第一話『その作家、痴女につき』

「昨日の夜、公園で痴女に会った……って言ったらお前信じるか?」

「薮から棒にどうしたよ。人間、妄想と現実の区別がつかなくなったらオシマイだぜヨシの字」


 スマホをいじりながら何気ない口調でそう語る義明に、鼻で笑った幸之助は眉根を寄せて一蹴する。「まぁ聞け」とベッドから身を起こした義明はそのままあぐらをかいて昨晩の出来事を語り始めた。


「コンビニ帰りに公園を通ったら、茂みに隠れて下着ズリ下げた女の子がいたんだよ。しかも、自分で手錠はめたのにポケットに鍵入れっぱなしだったから自力で外せなくなってた。んで、仕方なく助けたんだが……」

「ちょいちょーい、そんなAVみたいな展開あるわけないじゃんよ。……ははーん、わかったぞ。お主オナ禁してんな?」

「誰が欲求不満だ。とにかく、いいから最後まで聞け」


 『自分でも突飛な発言をしている自覚はあるさ』と義明が嘆息すると、幸之助は肩をすくめて缶チューハイをひと口呷ってから渋々聞き入る体制に入った。平日の真昼間だが、フリーターのふたりはシフトの入っていないまったくの休日である。休みが重なると、こうして義明の家で集まってだらだらするのが恒例になっていた。


「そいつが言うにはどうにも『小説を書くために自縛してた』っつーんだ。話によると、どうもデビューしたばっかの新人作家らしいんだが……幸之助、お前ラノベとか詳しかったよな?」

「ん? まあ部屋が傾くくらいには買ってるなぁ。新刊も必ずチェックするようにしてるぜぃ」


 腕を組み、不遜な笑みを浮かべる幸之助。しかしそこにイヤミったらしさはない。なぜなら彼はまごう事なきイケメンだからだ。


 端正な顔つきがマイナスをプラスにし、オールバックに整えた眩い金髪がそれを助長する。背も高い上に性格も温厚で、ノリもよくコミュ力も高い。一人暮らしゆえに料理もお手の物――と、一見すると完璧超人だが、それらで積み上げたモテ要素を台無しにする超が付くほどのヲタクっぷりを持ち合わせている。


 どれくらいかと具体的な例を挙げれば、同人誌や同人ゲームでひと稼ぎしていたほど――義明も何度かお布施して好みのシチュでイラストを書いてもらったことがある――しかもこの男、バイトに飽きると顔の良さを武器に何処からともなく養ってくれる彼女を探し出し立派なヒモになる。なんとも逞しいスーパーヲタクなのだ。


 対する義明はといえば、顔立ちこそ整っているが口調もどこかぶっきらぼうで、目つきが鋭く、無精ひげを生やして物憂げな雰囲気を醸し出していることもあってなかなか人に寄りつかれない。ちなみに学生時代、付いたあだ名は“不幸ヅラ”と“落ち武者”である。


 そんな正反対の、各務義明かがみよしあき平川幸之助ひらかわこうのすけが出会ったのは大学生の頃。何気ないヲタ話で意気投合した末になにかとつるむようになった数少ない親友だ。


「じゃあこのラノベ知ってるか?」


 と言って、義明はおもむろに先程までいじっていたスマホの画面を幸之助にみせる。縄で手足を縛られたヒロインらしき美少女が、主人公らしき青年にお姫様抱っこされているイラストで、タイトルは『異世界転生したらポケットから拘束具が出せるようになった件について。』よくある、タイトルそのものがあらすじになっているタイプのライトノベルだ。ペンネームは“結目束むすびめたばね”と、なんとも性癖が如実ににじみ出ている。


「どれどれ……あー、これか。少し前に話題になったやつだなー」

「人気なのか?」


 義明も色々と手をつけているオタクではあるが、もっぱらアニメ派なのでラノベ界隈の事情はてんでわからなかった。学生の頃、アニメ化した作品を何冊か買ったくらいだ。その点、幸之助はオールラウンダーともいえる。広く浅く、たまに沼のようにハマる。それが幸之助という人物だった。


「人気っつーか、テーマがニッチだったから真新しさで注目されてた感じ? オレっちも一応単行本読んだけど、内容は普通に面白かったぞ。挿絵も本文もエロかったし」


 幸之助はそう言い、缶チューハイを飲み干す。二本目を空にした彼の顔はうっすらと赤みがかっていた。


「もしかして、このラノベってその子が書いてんの?」

「あぁ、らしいな」

「へぇー、女子高生でラノベ作家かぁ。しかもちょいとばかし性癖が歪んでるみたいだし、これは期待の新人だな」

「そうかもな」


 将来有望な作家には違いない、と義明は適当に相槌を打って、


「ところで――」


 ゴソゴソと勝手に人ん家の冷蔵庫を漁り始めた幸之助を見やり、


「俺、このあと痴女作家の家に行くことになってるからなんかアドバイスくれ頼むこの通りだ……ッ!」


 初めて、義明は深々と頭を下げて心から懇願した。


 ◆


 公園のベンチに腰掛けて、義明は大きな嘆息を漏らす。

『生きて帰ってこいよ』と何故か死亡フラグビンビンなセリフを念押しされ――ほろ酔いの幸之助はそのまま飲み屋に直行した――待ち合わせ場所に近づくにつれて重くなる足を引きずってようやっとここまでたどり着く。


 自宅からほど近い閑静な公園だ。敷地面積は広いが遊具は少なく、子供の姿はまばらで遠目にゲートボールで盛り上がる老人らの姿が見える。……至って平和だ。とても痴女の出没した場所とは思えないくらいに。


 結局、幸之助から有力な助言を聞くことはできなかった。なにせ相手は痴女。常識が通用するとは思えない。流石のイケメンといえど荷が重かったか。

 だが義明とて男であり、呼び出しに応じた手前、今更逃げ出すわけにも行かなかった。


「――あの、すみません」


 誓を新たにしたその時、不意に柔らかな物腰で声がかけられる。顔を上げると、セーラー服の上からカーディガンを羽織った若い少女が立っていた。肩には学生鞄を下げている。色素の薄い緑がかった長髪をそよ風になびかせる様はどこか儚げで、ともすれば霞のように消えてしまいそうな気がした。


 そんな少女と自分の接点が見当もつかず人違いかと処理しかけたとき、義明は彼女の声が、聞き覚えのある優しい声色だと気づく。


「なんだ昨日の痴女か」

「ち、痴女!? 違います! わ、私はただ小説の参考にしようとしただけですっ!」


 まだあどけなさの残る幼い顔立ちの彼女が、わたわたと身振り手振りで必死に弁明する姿は義明の双眸に微笑ましく映る。頭頂部のアホ毛も連動しているのだから不思議だ。さも、小動物でも眺めているような癒しを感じとり義明は「悪い悪い」と苦笑しベンチから立ち上がった。


「えーと、君が結目束先生……でいいんだよな?」

「せ、先生だなんてそんな……私なんてまだデビューしたてのひよっこですから、普通に呼んでいただいて構いませんよ」


 そう言って、彼女……結目束は照れくさそうに頬をかいた。

 昨晩の出会いは衝撃的で、薄暗いこともあって人相や出で立ちがほとんどわからなかったが、こうしてまじまじと見てみるとごく普通の可愛い女子高生にしかみえない。強いて言えば、小柄で物腰の低さから少し気弱な印象を受けるくらいか。


 とはいえ、本当にこの少女が露出拘束プレイに興じていたなどとは思い難く、義明は疑念がモヤのように晴れずにいた。


「そんな子には見えないんだよなぁ……ひとつ聞きたいんだが、顔の良く似た姉妹が居たりしないか? 露出癖と拘束プレイが趣味の」

「えぇ……この期に及んでまだ信じられませんか」

「昨日の痴女と目の前にいる女子高生が同一人物だと思いたくないんだよ。それに、昨晩は暗くて顔をはっきりと見てなかったからな……あー、でも一見ウブそうな美少女がめちゃくちゃ性癖強いとかはその手のマンガだとよく見る気もするし……ということは君も?」

「『ということは君も?』じゃありません! 私をエロマンガの登場人物にしないでください! そ、そもそも私に露出癖はないですから!」


 ぷんすこと怒りを顕にしながら懸命に否定する束に、義明はそれでも怪訝の色を隠さない。


「でも昨日下着下ろしてたぞ」


 突きつけられる事実に、束は怒りと羞恥で顔を真っ赤にして訂正を入れる。


「だ、だからあれは小説の参考にするために下ろしていたんですっ!」

「拘束プレイまでしてか?」

「それがテーマの小説を書いてるのでやむを得ないんですよっ!」

「まぁ“結目束”ってペンネームだし拘束プレイが性癖なのは語るに落ちてるよな」

「ち、ちが――」

「なんだ、違うのか?」


 言葉に詰まった束に、すかさず義明が意地悪く問いかける。打てば響くような返しをくれる彼女に、なんだか楽しくなってきた義明だった。


「ちが……わ、ない……です、けどぉ……」

「なら君が昨日の痴女で間違いないんだな。やっと確信できたぜ」


 もっとも、声を聞いた段階でわかっていたけどな――とは言わず、心の奥底に秘めておく。


「うぅ、名前も知らない人に言葉責めにされました……酷い辱めです……でも参考になりましたありがとうございます……」


 そういって、束は若干涙目になりつつもへこたれず、なにやらメモ帳を取り出してペンを走らせ始めた。


「なに書いてるんだ?」

「あ、いえ、言葉責めなんて貴重な体験ですし、感想を書き留めておこうと思って……」


 資料があれば参考になりますから、と彼女はカーディガンのポケットにそれらをしまう。作家らしいな、と義明は束への評価を改める。


「さて、それじゃあ行きましょうか。陽も傾いてきましたし」


 彼女の言葉に義明は空を仰ぐ。気がつけば、頭上は夕焼けに染まった雲が泳いでいた。スマホで時刻を確認してみると、午後十七時を回った頃。


「悪いな。学校終わったばっかで疲れてるだろ」

「……平気ですよ。帰宅部ですし、授業中は小説のネタばかり考えていますから」


 疲労を感じさせない柔和な微笑みを見せて、束は歩き出した。歩調を合わせ、義明も隣を歩く。女子と並んで歩くだなんていつ以来だろうか、と義明はふと思う。残念ながら、学生時代にそんなエピソードはなかった。我ながら暗い青春を送ったものだ、と自嘲気味に口角を緩める。


 なんとなく、もう少しだけ記憶をたどった義明は、忘れずにいたその光景を呼び起こし――、


「あの……どうかしましたか?」


 心配そうな顔で訊ねられて、義明は思考を中断し、


「……いや、なんでもない。ちょっと考え事をしてただけだ。大したことじゃない」


 我ながら隠すのが下手だな、と義明は小さく嘆息する。昔から、隠し事は苦手だった。誠実といえば聞こえはいいが、嘘をつけなければ何かと不便だ。それに誰しもが他人には明かせない秘密のひとつやふたつは抱えているし、それを隠せるに越したことはないだろう。


「そうですか。……すみません、なんだか悲しそうな顔をされていたので……」


 束の鋭い指摘に義明は僅かに面を食らう。無意識に表情に出ていたとは、本当に隠し事が下手だ。


「……そうか。気にすんな、ただ……学生の頃はこんなふうに女の子と一緒に歩いたことねーなーって思っただけだ」


 うそぶいて、ぎこちなく笑ってみせた義明に、束がそれ以上追及することはなかった。


 ◆

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