第6話

 すると父は聞いてきた。


「本当なのか? 悠人?」


 僕はまさか、幽霊に会いに行くとは言えずに、ごまかした。


「うん、気分転換に……」


「ふうん……。でも、こんな夜中じゃなくても、いいんじゃないか?」と父は聞き返した。


 僕は計算してしまった。今まで、父は寛容でいてくれた。母は、どちらかというと、自分の価値観を押し付けてきた。


 今回も父は、譲歩を見せたような気がした。夜中じゃなかったら、散歩してもいいんじゃないか、と。僕はその譲歩に乗った。


「じゃあ、今日は止めるよ。その代わり、明日は行ってもいい? 夜の10時までには帰ってくるから」


 父は答えた。


「まあ、10時位だったら、いいんじゃないか? 悠人も、もう高校2年生なんだし今は夏休みなんだから、それくらいは。どうだ? 母さん?」

「まあ、そうだけど……。じゃあ、いいわ。悠人、約束は守ってね。10時までには帰ってくるのよ」


 僕はもちろん答えた。


「うん。そうするよ、ありがとう」


 次の日の夜、9時。僕はいつもの場所で、牧野の幽霊に説明した。


「だから僕は10時までには、家に帰らなくちゃならなくなったんだ……」

「そう、でも仕方ないよね……」と答えた後に彼女は続けた。


「うん! 今までのような幸せな時間を過ごせるなら、それでもいい!

 それにちょっと思っていたんだよね……。こんなに遅い時間に、川本君を外に出させていいのかなって。大丈夫かなって……。」

「僕は大丈夫だけど……」

「え? 何?」

「幸せだったの? 今まで、僕と過ごしていた時間は?」


 彼女は本気の表情で答えた。


「幸せだったに決まっているじゃない! このまま、この状況がずっと続けば良いなって思うほど!

 でもそれは出来ないけどね……。私はもう死んで幽霊になっちゃったから、霊界に行かなきゃならないから……。でも川本君はまだ、生きているんだから!

 私が霊界に行っちゃったら、ちゃんと幸せにならなきゃ、許さないんだから!」


 彼女の右目から、そう遠くない日に訪れるであろう別れを惜しむ涙が、あふれ出した。

 僕はごく普通の行動をするように、彼女に近づき右手の人差し指で、その涙をぬぐった。彼女は、その右手を強く掴んで喚いた。


「でも、ずっとこうしていたい! 川本君とずっとこうしていたい! ちょっと影があるけど優しい川本君が好きだから、いつまでも一緒にいたい!」


 更に僕は、ごく普通の行動をするように彼女を抱きしめた。気のせいか牧野の幽霊は、温かくて柔らかかった。しばらくそうしていると、彼女から離れた。そして言った。


「大切な思い出を1つ、ありがとう」


 僕は答えた。


「いいえ、どういたしまして」


 それからも僕は午後9時になると、公園に通った。気のせいか、あの夜から僕と牧野の幽霊の距離は近くなったような気がした。心の距離が。

 そうして、その夜も彼女と話をしていると、話し声が近づいてきた。


「あれ、あいつ川本じゃね?」

「えーと……。あ、そうそう、そうだね!」


 話をしていたのは、同じクラスの城戸蓮しろとれん沢村葵さわむらあおいだった。こんな夜遅くに2人で公園にいるとは、2人は付き合っているんだなと、恋愛に疎い僕でも分かった。


 城戸が聞いてきた。


「おい川本、お前、こんなところで何してんだよ?」


 乱暴な聞き方だったが、僕は丁寧に答えた。


「気分転換に、散歩をしているんだ」

「ふーん……。話し声がしたけど、誰としゃべっていたんだ?」


 城戸たちには、牧野の幽霊は見えないらしい。


「別に。独り言だよ……」


 城戸は鬼の首を取ったように、言い放った。


「独り言? こんな夜中の公園で? おいおい、ついに勉強のしすぎで頭が、おかしくなったんじゃねえのか? ひひひ!」


 沢村も同意した。


「言えてる! きゃはは!」


 僕の成績はクラスの中でトップクラスだった。勉強は子供がするべき仕事だと思っていたので、勉強は頑張った。そして城戸も沢村も成績は下位クラスだった。


 城戸は喚いた。


「ひひひ、川本が、おかしくなりやがったぞ! 皆に裏クラスLINEで教えよーっと」


 沢村も続いた。

「私もー」


 そして

「夏休み明けの学校が楽しみだぜ! ひひひ!」と2人は去って行った。


 牧野の幽霊は、というと、すでに城戸と沢村に殴りかかっていた。幽霊なので殴れないが。

「ちょっと、城戸! あんた取り消しなさいよ! 川本君は私のためにやっているんだから!

 普通の人だったら、やってくれないようなことを! 頭がおかしくなった訳じゃないんだから!」


 少しすると牧野の幽霊は肩を落として、見るからに気落ちして戻ってきた。


「ごめんね、川本君……。私が人を呪うことが出来たら、とっくの昔に呪っているのに……」


 僕は取りあえず、ツッコんだ。


「いやいや、物騒なことを言わないでよ! 人を呪わば穴2つって言うし……。

 いや、牧野は幽霊だから、どうなるかわからないけど……。とにかくそんなことは止めてよ!

 そんなことは牧野には似合わないよ!」


 牧野の幽霊は、涙ぐんで抱きついてきた。


「えーん、ありがとう、川本君! でもこのまま夏休みが終わったら、クラスで何て噂されるか……」


 僕は冷静に答えた。


「多分、大丈夫だよ」

「え? どうして?」


 僕は牧野の幽霊を安心させるために、諭すように話した。


「夏休みはまだ、3週間位あるんだよ。夏休みが明ける頃には、皆は別の新しい話題に、夢中になっているよ、きっと」


 彼女は、僕の顔を見上げて聞いた。


「本当?」

「うん、多分ね」


 彼女は、何かを決心したような真剣な表情で聞いてきた。


「川本君……。ちょっと、目を閉じていて、もらえるかな?」

「え? うん、いいけど……」と僕は目を閉じた。


 すると次の瞬間、僕の唇に柔らかいものが当たった。驚いて目を開けると牧野の幽霊の顔が目の前にあった。彼女は唇を離すと言った。


「初めてだったけど、ちゃんとできて良かった……」


 僕も、そう思った。

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