第24話 戦士の変貌

 座学でみっちりと獣人種の魔物が採り得る戦術理論を教え込み、ラドバウトはぱたんと教科書を閉じながら言った。


「よし、これから実戦を想定した訓練じゃ。パーティーごとに集まって校庭に出るように」


 ここからは授業の本番、実際に魔物を相手取った場合を想定した戦闘訓練だ。普段はここでフレイクに手伝ってもらい、一対多の状況で的確に相手を追い詰めるやり方や、逆に一対一や二対一に持ち込まれた時にどのように切り抜けるかを身体で学ばせている。

 だが、たまには違うことを主軸においてやるのもいいだろう、準備のためにラドバウトが先に校庭に出ると。


「さて……おや?」


 彼は思わず声を漏らして目を見開いた。校庭のど真ん中で、ピエルパオロが大の字になって倒れている。

 もう、盾もメイスも放り出して、動けない、動きたくないといった有り様だ。対してフレイクは息こそ上がっているがまだまだ元気、槍代わりの棒でピエルパオロの空っぽの手をつんつんつついている。


「はぁ、はぁ……っ」

「よろいのすごいひと! やっぱりすごいです、もういっせんしましょう!」


 楽しそうに尻尾をぶんぶん振りながら、ピエルパオロをせっつくフレイクだが、当のピエルパオロがこれ以上付き合いきれるはずがない。いい加減開放してやらないとならないだろう。

 歩み寄って、苦笑しながら声をかける。


「ピエルパオロ、どうしたな」

「ら、ラド、バウ、ト」


 兜の向こうで銀色の目を見開いたピエルパオロが、ぎょっとした顔をしながら声を漏らした。声がとぎれとぎれな辺り、文字通りに息も絶え絶えという感じだ。

 何度か深呼吸して息を整えると、フレイクから棒を奪い取って下からラドバウトに突きつけた。


「この、こいつをどうにかしろ! お前の養い子だろう、行動にもっとお前が責任を持て!」

「はて、耳が痛いことを言いよる」


 困ったように笑い、棒をそっとどけるラドバウトだ。確かにフレイクはラドバウトの養子という形で身辺の管理をしている。責任を持てと言われれば、返す言葉もない。

 ぽかんとしているフレイクの頭にぽんと手を置きながら、ラドバウトは声をかけた。


「フレイク、そろそろやめにしなさい。ピエルパオロは疲れ切っておるし、そろそろ実戦形式の授業じゃぞ」

「あっ、そうでした! ごめんなさい!」


 ラドバウトに言われて、授業の準備のために走っていくフレイクを見送る。ようやく身体を起こせるようになったらしいピエルパオロが、上体を起こしてゆっくりと息を吐き出した。


「ふう……」

「お疲れさまじゃ。少し腰掛けて休むといい」


 こんなに長時間フレイクと戦い続けて、体力は完全に尽きたことだろう。だが、冒険者としては上々だ。元魔王城の衛兵と三時間以上一対一で戦い続けるだけでも、十分に並大抵ではない。

 木陰にピエルパオロを座らせると、ラドバウトはさっと手を動かした。


「静かなる風よ、ひと時の安らぎを! そよ風ブリーズ!」


 風魔法第一位階、そよ風ブリーズを使う。攻撃用の魔法ではなく、そよ風を吹かせて空間の温度や湿度を調整する、空調用の魔法だ。ピエルパオロの身体は火照っているだろうから冷風を吹かせてもいいのだが、汗が冷えてはよくない。

 だが、風を受けたピエルパオロは不満を顕に声を上げた。風を避けるようにしながらラドバウトを睨む。


「……っ、おい」

「どうした、冷風を吹かせるよりは身体も冷やさんでいいじゃろうが」


 不思議そうな顔をして、ピエルパオロの目を見るラドバウトだ。せっかく環境を整えたと言うのに、文句を言われるとはどういうことだ。

 対して、視線を逸らすようにしつつピエルパオロはうつむいた。


「そうじゃない、確かにその言葉に一理あるが……これでは、嫌がらせだぞ」

「何がじゃ、藪から棒に」


 ピエルパオロの文句に、ラドバウトはますます首を傾けた。嫌がらせになるようなことなど、何一つしている自覚はない。一体何が不満なのだろう。

 意図を掴みかねている彼の前で、ピエルパオロは自分の常にかぶっている兜に手をかけた。


「見るか、今の俺・・・を」


 言いながら、兜を脱ぐ。その下から現れたのは、完全に青い鱗に覆われた首、そして角の生えた竜の頭。すっかり竜人ドラゴヒューマンへと、ピエルパオロは変じてしまっていたらしい。

 それを見たラドバウトは、さすがに目を見開いて言葉に詰まった。さすがに先ほどのフレイクとのやり取りで、ここまで急速に魔物化が進行するとは思っていなかったらしい。


「ほう……なるほど、のう」

「今朝にまた鱗が広がっていた。それだけならまだよかったが、先程の獣人ファーヒューマンにさんざん追いかけ回され、小突き回され、叩きのめされ……『人間』としての俺の肉体は、とっくに限界を迎えたらしい」


 呆れたように言いながら、ピエルパオロは身につけた鎧を脱いでいく。鎧の中でたたまれる形になっていた背中の翼が、バサリと音を立てて大きく広がる。下半身の鎧を脱ぐと、足の形も竜人ドラゴヒューマンのそれへと変わっていた。


「もうここまで来たら、人間を取り繕うことすら何の意味も持たない。この鎧も、兜も、長年愛用してきたが、もう使えないな」


 傍らに置いた鎧と兜を愛おしそうに撫でながら、ピエルパオロは小さく笑った。

 肉体の魔物化が進行する形の半人間メッゾ・ウマーノは、生命の危機に晒されることで進行が早まる。魔物の方が生命力が強いが故にだ。フレイクとの数時間に渡る激闘は、ピエルパオロを完全な魔物にするには十分な強度だったらしい。

 銀の瞳の瞳孔を細めながら、ピエルパオロがラドバウトを見る。


「貴様は、こんな俺でも、勇者に……いや、違うな」


 言いかけて、彼は言葉を区切った。確かに、勇者カリストが健在な以上、ピエルパオロにそのポストが与えられることはない。まだまだ半人間メッゾ・ウマーノへの風当たりも強い中、勇者と認定されることは難しいのもあるだろう。

 頭を振ってから、ピエルパオロが改めてラドバウトに目を向けて口を開いた。


「勇者を超えた働きが出来ると、勇者を超えた力を身に着けられると、思うか」


 涼やかな風が、優しく二人のたてがみを揺らす。小さく笑いながら、ラドバウトはあごひげをいじりながらこくりと頷いた。


「無論じゃ。むしろ完全に魔物の肉体になったのなら、以前に増して造作もない事よ」


 その言葉を聞いて、瞳孔を細くしつつ目を見開くピエルパオロだ。そんなに簡単に出来るものなのか、魔物の身体になったばかりの彼には掴みかねているようだ。

 と、生徒たち11人が準備を終えて校庭に出てきた。魔物の姿をさらけ出しているピエルパオロを見てあっと声を上げるものもいるが、「石の投手ランチャトーレピエトレ」の三人は抵抗なく近づいて声をかけてくる。


「あっ、ピエルパオロ!」

「お疲れ様、大変だったわね」

「時折見えていたぞ、君とフレイクの数時間にわたる激闘は」

「ブルネッラ、セコンダ、サルヴァトーレ……」


 ねぎらい、慮る仲間たちに、呼びかけながらピエルパオロはうつむいた。長くなった口吻を自分の脚につけるほどに頭を下げる。


「……すまない、俺はもう、戻れないし、隠せもしない」


 人間には戻れない、人間だと隠すことも出来ない。ここまで魔物化が進んだら、ローブで隠すにしても骨だ。

 だが、ブルネッラも、セコンダも、サルヴァトーレも揃って頭を振った。


「いいのよ、それでも」

「完全に魔物の身体をした半人間メッゾなんて、今更珍しくもないわ」

「後で、君の身体に合うローブを買いに行こう、俺からプレゼントする」


 その言葉を聞いたピエルパオロが、自分を見下ろす仲間たちの顔を見上げた。その目の端に、僅かに涙が浮かぶ。

 認められ、受け入れられたことを喜んで涙をこぼすピエルパオロに、立ち上がったラドバウトが声をかけた。


「ピエルパオロ・カルテーリ」


 先ほどまでとは異なる、少々厳しさを帯びた声だ。その声にピエルパオロも背筋を伸ばす。それを見て、指導者としてラドバウトが言葉を授け始める。


「お主は竜人ドラゴヒューマンになった。しかも能力の高い重装兵ガードでもある。ならばわしが、竜人ドラゴヒューマンならではの戦い方というものを教えてやろう。さすれば、ホッジ公国、大陸北部はおろか、世界でも指折りの重装兵ガードに成長することも夢物語ではない」


 その、断定するような言い方を聞いて、四人が驚きに目を見開いた。確かにピエルパオロには才能があるし、ホッジ公国や周辺国も含めた大陸北部で一番の重装兵ガードになることも出来るだろう。

 だが、世界でも屈指の、となると状況が変わってくる。


「どういうことだ」

「確かに、竜人ドラゴヒューマンは亜人の中でも強い部類で、恐れられる魔物ですけれど……」

竜人ドラゴヒューマンならではの、戦い方?」


 ピエルパオロが、ブルネッラが、サルヴァトーレが首を傾げながらラドバウトに問いかける。それに対してすぐには答えず、ラドバウトは生徒たちに向かって手を叩いた。


「よし授業じゃ諸君。今日は趣向を変えよう」


 そう話すと、ラドバウトはその場に授業の時に身につけるローブを脱ぎ捨てた。彼の背中で、大きな翼がバサリと広がる。


「全員でわし一人にかかってこい!」

「え……」

「えぇぇっ!?」


 それを見て驚きの声があちこちから上がる。まさか、ラドバウト自身に生徒11人、全員から攻撃を仕掛けに来いとは、無茶なことを言ってくるものだ。

 わたわたと攻撃の準備をする生徒たちの前で、ラドバウトは翼を羽ばたかせて空へと舞い上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る