第5話
文字は藍色のインク。便箋はフリージア。
ペンを握るのは、わたし。
「ね、シロ。なんて書き始めたらいいの」
緊張で手のひらに汗が滲む。一度ペンを置き、わたしは両手をスカートになすりつけた。
「グラジオラスさんへ、でいいんじゃない」
シロは笑って言った。
「緊張することないよ。内容はもうきまってるんだから」
「違うんだよ、下手くそな字になるのが怖いの」
せっかくきれいなペンと便箋が使えるのに、その上をわたしがひしゃげた字で汚してしまったら、もったいない。わたしは頬を膨らませ、もう一度ペンを手にした。
「シロ、下書き見せて」
「はい」
「ありがとう」
シロが、ルーズリーフの下書きをわたしの手もとに添えた。そこに並ぶのは、少し尖った癖のある、シロの書く文字。わたしのほうが、シロより万人受けする形の字を書ける。だから清書をするのはわたしだ。二人で決めた。その代わり、作文が得意なシロが手紙の内容を考える。
わたしは細い筆先を紙につけた。
グラジオラスさんへ
はじめまして。
素敵なお手紙をありがとうございます。魔女の方からお手紙をいただいたのは初めてなので、とてもわくわくしています。わたしでよければ、ぜひ文通相手になりたいと思います。
わたしは、グラジオラスさんたちのような魔女の方について何も知りません。お手紙の中で失礼なことばがあったらごめんなさい。
グラジオラスさんについてよく知りたいと思うので、いくつか質問をさせてください。答えられない質問は答えなくてもかまいません。
まず、グラジオラスさんはどこに住んでいるのですか。以前いただいた手紙に、住所や郵便番号が書いていなかったので、とても不思議に思っています。郵便局に出す訳にもいかないので、この手紙はわたしの家のポストに入れさせてもらいます。
それと、一番気になることなのですが、どうしてわたしを選んでくださったのですか。たくさんいる人間の中からわたしを選んでくださったことを、とても嬉しく思っています。
そして最後の質問です。グラジオラスさんが教えてくださるという魔法は、わたしにも使えますか。
質問はこの三つです。
最後になりましたが、改めて文通のお誘いをありがとうございます。満足な相手になれるかわかりませんが、これからよろしくお願いします。
フリージア
ことん。
ペンをおいた。右手の筋肉が弛緩してゆく。ふー、と、大きく息を吐いた。
「お疲れ」
「緊張したあ」
シロが、労いのチョコレートをくれた。それを口に放り込み、わたしはシロの肩にもたれかかった。
「毎回そんなに気張っちゃ、続かないよ」
シロも、同じチョコレートを口に含んでいる。口をもごつかせながら笑うシロを見つめた。
「そんなん言うならシロが書けば」
「あはは、ごめん。そうだね。書いてくれてありがとう」
シロはわたしの頭を柔らかく撫でてくれた。くすぐったい。嬉しい。
わたしにはお母さんがいて、お父さんがいて、お兄ちゃんもお姉ちゃんもいて、みんな優しくしてくれる。なのにどうしてか、ひとから頭を撫でられる感覚はいつでも、生まれてはじめて触れられたような気分にさせる。
「シロの作る文は大人みたいだね」
わたしは呟くように言った。書きながら、自分とシロとの見えない差を知ってしまった気になった。
シロはすまして言う。
「ありがとう。でも大人が読んでみれば、おままごとみたいなものなんだろうな」
グラジオラスさんが幻滅しなきゃいいけど、とシロは恥ずかしそうに笑った。
わたしはすっかり一仕事終えた気になって、シロにチョコレートをもう一つ催促した。シロは自分の口に、わたしの口にと、続けてチョコレートを放り込んだ。
ミルクチョコレート。口の中でまろやかにとろける。やわらかい色の甘いお菓子。うちでは、あまりおやつに出されない。うちで食べるチョコレートは、もう少し甘くないやつだ。今食べてるのよりも、色が濃くて溶けにくい。わたしは甘いチョコレートのほうが好きだ。
「もうひとつ」
また強請ったけれど、シロは今度はかぶりを振った。
「食べすぎると太るよ」
「いいじゃんか。うちでは食べれないんだから」
「えっ、そうなの」
「そうだよー。だから、もう一個」
わたしはシロの頬をつつく。あまり柔らかくない頬が、チョコレートの欠片で膨らんでいる。
シロは、むっとしたように眉をひそめた。わたしは、なにかまずかったか、と頬をつつく手を引っ込めた。身をかたくしてシロを伺う。
シロは気難しい顔で言った。
「アカの家ってさ、なんか他と違うよね」
思いがけないことばに、今度はわたしが眉根を寄せた。
「急になに?」
「いや……ごめん。貶してるんじゃないんだよ」
「それは分かるけど」
分かる。シロの言うことは全部分かる。
わたしの家は、多分よその家とは違う。
たとえばマナーだとか。タブーだとか。なにがきれいでなにが汚いか、だとか。きっと他と違うのだろう。
わたしが当たり前に、指や四肢や表情筋を動かしたとして、シロはたまに滑らかにうなずいてくれないときがある。
わたしは、そういうとき、はっと悟る。
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