06_氷柱の刑
犬闘機が実用化されるまでは、人間が魔力切れを起こすなど有り得なかった。
魔法を使えない人間は日常生活で魔力を消費することができないためだ。
魔力は時間経過で回復するが、街行く人間たちはそんなことを忘れてしまうくらい、常に魔力が満タンなのである。
「ほい、サンキュー! じゃあこれ報酬な!」
役所の前でゴローは若者に硬貨を手渡す。
若者が役所の周りに集まる群衆の中に紛れるのを見送って、ゴローは群衆に呼びかけた。
「集まってくれたとこ悪いが今日はこれで終わりだ! 解散、解散!」
元々突発的なもので、興味本位の人間が多かったためだろう。大多数は素直に散り、群衆と言える集団はすぐに消えた。
「また次の機会に頼むぜ! ありがとな!」
ゴローは通行の邪魔にならないくらい散り散りになったのを確認し、役所内に入る。
役所のロビーには、ヘンドリックと共に職員たちが待ち構えていた。
「ちゃんと解散させたな?」
職員たちが発言する前にヘンドリックが厳しい顔つきでゴローに歩み寄る。
「ああ、全員帰したよ」
「そういうことですんで、どうもご迷惑をおかけしました。てめぇも頭下げろ!」
ヘンドリックは片手でゴローの頭を掴み、無理矢理頭を下げさせる。
「すいませんでした」
「もう勝手にあんな役所の本来の利用者や通行の邪魔になることしないでくださいよ」
二人の態度に溜飲を下げたのか、忠告を残して職員たちは仕事に戻って行った。
「それじゃあ私たちはこれで。本当にすみませんでした」
謝罪しながら役所を出るゴローとヘンドリック。
しばらく俯きながら駐機場に向かい歩みを進めるも、だんだんと歩調が軽くなっていった。
「……っ、くくっ」
「ぶっ――ははっ!」
ついに堪えきれなくなったヘンドリックに釣られてゴローも吹き出す。
周囲から奇異の視線を集めながら、二人はなんとか笑いの氾濫を治めた。
「ま、ざっとこんなもんよ」
「まさか一日でこれほどコピーできるとは、ズルいこと考えたな」
ヘンドリックは小脇に抱えたファイルを掲げる。
中にはあの場所に件の屋敷が建てられてからのデータが新しい順に綴じられている。屋敷が建つ前のデータは不要だと判断して作業を切り上げたため、資料室のものほど厚くはない。
当然個人情報の塊だが、ヘンドリックの立場ゆえか説明の際にクラウスの名前と肩書を出したからか、見咎められることは無かった。
「ズルくなんかないだろ? 人間みんなが余らせてる『魔力を買った』だけだ」
この世界においても一般的な人間の生活は魔力を必要としない。
枯渇するまで使っても日常生活に何ら支障は無いのだ。
コピー機に吸われる魔力量と元のファイルの厚みを見比べて一人では無理だと早々に諦めたゴローは、役所の外を通り掛かる人々に時間と魔力を提供してもらう代わりに金銭を支払うと持ちかけたのだ。
と言ってもおかしなことではない。何せこのコピー機は最新技術の塊であるため非常に高価で平民街には役所のものを含めて計三台しか普及しておらず、一般市民の目に触れること自体が非常に稀なのだ。
更に言えば用途の影響もあるだろう。役所のコピー機の使用用途は精々が持ち込まれた書類数点を担当者が複製するだけなので、今回のように一人の魔力で賄えないほど一度に大量の複製が必要になる機会はまずないのだ。
きっとこの機械がもっと身近な存在になれば、民衆の中から遠からず同じ考えが生まれた筈である。
想定外だったのは魔力提供者たちが初めて見る魔法のような装置に想像以上に興奮し、噂が爆発的に広まったことだ。
おかげで業務や通行を妨害するほどの人だかりになり、怒られてしまったという訳だ。
「さぁ、さっさと持って行って、あいつらをビビらせてやろうぜ」
ファイルを小脇に抱えたまま片手で犬闘機を登っていく様は、ヘンドリックの身体能力の高さを如実に物語っている。
実際のところ、平民街の人間では最強との呼び声も高く、自警団の団長を担っているのは伊達ではない。
この世界で、人間の肉弾戦に限った最強など、何の意味も無いのだが。
平民街で専用の駐機場を持っている施設は大闘技場と冒険者ギルドのみである。
理由は無論、この二つの施設だけは犬闘機で来場する者がいることを前提に造られているからだ。
その他の施設に犬闘機で乗り付ける場合、平民街の各所に設けられた駐機スペースを使うことになる。一つ一つの広さは無いがそれなりに数があり、そもそも犬闘機の数も少ないためいつも空いている。
逆に大闘技場と冒険者ギルドの駐機場は、犬闘機が平民街にもっと普及することを見越してか、広めに作られていた。年中ガラガラなのは変わらないが。
そんな密度の低い駐機場に犬闘機を雑に止め、ゴローとヘンドリックは冒険者ギルドの建物に入る。
受付に話が通っていたので鑑定室まですんなりと入室できた。
「よう! 邪魔するぜ」
解析用の魔法陣を用意していたクラウスとメルアが驚きの顔を向ける。
それもその筈。資料の量とコピーにかかる魔力と時間から、メルアとしては二人が効率良く交代で進めても丸々二日はかかると予想していたのだ。
「ラスティーヤ自警団長! 何故貴方がここに?」
「勿論、経過報告ですとも」
一日の作業進捗を報告しに来たにしてはまだ陽が高い。
それでも実験台に置かれたファイルには十分な厚みがあった。
「まさか、持ち出してきたのではないでしょうね?」
「いくらなんでもそりゃできませんよ」
魔法陣をメルアに任せ、クラウスがファイルを開く。
「ふむ。確かに、これだけ印字した割には君たちの魔力量に余裕があり過ぎる。……なるほど。あの機械はそういう使い方もできるのか」
「コピー機の使い方なんて、一つしかないのでは……?」
平民街に三台のみ存在するコピー機の内、一台はこの冒険者ギルドにある。
職員は使い方を知っているし、メルア自身も使用したことがあるが、『使い方』に幅があるものではなかった。
「そうだな。機械というのは、えてして一つの用途に特化しているものだ。だが、それを動かす魔力は誰のものでもいい、ということだろう? ヘンドリック」
「御明察」
「第三者、赤の他人の魔力を使った……?」
「なに、ヘンドリックも人を使う立場の人間だ。こんなことを思いついてもおかしくはないだろう」
「あ、いや~、実は――」
「そしてその試みは大成功。素晴らしい成果だ。実に面白い。こちらも気合が入るというものだ」
「――でしょう!?」
「『でしょう!?』じゃねぇ」
クラウスが当然のようにヘンドリックの発案だと勘違いしたのを訂正しようとしたものの乗せられてしまったヘンドリックは、説明するのが面倒で後ろに控えていたゴローに背中を蹴りつけられる。
「黙って聞いてりゃ、なに自分の手柄にしようとしてんだ!」
「いいじゃねぇかちょっとくらい」
「それで全部だろうが!」
「魔力を金で買うアイディアは言ってねぇだろ」
「あれはただの労働の対価だ! それこそあんたが団員に給料払うのと変わんねーよ!」
「そう言われると……なんだ、簡単なことに気付かなかったもんだなぁ」
「つまり、全部ゴローさんのおかげということですね?」
「ヒィッ!」
メルアの言葉でヘンドリックの背筋が物理的に凍り付く。
振り返った先にある、細く細く研ぎ澄まされたその笑みは、触れれば切れる刃物の如し。
「は……はい……」
強制的に背筋を伸ばされたヘンドリックは冷たさと恐ろしさに歯を鳴らしながら肯定した。
「……
「はあ!? こんなことでそれ使――やめろ! 下ろせ!」
メルアが呟くと、ヘンドリックの背中の氷がひとりでに天井に向かって伸び、天井に張り付くと今度はヘンドリックを持ち上げる。
氷は更に成長し最終的な見た目は、氷柱にヘンドリックが磔にされているような図になった。
「許して! これ後頭部マジで禿げるんだよ! 勘弁してくれぇ!!」
「経験済みなのか……」
ヘンドリックに憐みの目を向けながら、ゴローはメルアには逆らうまいと心に誓ったのだった。
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