10_吠狼蜘蛛

 深緑の体毛に混ざる白銀が、陽光に晒される端から輝き、流れる。


「ハウル……なんだって?」


「『吠狼蜘蛛ハウルカルダイン』。とりあえず赤鬼バッドオーガと同じくらいヤバい奴。遠距離攻撃は無いから距離取れって書いてあった!」


「ナイスな情報だ。遠距離攻撃はこっちにも無いけどな」


 少しずつ、少しずつ摺り足で距離を取るゴロー。

 あの開けた群生地で襲ってこなかった慎重なモンスターだ。

 森から離れれば深追いしてくることはないだろう。


「あと毛皮と鉤爪が特に高い」


「……ナイスな情報だ」


 少しずつ、少しずつ摺り足で距離を詰めるゴロー。

 間合いを測りながら、吠狼蜘蛛を中心に円を描くように回り込もうとする。


「エシュカ、森と奴の間に入れ」


「オッケー」


 このままでは挟み撃ちにされかねないと思った吠狼蜘蛛は森へ戻ろうとする筈だ。

 しかし行く手には、ひと際デカくて両手に刃物を付けた邪魔者が立ち塞がる。


(なら、弱そうなこっちを先に倒して挟み撃ちの形を崩そうとするよな?)


 吠狼蜘蛛が頭をゴローの方へ向けた。


「――速ッ!?」


 先に動いたのは吠狼蜘蛛。後脚と尻尾の三本で地面を蹴り、低く跳躍し突進を仕掛ける。

 その速度は凄まじく、目を凝らしていたゴローでも一歩を踏み出すことすらままならない筈だった。


「っらあ!!」


 咄嗟に踏み出した一歩で吠狼蜘蛛の更に下に潜り込み、吠狼蜘蛛の身体にアッパーを打ち込む。

 相対速度が速すぎて顔面を狙ったものが胴体に当たってしまったのだが、カウンターで入った一撃は吠狼蜘蛛の身体を浮かせ、吠狼蜘蛛の前脚による攻撃は空を切る。


(追い……付いたっ!!)


 修理と共に行ったエシュカの調整で反応速度が上がったこの機体なら、と信じて強気に攻めたのが功を奏したようだ。

 などと安堵する間もなく、吠狼蜘蛛は咄嗟に尻尾の鉤爪を地面に食い込ませ、吹き飛ぶ勢いを殺してゴローの目の前に着地した。


「そんなん、アリかよ!?」


 更に着地の反動をバネに、間髪入れずゴローに向かって飛び掛かる。

 ゴローは踏み込んだ足を軸に回し蹴りを放つ。

 距離が近すぎてダメージには期待できなかったが、今度こそ吠狼蜘蛛は宙に舞った。


「ここだ!!」


 吠狼蜘蛛が着地しないうちに、今度はゴローから間合いを詰める。


(パワーも、打たれ強さも赤鬼の方が上だ。だが、速い!)


 尻尾を振り空中で姿勢を制御し、回頭した吠狼蜘蛛は、近付いてきたゴロー機に掴みかかる。


「しまった!」


 前脚に両肩を掴まれたゴローは急制動をかけるも、吠狼蜘蛛はそれを利用して慣性を殺し、前脚の力で身体を引き寄せ組み付いた。

 ゴローは前脚を掴み引き剥がそうとするが、如何に赤鬼より力が弱いと言えど、あの瞬発力を生み出す脚だ。離れない。

 赤鬼の力が突出して強いだけで、吠狼蜘蛛が貧弱な訳ではないのだ。

 吠狼蜘蛛はゴローに抗いつつ、ゴロー機の胸部を噛み千切ろうと食らいつく。


「ゴロー!!」


 追いかけてきたエシュカが、吠狼蜘蛛の前脚に高速回転する丸鋸を叩きつける。

 流石の威力に驚いたのか、吠狼蜘蛛はゴロー機を解放し、距離を取った。

 前脚の体毛が切り飛ばされて宙に舞う。


「大丈夫?」


「ああ。助かったぜ」


 ゴローは吠狼蜘蛛に噛み付かれた機体の胸部装甲を叩いて見せる。

 犬闘機の胸部は、その奥にいる操縦者を守るため、装甲が最も厚い部分である。

 設計思想通りの防御力で、若干の歯形こそ残ったが牙を通さなかった。


「向こうも硬いね」


「高値で売れるのも納得だな」


 丸鋸に斬り付けられた吠狼蜘蛛の足は、少々の出血が見られるものの健在だ。


「……機動力への影響は、期待できないか」


「だね。あたしの機体この子じゃ捉えられない。でも、あんたなら」


「おう!」


 二人の基本戦術はゴローが矢面に立ち、エシュカが隙を突くというもの。

 反応速度を上回られたことで動揺したが、互いのダメージを分析し、冷静になってみれば基本戦術が通用する相手だと分かる。

 だが長期戦はできない。疲労でゴローの反応が遅れたら終わりだ。

 ゴローは機体を走らせ、森を背にしながら吠狼蜘蛛に接近した。


(恐らく、あの足は跳ぶことに特化している)


 驚異的な瞬発力を持っているが故に、攻めのパターンは飛び掛かることから始まるだろう。

 そう考えたゴローは、先ほど吠狼蜘蛛が飛び掛かってきた距離を思い出し、感覚を掴む。

 ゴローが間合いに入ったと感じた瞬間、読み通り吠狼蜘蛛はゴローに向かって跳躍した。

 が、想定より、高い。


(飛び越える気か!? だとしたら狙いは、エシュカ!!)


 思わず振り返るゴロー。しかしエシュカも既に移動していた。

 エシュカを狙ったのであれば、跳躍の方向がズレていると言わざるを得ない。

 吠狼蜘蛛の狙いを測りあぐねたゴローの機体に衝撃が走る。


「ぐあああっ!!」


 衝撃は背中を襲い、一瞬機体が浮く。

 副脚の展開にまで頭が回る前に力の方向が変わり、俯せに倒れるゴロー機。

 吠狼蜘蛛は飛び越える勢いのまま尻尾を振り降ろし、先端の鉤爪を牙が通らなかった犬闘機の胸部に突き刺そうとした。

 しかし、ゴロー機の反応速度が上がっていたため、その攻撃が当たる前に振り返れてしまったのだ。

 吠狼蜘蛛の瞬発力を相手取って、許されていたのはワンアクションのみだった。それはゴローも分かっていた。

 なのに、そのワンアクションで振り返ってしまった。

 結果、尻尾の鉤爪はコックピットブロックに直撃し、そのまま機体を飛び越えた吠狼蜘蛛の着地に合わせて組み伏せられたのだった。


「ゴロー!?」


 再び挟み撃ちの形に持っていこうとして移動中だったエシュカは、吠狼蜘蛛が動いたのと同時に進路を変えて走り出す。

 全く距離を詰められていない内に一瞬で倒されたゴロー機を見て、血の気が引くのを感じた。


(あの大きさ、あの形、あの刺さり方……ヤバい。多分、!)


 接近に気付いた吠狼蜘蛛がこちらを向く。


「ゴロー!! 生きてるなら返事して!!」


 ゴローに呼びかけるも応答はない。

 パイロットシートが損傷し、通信機能が壊れたか、あるいは……。


「あんた、こんなとこで死んでいいの!? でっかいのにリベンジすんでしょ!?」


 丸鋸を起動し、全力で回転させる。

 吠狼蜘蛛もその危険性は覚えたのだろう。尻尾をゴロー機から抜き、いつでも跳べる体勢を取る。


「――ッ!!」


 犬闘機から抜かれた鉤爪が一本だけ、赤く――


「そこを、退けええぇッ!!」


 丸鋸を振りかぶるエシュカ機は、吠狼蜘蛛からすれば遅い。

 吠狼蜘蛛は真向から相手せず、一度飛び退いて別方向から安全に攻撃を加えていく。


 ――つもり、だった。


「いいや。……退かさねぇ!」


「っ! ゴロー!!」


 想定より早く、足が、地面から離れる。

 胴体の下に潜り込んだゴローが、吠狼蜘蛛を持ち上げたのだ。

 ご丁寧に副脚で尻尾を抱え込んでいる。


「やれぇ!! エシュカあぁ!!」


「ぅおおおおおおッ!!」


 もがき、吠える吠狼蜘蛛の口に、回転する丸鋸が突き入れられる。

 口腔内に刃を止める硬い体毛は無く、易々と腕は呑まれて行く。

 内臓を直接切り刻まれ、かき混ぜられ、吠狼蜘蛛は絶命した。


 近くの川で吠狼蜘蛛を逆さに担ぎ、肉片を垂れ流すゴロー機。

 モンスターの解体や血抜きなど、二人とも会得していなかったため、少しは軽くなるか、くらいの気持ちである。


「ゴロー……あんた、怪我は?」


 ここまで何故かピンピンしているゴローに理解が追い付かなかったエシュカがようやく口を開いた。


「治った」


 ゴローが事も無げに言い放つと、エシュカは再びフリーズする。


「……は?」


「俺だってびびってんだよ。すげぇな、この世界の回復薬」


 あの時、操縦席の背もたれを貫いた鉤爪が背中に刺さったゴローは、懐から回復薬の瓶を取り出すと、身を捩って鉤爪を引き抜いて回復薬を服用したのだ。


「回復薬って、あんたいつの間に?」


「お前が修理してる間に、俺は自警団でバイトしながら冒険者としての備えをしてたワケよ! っつーかお前にも渡したろ?」


「え? そんなことあったっけ……」


 ゴローから何かを貰った記憶は、騒々人形の時と、飲み物の差し入れ。

 飲み物の……差し入れ……。


「あ、あれ? まさか、あれ!?」


 あった。

 飲み物を受け取り、ゴローが帰った後で飲んでみると、疲労が掻き消えるように元気が溢れてきたことが。


「……まぁ、あん時のお前は相当無理してたから仕方ねぇ。修理、ありがとな」


「あ……うん」


 水と共に、時が流れる。

 川のせせらぎが沈黙を隠しきれなくなった頃、ゴローは荷物を思い出した。


「そろそろいいだろ」


 最早何を吐くでもなく宙吊りにされていた吠狼蜘蛛を担ぎ直す。


「そうだね。それ、嵩張るし、魔励金はまた今度にしよっか」


「収穫としては上々なんだろ?」


「うん、それは間違いないよ」


「じゃ、帰るか。仕事は成功だ!」


 二人は河原を後にする。

 帰り道は吠狼蜘蛛を担いでいる分だけ更に大きく見えることもあり、接敵せず無事にイベルタリアへ到着した。

 冒険者としての第一歩を、危なげながらも踏み締めたゴロー達だった。




犬闘機 第二章『冒険者』 了

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