10_先祖返り
『
犬闘機の購入を検討した者でなければ、存在さえ知らない。知っていても、目の前の犬闘機に搭載されていようなどとは思わない代物だ。
(何だ……? ただの継ぎ接ぎではないな。だが!)
ゴロー機の頭の高さまで跳ね上がったオードンは、未知の犬闘機を視界の中心に定める。
既に追撃の左拳がオードンに向け放たれているが、それは両手を組んで叩き落とした。
「やっぱ真正面からじゃ通用しねぇか! なら!!」
ゴローは拳を払われた動作を止めぬまま、バランスを崩したことによる回転を副脚に乗せ、殴りかかる。
腰から伸びた拳の更なる追撃を前に、余裕の表情を見せるオードン。
「所詮『
その一瞬、オードンの思考からクラウスとメルアが消えていた。
「視野が狭いぞ」
衝撃と共にオードンの腹部が弾け跳ぶ。
「クラウス……!!」
オードンの意識が逸れた一瞬で、クラウスが背後から圧縮した空気の刃を放出し、腹部をくり抜いたのだった。
流石のオードンも着地する力も無く地に倒れ伏す。
「ここまでですね」
メルアの言葉が終わると同時に、地面から氷柱が生えた。
氷柱はまるでオードンを縫いつけるように、腹部の穴を通って聳え立つ。
「だ、大丈夫なのか? 死ぬんじゃねぇか、こいつ?」
人間であれば即死の重傷だろう。ゴローも見慣れたものではないが、野戦病院での経験と犬闘機の視点の高さが、その傷の直視を許した。
「それはそうだ。殺すつもりだった」
静かに、オードンの脇に降り立つクラウス。
「そりゃマズいんじゃねえか? なんか色々吐かせないと……」
「このくらいやらねば無力化出来ないのだよ。この男の魔法が厄介なのは理解しているだろう?」
ゴローの抗議に取り合わず、エシュカ機のコンテナカーゴから頭部拘束具を取り出すクラウス。
視界を塞ぐ形のそれを、オードンの頭に装着した。
「でもよ――」
「何を、終わった気でいる? クラウス……!」
既に意識などないと思われていたオードンが、突然掠れた声を上げる。
「――ッ!?」
全員が驚いて視線をオードンに向ける。取り分けクラウスの対応は早く、オードンを見るのと同時に魔法を編んだ。
しかし。
「『
西門からの離脱に使った転送魔法を起動するキーワードが発せられ、オードンの身体が光となって消える。
クラウスの魔法は何もない地面を削り、作戦は失敗。戦いは振出しに戻る。
――筈だった。
「…………」
「……なんも起こらねぇぞ?」
あまり間を開けず、気が短いゴローが最初に口を開ける。
キーワードが同じだけで同じ魔法とは限らないと、編んだ魔法を保持したまま警戒を続けるクラウスだが、オードンの身体には何の変化も無く、辺りに変わった様子も無い。
「何をしたのですか?」
「…………」
転送魔法どころか、何の兆候も見られない不気味さを、張本人に確かめようとするメルア。
荒くも弱々しい呼吸を繰り返すオードンは、何も答えようとしない。
静かに、手だけが動く。
質問に答えようとしているのかもしれないと、その場の全員がオードンの行動を見守った。
ゆっくりと手を動かし、自身の胸の上に持って行くのを、ただ黙って
「
小さく、素早く、ハッキリと、オードンは告げた。
それは、
対象の潜在意識に働きかける『潜在魅了』を細胞単位に行使することで、細胞の奥深くに記録された遺伝情報を強引に目覚めさせて表出させる荒業である。
そんな術を自分にかけたオードンの身体に、今度こそ変化が起こる。
「させん!!」
オードンの変化を待たずして、クラウスが待機させていた魔法を放つ。
次の瞬間、頭を狙った真空の刃は地面を切り裂いた。
オードンの身体は氷柱から身体が抜ける高さまで跳ねるように上昇していた。
その背には、今の今まで存在しなかった漆黒の翼膜が広がって。
人型を保ったまま、筋肉は膨張し、爪は鋭く硬く、犬歯は牙と呼べるほど伸びる。
頭部拘束具を易々と引き千切ると、初老を迎えていた筈の外見はいつの間にか若返り、まるで別人のようだ。
最早、腹に開いた大穴でしか、この男がオードンであると判断できないのではなかろうか。
「く、何がどうなっている!?」
悪態を吐きつつ風の階段を駆け上がるクラウスと、それとは別のルートに大気中の水分を凍結させて足場を作り駆け上がるメルア。
空中で、三人の猛者が交わる。
ゴローとエシュカは見上げることしか出来ない。
いくら『多重回路』で機体性能が上がったゴロー機でも、三人の高さには届かないのだ。
「〜〜〜〜! おいエシュカ! なんで
「ちょ、何よいきなり!? ジェットって何!?」
「火ぃ噴いて空飛ぶやつだよ!!」
「空なんか飛べる訳ないでしょバカ!」
「くっそ!」
なんとか戦闘に加わる手段は無いかとゴローが辺りを見回すと、メルアが作った氷柱が目に止まった。
登ろうと飛びつくが、氷柱の表面は既に溶け始めており滑り落ちる。
「なぁエシュカ! これ手頃な高さで切れないか?」
「もう、落ち着きなさいよ。冒険者ギルドの監察官って言ったら、一支部のギルド長よりずっと強いの分かってるでしょ? そんなレベルの人が二人もいるんだから、負ける訳な――」
エシュカの言葉を遮るように、二人の間に影が一つ、墜落した。
「メルアさん!?」
落ちてきたのはメルアだった。
全身の至る所に切り傷があり、その周りには氷が付着している。氷で止血していたようだが、落下の衝撃で割れたのだろう、再び出血が始まっていた。
意識はあるが、手足は砂を掻くばかりで立ち上がれないでいる。
エシュカは助けに向かおうと機体を停止させた。
「降りるな! 来るぞ!!」
上を見ていたゴローが外部スピーカーで呼び掛ける。
ゴローの視線の先では、クラウスとオードンが錐揉みしながら落下していた。
重力加速に互いの力を上乗せし、地面に向かって飛び込んでくる二人。
どちらが下か分からないほど高速で地面に激突し、舞い上がった土煙が落下点を隠す。
「監察官!」
機体を再起動させたエシュカが土煙に近付こうとするのを制するゴロー。
土煙の中で立っているのがオードンなら近付くのは危険であり、クラウスが立っているなら急ぎ近付く必要はないためだ。
慎重に見極めるゴローの前で、風が逆巻き土煙が揺れる。
(……よし!)
クラウスが風を起こし、土煙を払ったのだろう。
と、ゴローが口元を緩めた瞬間、風が強まり土煙は一気に晴れた。
その中心で、黒い翼が羽ばたく。
「そんな……!」
「監察官が、負けた……?」
衝撃で陥没した地面の中心に立つのは、オードンだった。
足元にはクラウスが倒れ伏している。
オードンは生気のない目でゴロー機を一瞥すると、足元に視線を移した。
この状況でオードンがどう動くか。ピンと来たゴローは全力で駆け出す。
『多重回路』の瞬発力は、オードンが片足を上げる間に機体をそこまで運んだ。
「やらせねぇ!」
突っ込む勢いのまま飛び膝蹴りを見舞い、オードンを吹っ飛ばす。
オードンは翼を使って飛ばされながら姿勢を変え、森へ向かい飛行し始める。
その姿が意味するは『逃げ』。
最早余力が無いのだろう、高度を上げられず速度も出せず、ふらふらと森へ逃げ込んだ。
「逃すかよ!!」
何も考えずゴローはオードンを追って森へ入る。
「あ、ゴロー!」
このままゴローを行かせてはどんな無茶をしでかすか分からない。
しかし、クラウス達をそのままにもしておけない。
葛藤の末、エシュカは意識のあるメルアに二本の回復薬を手渡してゴローを追った。
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