第2章 教鞭

第11話 用地の下賜

 ホッジ公との謁見から数日が経過し、フレイクが首輪にやっと慣れた頃。

 「湾曲する矢フレッシオーネフレッシア」馴染みの、バルザッリ第一区の宿屋「南洋の鯨亭」の一室で朝の身支度を終えて部屋を出ると、ちょうど部屋の前で待っていたらしいミレーナと鉢合わせた。


「あっ、ラドバウト先生。おはようございます」

「おう、おはよう、ミレーナ」


 軽く挨拶をして、二人並んで下の階へと向かう。今頃宿の女将が、朝食のパンを焼いて野菜のスープを作っているはずだ。


「他の三人はもう朝の訓練から戻ってきたかの?」

「はい! 近隣の魔物の討伐も終えてきました」


 話すミレーナは嬉しそうだ。ラドバウトはカリスト、トゥーリオ、ミレーナ、フレイクの四人にそれぞれ鍛錬メニューを用意し、それをしっかりとこなすことを課した。今日はカリスト、トゥーリオ、フレイクで組んでの戦闘だ。

 通常のパーティーメンバーだけでなく、その場で出会った仲間としっかり協力して敵に立ち向かうのも、冒険者にとっては重要なことだ。カリストたちは特に、パーティーの構成人数が少ない。独力で何とか出来ない時に、他のパーティーと協力することは重要である。

 と、階段を降りきったところで。


「そうだ、先生。下に閣下の使者の方がいらしていましたよ」

「ほう? わしに用事とな」


 ミレーナが思い出したように言えば、ラドバウトは小さく目を見開いた。

 ホッジ公がラドバウトを指名して使者をよこすとは、珍しいこともあるものだ。宿の玄関の方に行くと、そこには金髪を短く刈った、人間の男性が微笑みながら立っていた。幻影を被せているラドバウトもしっかり見極め、深く頭を下げる。


「ラドバウト・ドラゴネッティ様でいらっしゃいますね。私、ホッジ1世閣下の書記官を務めております、リヴィオ・ペラッツァーニと申します。以後、ドラゴネッティ様と閣下、宰相様の橋渡し役を勤めさせていただきます。よろしくお願いいたします」


 男性――リヴィオはそう言うと、ラドバウトに手を差し出してきた。握手しようということだ。その手をラドバウトの手が握り返す。

 幻影魔法はあくまでも幻影、触れれば正体が分かってしまう。リヴィオの手にはラドバウトの、鱗に覆われたゴツゴツした手の感触が伝わっているだろう。


「うむ、よろしく頼むのう。して本日は、何用じゃな」


 それでも平静を保ちながらラドバウトが問いかけると、リヴィオはこくりと頷きながら手元の書類をめくった。


「はい。この度閣下からご許可を賜りました冒険者学校につきまして、用地の準備が整いました故、ご連絡に上がりました」

「えっ、本当ですか!?」


 彼の言葉に、ミレーナがぱっと表情を明るくさせた。

 冒険者学校の場所が見つかった。それはつまり、ラドバウトの今の仮宿暮らしも終わりになる、ということだ。宿代についてはそこまで心配するほどでもないが、やはり何泊も宿屋に泊まっているというのは落ち着かないものだ。

 ホッとした表情を見せながら、ラドバウトがリヴィオに声をかける。


「ほう、意外と早くに準備ができたものじゃな」

「中古ではございますが、物件も整えられてございます。必要最低限の設備はございますかと。場所は閣下より私が伺っておりますので、後ほどご案内いたします」


 そう言いながら、深く頭を下げるリヴィオである。

 それからラドバウトは訓練から戻った三人とミレーナと一緒に、宿で朝食を取り、連泊した分の宿泊料と心づけを宿に支払って、荷物をまとめて外へと出た。

 先を行くリヴィオとその後に続くラドバウトの後ろで、すっかり打ち解けたフレイクとトゥーリオがきゃいきゃいとはしゃいでいる。


「がっこうのたてもの、もうあるんですか?」

「そうらしいよ。凄いですね、先生!」

「わくわくしてきますね!」


 カリストも二人と一緒になって、楽しそうに話をしている。口々に先生、先生とラドバウトに声をかけてくる四人をちらと見て、リヴィオは柔らかく微笑んだ。


「慕われておいでなのですね」

「有り難いことにのう。フレイクも、カリストたちも、素直で覚えのいい子じゃよ」


 ラドバウトもその言葉に頷きながら、後方からついてくる四人を見やる。彼もまた、どことなく嬉しそうだ。

 そして第一区から第三区に入り、そのまま大通りを歩いてから第四区の手前で左に曲がったその先。商社の倉庫や建物が軒を連ねる中に、その場所はあった。


「こちらがその用地となります」

「ほう……」


 リヴィオが手を伸ばしたその先を、ラドバウトは目を見張りながら見やった。

 そこはまさしく荒れ地だった。背の高い雑草がいっぱいに生い茂り、その向こうにはレンガ造りの大きな二階建ての建物が建っている。右手にはそれよりも幾分か小規模な、木製の二階建ての建物。建物自体はそこまで傷んでいる様子は無いが、手入れがされていないことは容易に想像がつく。

 カリストがぽかんとしながらリヴィオの顔を見た。


「え、マジですか、リヴィオさん」

「ここって確か、昨年撤退したアデモロ商会の支社があった場所よね?」

「たぶん……うわ、草ぼうぼうだ」


 ミレーナとトゥーリオが顔を見合わせながらため息をついた。

 アデモロ商会はエミリ王国に本社を持つ、大陸の北部を手中に収める大企業だ。そこの支社がこの場所にあったのだが、確かに昨年、業績不振が響いて撤退していった。バルザッリ市は元々地元系の商会が強く根付いているから、あまりアデモロ商会が入ってくる余地がなかったのも現実だろう。

 しかし、それにしてもこの荒れようはすごい。リヴィオが深く頭を下げる。


「申し訳ありません、首都の中で、ある程度の敷地面積のある場所が、こちらしか用意できなかったとのことでございまして」

「いや、構わんよ。座学が出来て、運動できる場所が有ればそれで十分じゃ」


 恐縮するリヴィオに対し、ゆるゆると首を振るラドバウトだ。敷地を用意してもらえるだけでもありがたいことだ。おまけに建物までついているし、ここに住むための建物も見た感じありそうだ。感謝するより他にない。

 とはいえ、このままでは生徒を迎え入れることが出来ない。まずは掃除と修繕が先だ。


「さて、まずは建物の掃除からじゃのう。生活用水は、どうやって確保しておる?」

「敷地内に水道を引いてございます。あちらの貯水槽に一度溜めて、そこからお使いください。飲料水用のタンクが別にあり、濾過した綺麗な水をご使用いただけるようになっております」


 ラドバウトの問いかけにリヴィオが答える。見てみれば確かに、敷地の奥にある建物とその右手にある建物の間に、大きなタンクが一つと、煉瓦で組まれた貯水槽が並んでいた。水は比較的自由に使えそうだ。

 水が使えるなら後はどうにでもなる。ラドバウトはすぐに後ろを振り返った。


「了解じゃ。さて、四人とも。まずはこの場所を整えるぞ。カリストとフレイクは草刈り、ミレーナとトゥーリオは中の掃き掃除を頼む。わしは水道の調子を見てくるからのう」

「は、はい!」

「わかりました!」


 四人にそれぞれ指示を出せば、すぐに敷地の中に草を分け入って駆けていく。彼らの後をゆったり追いかけながら、ラドバウトもこれから学校になる場所に踏み込んだ。


「ふむ……忙しくなりそうじゃのう」


 その言葉に偽りはない。学校の開校まで、やることはたくさんあるのだ。

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