第21話 半人間

 その日の夜。バルザッリ第二区の宿屋「夕方の羊亭」の一室の扉が開かれる。部屋の扉を開けてやって来たのは、「石の投手ランチャトーレピエトレ」のブルネッラとセコンダの二人だ。


「ただいまー」

「戻ったわよ」


 そう言いながら、二人は部屋の中にいる人物へと声をかける。丈の長いローブに身を包み、ローブのフードを深くかぶったピエルパオロだ。


「ああ……戻ったのか、ブルネッラ、セコンダ」


 仲間の前だというのに、フードを被ったままのピエルパオロ。思えば彼は屋外では、頭をすっぽり覆う兜と、フルアーマーを身に付けて滅多にそれを脱がない。仲間に対しても、宿屋の中でもこうなのだから、その隠ぺい具合は徹底していた。

 ピエルパオロに笑みを向けたブルネッラが、ぐっと背伸びをしながら話し始める。


「もー、すごいわ。私も冒険者としては結構いいところまで行ってると思ってたけど、慢心は禁物よね」

「今までの固定観念を粉々に打ち砕かれた感じだわね。すごいわあの人」


 セコンダもブルネッラに同調しながら言葉を返す。手放しでを褒めるその物言いに、フードの下のピエルパオロが表情を強張らせた。


「そんなにか、あいつは」

「すごいすごい。さすが、魔王を長年支えてきただけあるわ」


 少し不満げなピエルパオロの言葉に、セコンダがため息交じりに言った。それに頷きながら、ブルネッラが腕を組む。


「全くよね。あんな人がいたんじゃ、そりゃ私たちの国・・・・・も飲み込まれるわ」


 彼女のその言葉に、ピエルパオロの表情が余計に険しくなった。

 彼の故郷であるヴィエリ宗主国は、既に存在しない。「石の投手ランチャトーレピエトレ」は元々ヴィエリ宗主国に住んでいた四人がバジオーラ王国に移って冒険者を始め、そこからホッジ公国にやってきたという経緯があるので、故郷を失ったのはブルネッラもセコンダも、なんならサルヴァトーレも同様だ。

 だが、彼女たちに国を失ったことの悲壮感はもう無い。どころか、国を奪うことに携わったラドバウトに尊敬の念を抱いていた。

 二人の会話を遮るように、ピエルパオロが首を振りながら口を開く。


「……いいだろ、その話はもう。それで? サルヴァトーレはどうした」


 ピエルパオロの訝しむような声に、ブルネッラとセコンダが僅かに視線を交わし合う。すぐに二人は、苦笑しながら後方のドアに顔を向けつつ口を開いた。


「すぐ来るわ」

「いいわよ、先生も・・・


 その言葉にピエルパオロの身体が強張った。明らかに扉の向こうの誰か・・に呼びかけている。

 程なくして扉が、小さな音を立てて開かれた。


「邪魔するぞい」


 姿を見せたのはゆったりしたローブを身に付けた、赤い鱗と琥珀色の瞳を持つ老いた竜人ドラゴヒューマン。誰あろう、ラドバウトである。

 ピエルパオロの顔に影が落ちた。同時に彼のまとう空気が不穏なものになる。


「……『竜頭の翁』ラドバウト」


 地の底から響くような声でその名前を呼ぶピエルパオロに、仲間たちが申し訳の無い様子で頭を下げた。


「ごめんね、ピエルパオロ」

「先生が、どうしても貴方に話をしたい、と仰ったから……ここまで連れてきたの」

「すまない、君が嫌な気持ちになるとは、分かっていたんだが」


 ブルネッラも、セコンダも、サルヴァトーレも揃ってピエルパオロに謝り、頭を下げる。だがそれ以上に、彼に向かって頭を下げる人物がいた。

 ラドバウトである。いや、頭を下げるどころの話ではない。椅子に座ったままのピエルパオロの足元にひざまずくように、床に両手をついて首を垂れた。


「すまぬ……すまなかった、ピエルパオロ。『わしのしたこと』が、こうまでお主を苦しめることになるとは、わしも思っておらなんだ」


 そう言いながらピエルパオロの前で謝罪を続けるラドバウトを、ブルネッラも、セコンダも、サルヴァトーレもぎょっとした顔で見ていた。恐る恐る、セコンダが問いかける。


「わしのしたこと、って……」

「先生、どういうことですか?」


 ブルネッラもそうラドバウトへと声をかけた。それに対し、頭を床にこすりつけたまま答え始めるラドバウトである。


「10年前のあの日、お主らの祖国であるヴィエリ宗主国を魔王軍が制圧、併合したあの日。わしはパスカーリ郡制圧の指揮を執っておった。その中に、ピエルパオロの故郷であるシアーノ村も含まれておる……現地の視察も直接したのじゃ」


 その話に、三人がハッとした表情をした。

 ヴィエリ宗主国が魔王軍に制圧された日、ピエルパオロは15歳、ブルネッラとサルヴァトーレは14歳、セコンダは13歳だった。まだ冒険者としてギルドに登録する前で、それぞれの村で冒険する日を夢見ながら暮らしていた。

 そこを、魔王軍に襲われて祖国から逃げ出したのだ。そしてピエルパオロは比較的多くの民が助かったパスカーリ郡の出身だが、それだけ助かったのは指揮官役だったラドバウトの温情があってのこと、とよく知られている。

 椅子から、ゆらりとピエルパオロが立ち上がった。冷たい目で、首を垂れるままのラドバウトを見下ろす。


「そうだ、あんたが村の視察に来たおかげで、俺は命を救われた……だがそれと同時に、俺はこう・・なってしまったんだ」


 そう話しながらピエルパオロは、自分の、深くかぶったローブのフードに手をかける。フードが外されたそこには、頬や首を青い鱗・・・に覆われ、瞳孔が縦に細く裂けた・・・・・・・銀色の瞳を持つ、およそ人間とは呼べない頭があった。


「よく見ろ、あんたが無為に命を救った結果、半人間メッゾ・ウマーノとなった元人間の姿だ!」


 そう言い放ちながら、ピエルパオロが吼える。大きく開いた口の中には鋭い牙が何本も見て取れた。

 魔物と人間が何らかの理由で性的接触を行い、その結果生まれる混血児は、一般的に半人間メッゾ・ウマーノと呼ばれる。人間からかけ離れ、魔物と大差ない姿をしている者も多いため、その多くが迫害され、差別の対象となっているのだ。

 だが、半人間メッゾ・ウマーノが生まれるのは何も先天的な理由ばかりではない。魔物の血肉を食らったり、内臓を魔物のそれと取り換えたりなどして、魔物の組織を体内に取り込んだ場合も、肉体が徐々に魔物に近づいて半人間メッゾ・ウマーノとなるのだ。

 強い口調でピエルパオロが話し続ける。


「当時の村長から話を聞いた。あんたは瓦礫に潰されて死にかけだった俺の心臓を、自分の部下である竜人ドラゴヒューマンの心臓と取り換えたと。他にも腕や足やあばらの骨、肺、胃……あちこちの臓器を、外からはそれと分からないように、魔物のそれと取り換えたと」


 話している間にも、ピエルパオロは自分のまとう衣服を次々に取り払ってベッドに放り投げていく。ローブを脱げば竜人ドラゴヒューマンの尻尾が露わになり、シャツを脱げば鱗に覆われた蛇腹状の胴体が露わになる。背に翼こそ生えていないが、ここまであってはとても人間とは呼べない。

 最終的に上半身の衣服を全て取り払ったピエルパオロが、ラドバウトの目の前に強く足を落とした。部屋の家具が微かに揺れる。


「その結果がこうだ! 確かに俺は今もこうして生きている。冒険者として成功できるほどに強くもなった。だが、日に日に竜人ドラゴヒューマンへと変じていく俺の身体をどうしてくれる! もう身体の半分以上を、鱗に覆われてしまっているんだぞ!」


 声を張り上げるピエルパオロの目の端から涙がこぼれた。自分をこういう状況にした当人が目の前に現れて感極まったのだろう。

 そこでようやく、ピエルパオロの言葉が途切れた。それまでずっと床に頭をつけて詫びていたラドバウトが、ゆっくりと顔を上げる。


「……本当にすまぬ。望まれない形で命を救われ、その影響がこうして色濃く出ている。わしの責任は大きい」


 声の端を震わせながら、涙声になりながらラドバウトは話し始めた。持ち上げられた彼の目の端にも涙がにじんでいる。

 そして深く、深く詫びながら、再び頭を床にこすりつけるラドバウトだ。


「だが、そうだからこそ、わしはお主に直接指導をしたい。わしのしたことを許せとは言わないが、せめてもの償いに、わしはお主に一流を超えた、超一流の冒険者へと成長してほしい。勇者になれなかった・・・・・・お主に、勇者を超えうるだけの力を身に付けさせたい」


 彼の言葉に、ピエルパオロが口をつぐんだ。

 冒険者としての技量で言えば、カリスト・シヴォリよりもピエルパオロ・カルテーリの方が何倍も優れているのは誰の目にも明らかなのだ。しかしそれでも、ホッジ公国の国家認定勇者にはピエルパオロではなく、カリストが選ばれた。それは何も、ピエルパオロが重装兵ガードであるから、精神面でカリストが優れていたから、というだけではないはずだ。

 黙りこくったピエルパオロの前で、ますますラドバウトは姿勢を低くする。


「わしに出来ることはそれだけじゃ……わしの知識の全てをやろう。それで、許してはもらえなんだか」


 平身低頭するラドバウトを、部屋の中にいる四人は信じられない表情で見ていた。

 魔物が人間に対して頭を下げるだけでも騒がれることなのに、ここまで深く首を垂れるなんてのは、本来ならあり得ないことだ。この事実が明るみに出ただけでも、間違いなくバルザッリの市内は大騒ぎになる。

 それだけではない。ラドバウトの言葉がいかに心からのものか、彼らはよく分かっていた。この謝罪が形だけのものではないことを理解していた。

 自分の過去の行いを心から悔いて、謝罪するラドバウトを、ピエルパオロは苦虫を噛み潰したような表情で見つめている。


「……」


 立ち尽くしたピエルパオロの、握られた拳が震える。その指の先端には鋭い爪があるだろうに、ぐっと握りこみながら彼は首を垂れるラドバウトを見つめていた。

 そしてどれだけの時間が過ぎただろうか、諦めたように、ピエルパオロが椅子へと腰を下ろした。


「ピエルパオロ……」

「ふう……」


 サルヴァトーレが思わず声をかけると、ピエルパオロは深くため息をついた。ベッドの上に投げ出した服を取ろうともせず、竜人ドラゴヒューマンらしい肉体をさらけ出したまま、彼はぽつりと言った。


「……考える、時間が欲しい」


 ピエルパオロの言葉に、ラドバウトがはっと顔を上げる。仲間の三人も驚いた様子でピエルパオロを見つめた。

 少なくとも、拒絶するような態度ではない。あれだけ憎んでいたであろう相手の申し出に対して、である。

 ラドバウトの目から再び涙が一筋流れ落ちた。嬉しそうに目を細めながら、彼は大きくうなずいて見せる。


「うむ。考えがまとまったら、学校まで来るがいい。その時は、大いに歓迎しようぞ」


 そう話して、ラドバウトはようやく立ち上がる。手を拭ってから部屋を出ていくまで、ピエルパオロはずっと、彼から顔を背けたままだった。

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