第11話 井戸の底と「門」の正体

 暖かな風が運動場の上を吹き抜けて僕らの顔を撫でる。空は雲一つなく晴れ渡り、さんさんとした陽光が僕らと隣にそびえる作業教室棟を照らし出していた。しかし時刻は既に昼下がりだ。僕らがこれからやろうとする作業を思うと急がなければ日が暮れてしまう。


 僕は右手にぶら下げたセカンドバッグに目をやった。色々と用具を準備して持ってきたものの上手くいくだろうか。


「真守。呼び出した理由を説明してくれ。この間のタイムカプセルの件について話したいことがあるってのはどういう事なんだ?」

「あれはもう土に埋もれて見つけられないということでしたよね?」 


 明彦が胡乱な目で僕を睨み、狭間さんも顔に疑問符を浮かべながら見つめ返した。片倉先生も困惑した様子で呟く。


「え? また丘の上の文化施設跡の所に行きたいっていうから付き添いできたけれど、タイムカプセルのことだったの?」


 隣の星原は僕のやろうとしていることを察しているのだろうか、すました顔で僕の発言を待っていた。一晩明けた日の放課後である。僕は職員室で調べて判った事とそこから導き出した推測を説明するために、明彦たちと片倉先生に集まってもらったのだ。


「実はその事でわかったことがあったんだ。説明するためにはまず、あの文化施設跡がある丘の上に移動したいんだけど良いかな。……もしかするとタイムカプセルを見つけられるかもしれないんだ」

「何っ?」

「本当ですか?」


 明彦と狭間さんは僕の言葉に表情を変えた。一方、片倉先生は半信半疑と言った様子で眉をひそめる。


「君が私のために色々考えてくれたのは有難いけれど。……本当なの?」

「絶対とは言えませんが、やる価値はあると思うんです。ほんの少し、今日一日だけ時間を割いてもらえませんか」

「…………わかった、今日だけね」


 片倉先生は無表情で頷いた。


 丘の上に移動した僕らはまず白鳥の像がある文化施設の跡近くに集まった。星原が「そういえば」と思い出したように呟く。


「この間は、ここに出入りして長沼とかいう用務員の人に注意されたけれど大丈夫なの?」

「そこは四谷先生に確認して、今日も私用で少しだけ出入りすることを伝えてもらうようにお願いしておいたから大丈夫だと思うよ」


 気難しそうなおじさんだったが、先生を通じて事前に伝えておけば理不尽に怒ることはあるまい。僕はみんなの方に向き直って本題に入るべく口を開く。


「まず、タイムカプセルは文化施設近くの枯れ井戸に隠していたということだったんだけれど。……片倉先生。それはあの枯れ井戸でしたか?」


 先日、この場所に来た時に見つけた井戸を僕は指さしてみせた。底が土で埋もれてしまっていたあの井戸だ。片倉先生は僕の質問に少し戸惑いながらも答えようとする。


「え? ……そりゃ十年前のことだけれど。確かにあの井戸だと思うんだ。だいたい他に井戸なんてないじゃない」

「なるほど。それじゃあ、ちょっと試してみましょう」

「試す?」


 僕は無言で井戸に近づいた。他の皆は僕が一体何をするつもりなのかと無言で見守っている。まずセカンドバッグから二リットル容量のペットボトルを取り出した。中身はただの水道水である。そしてその水を井戸の中に注ぎ込む。


 僕はそのまま井戸の中を観察した。注がれた水は泥と混ざって茶色い濁水になって底に溜まっていた。他の三人も無言でその様子を見ている。そのまま十数秒が過ぎた。


「おい、これが一体……」なんなのかと明彦が言いかけたその時、僕の耳はかすかな異変をとらえた。

「静かに」

「……え?」

「ほら、聞こえるだろ。あの音が」


 その場にいた皆が黙って耳を澄ます。するとドボドボとかすかに響くような水声が井戸の中から聞こえてくるのがわかった。そして井戸に溜まった水は明らかに土に染み込むのとは違う速さでどこかに消えていく。


「流れている? あの井戸の底からどこかに水が流れているの?」

「枯れ井戸になっているうえに泥が流れ込んだのだから、完全にふさがっているのかと思いましたが。もしかしてこの井戸の底はどこかに繋がっているんですか?」


 星原と狭間さんがそれぞれ眉をひそめて呟いた。


「ああ。そうなんだ。それを説明するのにまず見てほしいものがある。……ついてきてくれ」


 僕は文化施設跡の奥へ回り込むように歩き出した。そして前に来た時とは逆のルートで「石畳の上」を少し歩いてからなだらかな坂を下りる。そこにあったのは例のトマソン、「行先のない階段」と「境界のない門」である。僕は皆に向きなおった。


「実は、つい先日職員室に行って十年前のうちの学校の周囲の見取り図や写真を見せてもらったんだ。そうしたら文化施設の裏手には武家屋敷の跡があってそれに関係する石垣、そして水路があった」


 明彦がよくわからないというように首をひねる。


「水路だって? どこにもないじゃないか」

「ああ。土砂崩れで上流の給水路が塞がってもう水は流れていない。でも僕たちが今、立っているこの場所こそが水路なんだ」

「何だって?」


 僕はなだらかな坂のようになった荒れ地にぽつんと立っている「階段」と「門」を指さした。


「あの階段は文化施設に関連したものじゃない。『水路に下りていくため』の階段なんだ。その隣の門も実は門じゃない。あれは『水路を渡るための橋』だ。アーチ状に作られた橋の両岸が土砂崩れで流れて無くなった。そのために『門』に見えていただけなんだ」


 星原が僕の言葉を受けて周囲の様子を改めてぐるりと観察してから「そういうこと」と納得したように呟いた。


「つまり、もともと二メートルほど段の高いところに文化施設や井戸があって、その横に水路があった。この階段もその水路に下りるためのものだった。でも土砂崩れで段差を形成していた土も崩れて、なだらかな坂になったのね。だから中途半端な高さの階段が残り、橋の周りの土も流されて『門みたいに見えていた』と」

「そのとおりだ。ひょっとすると地盤が緩かったところにコンクリート製の橋と階段を後から設置したのかもしれない。だからこの二つだけが取り残されて不自然な風景が出来上がったということだ。……これを見てくれ」


 僕はポケットから職員室でコピーさせてもらった当時の地図を取り出して、みんなに見せた。そこには水路と文化施設の横からつながっている点線が描かれている。


「あの文化施設の横にあった井戸はもともと地下水の支流から流れてきた水を使っていたらしい。そして枯れる前はその水が僕らが今いる水路跡に流れ込むように暗渠が作られていたみたいなんだ」


 ここで片倉先生が僕の言葉に反応する。


「そういえば、確かに文化施設の裏手には小さな水路が流れていた気がする。学校の敷地からはみ出たところになるらしいから、あまり行かなかったけれど」

「じゃあ、私たちが今いるのは、その水路上の境界線というわけですね。……ん? 暗渠が作られていた? それじゃあもしかして」


 狭間さんがたった今歩いてきたなだらかな坂の上に目を向ける。


「ああ。僕らがさっき歩いてきたあの『石畳』、あれは暗渠の溝板だったんだよ。そして暗渠の出水口はこの地図が正しければまさにこの場所のはずだ」


 僕は階段横にあった「瓦礫の小山」を指さした。瓦礫のむこうは土砂で埋もれているがその先には僕らが通り過ぎた石畳が、溝板が繋がっているはずである。


 星原が目を見張って呟いた。


「ここがその文化施設の方から井戸水を流し込んでいた地下水路の出口ということなのね」

「そういうことだ」

 僕は言いながらセカンドバッグから軍手を取り出して手にはめると目の前の瓦礫の小山から一つ一つ取り除く。やがて、がれきの下から「黒い空間」がぽっかりと口を開いた。


「普通なら豪雨で土砂崩れが起きたらそれで埋もれておしまいだ。でも、濁流が流れ込む先が地下の排水路だったらどうだ? タイムカプセルに使われていたのは片手で持ち運べる程度の卓上金庫だ。重くはないし金庫と言っても基本的には空洞だから中身によっては土砂に埋もれずに水流で井戸の底からこの地下水路に運ばれているはずだ」


 実際、過去の大地震による津波などの被害で金庫が遠くに流されて警察に届けられたという話を聞いたことがある。しかもコンクリートの井戸と水路の壁に守られていたのだ。土砂に埋もれることなくこの中に残っている可能性はある。


「これがその地下水路の場所なんだ。そしてこの図面が正しければ地下水路は文化施設横にあった井戸と繋がっている。もしかするとこの中にタイムカプセルは流されずに残っているかもしれない」

 明彦は呆れたようにため息をついた。


「見てきたように言うが全部お前の想像じゃないか」

「そうだよ。もし僕のいう事が間違いで、単純に他の場所で土砂の中に埋まっているのなら僕らの力じゃもうどうしようもない。ショベルカーでも持ち出してこのあたりの土地を片っ端から掘り返しでもしないと無理だろう。でも、もしも。もしも僕の予想が当たっていたら。……この暗渠という限定された範囲を、それも長さ十数メートル程度を掘り返すだけで見つけられるかもしれない。それくらいの作業なら僕らの力でも辛うじて可能だ」

「あのなあ。わかっているのか? 中途半端に希望を与えた後でそれを奪うのがどれだけ相手を傷つけるのか」

「わかっているさ。でも多少でも可能性があるなら、それを確かめられるのならやるべきだろ」


 僕らは半分言い争いになりそうな勢いで言葉をぶつけ合う。その様子に狭間さんはおろおろと困ったように泣きそうな顔になる。片倉先生は突然の成り行きに呆然と様子を窺っていた。


 僕と明彦がここまで反目したのは初めてかもしれない。勿論、明彦は明彦で片倉先生を気遣っているからこその発言なのだろうが。


「……月ノ下くん」


 そんな険悪な空気を一瞬停めるように、細くて良く通る声が響いた。星原だ。


「そこまで言うからには、あなたの主張にはそれなりに根拠があるということよね?」


 問い詰めるのではなく、僕に対する信頼がこもった声だった。僕は小さく頷いて、瓦礫の小山の中にあった鉄棒を交差させて作られた建材を指さして見せる。


「これを見てくれ。排水溝の出水口は安全や整備のために鉄柵を作っておくことがある。仮に濁流が流れ込んでもこの鉄柵にひっかかってこの中にとどまることになったと思う」

「なるほど。この鉄柵がタイムカプセルを守ってくれたんじゃないか、ということね」


 彼女は僕を見て不敵に笑う。


「いいでしょう。やる価値はありそうだわ」

「星原」

「私は協力する。……二人は?」


 明彦と狭間さんは顔を見合わせて、ため息をついた。


「ま、ここまで来たら乗り掛かった舟か」

「わかりました! 私も乗らせていただきます!」


 星原はふむと頷いて先導するように穴を覗き込む。


「それでは探してみましょうか」

「ああ。……先生。期待を持たせてもし見つからなかったらすみませんが、もう少し付き合ってもらえませんか」


 片倉先生は首を振って「結果がどうなっても私のためにそこまでしてくれただけでもう十分だよ」と小さく呟いた。

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