第4話

「可愛い」

 シロがそう呟いて見つめるのは、白い小さなオルゴール。シロの「可愛い」という呟きも、もう二十回は聞いた。キュートな空間の中で、シロは語彙力を喪失している。

「シロ、自分用に何か買ったら?」

 わたしはくまの編みぐるみを手に取りつつ、そう提案した。シロはかぶりを振った。

「え……いいよ。こういうのは、わたしの部屋にあったってどうしようもないし」

「可愛いものはだいたい、どうしようもないものだよ」

 わたしが反論すると、シロは確かにと苦笑した。

「だけどとりあえず、お兄さんの彼女さんのを選ばないと」

 シロは店の中を見回した。自信なさげに視線をさまよわせている。わたしも同じだ。自分よりずっと年上の人のプレゼントなんて、正解に見当もつかない。

 ヘアピン。ハンドクリーム。バスボム。ハンカチ。どれも子供じみている気がする。そもそも、こんな可愛らしいところで選んでいいのだろうか。───色々と考えたけれど、そもそもお兄ちゃんがわたしに丸投げするようなことなので、さして気を遣わなくてもいいのかもしれない。そんな結論が出た。

 と、横でシロが声をあげた。

「これよくない?」

 シロの手には、文庫本くらいのサイズの、布製のポーチが載っている。黒地に赤い糸で一輪のばらが刺繍されている。ほどよく大人っぽいデザインで、お兄ちゃんの彼女へ贈るのにふさわしく思えた。

「いいねえ。やっぱりシロは選ぶのが上手だね」

「うん。でもお兄さんがお金くれなくちゃ、ポーチなんて選ばないな」

 わたしはポーチにぶら下がった値札を見た。二千四百十円。わーお、と小さく呟く。

 ミサトさんのいるレジのところに、選んだレターセットとポーチを持っていった。ミサトさんがニッコリ笑った。

「お友達?」

「はい。シロです」

 ミサトさんは、いつもマシュマロのように柔らかい笑顔でわたしを見つめる。わたしはその笑顔に安心を覚えるのだけれど、同時にミサトさんも、どこか安心しているように思えるのだった。

「こんにちは」

 シロに向かって、ミサトさんは小さくお辞儀した。シロもペコリと頭を下げた。

「こんにちは」

 ミサトさんはニコニコしながらレジスターを操作する。

「二千四百十円になります」

「はい。えっと、ポーチはラッピングしてもらえますか」

「かしこまりました」

 コイントレーに五千円札を載せる。ミサトさんはそれを摘みとり、お釣りの二千五百九十円を渡してくれた。

 それからわたしは、迷いのない手つきでラッピングを施すミサトさんを、黙って見つめた。

 ひとつに束ねた茶色い髪は、生まれつきなんだそうだ。あまりに明るい色をしているせいで、地毛であることを信じて貰えず、学生時代は黒く染めていたらしい。

 店内のあたたかい色の照明に、ミサトさんの髪が艶めく。とてもきれいだと思う。お母さんは、ミサトさんが染めたのだと疑ってやまない。ミーは黒髪のほうが似合ってた、なんて平気で言えるのだ。

「おまたせしました」

 ミサトさんが、いちごミルクみたいな色の紙袋を手に、微笑んだ。わたしはそれを受け取り、ありがとうございますと言った。後でシロも言った。ミサトさんはいっそう笑みを深くし、うなずいた。

「また来てね」

 ミサトさんは、財布をポシェットにしまうわたしに、柔らかい声で言った。わたしはしょっちゅうここに来ている。お母さんが来たがるから、わたしも一緒に来る。でもそういうことじゃないのだと分かる。

「また、シロと来ます」

 わたしがそう返すとミサトさんは、うん、と子供のようにうなずいた。


 いちごミルク色の袋の中に、これまたいちごミルク色のプレゼント袋と、薄い紙袋に入れられたレターセット。わたしは中身を覗いて、ふふふと笑った。

「やっぱりシロはセンスいいね。お兄ちゃんの彼女喜ぶよ」

「だといいけれど。でも今日の本命はレターセットだよ。グラジオラスさんも喜んでくれるかな」

「喜ぶよー。わたしがグラジオラスさんなら飛び跳ねる」

 わたしはそう言いながら、その場で跳ねてみせた。お店の中にいる間に、一度雨が降ったらしい。濡れた道路から、水滴が一緒になって跳ねた。

 シロは笑いつつ尋ねる。

「ねえ、このあとどうする?」

「手紙書く」

「うん、でもその前にお昼ご飯どうする?」

 今日の目的はレターセットを買うこと。そしてグラジオラスさんへの返事を二人で書くこと。目的にはしゃぎすぎて、その間の食事をすっかり忘れていた。

 一呼吸置いて、シロが言った。

「パン」

「ぱん」

 ばかみたいにおうむ返しする。シロはうなずく。

「アカの好きな」

 わたしは呟く。

「いちごメロン、パン……」

 シロはくすくす笑った。

「帰り道に買って、うちで食べよう」

 それはいい提案!わたしはシロの手をとって、無言で振るった。嬉しいときのくせだ。


 いちごメロンパン、ご存知だろうか。

 シロの家の近くのパン屋さんで売っている、一番人気の看板パンだ。

 名前の通り、いちご味のメロンパン。可愛いピンクの生地は、外カリカリ、中ふんわり。内側にはいちごミルククリームが入っていて、食べると口の中まで可愛くなる。

 シロの部屋で、シロの家の匂いを嗅ぎつつ、いちごメロンパンを食べる。至福だ。

「どうしよう、シロ、口の中が」

「何?」

「可愛くなってしまう」

「良かったじゃん」

 シロははちみつとクリームチーズの挟まれたベーグルを食べている。パン屋さんの紙袋から溢れ出る幸せな匂いが、シロの部屋の匂いと混じって、わたしはこの空間に酔いしれた。

 シロは食べているときに話すのを嫌がるから、わたしは黙ってパンを頬張る。シロを見つめた。

 真っ白な肌をもつ顔に、レースのカーテンの淡い影があやどられている。頬に、鼻筋に、額に。

 シロの顔はとても淡白な造りをしていて、それがなんともきれいでたまらない。

 シロを造るすべてが、絶妙な具合を保って、あの涼しげで軽やかな雰囲気を生み出している。シロが身じろぎをするたびにあふれる、あの透明でいい匂いがするような空気。シロは、きっと表情すら爽やかな匂いがついている。

 きれいだなあ。

 むしゃ。パンをかじる。

 シロはきれいだ。

 うん。

 だからこそ、わたしは図書館で見た情けない顔が、どうしても受け入れられない。

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