03_齟齬

 メルアのノックに対し、部屋の主が入室許可を出す。

 扉を開け、入室したメルアに続き、ゴローとエシュカも部屋へと足を踏み入れた。

 部屋の奥の執務机には、窓を背に椅子に腰掛ける人影が一つ。

 しかしそれは明らかにクラウスではない。

 そもそもが女性である。硬そうな髪質の蒼髪を後ろに流し、髪より明るい碧眼を鋭く携えている。

 鳩尾で途切れたクロップド丈のジャケットは、胸元で左右を三本のチェーンが繋ぐ。しかしそのチェーンはデザイン重視で、片方の端の鋲はホックになっており簡単に外せるようだ。

 ジャケットの下にはボタンの左右の縦ラインに控えめなフリルが付いた白いシャツ。ジャケットとスカートは同じ黒地で統一されており、アクセントに赤いラインが引かれている。


 だがそんな外見的特徴が霞むほど、頭部に生えた枝角が強烈に別人だと主張していた。


「ようこそ」


 クラウスは手前の応接用ソファーに身を沈め、ゴロー達に歓迎の言葉を贈る。


「監察官。私の部屋です」


「いいじゃないか。私の客だ。それより君も歓迎したまえ。数年ぶりの人間の冒険者だ。君が赴任してからは初めての、かな?」


「……そうですね。まぁまずは座ってくれ。話はそれからだ」


 枝角の女性に促され、クラウスの隣にメルア、そして向かい合うソファーにゴローとエシュカが座る。


「さて、まずははじめまして。私がこの冒険者ギルド、イベルタリア支部を預かる、ギルド長のコートミュー・ラッセルだ」


「あたしは――」


「大丈夫だ。君たちのことは知っている」


 枝角の女性、コートミューは自己紹介しようと立ち上がるエシュカを制する。


「なら早速本題に入ろうか。ラッセル君」


「はい」


 コートミューは引き出しからガラスケースを取り出し、執務机の前まで来たクラウスに手渡す。クラウスはそのままソファーに戻ると、ガラスケースをテーブルに置いた。

 ガラスケースの中には腕輪と砕けた紫色の宝石が入っている。


「これは?」


「赤鬼が乱入したメタルバウト決勝の日、逮捕した地下闘技場のオーナーが所持していた物だ」


「ああ、あいつか。って、所有者も分かってるのか……俺は割ってねぇぞ? 初めて見た」


 ゴローは冤罪を恐れて的外れな予防線を張りだした。


「それは分かっているさ。割れたのは回収して、解析している最中だったからね」


「解析?」


「ああ。この宝石に付与されていた魔法のね」


 宝石と魔法。ゴローの中に、一つの疑問が浮かんだ。


「……? おい、エシュカ。魔法って魔力が無きゃ使えないんだろ?」


「うん」


「けど魔力は無機物を通らないんじゃなかったのか?」


(げ……もうちょっと魔法について教えとくべきだったか……どうしよう?)


 ゴローが元居た世界には魔法が無い。そのためこの世界では魔法が使えない人間でも知っている基礎中の基礎すら知り得ないのだ。

 質問は既に口から出た。三人の視線が集まる。怪しまれているだろう。取り繕うしかない。

 しかしこの部屋にいる三人の実力は恐らくイベルタリア全体で見てもトップスリーだ。それは戦闘力だけの話ではない。世界を見聞きし、渡ってきた者達なのだ。

 今、ゴローがこの国の外から来たと話しても何かしらのボロが出るだろう。この国しか知らないエシュカが気付けないボロが。


「そうだよ。それで合ってる。あんたはまだ魔力と魔法の違いを知らないだけなの」


 『常識』とは『全員が知っていること』ではない。

 三人を欺くのを早々に諦めたエシュカは、『知らないこと』がさも当然であるかのように振舞った。まるでこの街の人間には良くあることのように。


「例えば、お湯を沸かすには火が必要でしょ? そしてその火を燃やすには薪とか炭とか、燃料が必要。これを魔力と魔法の関係に置き換えると、魔力は燃料。で、魔法は水をお湯に変える熱、みたいな感じ。ここまではイメージできる?」


「分かった」


「本当に?」


「……ようは水の中じゃ火は点かねぇってことだろ? この宝石も、石の中で火は焚けないが、外から炙れば熱くなる」


「そうだけど、あんたどうしたの? 熱あったりしない?」


「ねぇよ!」


 今にも喧嘩に発展しそうな二人の間に、クラウスの拍手が割り込んだ。


「いや、見事! なるほど、魔法をそう例えるか」


「人間ならではですね。興味深い文化です」


 監察官たちが魔法が使えない人間との観点の違いに沸くのを見て、コートミューは脱線の危険を感じ、話の軌道を修正する。


「理解できたのなら、話を続けるぞ。問題はこの宝石に掛けられていた魔法が、我々でも解析に数日要するほど高度なものだったことだ」


「つまり、あいつ程度が使えるような魔法じゃない、と?」


「その通り。間違いなく他の誰かが仕込んだものだ」


「へぇ、まだ口割らねぇなんて根性あるじゃねぇか」


 何故か嬉しそうに口元を歪めるゴローに、クラウスは事実を突き付ける。


「死んだよ」


「……そうか。まぁ、同情はしねぇがな」


 ゴローは真顔に戻り、目を伏せ深く息を吐くと、今度はゆっくり腕を組み、背もたれに身を預けて天井を仰ぎ見た。

 そうして気持ちを切り替えたゴローは、再び正面に向き直る。


「で? あんた達みたいなすげぇ面子が揃ってるってのに、今更なんで俺等が呼ばれたんだ?」


「今更ではない。今だから呼べたんだ」


「本来なら当事者である貴方たちには最初から同席を求めるものですが、得体の知れない魔法の前に耐性の無い人間を晒す訳にはいきませんでした」


「そういうことだ。だから解析が進んで、君たちの安全を確保できる段階になったら呼ぶつもりだったんだけど、結果は御覧の通り魔法そのものが無くなってしまった」


「同時に危険も無くなった訳ですね」


「だから今、か」


「ああ。それでこの宝石に付与されていた魔法なんだがね。大別して精神支配系だったことは分かっているんだ。ゴロー君には心当たりがあるだろう?」


「……精神支配? ああ――」


 ゴローは一つ思い至ったが、口を開く前にエシュカに目配せする。

 それに気付いたエシュカは、小さく頷いて返す。

 二人の意思は合致した。ここにいる者に隠す必要はない。


「そう――」


騒々人形ポルトマタ

赤おバッドオー……何だって?」


「ん? 俺、騒々人形のこと話したっけ?」


 この食い違いは完全にクラウスの想定外だった。

 クラウスはヘンドリックから赤鬼がゴローを執拗に狙っていたという報告を受けており、実際に押収した腕輪に精神支配用の魔法が付与されていたことから、地下闘技場のオーナーが赤鬼を操ってゴローにけしかけたという推論を立てていた。

 推論そのものは正しい。事実である。だが、あの経験を押しのけて先に思い当たるような記憶をゴローが持っているなどとは考えもしなかった。


「いや……いやいや、知らない。ポルト、マタ? 何だそれは?」


 『騒々人形ポルトマタ』はエシュカの造語だ。知っている訳がない。

 不意を打つ形で現れた新たな情報に、普段なかなか余裕の表情を崩さないクラウスも驚きを隠せない。

 だがその衝撃は、ゴローの次の一言をもってようやくピークを迎える。


「あいつらは、精霊って言ってた」


「精霊だと!?」


 クラウスは立ち上がらんばかりに身を乗り出す。

 それどころかコートミューは完全に立ち上がっていた。その勢いで倒れた椅子は、背後の窓に当たるまで転がっていった。

 その容姿が氷を思わせるメルアに至っては文字通りフリーズしている。しかし最初に我を取り戻したのも彼女だった。


「詳しく、話を聞く必要がありそうですね」


「ほら、呼んで良かっただろう?」


 人間に魔法のことが分かる訳がない、とゴロー達の同席に否定的だったコートミューに向けてクラウスが勝ち誇る。が、その声からはまだ動揺が抜けきっていなかった。


「声が震えていますよ、監察官」


 窓辺まで椅子を拾いに行ったコートミューは、距離が離れた分声量を上げて指摘する。

 自分は声の震えを抑え込めたことに小さな満足感を得つつ、平静を装いながら椅子を抱えようと屈むが――


「――あうっ」


 窓に角をぶつけ、虚勢は水泡に帰した。

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