六、再び食堂にて(一)
リアムルが準備を済ませて食堂へ急ぐとようやく人が集まり始めたところだった。
食卓の己の席は蚊柱放火が座っていたので、美少年はその左隣に着席する。
強姦魔が逃亡するといけないので、犯人の名前はお互いにまだ口外していない。
迷探偵は腕と足を組んでじっと目をつむっていた。
次男坊はナルシストの体調を心配して声をかけた。
「お腹の具合は大丈夫ですか?」
多浪生が目を開ける。彼は便所で会ったときよりも顔色はよくなっており、むしろ余裕さえ見てとれた。ドヤ顔で応えた。
「食べたら食べた分だけ出るのがウンコだ。出すべきものはすべて出したから、もうこれ以上は出ることはないのだ」
童貞はそれを聞くと「至言だな。先ほどまでトイレで下痢便をしていたクソっ垂れ野郎とは到底、思われない。ここには魂の叫びがある。さすがは東大合格を目指して二浪している無職だけのことはあるな」と心のなかで感心する。
カピバラ警部補に誘導されて、事件当時、館内にいた人が続々と食堂に集まってくる。警察官、執事、施設警備員、料理人など、合わせて五〇名ほどだ。
最後に、クリスラが入室してテーブルの上座に着いた。
どうして集められたのかが分からずに、関係者が立ち並んだまま戸惑いを見せるなかで、蚊柱放火が起立して口を開いた。先攻は迷探偵だ!
「本日、発生した密室レイプ事件の犯人が分かりましたよ!」
集まった人々が驚きの声を上げる。
多浪生が自信に満ちた笑みを浮かべながら両手を上げて静粛を促す。場が静まったところでゆっくりと執事の一人を指差した。
「犯人はヤスさん、あなたです!」
一同がどよめく。
美少年も美青年も目を丸くする。
名指しされたヤスが動揺して叫んだ。
「ち、違う! 私ではない! 私は何もやっていない!」
「ふん、犯人はみんなそう言うのですよ。引っ捕らえよ!」
大声で喚く容疑者を、警察官が拘束した。
げっ歯類がナルシストに質問する。
「どうして、ヤスが犯人だと分かったのじゃ?」
「そんなのは簡単です。だって、『犯人はヤス』というでしょ。最初に名前を聞いたときから、俺はヤツが怪しいと思って目星をつけていたのですよ」
「犯人はヤス」とは家庭用ゲーム機ファミリーコンピュータで好評を博したゲームソフト『ポートピア連続殺人事件』の犯人が間野康彦(愛称、ヤス)であったことに由来する。推理ものでは恐らく最も有名なネタバレの一つだ。
しかし、こんな理由で被疑者とされてはたまらない。
そこは現場責任者も疑問を抱いたようだ。うろたえながら聞く。
「それではヤスはどうやって蟄居部屋に侵入したのじゃ?」
「ええ、それが謎だったのですが……。もしかして、カピバラ警部補は警備中に寝ていませんでしたか?」
「な、何を言うのじゃ! ワシは目を開けたままでも眠れるぞ!」
「それですよ、それ。犯人はあなたが目を開けたまま眠っている隙をついて侵入したのですよ」
大ネズミが「ふぅおぉおおお!」と絶叫する。犯人がヤスであることを納得したようだ。
蚊柱放火が勝ち誇った笑みを浮かべた。
「ヤスさんが犯人であることを示す証拠が他にも二つあります」
迷探偵が腕組みをしながら自信たっぷりに指を二本、突き立てる。
「一つはダイイング・メッセージです。恐らくは被害者が最後の力を振り絞って書いたのでしょう。彼の肛門から垂れ出した精液がシーツにつけた染みははっきりと『ヤス』と読むことができました」
次男坊は思わず突っ込む。
「僕はまだ生きているのだけど……。それに、そんなメッセージを書いた覚えはないんだ」
ダイイング・メッセージとは殺人事件の被害者が死に際に残すメッセージのことだ。本件の被害者はリアムルだが、死んでいないどころか多浪生のすぐ隣に座っていた。本人が書いてもいないメッセージについて本人を前にして堂々と間違ったことを主張するのだから馬鹿丸出しだ。
しかし、ナルシストは激昂すると童貞の発言を抑え込んだ。
「ええい、黙れ! レイプは魂の殺人だ。お前の心は死んだのだ。魂が死んだ分際で生きている人間みたいな口をきくんじゃねえ! まったく、最近の若者は精神的殺人をされても精神が殺されたという自覚がない。本来、性被害に遭った男は笑顔や表情の豊かさを失わないといけないのだ! 人前に出られなくならないといけないのだ! それぐらいのマナーはわきまえて欲しいものだな!」
元TBS記者、山口敬之は伊藤詩織を陵辱したとして東京地裁から三三〇万円の賠償を命じられた。しかし、記者会見では「本当に性被害に遭った方は『伊藤さんが本当のことを言ってない。こういう記者会見の場で笑ったり上を見たり、テレビに出演して、あのような表情をすることは絶対ない』と証言してくださったんです」と述べた。元TBS記者が言いたかったことは蚊柱放火と同じことなのだろう。
もしも、山口敬之がマナー講師になったとしたら、きっと、「強姦された人は笑ったり、人前に出たりしてはいけません。それがマナーです」と言うに違いないのだ。知らんけど。
美少年は「性犯罪が魂の殺人だというなら、たいがいの犯罪は魂の殺人だろが」と思うが、呆れ返って黙る。それをよいこととして、迷探偵は何ごともなかったかのように話を続けた。
「もう一つはリアムルくんの記者会見です。防犯カメラの映像が外部に流出したことを伝えたのはヤスさんでした。恐らく、守衛室に忍び込んでパソコンからデータを盗み出し、インターネットにアップした後で素知らぬ顔をして大広間に入ってきたのでしょう。まったくもってけしからんヤツです!」
容疑者が必死に抗議する。
「なぜ、事件を報告しただけで、私が犯人扱いされるのだ! どう考えてもおかしいだろ!?」
多浪生は髪を掻き上げると冷静に答えた。
「『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』といいますよね。人は二つの対象がお互いに結びついていると『二つの間にはきっと何か関係がある』と錯覚してしまうのですよ。心理学ではこれを連合の原理といいます。例えば、お天気お姉さんがニュース番組で『明日は雨です』と予報すると『雨が降るのはお前のせいだ!』というクレームが入るものなのです。それと同じことですよ。第一発見者が犯人扱いされるのは世の常です。動画流出の報告をヤスさんがした以上、あなたが被疑者と結びつけられるのは仕方がないことなのです。人間心理はそのようにできているのですよ。だから、諦めてください。ヤスさん、犯人はあなただ!」
「それじゃ、動機は何だ! 私はどういう動機でご子息をレイプしたことになっているのだ!」
「十三月家では執事は上級執事と下級執事に分かれていますよね。そして、食堂でのご子息の食事に立ち会える、上級執事は数が限られている。あなたは『ようやく上級執事に選ばれた』と思っていたのに再び下級執事に降格されることになったので十三月家に恨みを抱いていたのです」
「私は一〇年前からの上級執事だ! 上級執事になったのは最近の話じゃねえ! それに、降格の話なんて聞いたこともねえよ!」
「ふっ、そんなのは些末なことです。人類の歴史は約七〇〇万年、地球の歴史は約四六億年、そして、宇宙の歴史は約一三八億年です。悠久の時の長さを思えば、一〇年などは瞬きをするほどつい最近のことなのですよ。それに、いずれ人は死にます。上級執事も死ねば、上級執事ではなくなります。あなたもじきに上級執事ではなくなるのですよ」
容疑者ががっくしと頭を垂れた。「馬鹿には何を言っても無駄だ」と悟ったのだ。しかし、傍から見ると、それは己の悪業が暴かれた粗暴犯が万策尽きたかのような心証を与えた。
傴僂が部下に号令をかける。
「犯人を署まで連行しろ!」
もしかしたら、このとき、ヤスは「取り調べの際にお巡りさんにきちんと説明すれば、きっと分かってもらえるはずだ」と思っていたのかも知れない。
だが、我が国の司法は自白偏重主義といわれるように被告人の自白で有罪が決まるのだ。そして、自白は拷問を用いれば、誰が相手でもどのような内容でも引き出せてしまうのだ。責め苦のせいで肉体が傷つけば、さすがにマスコミも騒ぐだろう。しかし、肉体を傷つけない拷問などは世の中にはいくつもあるのだ。例えば、悪名高い、日本の人質司法がそれだ。本邦の刑事裁判における有罪率、約九九パーセントはそのようにして達成されるのだ。そもそも、警察官も役人なのだ。被疑者が無実であることを証明するための捜査などはしないのだ。それよりも、「せっかく、たくさんの人員を動員して時間も一杯かけて捜査したのだから、せめて誰か一人ぐらいは有罪にしないと『税金の無駄遣いだ!』といって叱られてしまう」と考えるものなのだ。
逮捕されたことで、容疑者の命運は決まってしまったのだった。
――そのとき、リアムルが椅子に座ったまま口を開いた。
「僕は違うと思う。犯人はヤスではないと思う」
被疑者を連れて扉から出ようとしたお巡りさん一行が立ち止まる。
部屋が静まり返り、一同が美少年を注視した。
次男坊も先ほどまでとは雰囲気が打って変わり、目が銀朱に輝き、髪が逆立っていた。
十三月家の血だ。思春期を迎えたばかりのこの少年もとうとう十三月家の血に目覚めたのだ。真犯人と対峙するために、彼は心底、怒っていたのだった。
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