07_陰

 蠟燭の火だけでは照らし切れない大広間。

 扉は閉ざされ窓は無く、崩れた壁や天井の奥には地肌が露出し、澱んだ空気の逃げ道は無い。

 そんな部屋でも装飾だけは立派なものだった。

 燭台、扉、絨毯、そして男が腰掛ける玉座。


「クラウス・ゲルガーか……厄介だな」


 紫色の双眸は虚ろに輝き、ここではないどこかを見つめている。


「少々勿体ないが、仕方ない」


 男が顔に手を翳して眼球を舐めるように指を這わすと、紫色の光はこそぎ落とされたように手の中に移り、燃えるように揺らめく。

 掌の小さな光と同じ色の瞳を持つ男は、その灯をそっと吹き消した。

 

 

 冒険者ギルドの奥に設えられた鑑定室。

 そこは冒険者が討伐したモンスターの死骸や、その一部を専門家が調べ、それらの種別や価値などを割り出すための部屋だ。

 鑑定は冒険者ギルドと、国家間の物流や相場を管理している行商者ギルドの有識者たちが共同で行うことで、冒険者への妥当な報酬や保証、世界規模での素材の価値を守っている。


「やられたね」


 朝、出勤した鑑定士が、鑑定を進めていた腕輪の宝石が砕け散っているのを発見した。

 その時間、既に出勤していたメルアの元にも報告が行き、すぐさまクラウスが呼び出され、状況、状態の精査が行われる。


「これを修復したところで……」


「無駄だね。それはもう、ただの石ころだ」


 クラウスの言葉を受け、メルアは何の魔力も感じなくなった宝石の欠片を、他の破片が乗ったトレーに戻す。


「では、あの地下闘技場のオーナー下竜の男が吐くのを待つしか……?」


 受動的で確実性の無い方法しか思いつかず、何かそれ以外の解決策を求めてクラウスに伺いを立てるメルアだったが、返答は別の場所から来た。


「それもできなくなった」


 新たに鑑定室に入ってきたのはヘンドリック。

 クラウスが報告を受けた際に自警団本部へと使いを出していたのだ。

 しかしそれは、腕輪が壊れた事実の報告と、それにより手掛かりが減ったため取り調べは慎重に行うようにと言った要請であって、呼び出してはいない。


「今、君の顔を見たくはなかったよ、ヘンドリック」


 ヘンドリックの行動、発言、表情の全てが、悪い報せを物語っている。


「でしょうね。ヤツが死にました」


「死んだ? 貴方どんな取り調べを――」


「やめたまえ、メルア君。彼はそんな人間ではない。それで?」


「今朝、独房で死んでいるのが発見されました。外傷は無し。死因は不明です」


「そうか……。とにかくこれで、裏があることだけは分かった」


「……ですね。これは『介入』です」


 二つの手掛かりが偶然、同時に消えるなど、有り得ない。

 何者かの意思が働いていると見て間違いないだろう。


「ああ。向こうは存在を悟らせてでも、隠れることを選んだ」


 腕輪の宝石に刻まれた魔法も、地下闘技場のオーナーに腕輪が渡った経緯も、調査が進めば黒幕の輪郭を縁取った情報であろう。

 その前に、黒幕は影だけを残して消えた。


「逃げた、と。つまりこれは計画にない、何かへの対応」


「計画にないことか。黒幕が知らなそうなことと言えば――」


 赤鬼か。

 否。赤鬼は地下闘技場オーナーの駒。黒幕が把握していないとは考え難い。

 ゴローか。

 否。赤鬼を倒しこそしたが、誰にも気付かれずに独房内の囚人を殺せる者が、人間一人を警戒するとは思えない。


「……私たち、ですね」


 そう。冒険者ギルド監察官の予定は冒険者ギルド本部の上層しか把握しておらず、監察対象のギルド長であってもいつ監察官が来るかは知り得ない。

 更に、冒険者ギルドという世界的な組織を取り締まる権力を持つ監察官の任に就けるのは世界でも有数の実力者に限られており、黒幕も正面からぶつかるのは避けたがる筈だ。

 当然、監察補佐官であるメルアも、それ相応の実力を持っている。


「けど、変じゃないですか? あんた方が到着したのもメタルバウトの日でしょう。尻尾切りならその日にやるのが自然だと思いますが」


「そこだよヘンドリック。ただの尻尾切りならこのタイムラグは不要だ。だが、実際に日は開いた」


「赤鬼が暴れる影で、何かやるべきことが残っていた……?」


「私はそう考えている」


「そして昨夜、やるべきことが終わったため、痕跡を消した。……ヘンドリック自警団長。追加で要請があります」


 メルアの言葉に、ヘンドリックはクラウスの顔を見た。頷くクラウス。


「そうだね。今後しばらく、警備の強化。加えて隊員、住民から上がった報告は全てこちらにも回してほしい」


「直接か?」


「いや、ギルドで構わない。量が多そうだからね。ギルド長に話は通しておくよ」


「了解」


「メルア君はこれから自警団本部に行ってくれ。ヘンドリックに代わり、ここ数日の情報の精査を頼む」


「承知しました」


「よし、行ってくれ。頼んだぞ」


 クラウスに見送られ、ヘンドリックとメルアは鑑定室を後にする。


(……少し過剰だったか? 確かに赤鬼は危険だったが、絶望的な脅威ではない。なのにこうも嫌な感じがするのは、相手を測りかねているためだ。冷静になれ)


 一人残った鑑定室で、クラウスは頭を冷やす。

 砕けた紫色の宝石が、クラウスの身を飾る濃紫を写し、僅かに曇った。



 その日の内に、ナルコの引き揚げが決まった。

 自警団本部に到着した犬闘機の操縦席からゴローが、走行形態の主脚に腰掛けていたエシュカとナルコがそれぞれ下乗する。


「どうだった?」


「どうって言われてもな。フットワーク試さねぇと分からん」


「そっか。それもそうだよね!」


 とした笑みを浮かべながら操作感を訪ねてくるエシュカを変に思いつつも、素直な感想を伝えるゴロー。

 何の改善にも繋がらない感想だったが、エシュカの笑みは崩れなかった。

 軽やかな足取りで先を行く。


「何だあいつ? 御機嫌だな」


「当然だろう。『騒々人形ポルトマタ』が来てからの作業効率は素人目に見ても革新的だったからな。おかげでエシュカさんはあの日から今日まで、ずっと上機嫌だ」


 『騒々人形ポルトマタ』とは、先日ゴローが連れてきた精霊たちだ。

 精霊に命令するのに抵抗があったエシュカが、後ろめたさを胡麻化すために名前を付けたのだ。

 ただしゴローとナルコは、精霊と呼んで指示を出しているのを外部の者に見られると良くないから、という建前を説明されている。


「お前の方は残念だったな。まさかこんなに早く呼び戻すとは、やっぱあのおっさんシフト管理下手なんじゃねぇか?」


「団長をおっさん呼ばわりするな。それに貴様は考えが浅い。緊急の招集となればシフト云々ではなく、何かが起こったと考えるべきだ」


「……どうやらお前の方が正しそうだ。昨日までとは雰囲気が違う」


 騒々人形の一件以降も、ゴローは自警団の仕事を手伝っていた。

 とは言え、休暇を終えた団員たちが復帰してしまい、ヒヨッコにあてがわれるような仕事はペット探しや公園の見張りくらいしかなかったが。




「……あんたって、結構流されやすいわよね」


 ナルコにつられて自警団員の集合場所まで行ってしまったゴローは、壇上に立ったヘンドリックに見つかり、全団員の視線に晒されながら追い出された。


「しょーがねーだろ。土地勘ねぇんだから」


 彼等は今、本来の目的地である自警団の小規模演習場にいた。

 ナルコを送るついでに、修理が完了したゴローの犬闘機をテストしに来たのだ。

 ゴローが色々な動きを試している間に、エシュカは演習場に設置された稽古用の柱にケーブルを括り付け、抱える程ある金属の箱を持って演習場の隅に下がる。


「計測準備完了。じゃあ最後に『逆流』お願い! ケーブル踏まないでよ!」


 エシュカの手元にある箱は、犬闘機起動練習用の器具だ。柱に取り付けたケーブルは、この器具の両端に付いた取っ手に繋がっている。

 犬闘機起動練習用の器具とは言うなれば、少々用途が限定的な魔力測定器である。

 本来は取っ手を手で握り、魔力を流すことで、その魔力圧と放出速度がゲージとして表示される。

 このゲージが一定のレベルを越えると、犬闘機を起動できるだけの魔力があると認められるのだ。

 メタルバウトの予選会でも、実機試験の前に大量に用意できるこの測定器で、参加者をふるいに掛けていた。


「あいよ!」


 ゴローは機体の右手を開く。

 そこには、手の平から指へ向かって金色の線が伸びていた。

 赤鬼戦で『逆流』がモンスターとの戦いにおいても有効であると知ったエシュカは、掌の表面に追加で魔力伝達回路を這わせることで、犬闘機に乗ったまま『逆流』を打ち込めるように改造したのだ。

 

『逆バック――」


 稽古用の柱に向け、機体を走らせる。

 相手は円柱だ。形状のイメージは容易い。

 伸ばした右掌が、柱を打つ。


「――流』フロー!!」


 解き放たれた魔力は柱に繋がれたケーブルを伝って測定器に流れ込む。

 柱の見た目に変化はなく、測定器のゲージだけが急激に伸び、振り切った。


「あ、ヤバ――」


 エシュカは急ぎゴローを止めようとするが、時すでに遅し。

 測定器は爆発音と共に白煙を上げた。


「もーっ!! なんでこう出費ばっかり嵩むかなぁ!?」


「まぁそう言うなよ。上手くいったんだろ?」


 犬闘機から発せられるゴローの能天気な声に、一瞬頭に血が上る。

 そもそもエシュカは犬闘機の修理屋として十分裕福に暮らせていた。

 支出が増え始めたのは、ゴローと関わったからに他ならない。

 しかし、国を出るのは自分で決めたことだ。

 そしてゴローの戦力を当てにして、協力している。


「そうね。成功したんだし、これくらい大したことないかも。それに――」


 ゴロー機の修理に手一杯で修理屋としての仕事ができず、収入が無かったのだから、資金が減るのは道理である。

 だが、それも今日まで。


「ああ! 修理は完璧! 明日から冒険者業、開始だ!!」

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