05_旅立つ日のために

01_異世界からの逃亡者

 まだ陽が高い時間だが、鬱蒼とした木々に遮られ、辺りは薄暗い。

 未舗装の道を無理矢理パトカーで分け入ったが、これ以上は進めなさそうだ。

 パトカーを降り、道すら無い森の奥へと踏み入る。

 無線が聞こえ難くなってきた。パトカーが中継しているものの、流石に電波が届かない。

 最悪途切れても問題無いだろう。今のところ無線はこの場所と被疑者の名を繰り返すだけだ。

 すぐに捜索隊が編成されるだろうが、その前に見付けて連れ帰らねばならない。これは自分のヤマなのだ。

 木々の騒めき。鳥の囀り。それらは止むこと無く聞こえているのだが、何故か静かに感じる。息を殺している時に無線が入る際のノイズは心臓に悪い。


「……ザッ……ザザ……被疑者氏名……ザッ……飯田……五郎――」


 最後に捕らえるべき男の名を告げ、無線は沈黙した。




 入ったことなどない森で、既に方向感覚を失って久しい。

 ただ一つ標となるのは、微かに聞こえるサイレンの音。

 サイレンが聞こえた方向と逆に進む。しばらくそうしていたが、もう随分とサイレンが聞こえない。木々に反響したサイレンがどっちで鳴っているかなど正確には分からないが、運良く道路から離れられた証拠だろう。

 ここからが大変だ。今度は森の中を徒歩で捜しに来る筈だから。周りの物音に一層気を付けねばならない。そういうこそこそとしたのは苦手なのだが。

 とにかくまだ距離は稼げている。

 包囲される前に逃げなくてはならない。

 遠くへ。早く、遠くへ――



「起きろ、ゴロー」


「――ッ!?」


 意識が急浮上する。無理矢理覚醒させられた脳は、まだ入ってくる筈の無い五感からの情報に混乱し、筋肉へ滅茶苦茶な信号を送ってしまう。

 跳ねるような痙攣と共に、ゴローは目を覚ました。


「……なんだ、今の……?」


 身体を覚醒状態に移行させるため、心臓が早鐘を打つ。急な血流を賄うための酸素が足りず息が上がる。


「お、おはよ、ゴロー……」


「……エシュカ……? お前……」


 肩で息をしながら、目だけベッドの脇に立つエシュカに向ける。


「もしかしたら、命令すれば起こせるかなーって思って……でも、だいぶヤバそうだね……」


 エシュカの視線を追って、ゴローも自分の左肩を見る。

 服の下だが、そこに刻まれているのは隷属呪印。つまり魔術的な奴隷の印だ。

 ゴローが冒険者になれなかった際に、機体性能を鑑みれば冒険者登録試験に受かるのが確実なエシュカと国外に同行できるよう、保険として結んだ主従契約の証である。


「……ああ……これ……迂闊にやると、マジで死ぬぞ……」


 いつものゴローならブチ切れるところだが、現状から更に血圧を上げたら血管がもたないと身体が判断したのだろう。優秀な防衛本能のおかげでゴローは冷静さを保つことができた。


「それはごめん。もう使わない。けどあんたが寝坊するのが悪いんだからね?」


 今日は約束の時間を過ぎてもなかなかゴローが来ないため、ゴローが借りてる宿屋に乗り込んだのだった。

 エシュカとしてもゴローが妙な気を起こさない限り奴隷扱いする気は無かったのだが、人を待たせて眠りこけている様を見たら、ついカチンときてしまったのだ。

 オードン戦でゴローの意識を取り戻した時と同じように目を覚ますと思っての命令だったのだが、エシュカは苛立ちで身体が起きているか眠っているかの違いを見落としていた。


「寝坊って……そっか、報酬か……」


 あの日から、クラウスが欲しいと言っていた三日が経過した。既に報酬の準備が整っている筈だ。


「そっかじゃないわよ。早く準備してよね」


 ゴローを急かしてエシュカは部屋を出た。

 先程のショックにより急激に抱えた怠さを乗り越え、ゴローはなんとかベッドを降りる。

 部屋に備え付けてあった安っぽい寝間着を脱ぐと、壁に掛けられた鑑に左肩が写っているのに気付く。正確には左肩に捺された印だ。


「…………」


 ぼけっと隷属呪印を眺めていると、ようやく頭のギアが噛み合い始め、少しずつ思考力を取り戻していく。


(保険……保険?)


 既にゴローとエシュカが冒険者になってから何日も経っている。

 エシュカが隠していた保険のもう一つの意味、ゴローが魔王になろうとしている可能性についても疑いは晴れている。

 全ての不安要素が取り払われ、もうゴローが奴隷である必要が無いと判明したことで、新たな疑問が見えてきた。


「これ、消せるのか……?」


 冒険者としての初仕事の日、吠狼蜘蛛ハウルカルダインに刺された傷を嘘のように治してしまった回復薬だったが、この焼印は消えなかった。

 魔術的な何かが作用しているのだろうが、そうなるとゴローにはお手上げだ。


「まぁ奴隷なんて、辞めますっつって簡単に辞められるもんじゃねぇだろうしな……」


 市販の回復薬で印が消えては、奴隷というシステムが破綻する。

 やはり主となる者が契約を破棄せねば、印を消す云々の話には進めないのだろう。

 そう結論付けて、着替え終えたゴローは宿屋を出た。



 国の中心にあるイベルタリア王城とその周りの貴族街、そこから東西南北四方に向けて犬闘機の部隊が展開することを想定した道幅の主要道路が平民街を四つに分ける。各主要道路は貴族街外縁を一周する形で繋がっており、人、物問わず引っ切り無しに行き来し賑わっている。

 主要道路沿いの宿などは当然値が張るため、地下闘技場から助け出されて以来、ゴローが寝泊まりしているのは主要道路からかなり外れた場所にある安宿だ。


「ちょっとガレージ寄ってくから」


 国の南西部にある、馬車もろくに通らない安宿の前から東の主要道路沿いの冒険者ギルドまで歩いて行けば、それだけで数時間かかる。

 エシュカのガレージは西の主要道路沿いにあるためそこからの交通手段は豊富だ。


「わざわざガレージまで行かなくても、普通に大通りに出ればいいだろ?」


「あんたが盛大に寝坊するから、追加で指示しに行くの!」


 現在エシュカのガレージではイベルタリア王国軍再建のため、平民街西門でのオードン率いるモンスター群との戦いで比較的損傷が軽かった機体の修理を受け持っている。

 今こうしている間にもガレージでは二十二体の騒々人形ポルトマタが作業を行っているのだが、彼等は犬闘機の構造など知らないため、工程ごとにエシュカが指示を出さねばならないのだ。

 自分の所為とあってはゴローにそれ以上の反論は無い。

 ゴローは道中で朝食を調達しつつガレージに向かって歩く。


「あんた朝から良くそれいく気になるわね……」


 開いた手より一回り大きいブール|(丸型のフランスパン)のような硬いパンに切れ目を入れて、厚みのある肉を一枚挟んだだけのシンプルなサンドイッチと歩きながら格闘するゴローを見て、エシュカは呆れたように息を漏らす。

 このパンは生地がかなり硬く、挟まっている肉もまた硬いため満腹中枢を刺激され易い。大きさもあり、半分も食べれば飽きてしまう代物だった。

 パン生地も肉も味に癖があり、決して調和しているとは言えないのだが、兎角そういった原材料は安い。故にその販売価格も安く、パンと肉もボリュームだけ見れば文句なく、金の無い低ランク冒険者などがよく食べているのを見かける。

 当然彼等も好き好んでこれを買う訳ではないのだが、ゴローは割と気に入っていた。


「俺はこういう! 歯応えのあるやつが! 好きでね!」


 ゴローは首まで使ってようやくパンを噛み千切りながら答えた。


「あんたそれ、何の肉か知ってるの?」


 エシュカも平民街に来たばかりの頃に食べてみたが、それまで一等貴族のお嬢様だった彼女の口には合わなかった。その時に「これは不味い」とレッテル貼りをして興味の対象から外していたため、その肉が何なのかエシュカも知らないでいた。


「店のおっちゃんがモンスターの肉だっつってたけど、何のモンスターかは知らね」


「うぇ、やっぱそうなんだ……」


 肉の臭みから肉食の動物だとは思っていたが、エシュカが平民街で暮らす数年間、これと同質の肉に出会うことは無かった。消去法で薄々感付いていたことではあったが、改めて明確にされると改めて嫌悪感が沸いてくる。

 モンスターである以上、誰が喰われていてもおかしくないのだ。


「ってことはだ! こいつを食うってことは、このモンスターに喰われた誰かの敵討ちに参加できたってことだ! これもおっちゃんの受け売りだけどな。俺はその考え方が気に入った!」


「えぇ……。あんた、この二か月で随分馴染んだわね……」


「まあな! 郷に入っては郷に従えって奴だ」


 ゴローはモンスターの肉に齧り付く。


(しばらく帰るつもりもねぇしな。逃げた俺が見付からなければ、別方面からの捜査に切り替わるだろ)


 硬い肉を食い千切る。

 独特の臭みが世界の違いを強調し、追われる身だったゴローに安心感を齎した。

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