第0話-2 権威をなくして

「はぁ……」


 王の間を出て、警護の衛兵に頭を下げてから、ラドバウトは意気消沈しながら王城の廊下を歩いていた。

 道中何度も魔王城に控える魔物たちとすれ違ったが、全員がばつが悪そうな表情をして彼を見送るばかり。当然だ、魔王軍の長年の功労者から一転、魔王領から追放された老いた魔物となったのだから。

 呆気ない。あまりにも呆気ない。過去数十年かけて築き上げてきたものが、一瞬にして崩れ、奪われてしまったのだ。

 これまで裏方として過ごしてきた数十年は、鬼哭王を支えてきた26年は何だったというのか。

 そんな無力感に沈むラドバウトの前に、一人の悪魔が現れた。彼の一番の生徒で、次の後虎院入りも噂されるほどだった『紅刃』のシャークだ。


「ラドバウト様。魔王様からのご用命は……」

「よい、とうに済んでおるよ」


 丁寧な口調で声をかけてくるシャークに、ラドバウトは頭を振る。

 彼がこうして自分の前に姿を現した。その事実が雄弁に物語っている。教え子の飛躍ひやくを喜ぶように、ラドバウトはシャークの肩に優しく手を置いた。


「シャーク。私の教えをすべて伝え、身につけたお前のことだ。きっと次の側近はお前なのだろう」

「は……それは」


 自分の教え子に、そしてもうじき自分の後釜に収まるであろう若者に、ラドバウトは優しい言葉をかける。対して、言葉をかけられた側のシャークはばつが悪そうに目を背けた。

 居たたまれないだろう。今までずっと自分に教えを授けてきた、何年も、何十年も魔王軍を裏から支えてきた師匠を、こんな形で失おうというのだ。処刑ではなく追放という形で魔王軍から排除され、こうして言葉を交わせるだけでも御の字だが、それはそれで心にしこりが残る。

 そんなもやもやした気持ちを振り払うように、ラドバウトが笑って言う。


「よい。私の役目は既に終わった。今度からは、お前が魔王を、鬼哭王様を支えるのだ。良いな?」

「は……」


 彼の忠言に顔を戻し、ラドバウトの目をまっすぐに見たシャークの目から涙があふれた。

 愛する師匠からの最後の言葉を、感極まった様子で聞く彼に、ラドバウトは大きく頷いてその場を離れる。そして、シャークとすれ違いざまに言葉を投げかけた。


「うむ。これでもう私と会うことも無いであろう。くれぐれも、達者でな」

「はい……はい! 先生も、どうかご無事で……」


 そう言い残して、城の外に向かって歩き出すラドバウト。彼の背中に向き直ったシャークは、深く頭を下げてその老爺を見送った。廊下のじゅうたんに涙の雫が落ちる。

 愛する弟子に見送られ、ラドバウトはそのまま王城の外に出た。道中、特段にトラブルなどは無かったが、何も無いというのも寂しいものだ。

 魔物という生き物は、家族意識や集団帰属意識というものが薄い。魔王軍として束ねられているのも、魔王の強大な権力で押さえつけて、否が応にも上下関係を教え込ませるようなものだ。ラドバウトも生徒たちに「先生」と呼び慕われているが、師匠と弟子というつながりもそこまで強いものではない。

 彼も魔物として、魔王軍の一員として生きて長い。こうなることは予想していた。けれど、いざそうなって見るとやはり心に来るものがあった。


「ふう……なんとも、呆気ないものじゃな」


 そうため息をつきながら、長年を共に過ごした魔王城に背を向けると。


「ラドバウト先生!」


 王城の中から、こちらに駆けてくる足音が一つあった。後ろを振り返れば、鎧を身に付けた犬の獣人ファーヒューマンが一人、槍を手に立ってラドバウトを見つめていた。

 その出で立ちは、ラドバウトを追って来たことが明白だ。決してその槍で彼の背中を突こうとしたわけではない。そして彼の顔には、ラドバウトは見覚えがあった。


「おお、そなたは確か……衛兵のフレイクであったな」

「はい、先生の生徒のフレイクにございます! 先生、魔王軍を離れられると聞きました」


 そう、魔王城を護衛する新米の衛兵の一人で、ラドバウトが受け持つ生徒の一人であるフレイクだ。生徒の中では特段素直で、教えたことをよく復習する真面目な性格で、彼もよく覚えている。

 そのフレイクがこうして城の外まで彼を追って来たのだ。おおかた衛兵の中でもラドバウトが解任、追放となったことが話題になり、矢も楯もたまらず追いかけてきたのだろう。

 悲しい表情になりながら、生徒に頷く老竜だ。


「うむ、そうじゃ。わしはいよいよ用済みとなったらしい。ついてはお前も、次の――」

「嫌です!!」


 次の者に教えを乞うのだ、と言うより早く、フレイクがラドバウトのローブにすがった。

 率直に発せられた「嫌だ」の一言。それにラドバウトが目を見張る中、フレイクが声を上げる。


「ラドバウト先生じゃないと嫌です! 僕は先生から色んなことを学びました。先生の下でないと学べないことも、たくさん学びました!」

「フレイク……」


 生徒の言葉に、目の端に涙を浮かべるラドバウトだ。

 まさか、自分をここまで慕ってくれている生徒が、一人でもいたとは。魔王軍は全体的にドライな組織だから、利害関係がなければ成り立たないと思っていたのに。

 フレイクはラドバウト以上に涙を目に溜めていた。ぼろぼろと涙を零しながら口を開いている。


「一兵卒の僕に、魔王軍への未練などありません。お供させてください! 先生の傍がよいです!」

「……そうか」


 彼の頭を優しく撫でてやりながら、ラドバウトは笑った。

 そこまで言うなら、追い返すのも酷だ。それに彼は衛兵の一人、言ってしまえば、いくらでも替えが効く存在だ。離反りはんしたとてとがめるものも居ないだろう。


「良いだろう。そこまで言うなら付いてきなさい。ただし、手紙だけは……」

「大丈夫です、もう書いてきました!」


 手紙だけは書いてくるように、と言うより先に、彼は胸を張ってそれを伝えた。

 なるほど、用意周到。きっと適当な紙に走り書きしてきたのだろうと思いつつ、ラドバウトはフレイクの背中を押した。

 ここからは、二人旅だ。一人旅よりはよっぽど気持ちがいい。


「そうか……では、行くとするかのう」

「はい!」


 そうして二人の魔物は魔王城に背を向けて歩き出す。宛のない旅になりそうだが、ラドバウトの心は晴れやかだった。

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