第10話 臣民の首輪
手枷と足枷を外してもらって謁見の間を出ると、外で警備に当たっていた兵士たちがぎょっとした顔をした。
それはそうだろう。謁見の間に入る時には厳重に枷をはめられていた捕虜が、中で枷を外されて市民の顔で堂々と出てきたのだから。
と、謁見の間に入れず、外で待っていたフレイクが駆け寄ってきた。どうやら警備の兵士に相手をしてもらっていたらしい。
「せんせい!」
「おお、フレイク。待たせてしまったのう」
ラドバウトに抱き着くフレイクの身体を、彼はそっと抱き寄せた。安心したように笑みを浮かべるカリストに、フレイクの相手をしていたらしい兵士が苦笑を見せる。
「勇者カリスト、謁見の際に戦災孤児を
「そうですね、すみませんでした」
兵士の苦言に、カリストは素直に頭を下げた。その迷いのない行動に、兵士が若干面食らっている。
これだけのやり取りを見ても、かつてのカリストが如何に勇者の立場を笠に着て傲慢に振る舞っていたか、というのが分かる。本当に、訓練と一緒に礼儀作法も厳しく教え込んでおいてよかった、とラドバウトは思った。
さて、ラドバウトにきゅっと抱き着くフレイクを見ながら、兵士が小さく首を傾げてカリストに問うた。
「この少年については、どうなさいますか? 一般的な流れですと、市内の孤児院に引き受けをお願いする形になりますが」
その言葉に、カリストとラドバウトの表情が固くなる。いまいち聞き覚えの無い単語だったからか、きょとんとしながらフレイクが口を開いた。
「こじいん、って?」
「身寄りのない子供を引き取って、面倒を見る場所よ。戦争で親を失った子供は普通はそこに行って、同じように親を亡くした子供と一緒に暮らすの」
彼の疑問に答えるのはミレーナだ。しゃがみ込んでフレイクの頭を撫でながら説明する。
その言葉の、恐らくは「同じように親を亡くした子供と一緒に暮らす」に反応したのだろう。フレイクの表情がきゅっと引き締まった。
トゥーリオもその表情の変化の奥、彼の感情の揺れ動きを察してか、ミレーナと一緒になって頭を撫でた。
「でも……フレイクは、そういうんじゃないもんね?」
二人の言葉に、フレイクはすぐに頷いた。やはり、ラドバウトから引き離されて知らない集団の中で暮らす、というのはイヤだと思ったらしい。
「せんせいといっしょがいいです!」
「そうじゃな……出来るなら、わしが引き取る形で進めたい」
抱き着かれっぱなしのラドバウトも、フレイクの顔を見つめながら頷いた。話を聞いていたカリストも、それに同調するように頷く。
しかしそこで、難しい表情をしてくる者がいた。先の兵士である。
「ラドバウトが、だと? 馬鹿な、魔物の貴様がどうやって孤児を迎え入れる。第一貴様は魔王軍の捕虜で――」
「お待ちなさい」
兵士がラドバウトに向かってやいのやいのと言い始めたその時。別の方向から声がかかった。
声のした方を見れば、シンプルながら上質な衣装に身を包んだ、亜麻色の髪を長く伸ばした年の頃四十といったところの女性が立っている。ラドバウトには先の謁見の場で見覚えがあった。
と、兵士がいきなり背筋を伸ばして女性に敬礼する。
「さ、宰相殿!?」
「お主は……先程、ホッジ公の傍に控えておった」
ラドバウトも姿勢を正しながら、その女性に小さく頭を下げた。バルダッサーレの後ろに立っていた女性なのだ。相応の身分がある人物と見て間違いはない。
果たして、女性はラドバウトに深く頭を下げながら自己紹介をした。
「はい、ホッジ公国の宰相を務めております、アナトリア・シモンチェッリと申します。以後お見知りおきください、ラドバウト・ドラゴネッティ殿」
女性――アナトリアは恭しくそう言って、ラドバウトの顔をまっすぐに見た。色白な肌と、深い青色の瞳が美しい女性だ。見た目の美しさと落ち着いた雰囲気が、若干ずれを感じなくもない。
そしてアナトリアは敬礼したままの兵士に視線を向けながら口を開いた。
「ピッチンニ
「は……!?」
彼女の発言にピッチンニと呼ばれた兵士が目を見開いた。そこに畳みかけるように、アナトリアが先程の謁見でバルダッサーレが話したことを淡々と述べていく。
「また、閣下はドラゴネッティ殿に冒険者学校の開校を認められました。用地はこれから見繕いますが、場所の選定が終わったらドラゴネッティ殿はそこに住みこんで、ホッジ公国の冒険者の育成に当たっていただくことになります」
「は……っ、な、なんと!?」
その言葉を聞いてピッチンニは卒倒せんばかりだった。目がせわしなく動き回っている。
ラドバウトには彼の気持ちがよく分かった。憎き魔王軍の中枢部から掠め取って来た捕虜だと思っていたら、ホッジ公から直々に首都に住むことを認められ、さらに冒険者の育成に携わることになっただなんて。
言葉を失っているピッチンニを放置して、フレイクが首を傾げながらラドバウトの顔を見上げる。
「せ……せんせい? つまり、あの、どういうことですか?」
「うむ、つまりな」
彼の表情に苦笑しながら、ラドバウトは口火を切った。そうだ、彼にもきっちり説明してやらねばならない。
「わしはこの国の国民として認められた。冒険者を鍛え育てることも認められた。全てはうまくいったというわけじゃ」
「す、すごいです! よかったです!」
そしてラドバウトの言葉にようやく得心が行った様子のフレイクが、飛び跳ねて喜んだ。幻影が被さっているゆえ見えないが、尻尾をぶるんぶるんと振っていることだろう。
加えて、ラドバウトが首都の市民として認められたということは、フレイクを引き取ることに何の障害もなくなる、ということだ。公国の捕虜という立場では決してできなかったわけで、これは僥倖である。
アナトリアが小さく頷きながらラドバウトとフレイクに目を向けた。
「では、ドラゴネッティ殿。フレイク殿は貴方が面倒をみられるという形で役所に届け出ます。よろしいですね?」
「うむ、問題ない……ああ、それとな、宰相殿」
と、頷き返したラドバウトがアナトリアに手招きした。首を傾げながら彼の方に近づくアナトリアだが、ラドバウトはそのままフレイクを連れてホールの壁際に向かう。そして彼女と自分でフレイクの周りに壁を作ると、きょとんとしているフレイクの額をちょんとつついた。
途端に、彼にかけられた幻影が剥がれ、本来の
「だましていたようで申し訳ないが、こういうことじゃて。その旨、よしなにお願いしたく」
「ああ……なるほど」
彼の言葉に何かを納得したようなアナトリアだ。
要するに、フレイクにも市民権を与えるにしても、彼が魔物であるという事実はバルザッリという街にとって不都合にもなり得るのだ。万一フレイクが街中で暴れだしたとして、「なんで魔物が堂々と首都に入り込んだんだ!」ということになりかねない。そうなったらアナトリアの身も危なくなる。
正体が露わになっても大人しくしているフレイクを見ながら、アナトリアはラドバウトに耳打ちする。
「彼も、魔王領から?」
「うむ、わしについて逃げてきた。元は魔王城の衛兵じゃったから、そこそこ強い……人間を襲うようなことはせんと、わしが保証する。安心してよい」
彼女の言葉に頷きながら、ラドバウトはもう一度フレイクの額に手をやった。再び彼に幻影が被せられ、人間の少年へと様変わりする。
その姿の変化を確認したアナトリアが、納得した様子で微笑みながら二人を元の位置へと促した。移動をしてから、既に準備をしていたらしい革製の首輪を二つ取り出す。
「了解しました、そのように……では、こちらをお付けください。公国で暮らすことを認められた移民が着用する『臣民の首輪』です」
差し出されたその首輪には、バルザッリ市の市章が付いていた。彼女曰く、他国から流入してきた難民や移民のうち、首都やその近隣に住むことを認められた者に装着してもらい、余所者ではないことを明らかにするものだという。
小さな村なら人数も少ない故にすぐに顔見知りになるだろうが、首都のような大きな町だとそうはいかない。バルザッリもそれなりには人の多い場所だ。区別は必要である。
素直に首輪を自身の首に巻いたラドバウトが、装着に悪戦苦闘しているフレイクに手を貸す。
「フレイク、顎を上げろ。わしがつけてやる」
「はい……んん、せんせい、なんか、ぺったりくっついて、へんなかんじです」
革製の首輪を首に付けてやると、やはり違和感があるのか首元を気にするフレイクだ。こうしたものはつけ慣れていないだろうから仕方がないが、慣れてもらうしかない。
肩をすくめるラドバウトに、アナトリアがそっと声をかけた。
「察するに、ドラゴネッティ殿は幻影魔法を無詠唱でお使いになれる?」
「うむ。町を歩かせる時は被せよう。なんならわしも幻影を被って動くわい」
そう言いながらラドバウトが自身の胸に手を置くと、すぐさまその姿が人間の老爺のものに変化した。
攻撃魔法の素養こそ並程度でしかないものの、こうした補助魔法ならラドバウトの得手とするところだ。伊達に今まで何度も、人間界に侵入して情報を入手し、一つの傷も負わずに帰ってこなかったわけではない。
その安定した魔法の腕前に、満足した様子でアナトリアが微笑んだ。
「そうですね、そうしていただけますと無用な混乱が避けられてよいかと。お二方の良心にお任せいたします」
「あい分かった」
アナトリアの言葉にラドバウトが素直に頷く。と、二人の話を静かに聞いていたトゥーリオとミレーナが、これを機にとラドバウトのローブの裾を両脇から掴んだ。
「先生、先生、食事に行きましょう! 第一区におすすめの酒場があるんです!」
「いいわね、それに先生、学校の場所が決まるまでは寝るところが無いですよね? 宿を見つけないと」
「うむ、そうじゃのう……」
彼らの誘いに、苦笑しながらも頷くラドバウト。人間界の酒場で食事をするのも久しぶりだ。そしてフレイクにも、人間らしい食事の仕方をちゃんと教えてやらねばなるまい。
彼らの仲睦まじい話に微笑みながら、アナトリアはその場を後にした。彼らも、彼女も、これからやるべきことがたくさんある。立ち止まっている時間は、お互いにあまり無いのだ。
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