第26話 新マシンサンダーチーム結成!? いいえ、その予定はありません(本当)

<放送中>


「YAY! HEROのご帰還だ!」


 興奮した兄が拳を突き上げ、人目を気にせず喜びを露にする。雉森自身、基地内で流された玉鍵の戦闘映像が心臓に悪すぎる展開ばかりだったので安堵感は大きかった。弟など瞬きさえ忘れて画面を凝視していて、玉鍵がピンチのたびに「ぐっ」とか「ぎっ」とか引きつった声を出すので、姉と言えど気味が悪かったくらいだ。


「やっぱりTAMAはAMAZINGだなッ」


 声が大きい。恥ずかしいなと思う反面、こういった素直で気楽な性格の年長者のおかげで複雑な境遇を持つ雉森たちも、父を憎む異母兄弟でありながら致命的な反発をせずに結束できたとも言えた。おそらくサンダーバード抜きの三人では、どれだけ時間をかけてもバラバラのままだったろう。


 帰還したシャトルから完璧なランディングで滑走路に降り立ち、そのまま格納庫に入ってきたレスキューサンダーに歓声が上がる。整備士もパイロットも一般職員も、再び快挙を成し遂げた少女の生還を己の目で見ようと雉森たち同様に集まってきていた。


「医療班急げぇーい!! ここで死なせたら大恥じゃぞぉー!!」


 いつものように周りを大声で鼓舞する整備長『獅堂』のキツい顔も今日は明るい。ある意味で戦果よりも素晴らしいものを持ち帰ってきた若きパイロットを、かの老兵は誰よりも誇らしく思っているのだろう。


 巨大な救急車の後部ハッチに設けられた搬入出用の小さなハッチが開かれ、中からフロート式のストレッチャーを押す英雄が姿を現すと、すでに騒がしかった周囲がますます騒がしくなり、賛辞の言葉があちこちから掛けられる。


 玉鍵たま。登場から基地の話題をかっさらい続けている最高のパイロット。


 たった二度の出撃で撃破スコア・ジャイアントキリング、どちらにおいても桁の違う戦果を叩き出し、今日もまったく違う意味で快挙を成し遂げた少女。


 その姿は見る者の魂を抜き取ってしまいそうなほど美しく、容姿に裏打ちされたオーラはカリスマ性に満ちている。だが、超人めいた彼女は己の魅力にまるで頓着していない。


 雉森から見た玉鍵は強く美しく優しいけれど、ちょっと『ズレている女の子』だった。


「ストレッチャー早く! あと二人いる!」


 玉鍵は歓声に応える時間も惜しいとばかりに、押していたフロートを救護班のひとりに預けて再び車内に戻っていく。


 自分の事を英雄などと欠片も思っていないことがよく分かる。彼女にとっては『友人』を助けに行っただけなのだろう。


 同じく玉鍵に助けられ、超然としているように見える彼女の人間性、暖かい優しさに気付けることが雉森には少し嬉しかった。


「チェッ、こっちを見もしないか」


「ここはアンタのアピールの場じゃないわよ。状況を考えなさい」


 珍しくブンブンと手を振っていた花鳥が愚痴る。その弟の頭を引っ叩いて雉森は姉として空気を読まない弟を叱った。


 玉鍵に気があるのは構わないし、あの美貌に気後れせずお近づきになろうとする心臓は大したものだと思う。しかし、場を弁えないアピールなどマイナスにしかならないし周囲も不愉快だ。


「敵のウヨウヨいる雪の中で一週間か。SURVIVALってレベルじゃないな、オレには耐えられん」


 サンダーバードの言葉に周囲にいた何人もが同意する。捻くれた弟と違って明るい兄は交流範囲が多く、人好きする性格もあって仲が良い者が多いのだ。

 この兄のおかげで自分への周りの目が緩和されていると自覚が花鳥にもあるだろうに。姉としても態度を改めてほしいものである。


(……あの子たち、折れなきゃいいけど)


 戦いで死にかけた上に一週間もの極寒地獄。飢えと渇き、極限のストレスの中で彼らは何を思っていただろう。たとえこれを理由にもう二度と戦いたくないと泣き叫んでも、誰にも責められはしまい。


 ましてこんな窮状に追い込まれたのは自分たちのせいではないのだから。


 未帰還の彼らがSワールドで生きていると知られたとき、基地内での三人への同情の声はとても大きいものだった。

 絶対に助からない、次の出撃まで生き残っていても誰も助けには行かないと誰もが思っていた。生きていても苦しみが長引くだけ、逆に不運だったなと。


 救助などワリに合わない。よほどの金持ちの子供でもなければお礼の金額など知れているし、それなら自分で戦って稼ぐほうがいい。

 何せ危険度が桁違いだ。いつ敵が現れるか分からない危険な場所で、誰が機体を降りて助けになど行く? 


 雉森だったら御免だ、これは取り残された彼ら三人も同様だろう。つまり取り残された時点で絶望していてもおかしくない。


 はたして生き残るために支えにしていたのは何であろうか。ひたすら死にたくないから? 大切な人の下に帰りたいから?


 ―――――あるいは、自分をこんな目に合わせた誰かに復讐を果たすまでは死に切れないから?


「……ヒゲは内心苦い顔してるだろうね。前の分の報酬の割り当て、どうするか楽しみだよ」


 花鳥の暗い愉悦を含んだ皮肉に、周囲の何人もが同様の黒い笑みや苦笑を浮かべる。


 姉として叱るべきかもしれないが、この話に関しては雉森もパイロットとして同様の思いがあった。


(一機も倒せず救援を置いて逃げ帰ったあいつが、あの子たちの撃破した分まで総取りとか。みんなが冗談かと思ったわよ)


 基地長官の火山はどれだけ周囲から批難されても『チームの慣例』として報酬分配をしたと言い切った。救援に行った時点で、彼らはチームだったという主張である。ならば被撃墜で浮いた報酬は生き残りに渡すべきだと。


 合体機などの場合、機体特性から戦闘力の低い分離機もある。そういったマシンの担当になったパイロットのため、チーム内での不公平感をなくすための救済措置を強引に曲解した判断であった。


 これを聞いたとき雉森は他人事ながら腸が煮えくり返る気分を味わった。そしてそれは雉森に限らず、パイロットであれば同じ気分だったろう。助けに行ったのに盾にされて、あげくにその卑怯者に報酬が入るのだから。


 これはパイロットだけに収まらず、まともな人格なら誰でも不快感を示すことだろう。事実、無編集の映像を見た者たちは職種を問わず強烈な嫌悪感でいっぱいだった。ごくごく一部の、例えば長官親子やその指示を伝えたオペレーター以外は。


(たしか担当は西蘭のババアだっけ? 古参のオペレーターだけど真っ黒い噂ばっかりの女だったわね……)


 許容範囲を超える数を担当して、毎回死人を出しては強引な勧誘で減った分を補充すると噂されていた女。長官の無茶な指示をパイロットにしつこく押し通すため、長官たち上の者たちからだけは・・・優秀と絶賛されていたオペレーターだ。


(私たちの担当もひどかったけど、あいつは頭ひとつ抜けて酷いようね)


 右も左も分からない新人を捕まえては簡単に解約できない、指示に逆らいにくい契約をさせる手口でやってきた詐欺師みたいな女。トイレに入っている少女に契約を迫る変態。そんな噂が様々な尾ひれとも言い切れない真実をつけて、女性のコミュニティを中心に基地内を駆け巡っている。


 最初、どうせもう辞めるのだからと傍観していた雉森。しかし、その詐欺師に目をつけられたかわいそうなパイロットのひとりが玉鍵である可能性が高いと知ると、自分でも信じられないほど怒りが沸いて、己の知るオペレーターどものあらん限りの悪評を流す側に回った。


 すでに西蘭は四面楚歌となり基地内で孤立している。それでも長官が庇っているためしぶとく辞めてはいない。面の皮の厚さは長官ヒゲと同じか、それ以上だろう。


「報酬はそのままで見舞金・・・とでも言い換えて払うんじゃないか? 口封じにBONUSをつけてな」


 珍しくサンダーバードも弟の皮肉に付き合う。兄もまたそのくらい憤怒しているということだろう。周りも口々にヒゲの悪口を始める。愚かな父親の息子贔屓に全員が辟易しているのだ。


(せっかく助かったのに。あの子たち、絶対うんざりするような目に合わされるわ)


 死人に口無し、だが彼らは生き残った。三人は絶対にあいつと同じチームなどという妄言を否定したいはずだ。だが、それでは長官の立つ瀬がない。あれが素直に三人に謝るだろうか? 無い。なんとしても『納得』させようと画策するに決まっている。


 でなけば、またあのバカ息子は戦果なしとなる。あんな紐レオタードの恥ずかしい恰好をして、味方を二度も見捨てる無様を晒しても戦果なし。今日の三度目には基地にさえ来ていないらしい。さすがに恥という概念くらいはあったのだろう。


 しかし、それでもバカ息子のためにバカ親は周囲の反応など無視してお膳立てを頑張るだろう。親の愛と言えば聞こえはいいが、他人からすれば迷惑すぎる。


(基地には来なくなったけど、父親ヒゲと同じで改心とか、懲りた・・・感じはまったくしないのよねぇ……)


 どんな事実を突きつけられても『自分のせいではない』と死ぬまで言い張りそうだ。少なくとも雉森は長官の息子にそんな印象を持っている。あれは近づいてはいけない人種だ。


「お、ひと段落したみたいだ。先輩も心配だしTAMAに会っていこうぜ」


「そうだね、玉鍵にまた殴られたら今度こそ入院しそうだ。止めないと」


 あんたはあの子に会いたいだけでしょ、そんな言葉を出したら思春期の少年は拗らせそうなので止めておく。絶望的な戦力差を覆して三人の命を救ったのだ、玉鍵でも疲れているだろう。普段から面倒くさい弟がさらに面倒くさくなってしまったら、イラッときた彼女は発作的に殴るかもしれない。


(……いつエリートから勧誘が来てもおかしくない。花鳥にはかわいそうだけど、あの子はに行くべきよね)


 地下都市に住まう一般層の住人なら誰もが夢見る地表世界。この星がまだ豊かだった50年以上前の暮らしが再現されているという理想郷。


 青い空と豊かな緑。そんな優しい世界にこそ玉鍵のような少女はいるべきだ。


(向こうでもやっぱり戦うんだろうけど、ね)


 底辺層、一般層、エリート層。待遇のかけ離れた人々に、それでも共通する事がある。


 資源を得るため誰かがロボットに乗って戦う事。この世界に生きる限り、それだけは覆せないのだ。





(あ゛ー、今回も散々だったぜ)


《低ちゃんは変な敵を引き当てる天才だねー。あのニョロニョロ、スノーワーム・エレガントっていうレアものみたいだよ?》


(どこが優美エレガントだよ……ネーミングしたヤツの感性が知れんわ)


《鏡面装甲が銀世界で映えるってことじゃない? 知らんけどー♪》


(……で、ガキどもはどうだ? スーツちゃんから見て助かりそうか?)


《平気平気、凍傷で指を切断とかもしなくてすみそうだよ。愛用のヴァイオリンと一緒に眠ることにはなんないサー》


 ヴァイオリン? なんのこっちゃ? 


(まあいいや、臭い氷柱抱えちまったからこっちまで冷えちまったよ。何かあったかいもの食ってから帰ろうぜ)


 陰キャ君の野郎、基地についた途端に失神しやがって。せめてストレッチャーに乗ってから倒れろや。寒いときは分かりにくかったけど常温になるとスゲー臭いしよぉ。サブシート洗浄するヤツ大変だぞ。


 あー、オレもレスキューサンダーの整備士たちになんか奢ってやるか。急に機種換えてくれって無茶言ったしなぁ。ジジイ経由でSワールド産の良いハムでも贈るか。いやまて、今どきは肉が信用できないって理由で菜食主義のヤツもいるんだよな。オレは食うけど気持ちはスゲー分かる。


「TAMA! GOOD JOB!! 最高だったぜ!」


「暑苦しい(なオイ)」


 無駄に白い歯を光らせるな。タンクトップから出てる褐色の筋肉と相まって二重に暑苦しいんだよテメエは。


「あはは、ごめんねー玉鍵さん。サンダー大興奮だったのよ」


「いいよ (めんどくせえし)」


「寒いところに行ったんだし丁度いいんじゃない? そんな薄いジャージなんかで無茶をするよ」


「黙れメガネ(オレんちのスーツちゃんにケンカ売ってんのかッ、オォン!?)」


「だから、なんでボクにだけ当たりが強いんだよ! おまえは!」


 小うるせえメガネだなぁ、つーかゾロゾロと連れ立ってどうしたよ。パイロット辞める手続きとか終わってんだろうに。


 ……ガンドールチーム、全員すっかり吹っ切れたみてえだな。もうオレには関係ないけどよ、稼いだ小銭持って身を持ち崩すんじゃねーぞ、貯金しろ貯金。一般の人生は長げーぞぉ?


「おい、ガキ」


 あ゛!? ……ああ、こいつか。 


 振り返ると巨大パトカーを降りたマシンサンダーのリーダーがいた。ダンプのヤツはまだ格納庫で手続き中みてえだな。一般は出撃したらしたで、降りたら降りたで書類にサインとか必要だったりするから面倒だよな。ま、所詮は基地の備品だものな。スーパーなロボットでもよ。


「助かった。ありがとう(よ)」


《て、低ちゃんが……デレた、だと?》


(いやスーツちゃんよぉ、一応助かったのは事実なんだからオレだって礼くらいは言うぜ?)


「ぅお、……おう! わかってりゃいい、いいんだよ……クソ」


(? なんで狼狽えんだよ。また殴るとでも思ったのかコイツ)


《……罪深いのう。もしかして、スーツちゃんはとんでもない怪物を生んでしまったかもしれヌ》


(誰が怪物だ、ピギャー!)


《怪物だ!? 顔に張り付いておなか食い破る系だぁ!》


「へ、ヘン! うちは厳しいぞ! 早くレスキューサンダーを使いこなせよな!」


「? いや、もう乗らないし」


「え」


(何言ってんだコイツ。誰が好き好んで足に乗るか。今回だけはしょうがねえから『車』に乗ったんだよ)


《まー足に変形してないね。足だけど》


(あ゛ーあ゛ー聞こえなーい。オレは救急車に乗ったんでーす、足じゃありませーん)


《心の抵抗おつ》


 例外はこれっきりだ。二度と乗るか。あーあ、毎週違うロボット乗るなんて、とっかえひっかえとか言われそうだなぁ……。


「HAHAHAHAHAHHAッッッ!! 派手にフラれたなぁ、先輩!」


「こいつを引き入れたいなら、最低でもセンパイがレスキューに乗らないと無理ですよ」


「玉鍵さんはメインに乗りたいんだもんねー」


「パトサンダーはオレんだ!!」


 いや、取らねえよ。新しいメンバーでも勧誘してくれ。オレだってあんたのケツの入ってた汗臭そうなシートは御免だわ。男臭いというか漢臭いというか、髪型も眉毛も全体的になんつーか濃いんだよなぁ。


 それからそっから何故か飯まで6人で食う事になった。懐のあったかいオレやガンドールチームはともかく、半年戦ってないマシンサンダーの二人は入るだけで金のかかるお高い店はサイフに痛かったようだな。年長の見栄で平気な顔してたがよ、おまえらより中身の年が上のオレにはバレバレだ。


 ま、気付かないフリくらいはしてやるよ、誰でも張りたい意地があるよなあらあな。でもレスキューにはもう乗らん。チラチラ粉かけてくんな。





<放送中>


「子供の教育を間違える事ほど取り返しのつかない事はありませんね。……そう思いませんか? 火山長官」


 コーヒーカップを事務的に傾けながら、自分より年下の男が上から見下ろしてくることに火山は内心怒鳴り散らしたい気分だった。


 S・国内対策課の釣鐘つりがねが基地を訪れたのは5段目の出撃が終わった昼前。2段目、9時の後から針のむしろに座らされたような気分で一日が終わるのを待っていた火山は、心無い他者の目をしばらく逃れられると内心安堵した。


 だがこれは、軽蔑の眼差しを向けてくる相手が変わった程度のものでしかなかった。


「言いたいことはハッキリ言ってくれたまえ。こちらも忙しいのだ」


「そうですね、失礼。では遠慮なく申し上げれば、あなたの息子贔屓は目に余ります。改めてください」


「っ、基地内の事に干渉―――」


「『Fever!!』法に抵触している疑いがあります。例えばパイロット本人の意思を無視して、どこかの誰かの愚図で卑怯で無能な息子さんの子守りをさせるために、それだけのために乗機を変えようとしたりするのはいかがなものでしょう」


「息子を侮辱するな!!」


「失敬。つい万人の感想が」


 発作的にテーブルの向こうに座る釣鐘つりがねに飛び掛かろうとした火山は、細いフレームの支えるレンズの先から睨みつけられただけで冷水をかけられたような気分になって、結局は掴みかかることが出来なかった。


「これは私の業務ではありませんが、パイロットの報酬分配くらいまともにやってもらわねば困りますな。彼らのモチベーションに関わります」


 一見すると冷淡にさえ思える釣鐘つりがねは、その内面で荒れ狂っていた。


 パイロットのコンディションの低下はそのまま獲得資源の減少を意味する。回り回って税収も減り、国にとって良い事は何ひとつない。お金が入らなければパイロットやその家族の消費も減り、経済が悪化してますます税収が減る。そして困窮した人間が増えれば税金を納めない『非国民』が増加する。


 税金を納めているか否かで人の扱いを決める差別主義者、釣鐘つりがねにとって許せない存在が増えてしまう。守るべき国民が減り『非国民』が黒カビのように増えていく。それを想像するだけで耐えられない。


「基地はあなたが息子さんの機嫌を取るためのオモチャ・・・・ではないのです。星天家の方だろうと許されない事があると、いい加減理解してもらえますか?」


 屈辱で歯を軋ませる火山に釣鐘つりがねは何の興味も無い。人間社会においてはどれだけ力のある一族の出であろうと、本物の神の如き『Fever!!』には敵わない。彼らの愚かな我儘で人類を破滅に追いやられては困るのだ。


 そして彼ら一族の愚行を止めるほどの権限が釣鐘つりがねにはある。『Fever!!』法という、宇宙でもっとも巨大な存在から守られた『どんな権力者でも逆らえない法』の後ろ盾が。


「警告は一度だけです。どうしてもを飼いたいなら自宅で飼ってください」


 用は済んだと立ち上がった釣鐘つりがねは、接客用のソファーに座ったままの火山を見ることなく部下を待たせている廊下へと向かう。


 長官室の扉が閉まる間際に扉へカップを叩きつけた音が耳に届いたが、一張羅のスーツに中身は掛からなかったので何の興味も湧かなかった。


「そちらはどうでしたか?」


 廊下で規律正しく待っていた部下たちのまとめ役とも言える男に目線を向けると、彼は難しい顔をして一足遅かった事を告げた。


「身内の庇いだてはあの血筋の悪癖ですね。分かりました。もう見つからないでしょうし―――残念ですが! あの長官の親戚の! 何者かに逃がされた犯罪者は諦めましょう!」


 周囲に基地の人間もいる中で、釣鐘つりがねはことさら大声で『長官の親戚の犯罪者』『逃がされた』事を強調する。


 長官とその親類たちは、自分たちが良家の出であるというだけの理由で身内の犯罪者を逃がしたのだ。このくらいの意趣返しくらいはいいだろう。


 S関連の部品をよりにもよってスラムの犯罪組織まがいの連中に、それも少なくない量を流していた整備士の話はすでに民間にも広まっている。火消しが間に合わないと判断した火山は整備士の身元だけは伏せて、男を拘留した後はひたすら沈黙していた。


 その基地で拘留しているはずの男が消えた。基地からの申告が無かったこの犯罪者の話を掴んだ釣鐘つりがねは、細々とした妨害工作を受けながらも拘束する手筈を整えていた。


 ―――という情報を流した。


 その妨害を辿って、どんなルートでどんな人物にかのの息が掛かっているか突き止めるために。あえて情報を流しつつノロノロと準備をしていたのだ。


 できればダシに使った犯罪者も取り締まりたかったが、裏の目的は果たしたので成果は大と言っていいだろう。


「よ、よいのですか?」


「良いか悪いかで言えば、まあ良くはありませんがね。期待される成果以上の労力を払ってまで身柄を確保する必要は無いんですよ」


 捕まえていたのを黙っていたのも逃がしたのも基地であり、S・国内対策課ではない。また犯罪は既に事実として周知されており、隠蔽し切れずに『何処の誰か』もおおよそ広まっている。


 恥をかくのは長官の火山とその親類たちだ。自分たちではない。


 加えてヤツ自身はもうS関連の品を持っている訳でもない。手元にあるのはせいぜい親類の用意した潜伏資金くらい。スラムの犯罪組織対策は別の部署が主導であり、自分たちは協力側で本腰いれて動くものでもない。


 つまりS・国内対策課で汗水垂らして捕らえる意味など無いのだ。


(用済みですし、どこかで事故なり病気なり、さっさと野たれ死んでくれれば面倒が無いんですがねぇ)


 あるいは身元が割れなければ誰かに殺されてもいいだろう。


 整備士の素性が世間に大きく知られたら、また親類がコソコソ隠蔽に走り出すに違いないのだ。もうルートは特定したのでこれ以上泳がせる気はなかった。


 そこそこの大金を持っているであろうし、殺し込みの物取りにでも遭遇してくれればいい。路地裏で死んでいればそのうち死体は消える・・・のだから。どこかで生きていると思っていれば愚物たちもあえて探さないだろう。


(おや、あれは……)


 陽気に談笑する仲間たちと連れ立って、その中心を歩く少女を見かけた釣鐘つりがねは眩しい光景を見た気分で目を細めた。


 彼女のような優秀な国民が最高のコンディションで戦えるよう、自分たちも頑張らねばならないのだ。

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