第1章 庇護

第1話 魔王領からの離脱

 魔王城を後にして、領内を囲う結界に向かって歩きながら、ラドバウトとフレイクは言葉を交わし合っていた。

 自由は得た。外に出ることも決めた。しかし目的地が無くては、たださまようだけになってしまう。


「出てきたはいいですけれど、先生。どこに行くんですか?」

「そうさなぁ……」


 フレイクの問いかけにラドバウトは空を見上げつつ言った。

 魔物の領域には、もういられない。魔王領を出て暮らすとしても、既に外の国々にはそれぞれの魔物が縄張りを作っているし、そういう魔物は魔王に忠実だ。魔王軍を追い出されたラドバウトをかくまってくれるとは思えない。

 幸い、ラドバウトは竜人ドラゴヒューマン、フレイクは獣人ファーヒューマンと、どちらも人間に近い暮らし方をする種族だ。

 なんならラドバウトは幻影を被せる魔法を使えるから、人間を装うことも出来るだろう。今の姿を晒すにせよ、隠すにせよ、人間の中で生きる方がまだいい。


「理想を言うなら、アンブロシーニ帝国かヤコビニ王国に行きたいが……さすがにどちらも、ここから行くには遠すぎるからのう。手近なところで、バジオーラ王国辺りでも目指してみるか」


 大陸の東にある大国と、西にある大国を挙げながら言うが、魔王領からは遠く離れている。空を飛べないラドバウトは歩いていくか、乗合馬車に頼るしかない。

 魔王領と国境を接する、大陸の北側にある小国を挙げると、人間の世界の地理に明るくないフレイクが首を傾げた。


「どのくらいかかると思われますか?」

「国境までは、歩き通しでざっと3日、というところかの。ま、魔王城は人間たちの国とは立地的に隔たれるようになっておる。仕方あるまいて」


 フレイクの頭を撫でながら、ラドバウトは苦笑を見せた。

 魔王領は人間の世界と同じ大陸に存在するが、隣接する国との間に緩衝地帯が設けられている上、結界によって隔たれている。さらに結界から魔王城までは深い森と荒野が広がり、移動に関わる魔法が阻害されるため、城までたどり着くのにかなり歩かないとならないのだ。

 それだけならまだしも、その森や荒野には衛兵の魔物がうようよしている。フレイクは城を警護する衛兵だったからあまり知らなかっただろうが、軍でも選りすぐりの強者が選抜されてひしめいているのだ。魔王城の周辺の魔物は強い、お約束である。


「人間たちは凄いですね……そんな長い距離を乗り越えて魔王城に乗り込んでくるなんて」

「フレイクは、勇者が攻めてきた時に居合わせたことはなかったかの?」


 嘆息する若い彼に、ラドバウトは優しい笑みを見せながら言った。

 フレイクが魔王軍の王城警備隊に配属されたのは去年の暮れだ。今年に入って二度、冒険者が魔王領に乗り込んできたが、呆気なく返り討ちに遭って逃げ帰り、あるいは死んでいった。

 耳を伏せたフレイクが、寂しそうな表情を見せる。


「一度も無いです……過去に襲撃があった2回は、どっちも非番で」

「そうかそうか。まあ、機会が無いのも致し方あるまい」


 ラドバウトはくすりと笑いながら、フレイクの頭に手を伸ばした。伸びてきた恩師の手に、フレイクが頭をこすりつけてくる。

 そのまま柔らかな毛に覆われた頭を撫でていると、彼の目を見上げながらフレイクが口を開く。


「勇者って、そんな頻繁に来るんですか?」

「1年に1、2度というところかのう。ま、余程のことが無ければ、魔王領の結界を越えるまでは平和じゃよ」


 そう言いつつ、ラドバウトは前方に目を向けた。結界までは歩き通しでおよそ半日くらい。このまま進めば、今日の夜中には抜けられるだろう。

 そんなことを話しながら、二人は歩いて、歩いて、歩き続けた。そして荒野から森に入ってしばらくの後、陽が傾き切って頭上の空がすっかり暗くなった頃、すんと鼻を鳴らしながらフレイクが言う。


「先生、暗くなってきました」

「もう少しで結界が見えてくるじゃろう。そこまでは……むん?」


 木々の間を抜けながらラドバウトが改めて前方に目を凝らすと。彼は訝しむ表情をしながら足を止めた。

 そのまますぐに木の陰に身を隠す。状況が呑み込めないフレイクが目を白黒させたまま棒立ちになった。


「先生?」

「フレイク、身を伏せろ」


 ラドバウトは小声で指示しながら、ちょいちょいと手を動かして彼に伏せるよう指示する。

 言われるままにフレイクが身を草陰に隠すと、ラドバウトの左手が前方に伸びた。夜闇に沈む森の中、不自然に点った灯りがポツリと見える。

 彼にはあの光に覚えがあった。冒険者の間で広く流通している、魔法ランタンの灯りだ。


「魔法ランタンの灯りじゃ。人間がおるのう」

「えぇっ」


 ラドバウトの発した言葉に、フレイクはすくみ上がった。

 人間。魔王領の結界の内側だと言うのに。こんな場所にいる人間なんて、冒険者――それもAランク上級以上の実力を認められた冒険者パーティーでしかあり得ない。

 領内に張られた結界は、冒険者の持ち歩く身分証代わりのタグに反応して作用する。B級中級以下のシルバー製のタグを持つものは弾かれて中に入れないし、パーティー全体のランクがBランク以下の場合も阻まれる。

 つまり、この場にいるということはそこそこ以上に腕の立つ冒険者である、ということだ。


「どうするんですか、先生。タイミングが悪いです」

「ふむ……」


 フレイクが不安げに見つめてくるのに視線を返しつつ、ラドバウトは考え込んだ。

 見たところランタンの明かりは一つ、斥候にでも来たか、威力偵察か。さすがに魔王城に乗り込むことを目的にはしていないだろうが、どちらにせよ間が悪い。

 だが、1パーティーだけということであれば事情は少々変わってくる。

 他に同行する冒険者パーティーがいないということは、あの冒険者の集団と交渉しても咎められないということだ。それに複数の国のパーティーが混在しているより、一つの国に所属する者しかいない方が、話はしやすい。何しろ自分たちは人間の治める国に立ち入り、そこで暮らし始めようとしているのだから。

 これはひょっとしたら、チャンスかもしれない。


「フレイク」

「はい?」

「お主、人間語は勉強しておるな・・・・・・・・・・・?」


 唐突なラドバウトの問いかけに、フレイクは目を見開いた。

 襲いかかってくる冒険者たちがどういう内容のことを話しているかを理解するために、魔王軍の魔物には人間語の学習を受けることが義務付けられている。「相手の取る作戦を理解し、それに対応して動くため」という打算的な理由からだが、大概の魔物は人間の話すことを理解できるものだ。

 フレイクも魔王軍の一員、そこについてはこくりと頷いた。


「えっ、はい……聞き取りなら自信ありますけど……」

「よい、十分じゃ。話法わほうをちゃんと指導しとらんかったからしょうがない。今度教えよう」


 不安そうに尻尾を垂らすフレイクに、苦笑しながら頷くラドバウトだ。

 彼は今、魔獣語しか話せないフレイクに合わせて魔獣語で話をしているが、その気になれば人間語も竜語も精霊語も話せる。何なら人間が日常で用いる大陸共通文字も難なく扱える。伊達に長々と生きてきたわけではないのだ。

 ざ、と下草を踏んでラドバウトが一歩を踏み出した。手に握っていた杖を背に負って、両手を空けた状態で歩き出す。


「え、あの、まさか先生」

「うむ」


 フレイクが困惑しながら声をかけてくるのに、ラドバウトは大きく頷いて。


「接触するぞ」

「えぇっ……」


 冒険者の集団と穏便に・・・接触するべく、距離を詰め始めるのだった。

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