第九話『担当編集者、襲来』


 身分を高らかに証明され、「そんなバカな」と驚愕する義明の一瞬の隙を突いてロリ編集者が強引に脇をすり抜けていく。咄嗟の判断が遅れてその細い肩を掴み損ね、易易と侵入を許してしまった。悪びれた様子もなく、般若のような表情を貼り付けた彼女は土足のままずけずけと無遠慮に上がり込んでいき、慌てて義明も小さな背中を追う。あとで掃除が大変だ。


 ふと、以前に束が『担当編集者が訪ねて来た場合は追い返してくださいね。連絡もなしに来るときはだいたい原稿の催促なので』と言っていたっけなと思い出す。なんということだ、その編集者を見す見す家に上げてしまったどころか彼女は現在進行形でとてつもなくブチギレている。このままでは怒れる暴君がうちの眠り姫に何をしでかすかわかったものではない。


「結目のバカはどこだぁ!?」


 パンプスを派手に鳴らし、とうとうリビングにまで上がった天野は刀のように鋭い目つきをより一層尖らせ吠える。室内にくまなく視線を回して束を探し始めた。義明が冷や汗をかいたのも束の間、怒り狂う天野に悟られぬようちらりとベッドを一瞥すれば、不自然に盛り上がった布団が一枚。――いやぜってぇバレるって。


「……それで隠れたつもりかぁ?」


 案の定、感づかれた。


「アタシは寛大だ。大人しく出てきたら穏便に済ませてやらんこともない」

「…………げ、原稿ならまだですよ」


 一切信用ならない提案ではあるが、観念したのか束はもぞ、と布団から顔だけ覗かせて口を尖らせながら言う。開き直る束に天野の眉がぴくりと動く。


「男連れ込んでる暇があったらとっとと原稿仕上げろボケナスーッ!!!」

「ぴゃあああっ!?」


 怒号とともに布団が引っペがされる。外界を遮断する防壁を取り払われ、丸まったままの無防備な束が顕になった。可哀想に、その顔はすっかり怯えてしまっている。


「あわわわ……か、各務さんっ! どうして追い返してくれなかったんですかぁ!?」

「摘みだそうとはしたんだが……すまん」

「なんとかしてくださいぃ! この人原稿書き上げるまで絶対に帰らないんですよぉっ!」

「当然だ。それがアタシの仕事だからな」

「……残念だが束、真っ当な理由過ぎて追い返すわけにもいかなくなったぞ」

「そ、そんなぁ!? い、いい嫌です! わっ、私は今日ゆっくりする予定だったんですから! やらないったらやりませんっ!!」


 むすっと頬を膨らませ、ぷりぷりと怒りながら駄々をこねる束。終いには引っペがされた布団を手繰り寄せてまたもや引きこもった。これではまるで叱られた子供のようである。


「疲れてるんですぅ……眠たいんですぅ……今日だけ、今日だけは休ませてください……」


 悲痛極まるその懇願は、さながら社会という檻の中で絶えず歯車を回し続ける社畜の如く。とてもではないがアオハル真っ只中な女子高校生に口にさせていいセリフではない。いたたまれず、義明は胸が痛む思いだった。


「疲れてる……? 疲れてるだと……? ふ、ふふ……くくくっ……」


 そんな中、やおら天野が不気味にけらけらと笑い始める。瞳からはハイライトが消え失せており、焦点さえ合っておらずどこか虚空を見つめていた。壊れたおもちゃのように笑うその顔に笑みはなく、例えるのなら能面に近い無表情が張り付いている。おまけに全身から負のオーラ的などす黒いものがにじみ出ていて、ホラーゲームに出てきてもなんらおかしくはない様相を呈していた。義明と束は背筋に薄ら寒いものを覚えながら、様子が一変した天野を注視するしかない。


 彼女がひとしきり笑い終えると、痛いくらいの静寂に包まれる。ややあって、長いようで短いその沈黙を破り、天野はおもむろに口を開く。


「学業と執筆活動の板挟みだし、そりゃあ忙しいよなぁ。アタシにもわかるよ束ぇ」

「わ、わかってくれますか。じゃあ――」

「けどアタシはその何倍も忙しいんじゃあああ――――ッ!!!」


 本日一番の魂の怒号が室内に轟いた。


「お前にわかるか!? 忙しすぎて会社で寝泊りすることがどれだけ苦痛か!? 家に帰れねーから酒飲みながらゲームもできねー!! 朝から晩まで活字とお仕事だ!!!」


 この世すべてが恨めしいとばかりに声を張り上げる彼女を、ふたりは咎めることなどできない。片やフリーター、片や原稿未納人である。


 そも、編集者という職業は多忙を極めるものだ。

 担当作家との打ち合わせはもちろん、原稿の手直しや校正担当と作家の中継をしたり必要な資料を集めたりなどが主な仕事内容である。加えて、作家が提出した企画書を市場つまりは読者のニーズに適するように、それでいて作家の持ち味を潰さない程度にすり合わせるのも編集者の重要な仕事のひとつ。


 そう、編集者とは掻い摘むと作家の“アシスタント的存在”なのだ。

 時たま、心境や環境の変化で作家がスランプ――酷いとまったく執筆できないまま数年が経過することもあるのだとか――に陥ってしまうことがある。そんな時、彼ら彼女らを第三者的視点から支えるのもまた編集者の仕事。作家と編集者は二人三脚でより良い作品を手がけるための相棒と言っても過言ではないだろう。


「それなのに担当した作家はどいつもこいつもロクに締め切り守らねーくせに文句だけは一人前だ! 馬鹿にしやがって! 馬鹿にしやがって!! 編集者をなんだと思ってんだお前らぁ! うわあぁぁぁん!!」


 年甲斐もなく泣き崩れた天野(見た目は幼女)はこの世の不条理を訴えるかのように床をべしべしと叩く。そろそろ近隣住人から苦情を危惧したほうがよさそうだ。

 居ても立っても居られず、義明はそろりと束に近寄り耳打ちする。


「なぁ束。原稿の進捗ってどのくらいだ?」

「えっと……山場は越えましたから、だいたい八割くらいでしょうか」

「なんとか今日中に上げられないか?」

「う……そう言われても……わ、私だって疲れてますし、明日も学校ですし……」

「無茶を言ってるのは承知の上だ。けどそこをなんとか頼むっ。俺、もう可哀想で可哀想で……」


 大の大人が泣き喚いているのは彼女の幼い風貌も相まってとてつもなく同情を誘う。天野にあれこれ慰めようとも却って怒りのボルテージを上昇させるだけ。今の彼女に必要なのは、慰めの言葉より作家の完成原稿だ。


「~~~っ。わ、わかりました。書きます、書きますからっ!」


 義明がダメ元で「今度好きなもん奢るから」と提案してみたところ、束は一考の後に折れることとなった。言うやいなやベッドから降り、ノートPCを立ち上げてすぐさま作業に入る。それを見届けた義明は、すっかり日も沈んで暗くなってきたので部屋の電気を点けてから、蹲る天野の傍らに膝を置く。


「あー、天野サン? 束もああ言ってますし、原稿上がるまで俺も見守っておくんで心配しなくていいっすよ」

「……ほんとか?」


 ふっと天野が顔を上げる。その顔は涙やら鼻水やらでぐしょぐしょだ。見兼ねてテーブルに置いてあった箱ティッシュから二枚ほど取って彼女に渡す。ごしごしと顔を拭った天野は一息ついて、それから義明をつま先から頭のてっぺんまでまじまじと見つめる。


「お前……良いヤツだな」

「ど、どうも」

「名前はなんて言うんだ?」

「各務義明……っす」


 未だになれない見た目のギャップに訥々と返事を返す義明。しかし、天野は気にした様子がないどころか、どうやらお気に召したらしい。


「そーかそーか。……さっきは悪かったな、アタシも言い過ぎた」

「いや、俺のほうも悪かったっす。すんません」


 先ほどの応酬が嘘のように素直に頭を下げる両者。

 義明はそんな彼女に「怒らなければ常識人な感じか?」と、対する天野は義明を「なんだこいつ滅茶苦茶良いヤツじゃん」と大層気に入り始めていた。


「ところで……結局、各務はアイツのなんなんだ? 女子高生に金をせびるヒモか? それともただの彼氏か?」


 背後で束がむせる。


「そんなんじゃないっすよ。俺はただアシスタントとして手伝ってるだけで……」


「と言っても主に家事なんですけど」そう言って笑う義明に、天野は真剣そうな面持ちでやや思惟し、


「……仕事はなんかやってるのか?」

「手に職があったら手伝ってませんって。……まぁ、フリーターっすよ」

「ニートじゃねーだけまだマシだな。まぁいいどっちにしろ好都合だ。なぁ各務、お前ウチに雇われる気はないか?」

「…………はい?」


 予想外の誘いに目が点になる。


「ちょうど人手不足でバイトの募集をしててな。主に編集部絡みの雑用がメインなんだが……お前が束のアシスタントとして働けるよう上と掛け合ってやる。つっても作家のアシスタントなんてウチじゃ前例はないが……まぁなんとかなるだろ」

「ほ、本当っすか!?」


 突如として舞い降りた願ってもない話に義明は当然食いついた。平時であれば「そんなうまい話があるか」と一蹴していただろうが、今回は相手が相手だ。編集者直々の誘いに乗らない手はない。


 義明も現役JKから報酬を受け取るのは些か思うところがあったので、正式にアルバイトとして会社側から支払われるのであればその問題も解消される。


「もちろん、打ち合わせや原稿の手直しはこれまで通りアタシが受け持つからな。校正もそうだ、あーゆーのは専門家に任せときゃいい。っつーわけでお前には……そうだな、作家のメンタルケアや資料集めも大事だが、その他の雑用もやってもらおう。主に資料集めとか……資料集めをな」


 バツが悪そうに視線を逸らす天野。なぜ彼女が念を押したのかなど考えるまでもなかった。


「……苦労したんすね」

「あぁ、血迷ったアイツに全身縛られて監禁されたときはマジでビビった。……けど、おかげで原稿の上がりが爆速だったからブチギレたくてもブチギレらんねー……」


 編集者としてのさがなのだろう、作品に対しては誠実であり仕事をこなす作家に対してもそれは同じこと。

 憂鬱そうに顔を翳らせ重いため息を吐く天野に、義明は親近感を覚えずにはいられなかった。


「その点、男のお前なら大丈夫だろ。フツーの資料を集めるなんてバカでもできるし、実践でもアタシみたいに『幼女に押さえつけられても拘束になりませんよ』とか言われんからな……馬鹿にしやがってちくしょー……」


 そう恨み言をごちると天野は濡れたティッシュで鼻をかみ、ゴミ箱に投げつけてから立ち上がった。


「邪魔したな、明日こそ原稿を取りに来る。それとバイトの件も口利きしておくから、一応履歴書だけ用意しておけ」

「うす。ありがとうございます――あ、そうだ天野さん」


 踵を返した天野を呼び止める。


「ん、なんだ?」

「ついでにメシ食ってきません?」


 モノはついで、というやつである。

 どのみち夕食を作る予定だったので、一人分増えようと大した手間ではない。加えて、これから先輩に当たる人物にバイトのコネ採用までしてもらうのだから、そのお礼も兼ねて馳走を振舞うのが筋というものだ。


「そりゃあ……ありがたいんだが、いいのか?」

「もちろん」

「んじゃ、ありがたくいただくとするか!」


 遠慮がちな面持ちを向けて逡巡する天野だったが、快諾を即答されると忽ち顔をほころばせていち早くテーブルについた。

 ――こうして見ると子供にしか見えないんだよなぁ。


「なんか好物とかあります?」

「好物なら色々とあるが……一番好きなのは煮込みハンバーグだな!」

「あー、ひき肉あったっけ……束はなんかリクエストあるか?」


 冷蔵庫の中身を確認しながら、義明は作業に没頭する束にも訊ねてみる。

 声をかけてから「集中している彼女から返答を貰うのは難しいか」と気づいたが、タイミングが良かったらしく慌てながらも応答が返ってくる。


「へ? あっ、え、ええっと鳥そぼろがいいです!」

「いや一昨日も食っただろ。……まぁいいか」


 ひき肉だけは常にストックしておいたほうが良さそうだ、と思いつつ義明は今夜の夕食を作るべく食材を吟味し始める。天野は彼のその様子をうきうきと心待ちにしながら眺め、束は眠気を堪え原稿と格闘しながら料理が出来上がるのを待つ。


 その後、並べられた料理を「めっちゃうめー!」と大絶賛して平らげた天野は、ご満悦な表情でスキップしながら帰路に着いた。


 ……余談だが、束が原稿を完成させたのは日付が変わる直前で、完成直後は親指を立てながらベッドに潜ったそうな。

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