16_飼い犬

 それは、一か月ほど前。


「保険?」


「そ。あんたが冒険者になれなかった時の、ね」


 犬闘機起動の訓練をしていたゴローに、エシュカが一つの提案を持ち掛けた。


「いらねぇよ。もう魔力ってのも掴めたし、大丈夫だ」


「よく言うわよ。まだ起動もできてないくせに」


「ぐ……」


「動かすだけじゃないんだからね。負けたら次は一年後だし、あたしもそこまで面倒見きれないよ」


 一年待つのも御免だが、人間の立場が弱過ぎるこの世界で後ろ盾無しに一年も生活できる気がしなかった。


(これ以上返す当てがねぇ借りは、作りたくねぇんだがな……)


 だが、ゴローがメタルバウトに優勝できなかった場合、エシュカは完全に無駄骨だ。

 エシュカの厚意を無駄にしないために、更なる厚意を受けることにした。


「……分かった。で、保険って何すんだ?」


「契約よ」


「契約? 何のだよ?」


「あたしが冒険者の仕事で国外に出る時、あんたを同行できるようにする契約」


(あれなら、もしもこいつが魔王になろうとした時に手綱にできる筈……)


 契約のもう一つの目的を隠しながら、エシュカはゴローを連れ出した。




 『潜在魅了レイテントチャーム』がゴローの意識を喰い尽くす。


「さあ、出て来い」


 オードンに言われるがままにゴローはコックピットから這い出る。

 その目には紫色に揺らめく炎のような光が灯っていた。


「さて。次は貴様だ、小娘」


 振り返り、柱で何やら作業していたエシュカに向けて宣告するオードン。

 応えるように、エシュカの犬闘機が起動する。


「丁度、こっちも終わったところ」


 エシュカ機がオードンに向き直ると同時に、転送装置を行き交う光が赤く変色した。そして光の速度が上がる。


「ククク、なるほど。貴様だけ逃げようという腹か」


 その装置の変化を、オードンは良く知っている。転送先と繋がり、準備が整った証だ。


「その醜さ、嫌いではないぞ。貴様の薄情さに免じて見逃してやる」


「ありがと。二度とあんたの顔、見たくなかったの」


「言わせておけば!」


 オードンの言葉など聞かず、エシュカは大きく息を吸う。


「目を覚ませぇ!! ゴロおおぉーっ!!」


「ハハッ、何を無駄な――」



 不意に後ろから聞こえた声に。

 聞こえるはずのない声に。

 オードンは狼狽し、強ばる身体を無理矢理振り向かせる。

 そこには紫色の眼光を振り解き、怒りごと、魔力ごと、硬く握った拳を振りかぶる男がいた。


「ば――!?」


 馬鹿な。何故。どうやって。

 浮かぶ言葉は数あれど、口を吐くは息ばかり。

 結局何も言えぬまま、男の拳が顎を砕く。


「『逆流バックフロー』!!」


 魔力の奔流と共に振り抜いた拳が、オードンを転送陣へと吹き飛ばした。

 オードンの身体に自由が戻った時には既に取り返しがつかなかった。


「し、しまっ――!」


 転送陣の外へ出ようとするが、薄く赤く揺らめく光の壁に遮られ、そこから先へ行けないでいる。

 転送装置には転送中の事故防止のため、転送プロセスが始まると転送陣に出入りできないようにシールドを張る安全装置が付いている。

 転送対象と認識されたオードンは転送陣に閉じ込められたのだった。


「装置を止めろゴロー! くそ、『タイムアップ』! 『タイムアップ』だ!!」


 取り乱し、光の壁を叩きながらゴローに命令を下すオードン。即時転送のキーワードも、既に転送シークエンスに入っている装置には割り込めない。

 勢い余って犬闘機から落ちたゴローをエシュカ機が救い上げ、光の壁越しにオードンの目の前に下ろす。


「悪ィが俺の世界にゃ、追加時間アディショナルタイムってもんがあってな!」


 壁を挟んで向かい合うゴローは、オードンの命令に平然と逆らった。


「あ、有り得ん……人間が私の『潜在魅了レイテントチャーム』を解くなど……」


「そりゃ多分、この『保険』のおかげだな!」


 ゴローは左肩が見えるまで、袖を捲り上げる。


「ほ――そ、それは!?」


 そこには、幾何学模様の焼印が捺されていた。


「隷属呪印!!」


「らしいな。おかげで俺は知らねぇ内にこいつの奴隷だとよ」


「立場上だけよ。奴隷なら国外でも連れ歩けるからね」


「とにかく、合意してねぇが合意の上で契約された呪縛だ。てめぇの一方的な術が入る余地は無かったってこった」


「お、おのれ……!!」


 赤い光が輝度を増し、白色に見えてくる。


「あばよド畜生! 二度とそのツラ見せんじゃねーぞ!!」


「おのれええぇッ!!」



 転送陣を埋め尽くす白い光がオードンを飲み込み、消えた。



「…………」


 光が消えると、転送陣には誰も、何も、残っていなかった。


「……終わったね」


 答えられず、ゴローは仰向けに倒れ込む。

 喧嘩に明け暮れていたとは言え、平和な時代を生きてきたゴローはもう、体力と気力の限界だった。


「ちょっと、ゴロー!?」


 犬闘機を停止させ、ゴローの元へ駆け寄るエシュカだったが、自分の回復薬をメルアに渡していたことに気付いた。

 急いでゴロー機のコックピットを探して回復薬を見つけたエシュカは、ゴローの口に無理矢理回復薬を流し込む。

 唐突に口腔内を満たした液体が気道を塞ぎ、ゴローは咳込みながら目を覚ました。


「あ、起きた?」


「がぼっほ! てめっ! 何しやが……ってお前それ、回復薬じゃねぇか!」


 勿体ないと思いながら自分の懐に手を入れるゴロー。だが、自分の分が自分に使われているならば抗議する理由がないと思い至り、強張った顔の腱を解す。

 その指先が、瓶に触れた。


「おい……それ、どこから?」


「あんたのコックピット」


 ゴローはコックピットに回復薬を備えた覚えはない。彼が把握しているのは、今懐にある一本だけだ。


「……馬鹿だな、ここにあんのに」


「何よ、その言い方。折角予備置いといたのに」


「俺が知らなきゃ意味ねーだろ……ま、いいさ!」


 ゴローは反動をつけて一息に立ち上がる。


「とにかく助かったぜ。ありがとな」


「うん」


「ところで、転送装置こいつぶっ壊さねえと野郎戻ってくるんじゃねえのか?」


「それなんだけど……」


 エシュカが転送陣に視線を移す。オードンの転送が終わった後、それまで転送陣と柱を行き来していた装置の光が消えていた。


「なんか装置の魔力が切れたみたい。さっきのもあたしの魔力ほとんど使ってようやく飛ばせたんだ」


「じゃあ壊すこともねぇか。そしたら最後に一つだけ……」


「何するの?」


「墓、建ててやろうぜ」


「……そうだね」


 この部屋に辿り着いた時、助けられなかった翠玉の瞳を思い出す。

 彼女が散った光は、今も部屋中に滞留している。その明るさのおかげでゴローはオードンの攻撃を捌き切れたのだ。

 散らばっていた光は、役目を終えたかのように動き出し、ゴローとエシュカの犬闘機のコックピット内へと流れ込む。


「な、なに!?」


 見守ることしかできない二人。コックピットからはそれぞれ十一体ずつ、計二十二体全ての騒々人形ポルトマタが光を纏って飛び出した。

 そしてゴロー機のコックピットから小さな人影が這い出る。


「……嘘」


 誰もいない筈のコックピットから現れた少女は騒々人形と同じように浮遊すると、二人の目の前に降り立った。

 翠玉の双眸を携えて。

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