第5話
「な、3歩と5歩の時は、こうやってハードルを飛び越えるんだよ。でも4歩の時は……」と僕は姿勢を変えた。今度は右脚を真っすぐに伸ばし、左脚は右脚と90度になるように曲げた。
「と、この姿勢と交互にハードルを飛び越えなくちゃいけないんだ……」
「なるほど、それで?」
「うん、左脚を真っすぐ伸ばす飛び方は、普通に慣れて出来るんだけど、右脚を真っすぐ伸ばす飛び方はまだ出来ないんだ」
「ふーん、じゃあ、その飛び方を練習したらいいんじゃない?」と彼女は、僕の背中を押した。
「痛っ、急にやると痛いって。だから僕は、もっと速く走るために明日からこの4歩でハードルを飛び越える練習をしようと思っているんだ」
すると彼女は目を星のように輝かせ
「いいぞー、頑張れー!」と、僕の背中を押した。
僕は
「痛っ、だから急にやると痛いって!」と悲鳴を上げた。
次の日は、好きな音楽の話になった。牧野の幽霊は、笑顔で聞いてきた。
「ねえ、川本君は好きなアーティストとか、いる?」
「え? どうしたの、突然?」
「うん、私、音楽が大好きなの。聞くのも演奏するのも」
「ああ、そういえば牧野って、吹奏楽部だっけ?」
「うん、そう。それで将来はシンガーソングライターになるのが夢だったんだけど……」
僕は、本気で残念な表情で言った。
「そうか、残念だね……」
「ううん、もういいの。それよりも川本君が聞いている音楽を知りたいの」
僕は答えた。
「うん、僕はB'zが好きで、よく聞いているよ」
「ああ、B'zもいいよねえ、有名だもんねえ」
「牧野は誰が好き?」
「私はやっぱり、さユり、かなあ」
「さユりかあ……。名前だけは聞いたことがあるかな。で、どの歌が好きなの?」
「うん、やっぱり『ミカヅキ』かなあ」
「『ミカヅキ』かあ……。何か聞いたことあるかな……」
「ああ、出来ればもう一度、聞きたいなあ」
「あ、そう? ちょっと待ってて」と言うと僕は、ポケットからスマホを取り出した。そしてユーチューブで動画を検索した。
「さユりの『ミカヅキ』ってこれ?」と画面を見せると彼女は
「そう! これ! 聞かせてくれるの? 嬉しい!」と喜んだ。そして
「あ、でも、できれば THE FIRST TAKEバージョンのほうが良いなあ……」とリクエストしてきた。
僕がリクエストに応えてスマホを操作すると、切ない歌詞と曲が流れた。聞き終わると彼女は喜んだ。
「まさか幽霊になってからも聞けるとは、思わなかった。本当にありがとう」
「どういたしまして。それにしても改めて聞いてみると、いい歌だね」
「うん、そうだよね。それに自分が好きな歌を、良いって言われると嬉しいわ」
「ああ、その感じ分かるなあ……」
「ねえ、川本君はB'zのどんな歌を聴いているの?」
「ああ、僕はウォークマンにCDを入れて聞いているからなあ……。明日、持ってきて聞かせてあげるよ」
「本当?! 嬉しい!」という日々が続いた。
その日、部活に行きハードルの練習をしていると、柏木が近寄ってきて言った。
「ハードルの間の歩数を、5歩から4歩に変えたんだね」
「うん、これで秋の大会で、今までよりも良いタイムが出せるはずだよ」とハードルに右手をかけ、少し休みながら答えた。実際、ハードルを3つ並べて飛ぶ練習を、6回した後だったから、ちょっと疲れていた。
「ふーん」と答えた柏木の顔を、僕は見つめた。切れ長の目で美人系の顔をしている彼女は、見る人に冷たい印象を与える時があるが、そうではないことを僕は知っていた。
今年、入部してきて
『陸上をやるのは、初めてです』と言う1年生に丁寧に練習の仕方を教えたり、アドバイスをしていたからだ。
だから彼女に好意を持ち、熱い視線を送る1年生男子もいた。彼女はいわゆる、姉御肌だった。
すると、そんな彼女が聞いてきた。
「川本君、最近、充実しているみたいね。ハードルもそうだけど……」
「え? ハードル以外に、何か変わったっけ?」
「うん、朝の挨拶とかが今までと違う……」
僕は牧野の幽霊のアドバイスを受けてから、柏木に挨拶されると
「おはよう、今日も暑くなりそうだから、熱中症とかに気を付けような」
「おはよう、今日は曇りだから、そんなに暑くならないかもな」
「おはよう、ところで夏休みの宿題、ちゃんとやってるか?」等、一言付け加えるようにしていた。
しかしそれはまさか、牧野の幽霊のアドバイスだという訳にはいかないので、ごまかした。
「うん、夏休みに入ってからちょっと、考え方を変えたんだ。柏木はいつも僕に挨拶をしてくれるのに、そっけなく返すのは悪いかなあと思って」
「ふーん」と彼女は納得していないような顔で僕を見たので、僕はつい顔をそらしてしまった。
話題を変えるために、僕は聞いた。
「そういう柏木はどう? 400メートルのタイムは良くなってきた?」
柏木は400メートル走の選手だった。
「いや、あんまり。最近はちょっと調子、悪いかなあ」
僕はすぐに、その理由が分かった。牧野が亡くなったからだ。柏木は練習が終わると、先に吹奏楽部の練習が終わってグランドで待っている牧野と一緒に帰るほど、牧野とは仲が良かった。その牧野が亡くなってまだ、1週間くらいしかたっていない。
口には出さないが、まだそのショックから立ち直っていないんだろう。
そう考えていると、柏木が聞いてきた。
「あのさあ、川本君……」
「ん? 何?」
「最近、何か良いことでもあった? 例えば彼女が出来たとか?……」
僕は牧野の幽霊とは仲良くしていたが、彼女ではないので
「ううん、出来ていないよ」と答え、それから少し考えた。
僕は牧野の幽霊が、霊界に行けるように話し相手になっているだけ、幽霊助けだ。
だけど結果的には、仲良くなっていたのか。思えば僕と牧野の幽霊との関係は、一言では言えないような気がする。
「ふーん」と、納得していないような返事と表情をした柏木だが
「ま、充実しているのは良いことだよね。これからもその調子で頑張って」と言うと背を見せ、後ろでまとめている長めの髪を揺らして、練習に戻っていった。その背中に
「うん、柏木も練習、頑張れよ!」と声をかけると振り返らず、右手を軽く上げて答えた。
僕はまた、その日の夜中の1時に公園に行こうとしていた。玄関の施錠を『カチャリ』と外した時、偶然起きてきた母に見つかった。
母が
「こんな夜中に何をしているの?」と聞いてきたので思わず
「え? いや、ちょっと公園まで散歩をしに行こうと思って……」と答えてしまった。すると母は叫んだ。
「何を言っているの?! こんな夜遅くに散歩だなんて?!」
僕が言い訳できずにいると、父も寝室から出てきて聞いた。
「2人ともどうしたんだ、こんな夜中に?」
母は訴えた。
「あなたも止めてよ! 悠人がこんな夜中に、散歩に行くって言っているのよ!」
僕は子供のうちは大人の言うことに従って、大人になってから、やりたいことを存分にやろうと思っていた。だから当然、親が言うことにも従ってきた。
でも今回はそういう訳にはいかない。僕は牧野の幽霊に会いに行きたかった。
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