一、食堂にて

 夜が明けた。

 十三月家の邸宅にも朝日が射し込む。

 洋館は有名な現代建築家がデザインした白壁と直線、立方体が美しい三階建ての建物だ。要人を招待することもあるため、敷地は砂浜を除いても約四ヘクタールもの広さがある。天然温泉と海水浴場で有名な熱海の一等地に建てられており、観光列車、踊り子号に乗れば、東京から一時間半もせずに到着することができる。

 リゾート業者であれば、「熱海伝説。古の温泉街に住まうという贅沢。気品溢れる大人のために――」というポエムを書くだろう。

 十三月リアムルは三階にある洋間の自室で目を覚ました。部屋に備えつけの洗面所で顔を洗うとクリーム色をした格子柄のパジャマを脱いで、上は白いオーダーメイドシャツ、下は紺地のチェックズボンに着替えてスマートフォンをズボンのポケットに入れた。

 茶色いスリッパをつっかけてルームドア横にある姿見で身だしなみを確認する。

 一三歳になってまだ間もない。己の思ったことをなかなか口に出せない、思春期らしい引っ込み思案な顔が鏡に映っていた。

 次男坊は赤いカーペットを敷いた廊下に出ると向かいの窓から外を覗き見た。

 木枯らしが吹いているが、よく晴れている。正門から広がる庭の端には施設警備員や執事が居住する従業員宿舎も見えた。庭は冬薔薇が咲き誇る薔薇園であり、クリスマスのためのイルミネーションで彩られている。園生の中心も今月だけはクリスマスツリーとしてモミの木を植えてある。いつもは日が暮れてから電飾を灯すが、今日はクリスマス・イブなので日中から明かりをつけている。

 美少年は踵を返すと階段を下りて二階にある食堂に向かった。

 ダイニングルームの扉に手をかけると音楽が漏れ聞こえてきた。お抱えの楽士が演奏するインストゥルメンタル版のアニメソングだ。リクエストしたのは例のごとく兄だろう。兄はすでに食卓についているのだ!

 童貞は入室すると頭を下げた。

「お兄さま、おはようございます!」

 食堂は約四〇畳はある。部屋の中央には長いテーブルが置かれており、天井にはシャンデリアが二つ揺れていた。

 不動産業者であれば、「ここはまるで王族の晩餐。洗練されたあなたのために。華やかな食卓でくつろぎのひと時を――」というポエムを書くだろう。

 ドアがある壁側には精選された十数人の上級執事が壁画を背にして横一列に直立していた。執事は全員、髪をオールバックにしてサングラスをかけており、黒ずくめのスーツに白いシャツと手袋を着用している。

 彼らと向かい合うようにして、テーブルの窓側の中央席には黒いブリーフ姿の美青年が足を組んで座っていた。

 屋内は暖房が効いてはいるが、人目もはばからずにパンツ一丁でくつろぐのはやはり変態だ。しかし、訓練された執事にはそれを笑う者はいなかった。

 裸族が微笑みを返す。

「おはよう、元気そうだね。十三月家の栄誉と繁栄のためにも今日一日を健やかにすごしておくれ」

 リアムルは「はいっ!」と大きな声で返事をするとフローリングの床を小走りして兄の向かいの席に着席した。

 美青年の名前は十三月クリスラという。弟と同じ栗毛の髪は軽くウェーブを描いて肩までかかっている。柳眉の下の目は細く鋭く、逆三角形の顔立ちをしている。鼻筋は高く整っており、唇は薄い。身長は一八〇センチメートル近くある。次男坊とは異なり、青年らしい、がっしりとした体躯をしていた。もうすぐ卒業を迎える高校三年生だ。

 現在、両親は行方不明だ。一年ほど前に「アマゾン熱帯雨林までナマケモノを見てくる!」と言って夫婦揃って出かけたまま音信不通だ。捜索隊も探しているが、まだ見つかっていない。今頃はきっとジャングルのなかをさまよいながら、ナマケモノと一緒にバナナでも食べているのだろう。

 宗家には兄弟二人だけが取り残されたため、今はクリスラが十三月家当主と財閥グループ総帥を代行していた。

 ここで、この一族の来歴を振り返ろう。

 十三月家の歴史は古く、奈良時代にはすでにその名前が見られる。摂関時代は中流貴族に甘んじていたが、院政期に入ると頭角をあらわし、室町時代には清華家に次ぐ家格となった。明治維新では侯爵に叙された。しかし、当時の当主、十三月万歳は舶来趣味が高じて貿易業に手を出す。「公家が商人の真似事をしている」といって笑われたが、こうしてできた運輸会社と商社が財閥の始まりとなった。その後を継いだ十三月万福は事業の多角化を図った。政府の要請で銀行を設立すると金融業にも進出し、そこで得た豊富な資金をもとに、第一次世界大戦後は重化学工業や電機産業などの製造業も始めて財閥の礎を築いた。第二次世界大戦後は財閥解体の憂き目にも遭ったが、高度成長期には十三月家を中心として再結集を果す。現在では十三月グループは銀行、重工、商社を御三家として下に数百社を超える系列企業を抱えた、日本を代表する企業集団となったのだった。

 黒ブリーフの変態は一八歳の若さで国内有数の財閥グループをまとめるカリスマなのだった。

 間もなく、朝食が運ばれてくる。

 弟はトーストとゆで卵二個にスープとサラダだ。一方、兄は半熟卵が一つ乗ったチキンラーメンと白ごはんだ。飲み物はいつものように二人ともブラックコーヒーだった。

 美青年は黄色麺を一口、啜り上げると哄笑した。

「クッハハハハ! 近ごろは生麺などという、本物のラーメンと同じ食感を求める輩もいるが、そんなものはラーメン屋さんにまで出向いて食べれば済むのだ。インスタントラーメンは本物とは違う、人工的な味わいのものがやはりよい。日清チキンラーメンはそのなかでも最強だな。そして、ラーメンライスという炭水化物の暴力的な組合せがまたたまらん。お抱えの楽士が演奏するアニメソングを聞きながら、一流のシェフが湯がいたチキンラーメンを啜り、白いご飯と一緒に食べる。庶民には決して味わえない贅沢だ!」

 最近の生麺は生の麺をそのまま茹でて乾燥させただけあって、乾燥麺でありながら、生の麺本来の味と滑らかでコシのある食感を実現している。つるつるとした喉ごしはお店で食べるラーメンと遜色がない。というよりも、ぶっちゃけて言うと、その辺りのラーメン屋さんで食べるよりも旨いのだ。しかし、美青年は日清食品のチキンラーメンを愛した。平たくて黄色い、ぷにぷにとした人工麺が「即席麺ならではの味わいだ」というのだ。

 十三月家当主代行はチキンラーメンを白ごはんと一緒に口のなかに掻き込みながら叫んだ。

「シェフに伝えてくれ! 今日の朝食も最高だったとな!」

 すると、傍らで控えていた老練な執事が「かしこまりました」とうけたまわる。名前をセバスチャンという。かれこれ半世紀は十三月家に仕えており、そろそろ七〇歳になるロマンスグレーの家令だ。今はサングラスをかけているが、外すとドーベルマンのような鋭い目つきをしていた。

 美少年は二人を眺めながら心のなかで毒づく。

(チキンラーメンとアニメソングは思いっきり庶民じゃないか。わざわざ三ツ星レストランから引っ張ってきたシェフや有能な演奏家に何ということをさせるんだ。……でも、朝からラーメンライスを食べるだなんて、胸焼けがしないのだろか?)

 そして、思っていたことがつい声に出た。

「まったく、兄さまは馬鹿なんだから」

 童貞はトーストにバターを塗るとゆで卵の殻を剥いた。卵は昨晩、海辺で己が産んだものだ。付着していた経血を洗い流したため、殻も赤黒ではなくて肌色をしている。

 リアムルは卵をかじる。これはただ茹でただけのゆで卵とは違うのだ。

 白身はぷにぃとした食感が美味だ。さらに、柿色をした黄身は甘みがねっとりと舌に絡みつく。香りも香ばしく、喉ごしもよい。何個でも食べられる味わいだ。そして、食べ終わった後も甘みが舌先に残るのだった。

 思わず呟く。

「うん、おいしい。セブンイレブンのゆで卵と同じくらいおいしい」

 次男坊が「もう一つ欲しいけど、卵の食べすぎは体に悪いから止めておこう」と思っているとクリスラがジト目で声をかけた。

「お前もかなりポンコツだと思うぞ」

 美少年はキョトンとした顔で首を傾げた。

 朝食が済むと童貞は席から立ち上がった。

 一方、美青年は最後までどんぶりに残しておいた半熟卵を飲み込む。固くもなく、ドロドロでもない黄身を、ふわふわの白身が柔らかく包んだ半熟卵だ。裸族は満足そうに頷く。

「うむ、最高だな。リアムルの産んだ卵はいつだって旨い」

 そう言ってラーメンスープを飲み干す。

 ラーメンのスープは塩分や脂質が多いため、健康を考えると残した方がよい。人によっては「あれは毒だ」と言う人もいるぐらいだ。しかし、十三月家当主代行はチキンラーメンの汁は最後の一滴まで飲み干す主義だった。「良薬は口に苦し」というが、毒薬はおいしいものなのだ。

 次男坊は「お褒めいただき光栄です」と言って頭を下げると自室に戻ろうとする。すると、突然、食堂のドアが勢いよく開いた。一通の封筒を握り締めた執事が一人、慌しく入ってくる。黒ブリーフの変態は股間を強調した姿勢で封筒を受け取る。しかし、なかから手紙を取り出して一読すると目を見開き、封筒ごとぐちゃぐちゃにして丸めてしまった。

「おっと、いかんいかん」

 皺だらけになった郵便物をテーブルに置いて手のひらで丁寧に引き伸ばす。

 美少年は向き直ると食卓に身を乗り出した。

「何が書いてあったの?」

「頭がおかしなヤツからの脅迫状だ。読むか?」

 兄が差し出した手紙を手に取る。紙面は古い怪文書と同じように新聞や雑誌を切り抜いた文字で作られていた。一読してギョッと驚く。



 『クリスマス・イブの深夜〇時に十三月リアムルをレイプさせていただく。怪姦!我慢汁男優』



 ああ、何と恐ろしい犯行予告なのだろか!

 精通を迎えてまだ間もない童貞の菊門を陵辱するというのだ。しかも、犯行予告日時は今夜の午前〇時だった。

 リアムルは怯えた顔を上げると裸族に問うた。

「レイプって何?」

「レイプが何かを知らないのか……」

 クリスラは渋面を作ると深い溜め息をついた。弟が残したテーブルのゆで卵をつかむと殻を剥く。それを頬張りながら強姦について語り始めた。

「レイプとは刑法一七七条に定められた強制性交等の罪のことだ。

 一三歳以上の者に対しては暴行、または、脅迫を用いて性交等をした者、一三歳未満の者に対しては合意があろうとなかろうと性交等をした者、それらの者はこの罪に問われることとなる。ここで、性交等とは膣性交、肛門性交、口腔性交のことだ。

 だが、これだけでは強姦の恐ろしさは分からないかも知れない。

 被害者はレイプされるとその存在を否定されてしまうのだ。そのため、その後も事件の影響を受けずに生きて行くことはできない。忘れることはできないのだ。

 陵辱されている最中は恐怖で体が硬直し、頭のなかが真っ白になる。実際には繰り返し痛みが襲いかかるが、本人は感覚も感情もなくなり、ひたすら歯を食いしばってやりすごすこととなる。

 事件後に振り返っても体の記憶はない。覚えているのはただ『生き残りたい、死にたくない、殺されたくない。早く終われ、もうどうにでもなれ』という願いだけだ。なぜなら、行為が終わっても、犯人が無事に解放するという保証はないからだ。

 しかし、仮に、生き延びたとしても、苦しみは続く。

 まず、警察に行くと証拠写真を撮られる。カメラのフラッシュの前で屈辱を味わわされるのだ。また、面識のない警察官に、強姦されたことを話さなくてはならない。『知られたくない。話したくない。思い出したくない』という気持ちと『聞いて欲しい。助けて欲しい』という気持ちが入り交じるのだ。聴取の最後に『お巡りさんはこんな薄汚れたボクのことを信じてくれるのだなあ』と思えたら万々歳だ。

 次に、事件後は惨めな気持ちになる。

 『他人には言えない恥ずかしいことをされてしまった。己を守れずに世間から弾き出されてしまった』という罪悪感や無力感を抱くのだ。また、後ろめたさから、『ボクは社会にいることが許されないから、傷つけられても仕方がない。ボクは幸せに笑う資格がない。レイプはそれを気づかせるために起こったのだ』と思ってしまう。あるいは己が異臭を放つ動物のような気がするせいで、周りの人が己のことを『邪魔者だ』と思っているように感じられる。そして、いつも地面から世の中を見上げているような気分になる。

 陵辱されたために、己の価値を引き下げて自殺する人もいるのだ。

 社会には性犯罪被害を表沙汰にできない風潮がいまだにある。被害者は『ボクに非があったのではないか?』と苛まされ、『被害体験を隠さなくてはならない』と抱え込むのだ。

 事件による後遺症はまだ続く。

 昼間は職場や学校で感情を抑えていても、お家に帰ると溢れ出してくるのだ。お部屋に独りでいると知らない間に涙が流れて、何もせずにただ嗚咽を漏らすだけで時間がすぎて行く。気がつくと泣いているのだ。長い時間、涙するせいで、瞼も腫れて顔も不細工になる。

 外出する気力は起きず、他人と話をするのも怖がるようになる。お友だちとの連絡も断ち、遊びにも行かずにお風呂のなかで泣いてすごすこととなる。

 独りでいると、それまでとは同じ生活ができなくなるのだ。しかし、その癖、独りでいたがるのだ。

 生きる気力を失い、食べることも忘れる日々が続き、取り憑かれたように強姦のことばかりを考えてしまう。事件のことを思い出す度に動悸がして震える。加害者の顔が思い浮かぶだけで頭のなかにショックが走り、拒絶にも似た何も考えられない状態となる。

 そして、フラッシュバックだ! フラッシュバックだ! 大切なことなので二回、言いました。

 多くは事件を思い出させる状況が引き金となる。それは例えば、暗かったり、大きな物音がしたり、性的な言葉を聞いたりといったものだ。しかし、そんな切っかけがなくてもそれは突然やってくる。

 レイプされたときの諦めにも似た感情や恐怖、絶望感が襲いかかり、思考が停止する。再び事件に巻き込まれたかのように、体が硬直して犯人の声が聞こえてくるのだ。まるでタイムスリップしたかのように追体験することもあれば、映画を観ているかのように映像が思い浮かぶこともある。

 そうしたときは安全な場所に引きこもって『早く終われ!』と願いながら、感覚がすぎ去るのを待つ他ない。

 本人にとってはとても長い時間に感じられるが、実際にはそれほど長くはない。

 しかし、フラッシュバックが終わった後は頭が真っ白になり、ただ時間だけがすぎて行く。気がついたら、夜が明けていたということもザラだ。精神的に不安定な日々が続くのだ。

 被害者は『ボクはおかしい』ということには気がついている。しかし、己が狂うほどのダメージを受けたことを認めたくはない、あるいは認めさせない環境にあるせいで、おかしくなり切れずに体の反応や思考を押さえつけてしまうのだ。抑え込むことでしか、己を守ることができないのだ。

 フラッシュバックは感覚が凍りついたなかで身体反応が溢れ出すせいで、恐怖がより強く感じられる。そして、それにより、さらに症状が起こるという悪循環が繰り返される。

 汚らわしい己をどうしたらよいのかが分からないのだ。励ましとなるのは『二度も強姦された男など聞いたことがない』という言葉だけだ。

 さらに、陵辱されると普段の生活にも支障が出る。

 事件を公言できないせいで、『何かあったのか』と悟られないようにすごすこととなる。日々の生活がいつもと変わらない日常を演じるだけで精一杯となるのだ。

 それでも帰り道は怖くて足がすくんでしまう。変態さんに尾行されたり、痴漢されると、嘔吐、震え、泣き喚くなどの症状が出る。ほんのちょっとの猥褻行為が他人の何倍ものダメージとなるのだ。

 そうした場合は公衆便所で嗚咽するようになる。レイプを思い出して蘇る感情と再び性犯罪に遭った悔しさが込み上げるのだ。

 しかし、トイレから泣き声がしたら、周りの人が心配するだろう。声を押し殺した泣き方も自然と体得するようになる。

 世間体や恥を気にする気持ちと津波のように襲いかかる感覚とのバランスが上手く取れないのだ。変態さんに遭遇しても『ボクは痴漢されて当然だ』くらいにしか思われないのだ。

 また、他人の見方も変わる。

 周りの人がみんな幸せそうに見えるせいで、道を歩くふつうの人にも嫉妬するようになる。『彼らはボクの身に起きたことを何も知らないのだ。何を笑っていやがる。何がそんなに幸せなのだ』と思ってしまう。男も女も己と対等とは思われないせいで、みんなが敵のように感じられるのだ。

 人がたくさんいるところに行くと肩身が狭い思いをするようになる。『俺たちはお前みたいに薄汚れてはいないのだ。一緒にしないでくれ』や『お前は強姦された癖に俺たちと同じ空気を吸うのか』などと言われているような気分になり、『ボクがそこにいることがいけないのだ』と思ってしまうのだ。

 暗い顔の人がいないかをいつも探すようになり、世間から外れた人に感情移入するようになる。

 陵辱の後遺症はまだまだ続く。

 親しい人への対応も変わってしまうのだ。

 お家の人やお友だちにも事件のことを隠してしまう。

 しかし、そのせいで、『犯罪者でもないのに、ボクはいつまで他人に負い目を感じながら嘘をつき続けるのだろか』と悔しい思いをする。他人には言えない後ろめたさを背負っているせいで、お友だちとの間にも隔たりを感じる。

 だからといって、本当のことを打ち明けると、みんなが言葉に詰まり、困り顔でドン引きする。『世間に言えないことを抱えてしまった』という被害者の罪悪感が分かってもらえないせいで、さらに苦しむこととなるのだ。

 周りからの励ましの言葉があっても、皮肉として捉えてしまう。被害者の不幸を中和させるような軽々しいセリフは聞きたくないのだ。そうする内にお友だちをも見下して不信感を抱くようになる。

 その一方で、親しい人には己を守れなかった責任を押しつけて甘える。事件をちらつかせて己を守らなければいけないように追い込むのだ。『ボクがレイプされたことを知る人はボクを守る義務がある』と言いたいわけだ。

 『お家の人やお友だちに助けて欲しい』と思う一方で、『迷惑をかけたくない』という気持ちもある。『親しい人だからこそ』という思いを伝えることができずに、感情が溢れて、再び鳥肌、震え、汗、涙といった身体症状があらわれる。

 そうやって被害者面をしてすごす内に、物の見方までもが屈折する。周りの人だけでなく、己とも上手く付き合えなくなるのだ。

 ついにはお友だちも責任を感じて離れる。

 父上母上も『お前が襲われたのはお前のせいではないが、俺たちのせいでもない。だから、俺たちを責めないでくれ』とおっしゃる。

 お家の人からも二次被害を受けるのだ。

 理解者を得るために、自助グループやカウンセリングに行くのも家庭によっては『傷の舐めあいだ』と捉えられてしまうだろう。

 そして、最後に、強姦は恋人とのお付き合いも歪めてしまうのだ。

 『ボーイフレンドがボクを性的対象として見ている』と感じただけでも気分が悪くなる。腰に手を回されただけでも吐いてしまうのだ。

 体はとても正直だ。性につながるものを感じると感情の防衛反応として、拒否反応が起きてしまうのだ。

 加えて、セックスに対しても強い恐怖心を抱くようになる。

 性行為の際、己はまったく気持ちがよくないにも関わらず、パートナーが勘違いして一生懸命になるのを見ると勝ち誇った気分になる。なぜなら、男を騙して有頂天にさせることが犯人への復讐となるからだ。そうやって、加害者に仕返しするために不快なセックスをわざわざするようになるのだ。

 まとめよう。

 被害者は陵辱を忘れてすごすことは一日たりともあり得ないのだ。

 『ボクは汚れていない、悪くない、恥ずかしくない、傷つかなくていい、特別なことではない』と思える理由をいつも探してしまうのだ。

 誰も守ってくれず、支えてもくれないから、独りで抱えて行くしかないのだ。

 事件を切っかけとして、見てはいけないものや見なくてもよかったものを知ることとなる。親しい人に抱いた不信感や距離感は決して消えることはないのだ。

 『あの事件さえなければ……』という後悔が常につきまとうのだ。

 それがレイプだ!」

 十三月家当主代行はゆで卵を食べ終えた手をはたくとセバスチャンが差し出した水を飲み干し、一息ついた。

 裸族の熱弁を聞いて、美少年は青ざめる。恐る恐る質問した。

「つまり、仕事場に気に入らない上司がいたら、レイプすればいいということ?」

 黒ブリーフの変態が深く頷く。

「ああ、その通りだ。ビデオカメラで撮影してインターネットの無料エロ動画サイトにアップロードすれば、さらにバッチグーだぜ!」

 何が「バッチグーだぜ!」なのかは分からなかったが、「陵辱された後、動画をインターネットに上げられたら嫌だなあ」と思った。

 次男坊は身震いする。無理もないのだ。まだ精通を迎えたばかりの童貞なのだ。それなのに、そんな恐ろしい凶行が我が身に迫っているというのだった。

 兄が追い討ちをかけるように言葉を続ける。

「しかも、相手はあの怪姦!我慢汁男優だ」

 怪姦!我慢汁男優は巷を賑わすホモの強姦魔だ。神出鬼没で正体不明だが、被害者宛に犯行予告を送りつけてから陵辱するという手口は共通していた。表舞台にあらわれてから、すでに二〇年は経つ。毒牙にかけた野郎の数も数知れない。被害者のなかには「お父さんみたいだったから」という理由だけで犯されたオッサンもいたのだ!

 これまでは成人男子ばかりを襲っていたが、とうとう未成年も狙うようになったのだ。

「確かに、嫌な予感はしていたのだ。最近、屋敷の周りで尻穴を犯された野良犬や野良山羊をよく見かけるという報告が上がっていたからな。『獣姦は怪姦!我慢汁男優があらわれる前兆だ』と聞いている。だから、恐らく、本物だろう。しかし、敵は『律儀な性格だ』とも聞く。犯行予告日時さえやりすごせば、問題はないはずだ。お巡りさんにすぐに電話しろ! 愛する弟の貞操は何としてでも守るのだ!」

 美青年が力強く言い放つと家令はただちに一一〇番に通報した。

 日本を代表する財閥グループからの通報だけあって、警察もすぐに駆けつけた。

 十三月兄弟は彼らに事情を説明するために応接室に移動した。

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