第2話
十歳になって最初の土曜日。わたしは、早起きして出かける支度をした。
顔を洗い、髪を梳かし、白い半袖ブラウスに袖を通す。ブラウスには、ギンガムチェックのスカートを合わせた。ミントグリーンが爽やかで、白い色とよく合う。お気に入りの組み合わせだ。
それから、わたしは本棚の上にちょこんと座っているピンクの紙袋に手を伸ばした。
シロからの誕生日プレゼント。
紙袋の手触りや重さが、わたしをわくわくさせる。中身を知っているのに、緊張する。もらったあとも幸せな気持ちにさせてくれる、誕生日プレゼントという存在が好きだ。
ベッドに腰をおろし、膝の上に紙袋をおいて中身を出す。ハンカチはもらったその日にもう出していた。ひと目見て気に入ったマニキュアは、ずっと大切に仕舞ってあった。今日まで仕舞い込むのだと決めていた。
ようやく紙袋から出したマニキュアの小瓶が、朝日に淡く輝いた。
とろけそうなあんず色と。
練乳みたいな白色と。
寂しくなるほどつやめいた藍色。
それぞれの小瓶に、中身と同じ色の細いリボンが掛かっている。そのチラチラした愛らしさに、わたしの胸の奥がうずく。
わたしは、あんず色のリボンをほどいた。
待ち合わせ場所はいつも決めていなくて、とりあえずお互いの家へ向かう。鉢合わせたら、そこから二人の土曜日が始まる。
まっすぐ向かう道で、今日は灰色のシャツを着たシロと出会った。
「おはよう」
シロが片手を上げた。やわらかい笑顔が、若い太陽にふんわり照らされている。なんだか何かの妖精みたいに思える。
「おはよ」
わたしも手のひらをシロに向けた。ひらりと翻したときに見えたのか、シロはわたしの指先に興味を示した。
「かわいい色」
「シロがくれたやつだよ」
あんず色の指先をシロの目の前で揺らす。シロはくすぐったそうに笑った。
爪の形を整えて、ベースコートをお姉ちゃんから借りて、全神経を使って丁寧に塗ったマニキュア。シロの視線を受けて、ますます色鮮やかになったようだった。
わたしは、シロの隣に立った。シロのほうがわずかに背が高い。
「行こ、シロ」
「うん」
うなずいて、シロの短い髪が揺れた。ラベンダーの香りが空気に溶ける。
わたしとシロは歩き出した。
今日の目的は、文通用のレターセットを買うこと。けれど、最初に向かったのは市立図書館だった。
普段図書館へ行かないわたしは、シロに道案内されながら目的地を目指した。
きっと家から学校よりも遠かったと思う。だけれど登下校のときよりも長くシロと話せるのが嬉しくて、動かし続ける足のことは気にならなかった。
「ここだよ」
シロが灰色の建物を目前に言った。
古い図書館の扉が開閉し、しきりに人が出入りしている。駐車場には車がたくさん停まっていた。
「混んでるんだね」
「うん。土日はちっちゃい子向けのイベントとかもあるしね」
館内から出る人が、開けた扉をおさえていてくれた。わたしとシロはその人の腕の下をくぐり抜け、ありがとうございますと小さく頭を下げた。
図書館の中に足を踏み入れた瞬間、空気の匂いが変わった。
空気を規則的に編み上げたような、几帳面で非日常的な匂い。わたしは背筋を伸ばした。そうでないと、緩んだ自分を指摘されてしまう気がした。
そうして、わたしは軽やかな足取りで進んてゆくシロを追った。
図書館の中へ入るとまず、カウンターがある。そこに佇み、めいめいの仕事をしている人たちを見る。図書館司書という職業の名前は、シロが教えてくれた。
シロは迷いもしないで、目的の本棚へ歩いていった。わたしは、通り過ぎてゆく本の背表紙にいちいち惹かれた───『君には分からない』何が分からないんだろう?『黄色い海のステーキ』もう何やら意味不明だ。本なんて読めないくせに、それらの内容を想像して楽しんだ。
シロのもとへ歩み寄ると、彼女はすでに大きな本を本棚から抜き出して、眺めていた。わたしが横に立つと、その表紙を見せてくれた。
花、という大きな文字と、それより大きい赤い薔薇の写真。花の図鑑だ。
わたしとシロは、子供用の閲覧スペースでその図鑑をめくった。薔薇も牡丹も椿も、マリーゴールドもガーベラも、美しく写真におさまっている。
シロは花々の写真のページを飛ばして、索引に目を通した。
わたしたちは、グラジオラスの花を探しているのだった。
今どきインターネットで検索すれば画像が見れるよ、と言ったのだけれど、シロが譲らなかった。花は画面越しに見たって駄目だ、知らない花なら尚更だ、と言う。せめて印刷された写真で、ということで、わたしたちは図書館に来たのだった。
シロが見つけ出したページに、鮮やかな色が咲いていた。
「これだ、この花」
シロが小さな声で言った。わたしは、黙ってうなずいた。
シロのもとに届いたあの手紙と同じ色の花。
細く長い茎に、いくつも花が連なっている。まっすぐ生え伸びるその姿に、わたしは、凛とした貴婦人を思い浮かべた。
「きれいなんだねえ」
呟くと、シロがゆるく笑った。
「ね。グラジオラスさんも、こういうきれいな人なのかな」
「だとしたら素敵だよね」
わたしは、シロから図鑑を受け取って、薄紅色の花をまじまじと見つめた。
それから、ふと気になって、索引のページをめくった。
「何か探すの?」
シロの問いに、わたしはうなずいた。
「うん。ふ、ふり……あ。あった」
記された数字のページを見る。柔らかい雰囲気の花の写真があった。黄色と、白。
「フリージアって、こういう花なんだ。思ったよりぷわっとしてて、かわいい感じ」
わたしの横で、シロが首をかしげた。
「どうして急にフリージア?」
「だってグラジオラスさんが、シロのことフリージアって呼んでたから。どんなのかなって思って」
シロはきれいな雰囲気の子だから、もっとすらりとした、怜悧な花だと思っていた。こんなに愛らしい花だとは。
魔女グラジオラスにとって、シロはこんなふうに可愛らしく見えるのだろうか。
わたしは、隣で図鑑を見つめるシロを盗み見た。なめらかな白い頬の輪郭が、白いフリージアの花びらの曲線と似ていた。
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