第十話『人はそれをデートと呼ぶ』


 ――日曜日、義明は束とともに街へ繰り出していた。


 なにも、ギャルゲーよろしくイチャイチャデートというわけではなく、単に原稿を急がせたその対価を消化すべくこうして足を運んだわけである。

 あの日『今度好きなもん奢るから』などと安直に発言した義明だったが、いざ合流前になると「高級レストランのフレンチでも強請られてはたまらん」と危惧し、事前にATMに駆け込んでいた。しがないフリーターである彼の懐事情は、お世辞にも暖かいとは言えないのだ。


「もう店は決まってるのか?」


 道すがら、おもむろに義明は連れ立って歩く彼女に訊ねる。


「はい、行きつけのファミレスにしようと思って」


 もふもふのコートを羽織り、ゆったりとした歩幅の束はどことなく嬉しそうな声色でそう言った。義明からすればその理由は見当もつかなかったが、ファミレスと聞いてひとまず高額な支払いは避けられそうだと内心安堵に胸を撫で下ろす。


 流石に休日だけあって人の往来が激しく、何度か肩がぶつかりそうになりながら人混みを縫うようにして歩いていると、束が遠慮がちに口を開いた。


「あの……差し支えなければ、先に本屋さんに寄ってもいいですか?」

「ん、いいぞ。この時間帯だとファミレスも混んでるだろうしな」


 束の提案に義明は断る理由もない。空きっ腹で席が空くのを待たされているよりかは、ピークからずらしてスムーズに注文できる方がよっぽど良いだろう。


 紅く色づく街路樹の並ぶ大通りを進み、ほどなくして書店が見えてくる。明るめの店内に入ると、束は真っ先にライトノベルコーナーへ向かった。すれ違うのもやっとな狭い通路で、彼女はなにやら探し始める。


「探し物なら手伝うぞ」

「いえ大丈夫です。たぶんこの辺りに――あ、これです」


 平積みになっているうちの一冊を彼女が手に取って見せたのは『世界の中心で百合を叫ぶ』なるライトノベルだった。美少女ふたりが仲睦まじそうに手を取り合っている表紙が目を引き、その帯には仰々しく「百合界の金字塔待ったなし!? 期待の新鋭が送るドタバタ百合ラブコメここに開幕!!」と主張の激しいクソデカフォントで書かれている。


「……なんか意外だな。こういうのあんま読まないタイプだと思ってた」

「え? そうですか?」

「ああ、てっきりフェチ以外興味ないのかと」

「わ、私をなんだと思ってるんですかっ。私だって普通に色んなジャンル読むんですからね! ……それに、こういった小説は特別なんです」

「……特別?」


 言葉の意味を測りかねていると、束が単行本の背表紙を指差し、


「ほら、ここに『サガミヤマト』って書いてますよね? この方、私の所属してるレーベルの新人さんなんですよ」

「へぇ……ってことは、まさかとは思うが同じレーベルの作家が出してる小説は全部買ってるのか?」

「はい、最新刊まで揃えてます」


 鋭く察した義明を前に、なんてことはないとばかりに平然とした表情で答える束。

 彼女の言葉通りなら、結目家の本棚に連なるその大多数は同レーベル作家が手がけた作品群ということだ。


「色々と参考になりますし、もしお会いしたときも話のタネになりますから」


 そういって単行本片手にレジへ向かった束を、義明は感心して見つめるばかりだった。


 会計を済ませた束と合流し、ゆっくりとした歩調で他愛もない会話に花を咲かせつつ目的のファミレスを目指す。ほどなくして件の店へ到着すると、ランチタイムを僅かに過ぎた辺りで頃合が良かったらしく待たされることなく席に通された。向かい合うように座るとあらかじめ何を食べるかは互いに決めておいたので、そのまま注文を済ませておく。


「ここ、行きつけの店って言ってたよな」


 グラスの水に口をつけてから義明はやおら訊ねる。


「そうなんです。……と言っても、天野さんと打ち合わせするときに利用するくらいで、食事をしに来ることはほとんどないんですけどね」


 打ち合わせの際、電話やメールでのやり取りが世の作家と編集者において常なことが多いが、できる限りナマの反応を見たい束は比較的出版社からほど近い自宅や、天野の希望によりファミレスで原稿や企画書の打ち合わせを行うのが大抵だ。


「なんかいいな、そういうの。ちょっと憧れる」

「と言うと?」

「カフェで勉強や仕事したり、こんなファミレスで打ち合わせするってのはなんつーかこう……何か目標とか夢があってやってることだろ? そういう奴らが、俺には眩しく見えるんだよ」


 どこか寂しそうな目をして言う義明に、束は彼が時折見せるそんな表情の根源を知りたいと思う。だが、彼の内情に踏み入るほど互いの関係は深く強いものではない。闇雲に訊ねても、はぐらかされるか拒絶されてるのが関の山。否定され、失うことへの恐怖に束は足が竦むだろう。

 しかし、今はまだ勇気は出ないが、いつかきっと歩み寄れたなら――束がそんなことを考えていると、注文した料理が運ばれてくる。燻る思考を切り替えて、お互いに食事を楽しむことにした。


 義明はカツカレーを、束はミートスパゲッティをそれぞれ堪能しつつ会話に花を咲かせる。


「各務さんってゲームとかってやったりするんですか?」

「ん、まあな。有名どころは割とプレイしてるんじゃないか」

「へえ~、結構ゲーマーなんですね」

「そういう束はどうなんだ?」

「私ですか? 私も色んなジャンルをプレイしてますから……ダークソ○ルにど○森、バ○オやポ○モン、アー○ード・コアとかピク○ンなんかは特にやり込みましたね」

「寒暖差で風邪引くラインナップだなオイ」


 そんな会話を通して互いに理解を深めていく。コアなゲーマーであるという共通点も見つかり、益々会話が弾む。尽きることのない話題のおかげか肩の力を抜いて気楽にただ話を交える。食後のデザートにパフェを味わいながら、小一時間ほどそのまま話し込むこととなった。


 ◆


 食事を済ませたふたりは、あれからあてもなく街をぶらついた後で解散する流れになった。

 すっかり陽も落ちかけ、冷たい秋風に吹かれて義明は僅かに身を縮こませる。


「今日はありがとうございました」


 自宅まで付き添った義明に頭を下げる束。顔を上げた彼女の表情は嬉しげに綻んでいた。


「おう、こっちこそ楽しかった」


 そんな彼女の顔を拝んで、満足げな義明がにかっと白い歯を見せて笑う。彼の言葉は紛れもない本心であり、幸之助とつるんだ時とはまた違う楽しさを感じていた。心が満たされたかのような幸福感がもたらされ、心地良いその感覚にいつまでも浸っていたくなる。

 とはいえ、寒空の下、いつまでも彼女を引き止めるわけにも行くまい。

 名残惜しくはあるものの、義明は誘惑を振り払う。


「それじゃ、夕飯とか明日の弁当とかは冷蔵庫に作り置きしてるから、そこからテキトーに食べてくれ」

「はい、いつもありがとうございます。それと、お昼ごちそうさまでした」

「おう」


「またな」と義明が踵を返したところで、不意に「各務さんっ」と呼び止められる。


「――また明日」


 胸元で小さく手を振る束に、義明の心臓がどきりと高鳴った。気恥ずかしさを覚えつつ、こちらも手を振り返して足早にその場を後にする。朱に染まったその頬は、幸いにも夕暮れがカモフラージュしてくれたおかげで、束は気づくことなく彼の背中が見えなくなるまで見送ってからマンションへ戻っていく。


 ――その様子を、ひとりの少女が複雑そうな顔で眺めていた。

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