めた。


 彼女には一日も早く慣れてもらわなければならない。なにせ獅堂には作戦室を離れてやりたいことが沢山あるのだ。


 例えば、自身で立案しながらも時世ではないと諦めていた、とあるスーパーロボットの強化案を現実のものにしたいのだから。







 プリーツとかいう折り目のあるスカートからハンカチを出して、軽く口に咥えて手を洗う。衛生的にどうなんだと思うんだが、濡れた手でスカートのポッケに手を突っ込むのはNGを出されたからしょうがねえ。この制服はスーツちゃんの擬態だからな。当人が濡れるの嫌だと言ってるんだから無理は言えん。


 最初は心理的にとにかく抵抗のあった女子トイレも、さすがにひと月も経った今は普通に入れるようになった。立ちション用のトイレが無い分か、男子トイレよか臭くねえのな。躾のなってねえ男の中には『出してる最中に振り回したのか?』って言いたいくらい飛び散らせるタコがいるからなぁ。あれはマーキングでもしてんのかよ、迷惑な野郎だぜ。


(……しっかし、なんでこうなるかね)


《入口を固めれば人目につかないからね。トイレは男女問わず昔からイジメの格好のスポットだよ?》


 首の動脈を圧迫して絞め落とした二人のガキはトイレの床に倒れている。小便器のある野郎のトイレよかマシだろうが、精神的に汚いと感じるのは女子トイレでも一緒だ。


 連れだってツルんでトイレに行くのは好きじゃねえから、そそくさと一人で来たらコレだ。片方はクラスメイトで顔に覚えがあるな。名前は忘れたけど。


 確か耳鼻科ってクソガキをボコるのを止めてきた女だ。あんときゃ女だてらに度胸があると感心したんだがなぁ……。


 トイレの前なんて不自然な場所で話し込んでる女生徒をすり抜けて個室に入ったら、待ってましたとばかりに外からバケツに水を入れる音がしやがる。


 なーんか嫌な予感がしたんでスーツちゃんにタイミング取ってもらってドア開けたら、案の定バケツ持って『せえの』って体勢のこのタコ女がいたってワケ。


 まぁぁぁーっっっ、腹が立ったね。発作的にマックスまでイラっときたわ。


 正面から唾でもぶっかけてくるほうがまだしもだ。悲鳴上げる前に右手で首をフン捕まえて、バケツの落ちた音で様子見に来たもう一人も左手で遠慮なく絞めてやったわ。オレだけじゃ体痛めてて力が入らないからスーツちゃんに筋力補助してもらってな。おかげで戻りかけの握力がまたバカになっちまったぜ。


《さすがにおもらしはかわいそうだけど、スーツちゃんもトイレ用バケツの水は被りたくないでゴザル》


 人間は窒息して失神すると体が弛緩して垂れ流しになることがある。女だから怪我はさせねえで許してやるが、人様に卑怯な方法でケンカ売ったんだ、そのくらいの恥はかいてもらうぞ。


「あー、やっぱこうなったかぁー」


 チッ、通せんぼしてた女も絞め落としたから誰か入ってきちまったか――――オレの知り合いか、無関係よか説明が楽になるから良かったわ。たしか星川ズのひとり、えーと、えーと…………えーっと。


槍先やりさき切子きりこちゃんゾ。安い髪飾りでチョロっと髪を縛ってるのが微妙に垢抜けなくて、なんとも中学生らしくてええのぉ》


(情報ありがとよ。でもその解説はキモい)


《キモくねーし!?》


(あぁ、はいはい思い出した。イージスシスターの2番機に乗って前衛張ってる、お調子者のガキか)


《低ちゃんは乗ってるロボットに紐づけて覚えるんだね。もう少し容姿とかで覚えなよ、女子のパイロットは可愛い子ばっかりなんだから》


 それな。これってどういうことなんだろうか? パイロットになれる女は野郎と違って素の容姿が良い場合がほとんどなんだよな。たまーにゴリラから直接派生したような筋肉ダルマもいるがよ。それでも顔自体はそこまで悪くない。体格ガタイの良い女が好きなニッチ方面に一定してウケがいいんじゃねえかな。知らんけど。


 パイロット選別に『Fever!!』が干渉でもしてんのかね? いや、むしろ人間のほうか? パイロット試験に容姿も採点対象にしてる可能性はあるな。


 ……とすると碌な理由じゃなさそうだ。血統書付きの犬みてえに思ってんじゃねえだろうな。


「玉鍵さん、大丈夫? こいつらに何されたの?」


「個室に入ったらバケツで水かけられそうになったから、絞め落とした」


「だよねえ……玉鍵さん相手にバカだなー」


「槍先、さっきやっぱと言った(か)?」


「うん。何か企んでるのは雰囲気で分かったから。みんなと相談して牽制のつもりで切子が来たんだけど、遅かったね。ゴメン」


 初めにこいつらを見咎めたのは星川ズのゆっちゃんこと『湯ヶ島ゆたか』らしい。止めるにしても大人数で行って陰険なヤツにとぼけられては厄介だから、あまりゾロゾロ連れ立っていかず槍先が決定的な場面で指摘するつもりだったんだと。


「きいチャン、うまくいっタ?」「……自業自得の死体がふたつ」「いやいや、死んではいないでしょ……死んでないよね?」「と、トイレに流す? バラバラにしないと無理だよ」


(……湯ヶ島って、気弱そうなのにしれっとスゲー物騒な事言い出すのな)


《あれで独自の価値観で生きてるタイプだね。見た目より精神が太いというか、一歩間違うと静かな怪物になる子かも》


 こわっ。初宮もだがよ、見た目が大人しそうな女は何か抱えてるよな。あんま近寄らんとこ。


(それで、んーコレどうしたもんかな。寝かしといても叩き起こしても騒ぎになりそうだ)


《証人が多いうちにイタズラの事実を畳みかけるのがいいんでない? ほっとくと変な噂を流されるよ》


 確かにな。個室の相手に水ぶっかけようとしてくる連中だ、陰口も大好きだろうよ。色々漏らしてる状態でちょっと可哀そうだが、二度とちょっかい掛けてこないようにシメとくか。


《ところで低ちゃん、おトイレ大丈夫?》


(ケンカ意識したせいか引っ込んじまったよ)


《家のトイレやお風呂もこまめに洗うし、低ちゃんて元男なのに意外ときれい好きだよね。おトイレしてないのに手を洗うとかさ》


(いや、してなくてもトイレに入ったら洗うだろ普通)


 オレが家の掃除とかするのは一種の憧れが叶ったからだな。初めて車を手に入れた若造みたいなモンさ。


 クソの掃き溜めみたいなところで『帰る家』に憧れていた、なんともガキ臭え願望の影響だろうよ。初めて手に入ったものは誰しも結構大事にするもんだろ?






<放送中>


 木之元トトリは塞ぎ込んでいた。親から叱られ、教師から叱られ。友人の一部からまで遠巻きにされるようになって、ここで初めて自分が学校カーストを転げ落ちたのだと自覚した。


 木之元は裕福な親の元に生まれた少女であり、勉学や身だしなみに気を使う余裕があった。そのかいあって学校内の地位も最上とは言わないが小学校から今まで高い位置をキープしていた。さる血筋のおかげか、立ち回りがうまかったのもある。


 その立場が崩れたのは、木之元が電子世界にとある書き込みをしたことを公的機関に咎められたことに端を発する。


 木之元が通っている学校でも有名な女生徒、転校生『玉鍵たま』の隠れた悪事を流したことが、どこかの国家機関の心象をいたく悪くしたらしい。


 訪問という名の半ば押し込みのような面会をされた両親は、娘のした事が国にとってマイナスの行為、つまり犯罪に近いものと判断されたことに震え上がった。娘に確認を取ることなく躾け直すことを約束するほどに。


 訪問に来た人物の態度は物腰こそ柔らかいものだったが、その細いフレームのメガネの奥から見え隠れする目つきは暴力に慣れた人間のソレであり、裕福でも一般人の枠を出ない両親にとって恐怖の対象であったのだろう。


 連中が帰った後で深夜まで散々に叱られた木之元は、翌日に学校へ来てたところを教師に捕まった。そして校長以下複数の教師から取り囲まれ厳しい説教を受けることになる。


 授業チャイムに救われ、ボロボロな精神状態でやっと解放された木之元。そんな彼女は教室を包む不穏な空気を感じ取ってますます慄いた。


 嘲笑。侮蔑。敵意。あるいは無視。


 友人と思っていた何人もが木之元にマイナスの感情を見せていた。


 自分の書き込みが名指しで晒されていることに気が付いたとき、木之元の目の前は真っ暗になった。


 そんな木之元を気遣ってくれたのは小学生以来の友人である。といっても、彼女もまた玉鍵への中傷を書き込んでクラスでハブられていただけであることを木之元は知らない。同じレベルの人間が固まるべくして固まっただけであった。


 追い詰められた木之元たちは、それまで好き勝手に生きてきただけに鬱屈することに耐えられない。


 他人の向けてくる悪意には聡く、自分の悪意には鈍い短慮な少女たちがストレスから逃れるために取った行動は『ストレスの解消』だった。


 すなわちストレスの元凶、玉鍵たまへの嫌がらせである。


 ただし実行には困難を伴うことは分かっている。玉鍵の周りには何人もの取り巻きが張り付いており、さすがに彼女たちまで相手取るのは木之元たちには不可能だった。


 だからこそ14年間生きてきた彼女たちなりに構築した理論によって、この嫌がらせは二つのことが重要視される。


 それは匿名性と即効性。


 玉鍵という女生徒は女らしからず、すぐに暴力に訴える野蛮な人間。しかも暴力を振るうことに慣れている。か弱い木之元たちが犯行を特定されるわけにはいかない。だからできるだけ迅速で目撃されないことが重要視される。


 また即効性が高いことも重要だ。ノートや机に悪口を書くような気の長い方法はおもしろくない。鉄面皮の玉鍵が動じない可能性も高かった。


 そこで考えたのが過去にもやったことのある『個室に入った相手に水をかける』というイタズラだ。できれば前やったように汚水を使いたいところだが、短時間かつ隠れてそこまでの用意は難しいと判断してバケツ一杯の水で妥協することにした。


 さすがの玉鍵でもいきなり上から大量の水を掛けられたらパニックになるだろう。後はさっさとその場を後にすればいい。友人と申し合わせて知らぬ存ぜぬを貫けば証拠なんて出ない。暴力を振るってくるようだったら大声で泣いて逃げればいいのだ。それこそ証拠が無い限り、やったやってないの水掛け論になるのだから。


 ――――木之元たちの理論では完璧な計画だった、少なくとも彼女たちの間では。


 まさか水をかけようとした直前に当の玉鍵が気が付いて、躊躇なく首を絞めてくるとは思っていなかったのである。これについては無理からぬ事だろう。用を足しているはずと思っていた相手が一度も座ることなく、ドアの前で不審な動きを待ち構えているとは思いもしなかったのは当然だ。


 やがて意識を取り戻した二人は玉鍵寄りの生徒たちに取り囲まれて、屈辱的な液体で濡らしたスカートのまま散々に批難されるという地獄のような時間を過ごすことになる。


 そしてこれ以後、木之元たちが学校に来ることは二度と無かった。その理由を学校でのトラウマによって来れなくなったと考えた者が多いが、実のところこの出来事がなくとも遅かれ早かれ彼女たちは一般層から姿を消すことになっていた。


 暴かれた親類のS関係犯罪に彼女たちの親も関わっており、その家族である彼女たちも底辺行きとなったのである。


 ……記録上、二人の生存時間は169時間。初めての出撃にて未帰還となった。





<放送中>


「記録はもう見ていましたが……改めてすごい娘ですね」


 高屋敷の端末にかき集めた資料には多くのパイロットのデータが細かく入っている。その中でもとりわけ戦績の優秀なパイロットをフォルダ分けした金色の『Sフォルダ』に記載された少年少女は、慢性的な資源枯渇に喘ぐ人類の最後の希望と言ってもいい。


 だがその黄金の区分けからも分離する必要を感じた、とある天才パイロットがこの基地には存在した。


 玉鍵たま。若干14歳にしてあらゆるエース・ベテランパイロットの過去戦績をごぼう抜きにした少女。


 一度の出撃での最多撃破・ジャイアントキリング・最高額報酬。いずれにおいても二番手との成績がかけ離れて見えなくなるほどの抜群の成績を残している。


 しかもこれだけ高い戦闘能力を持ちながら、容姿においても群を抜くほど美しいというのだから、年下とはいえ同性としてはたまらない。そのカリスマ性が基地に広く浸透しているのも頷けた。


「誇張なくナンバーワンですね。他のパイロットなど眼中になさそうです」


「……別に嬢ちゃんはパイロットで一番になりてえとかは思ってないようだがな。戦ってたら結果がついてきたってだけだと思うぜ?」


 記録上シミュレーションでも負けなしではある。だが本人は単なる訓練としか考えていないようだと獅堂は花鳥から聞いていた。


「対等な相手がいないからモチベーションが上がらないんでしょうか」


 物事は競い合ってこそやる気がでるもの。相手が強すぎたり、逆に弱すぎるといった実力格差は上昇意欲を削ぐものだ。高屋敷は戦績から玉鍵たまに孤高の天才をイメージしていた。


「どうかの。嬢ちゃんは対戦なんぞ機体の慣らし程度に思ってるようでな、訓練の本命は高難度の実戦シミュレーションよ」


 興味を持って他のパイロットが同じ条件で始めるとあっという間に撃破されてしまう難易度で、むしろ常人では訓練にならないと評判らしい。それでも意地になって固執したあるパイロットは、なんとか全体の3割程度まで進めて周りから賞賛されたという。


 生憎そのパイロットは称賛されても不貞腐れていたらしいが。


「訓練時間自体は短いんですね。1日の訓練は長くても90分ほどで切り上げる、早いときは1時間程度」


 基礎体力訓練も加えればシミュレーションに使う時間は30分程度。生き残るために朝から晩まで訓練している者からすれば恨み節が漏れるような軽快さだった。


「もしかして基地の外で訓練しているんですか?」


 高屋敷にも覚えがある。基地のトレーナーから課せられたメニューだけでは上に行けないと感じ、自分の相棒を務めた努力家のお姉さまと同じ訓練を外で行ったものだ。


「さあの。さすがに儂も知らん」


 獅堂も訓練は大事だと考える。だが現実でもっとも大事なのは結果だとも老人なりに生きてきた年数によって達観していた。


 確かに訓練は兵士本人を裏切らない。しかしいくら訓練しようとも現実の非情さに飲み込まれるのが実戦だ。どれだけ訓練に明け暮れようと、ある日ポンと落ちてきた爆弾に周囲何キロにも渡って蹂躙されることは止められない。


 重い装備を身に着けて何十キロと走れる体を作ろうとも、一発の爆弾から生み出される爆風と炎は蛋白質でしかない体を灰塵と化すだけ。鍛えていようがいまいが、老若男女区別なくひとたまりもない。


 玉鍵はこの訓練時間で十二分に戦果を出している。そして本来は戦うこと自体が社会常識としてナンセンスなはずの10代前半の子供だ。青春を殺伐とした生き死にの空気で過ごすより、他の子供たちと一緒に学生として健全に生活を送ってくれたほうが老人は良いと思っていた。


「あの子はちょっとズレとるしの。下手な訓練より人付き合いのほうが今後の身になるじゃろ」


 黙々と引き継ぎのための資料を渡し、疑問があれば注釈を入れる作業に没頭する獅堂。すでに彼の頭の中では強化ユニットによって飛躍的に戦力を増したお気に入りのロボットが、高く高くSワールドの空を飛び回っている状態である。この引継ぎも大人のケジメとしてじっと我慢して面倒な作業をしているに過ぎない。


 やはりどうしようもなく彼は生粋の現場整備士であり、こんな空調の効いた室内より機械油と金属臭い鉄火場の空気に触れたくて仕方がなかった。


「この才能では……まだ挫折したことは無いでしょうね」


 高屋敷の意味ありげな言葉に獅堂の中で警告ランプがひとつ灯った。漠然としたものだが、どうも高屋敷という元パイロットは他の何よりも『訓練と根性』の信奉者のようだと老人は感じた。


 同時に玉鍵たまという天才と相性が悪いのではないかと危機感を抱く。


「……天才の傲慢なら心配いらん。実際に訓練してる姿や戦ってる姿を見りゃ分かるわ」


 大戦果を挙げることばかり注目されて、いかにも天才らしい鼻もちならない人間のイメージが先行しがちだが、玉鍵たまというパイロットは大真面目に訓練をするタイプだ。まして戦いにおいては決して調子に乗らないし、作業でもするように惰性で戦いもしない。


 彼女は傍目にどれほど余裕そうな戦いでも、どこか懸命に戦うのだ。そんな真摯な向き合い方をするからこそ、今日までの絶望的な戦いの中で生き残ってきたに違いない。


「第一な、嬢ちゃんは無茶苦茶な条件ばっかり相手取っとる。そこらのゲームがうまいだけのクソガキとは違うんじゃ」


 そもそもパイロットにとって挫折はそのまま死だ。実戦の中で動揺すればそれで終わりとなる。玉鍵がシミュレーションで対戦を積極的にしないのも、そんなものがいくら強くても生き残れないと考えているからだろう。


「獅堂前任はこの子をとても買っているんですね」


「……まあの」


 かの少女には命を助けられた恩もある。人として大人として整備士として、やれることは何でもしてやりたいと老兵は考えていた。


 自分の年齢的におそらく最後まで面倒を見ることは出来ないが、最高のパイロットに最高の整備環境、そして最高の乗機を残す礎くらいにはなりたい。


 それが獅堂フロストという、今は無き国家に思いをはせる年老いた元整備兵の最後の願いだった。


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