第23話 逃げる者と追う者

 模擬戦闘が終わって、昼食を取ったら昼休憩。休憩が終わる頃に、教室でラドバウトがもう一度手を叩く。


「よし、これから座学に移ろうかの。フレイク、お疲れさまじゃ。実技の時間まで遊んできなさい」

「はーい!」


 ラドバウトの言葉に、フレイクが元気よく返事をして教室の外に飛び出していく。座学の時間はラドバウトが全てを担当するので、フレイクは自由時間だ。午後にもう一度設けている実技演習の時間まで、自由にさせている。

 フレイクがぱたぱたと出ていったのを確認して、ラドバウトが黒板に向き直った。石灰岩を切り出して作ったチョークを手に、大陸で広く使われている共通文字を書き始める。


「では、今日は昨日に引き続き、魔王軍の魔物のよく取る戦術について解説しよう。今日は『黄金獣』ブレヒチェに連なる、獣人種の魔物の戦術を――ん?」


 だが、黒板にチョークの当たる音が響き、ラドバウトが解説を行う中、冒険者たちの視線は黒板には向いていなかった。特に窓側に座る4人の視線が、明らかに窓の外へと向いている。


「どうしたんじゃお主ら、揃って外を見て」


 訝しげにラドバウトが問いかけると、アントニーナが窓の外を指さしながら言った。


「先生、あの……」

「あれ、見てください」

「んむ?」


 続いてクリスティーナも、困惑した様子でラドバウトに言う。彼らの視線を追ってラドバウトが窓の外を見ると、そこではフレイクが校庭を走っている姿があった。

 それ自体は何も珍しいものではない。だが、今日は様子が違う。


「よろいのすごいひと! あそびましょう! きょうはまけません!」

「やめろ獣人ファーヒューマン! 俺は遊びに来たのではない!」


 ピエルパオロがフレイクに追いかけ回されているのだ。昼休憩の際にこれから座学だから授業を見学してはどうか、と声をかけたのだが固辞されて、校舎の入り口付近で所在なさげに佇んでいたのだが、そこをフレイクに捕まったらしい。


「ピエルパオロ……」

「フレイクも、何をやっているんでしょう」


 困惑した様子の生徒たち。傍から見たら単なる追いかけっこのようである故、ほのぼのした風景でもある。とはいえ全身鎧の屈強な男性が小柄な獣人ファーヒューマンに追いかけられている姿は、そこはかとなく滑稽こっけいだ。


「ふふっ」


 思わず、ラドバウトの口から笑みがこぼれる。そうこうするうちに逃げ切れないと判断したピエルパオロが身体を反転させた。フレイクの身体を迎え入れるようにしながら、彼の両手を掴んで押し留める。ピエルパオロと組み合いながら、フレイクが校舎の方に顔を向けた。


「せんせい! ぼうをください!」

「よせっ、声をかけるな! 授業の邪魔になる!」


 フレイクがラドバウトに声をかけたのを見て、にわかにピエルパオロが慌て始めた。確かに今は授業の最中だ。妨害をしてはよくない。

 だが、苦笑しながらラドバウトは、窓から顔を出してフレイクへと声をかけた。


「フレイク、棒は倉庫の中に入っておる。好きに使いなさい」

「はい!」


 ラドバウトの声に、尻尾をぴんと立てたフレイクが一目散、ピエルパオロに背を向けて校舎横の倉庫に走っていく。面食らった様子で立ち尽くすピエルパオロに、今度はラドバウトが視線を向けて声をかけた。


「ピエルパオロ」

「なんだ……!?」


 声をかけられたピエルパオロの背筋がビクリと伸びる。そんな彼に、ラドバウトは微笑みながらある種残酷な言葉を投げかけた。


「フレイクはお前さんを気に入ったようじゃ。捕まえられないように気を付けなさい。捕まったら、大人しく模擬戦の相手をしてやるんじゃ」

「な――」


 彼の発言に、ピエルパオロの兜の下の顔から血の気が引く。そしてピエルパオロの足元に、片手剣ほどのサイズの棒が投げられた。見ればそれよりも長い、槍ほどのサイズの棒を握りながら、フレイクが尻尾をぶんぶん振って嬉々として駆けてくる。


「わーい! まってくださーい!」

「ああ、もう!」


 もうすっかり模擬戦モードに入ったフレイクである。にっちもさっちもいかず、ピエルパオロは足元の棒を拾って駆け出した。相応に重量のあるフルアーマーを着込んでいるとは思えないほどの全速力、あまりの速さにフレイクはますますテンションが上がったようで。

 そのまま校庭を全部使っての追いかけっこが始まるのを見て、ラドバウトはようやく窓から背を向けた。


「よし、あれでいいじゃろ」

「い……いいんですか?」

「どう見ても、追いかけっこですけれど……」


 その様子に、冒険者たちが目を白黒させる。ピエルパオロとフレイクの様子も気になるが、今は授業中だ。黒板に集中しないとならない時間である。

 気もそぞろと言った様子の冒険者たちに、ラドバウトは苦笑しながら黒板にチョークを当てた。


「お主ら、ちょうどこれからわしが教えようと思っていたことと、あの二人のやり取りには通じるものがある。その理由をこれから話してやる」


 そう話しながら、ラドバウトが黒板に描くのは城、そして槍と盾を手にした獣人種のイラストだ。そこからいくらか離れたところに数人の人間を描いた後、ラドバウトが冒険者に向き直る。


「獣人種の魔物はその知恵の高さ故、攻め込むことよりも守ることに長ける、というのはお主らも知っていることと思う。特にブレヒチェ率いる直属部隊は、逃げる・・・ことに長けた人員が多く配属されていたのは有名な話じゃ」


 そう話したラドバウトが、黒板に大きく「黄金獣=逃げ」の文字を書く。それを見てサルヴァトーレがさっと手を上げて口を開いた。


「『黄金獣は、竜のように襲い掛かり、鳥のように逃げ去る』、という話を聞いたことがありますが、その通りということでしょうか」

「そうじゃ」


 彼の発言に、大きくうなずくラドバウトだ。

 『黄金獣』ブレヒチェは、魔王城の警備をする衛兵たちを統括する、集団戦と防衛戦のプロフェッショナルだ。だが彼女の真髄は守ることそのものではなく、攻め込もうと準備する冒険者を急襲し、的確にダメージを与えては去っていく、その奇襲と機動力だ。


「ブレヒチェはその戦闘能力の高さも脅威ではあるが、真に脅威なのは敵の虚を突いた奇襲攻撃の恐ろしさじゃ。冒険者の意識が外れた場所を的確に見極め、襲い掛かって致命傷を与え、すぐさまに撤退していく。こうした奇襲を繰り返し、追いかけてきた冒険者の攻撃を押しとどめている間に主力の魔獣や竜が攻撃を加える。それが何より脅威なんじゃ」


 説明をしながら、ラドバウトは黒板に描いたイラストに矢印を書き足していく。代の前に立つ獣人種はそのままに、その横に追加した大きな獣人種を円で囲み、人間の集団へと向かって戻るように矢印を書いた。この大きな獣人種がつまり、ブレヒチェ率いる奇襲部隊というわけだ。

 彼らが冒険者を襲い、追いかけさせ、魔王城の前を固める獣人種で押し止める。そこを他の魔物に襲わせる。この守りと奇襲のコンビネーションがあるがゆえに、魔王城の周辺の守りは特に硬いのだ。何しろ、どこから魔物が襲ってきてもおかしくない状況である。

 冒険者たちがごくりとつばを飲んだところで、ラドバウトがカツンとチョークで黒板を叩く。


「では、そういう攻め方をする敵と出会った時、どうすればいいと思う?」


 問いかけられた冒険者たちはしばし考え始める。と、「獣の守り人カストーデベスティア」の付与術士エンチャンター、タツィオ・フェイが手を上げた。


「はい」

「よし、タツィオ」


 すぐさまにラドバウトがタツィオを指す。手を下ろしたタツィオは、こくりとうなずきながら発言した。


「すぐに追いかけずに様子を見て、相手の誘いに乗らなければいいと思います」


 そして述べられたタツィオの答え。それを聞いてこくりと、嬉しそうにうなずきながらもラドバウトは返した。


「間違いではないが、正解でもないのう」

「えっ、違うんですか」


 返答を聞いて驚いた表情でタツィオは言う。それだけではない、他の冒険者たちもざわつき始めた。


「違うんだ……」

「ギルドでは、そう対応するように教わったわよね?」


 「インゴイアーレ」の魔法使いソーサラー、エドアルド・バロンケッリと「獣の守り人カストーデベスティア」の治癒士ヒーラー、レラ・マンガーノが互いに顔を見合わせながら漏らす。

 確かに各国の冒険者ギルドで、「奇襲して撤退していく魔物がいたら、主力のいる場所に誘われている危険性がある。不用意に追撃しないこと」と教えているのは事実だ。そして理にかなっている。さらにそうすることで、こちらから逆に奇襲を仕掛ける余裕も生まれる。相手の取った戦術を逆手に取るのは戦略の基本だ。

 だが、そこでラドバウトはきっぱりと口を開く。


「奇襲してきた敵を深追いせず、様子を見てから逆に奇襲する。それもまた戦術の一つじゃが、相手にも準備をさせる余裕を与えてしまう。加えて相手の方が奇襲に長けている場合、対策を取られることも多いんじゃ」


 説明を行うラドバウトに、冒険者たちは目を見開いた。

 確かに撤退する相手を見逃し、こちらが攻め込まないでいたら、互いに様子見の状態になる。自分たちも準備ができるが相手にも準備の時間を与えてしまうのだ。

 そして魔獣や竜ならまだしも、相手は奇襲を得手とする『黄金獣』。相手の方が奇襲にかけては何倍も上手である以上、同じ土俵に立つのは得策ではないというわけである。

 そこまで話して、ラドバウトは矢印の一つにバッテンをつけた。


「ではどうするか。撤退させなければいい・・・・・・・・・・


 それは、人間のところから城の方へと戻っていく矢印だ。つまり人間、冒険者のいるところで魔物を留めてしまえ、と彼は言っているのだ。

 そのアプローチに、何人もの冒険者から感嘆の声が漏れる。


「あ……あー」

「奇襲してきたのを返り討ちにする、ってことですか?」


 タツィオが声を漏らすと同時に、アントニーナが声を上げる。彼女の言葉に、ラドバウトがこくりとうなずいた。


「そうじゃの。敢えてパーティー全体に隙を作れば、相手をそちらに誘い込むことも出来よう。そこにかかってきた相手を全員で叩きのめせば、相手に準備をさせることも出来まい?」

「な、なるほど……!」


 その説明にアントニーナも他の冒険者も、揃ってうなずく。納得した様子の彼ら彼女らに、ラドバウトがもう一度窓の方に歩み寄った。

 ちょうど、フレイクがピエルパオロに追いついて、その腰に棒で一撃を入れているところだった。とっさに振り返ったピエルパオロが振り向きざまに棒でフレイクの手の棒を払うと、そのまま彼の手を棒で叩いて、再び逃げ出した。


「窓の下を見てごらん。フレイクはピエルパオロに奇襲したが、ピエルパオロはそれを押しとどめて抵抗したじゃろ。そして今は逃げるピエルパオロをフレイクが追っておる」

「あっ」


 ラドバウトの説明に冒険者たちが声を上げる。確かに、先程彼が授業中に説明した通りの状況が、下の校庭で行われていた。

 そうして再び眼下で追いかけっこが始まるのを、ラドバウトは苦笑を浮かべつつ見下ろしてから、改めて授業を再開するのだった。

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