匿名の魔女へ
秋野いも
第1話
はじめて"グラジオラス"という人物からの手紙を読んだのは、十歳の誕生日。たしか、朝から夜までよく晴れていた。
学校のあとでシロが、わたしへの誕生日プレゼントとともに、その手紙を持ってきたのだった。
「改めて誕生日おめでとう、アカ」
シロがくれたプレゼントは、ピンクの紙袋に入っていた。小さいけれど、ずっしり重たい。わたしはわくわくした。
「ありがとう。ねえ今開けてもいい?」
「どうぞ」
部屋に戻るまで待てず、わたしは玄関に立ったまま紙袋の口を留めるシールを剥がした。中を覗くと、タオル地のハンカチと、三本セットのマニキュアが入っていた。
「うわあ、マニキュアだ!かわいい!かわいい!」
わたしはその場で小さく跳ねた。シロはくすくす笑った。
「喜んでもらえて嬉しいな」
「マニキュアなんてもらうのはじめて。ありがとう、シロ大好き」
「どういたしまして」
わたしは紙袋の封を丁寧に閉じ、両手で抱くようにした。それから、シロの右手にある薄紅色の封筒の手紙に気づいた。
シロは薄い笑みを浮かべていて、まるでその手紙をいつわたしの目の前につき出そうかと、様子を伺っているようだった。
わたしは、手紙を持っているシロの右手の甲を指先でつついた。
「ねえシロ、これなあに」
「あっ」
シロは先手を打たれたことに少し焦りつつ、手紙をわたしのほうに差し出した。
「なになに?わたしにラブレター書いてきたの?」
「わたしが書いたんじゃないよ」
シロは、封筒に記された文字を読み上げた。
「あなたのグラジオラスより、って」
ほら、とシロが指で示したところに、たしかにそう書いてあった。細い黒インクの文字。とてもきれいな字だ。
「ほんとだ。シロ宛てじゃん。やだ怪しい」
「ね。でも中身面白いんだ。アカも読んでよ」
シロは珍しく興奮した口調で言った。わたしはそれが可笑しくて、わざと唇を尖らせてみせた。
「ええー、それわたしが読んでもいいの」
「いいんだよ」
「そもそもグラジオラスって何。誰?知り合い?」
「知らない人。でもグラジオラスって花の名前だよ。こんな色した」
シロの整った爪の先が、封筒を指さした。やわらかい甘い色をした封筒。
こんな可憐な色の花があるのか、と嘆息した。どんな形をしているのだろうかと思い描く。花びらは丸いのか、それとも細く尖っているのか。大きい?小さい?どんなふうに咲いている?───今度シロと一緒に、花の図鑑の中で探そうと思った。
「とりあえずわたしの部屋に行こうよ」
わたしはシロの背中を押し、わたしの家の中に招き入れた。うしろ手で玄関の扉を閉める。
二人で家に上がり、シロには先にわたしの部屋に行ってもらう。わたしは、台所でチョコレートケーキを切り分け、皿に載せた。二人で食べるバースデーケーキだ。
二階へ上がり、部屋の扉を開けると、シロがベッドに腰を下ろして待っていた。そこがわたしの部屋でのシロの定位置だった。わたしはケーキの皿をローテーブルに置いて、シロからもらったプレゼントを本棚の上に飾り、シロの横に座った。
「その手紙読ませてよ」
シロの膝の上に載った封筒を指さす。シロはうなずいて、封筒から中身の便箋を取り出した。
便箋も封筒と同じ"グラジオラス色"をしていた。二枚重なっている。紙の上で美しく並んでいる文字が、細やかに編み込まれた黒いレースのように見えて、わたしはどきどきした。
シロの手から便箋を受け取り、その内容に目を通した。
いとしのフリージアちゃんへ
どうもはじめまして。
わたくしのような魔女から手紙が届くなんて、きっとあなたは怪しんでしまうでしょうね。ですが安心してください。わたくしは人を呪ったり、頭からばりばり食ったりするような、悪い魔女ではありません。むしろあなたのような幼いお花ちゃんは大好きよ。
わたくしがなぜあなたに手紙など書いたのか、きちんと説明したいところだけれど、あいにくただの気まぐれです。
魔女というものはひじょうに長く生き、そしてその人生のほとんどを、一人でこっそり過ごしています。わたくしにはそれがつまらない。誰かとことばを交わすことのない日々が耐えられないのです。
ですから、わたくしはかわいいお花ちゃんたちの中からあなたを選び、文通相手になってほしいと望んでおります。
どうか寂しいわたくしの暇に付き合ってはもらえないかしら。
お返事をくれた暁には、わたくしがあなたに、ひとつ魔法を教えてさしあげましょう。
魔女グラジオラスより
わたしは手紙から顔を上げ、ふっと息を吐いた。
「読み終わった?」
シロが尋ねてきた。わたしはうなずいた。
「うん。ねえ、これほんとう?この人、ほんとに魔女なのかな」
便箋の中の文字を、何度も確認する。魔女という単語が頻繁に登場している。
シロは唇に笑みを浮かべた。
「アカ好きでしょ、こういうの」
「好き!」
わたしは思わず、シロのほうへのめり込むようにしてうなずいてしまった。
魔女だとか魔法だとか、そういう類は昔から大好きだ。というか、それらのもつ雰囲気が好きだった。甘くてスモーキーな匂いの空気をまとう、暗くてカラフルな世界。非現実感。それが大好きだった。
「すごいね、シロは魔女に気に入られたんだ。いいなあ、わたしにも手紙来ないかなあ。ねえ、シロ返事書く?文通相手になってあげるの?」
「急にすごい喋るね」
シロは苦笑いしつつ、わたしの手から便箋を取り返した。興奮するわたしがずっと持っていたら、くしゃくしゃになりかねない。
「アカはどうすればいいと思う?」
「わたしだったら返事書くよ、もちろん」
「だよね」
わたしの答えにシロはニンマリした。その答えを待っていた、と言わんばかりに。
シロは、のめり込んだわたしに、さらに上半身を寄せた。
「じゃあさ、次の土曜日にきれいなレターセット買いに行こう。一緒に」
わたしは目の前の澄んだ瞳を覗き込んだ。シロの目の中に、口元の緩んだわたしがいる。
「それって、返事書くってこと?」
「うん。アカも一緒に書こう。それで、教えてもらった魔法を試してみようよ」
わたしが楽しいときは、いつも横にシロがいる。
シロが楽しいときには、わたしも一緒に笑っている。
それはわたしたちの間では当たり前のことなのに、どうしてかわたしは、その当たり前に毎度心をくすぐられる。
わたしはシロの手を掴んで振り回し、精いっぱい喜びを伝えた。シロはニコニコして、されるがままになっていた。
それからわたしたちは、チョコレートケーキを食べながら作戦会議をした。やれレターセットは透かしの入ったやつがいいだの、もらった手紙は二人で一緒に開けたいだのと、ケーキを味わう暇もなく話し続けた。
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