ゴーストウエポン:2

翌々日。


霧島の言う通り、森田は「もう一度話を聞きたい」と警察が言うと渋る様子もなく快く来てくれたそうだ。


とはいえ、私達が直接取り調べるわけにはいかないから、警察署のロビーで待たせてもらった。取り調べでなく、カフェか何処かで話を聞かせてもらうつもりでいたのだ。森田の顔は、あの部屋の写真からバッチリ割れている。探し出すのはそう手間では無い。


ロビーに森田が現れたので私達はロビーのビニールレザー製のベンチから腰を上げ、彼に近寄った。


「あの〜……」


霧島が話しかけると、森田は訝しげな顔をして不快感をあらわにした視線を私達に投げてくる。


「何ですか?」


敬語ではあるものの、あからさまに苛ついた声だ。この手の扱われ方はもう慣れてしまっているので、怯むことは無い。


「ちょっと、事件の事で聞きたいことが……」


瞳に疑念の色が宿る。それもそうだろう。いきなり出てきた若造に事件の話を聞かせてくれと言われて、ハイ分かりました、と素直に従うのはおかしい。


「何なんです?アンタ達?」

「私達は神崎探偵事務所の霧島と中川というものです」


私は自己紹介をしながら営業用に作った名刺を彼に差し出した。森田はひったくるように名刺を受け取り、そうする意味はあるのかどうか分からないが、私と名刺を交互に見比べている。


「それで?探偵事務所の人が何の用なんです?」


森田の警戒は依然として続くが、私は営業スマイルでにこやかな対応をする。ここでへそを曲げられては聞けるものも聞けなくなってしまう。たとえはらわたが煮えくり返る事を言われたとしてもおくびにも出さずにやり過ごさなければならない。


まぁ、この手の態度、対応は幾度となく味わっているので、ちょっとやそっとでは立腹する事はない。ひどい時はコーヒーを掛けられたこともあったし、眼鏡を割られたこともあった。罵詈雑言レベルではもはや頭にくることはない。


「私たちは警察と連携し、事件の事を捜査しています。差し支えなければ、事件の事をお話させていただきたいのです」


お願いします!と言いながら頭を下げる。マナー講師に叩き込まれた、直立から背筋を伸ばした状態のまま前方に30°身体を傾けるという綺麗なお辞儀を見せる。


「30分だけなら。俺も仕事に行かなきゃだから」


警察でないとわかった途端に言葉遣いが乱暴になった。森田は腕時計を見ながらしぶしぶ了承してくれた。お辞儀の効果だ。絶対にそうだ。そうに違いない。本来だったら茜さんのカフェまで足を延ばしたいところだが、30分という短い時間しか与えられていないから警察署から遠く離れていないチェーン店のカフェに入る。


入ってから、ああ、しまったなと思った。最初にカフェの入り口正面のカウンターでオーダーしてから店内で食べるシステムのカフェだったからだ。俺は、森田の対応を霧島に任せ、飲み物をオーダーする側にまわる。オーダーする上で森田の分も忘れずに聞いておく。


「森田さんはブラックでいいですか?お話聞かせてもらえるので代金はこちら持ちで」

「はぁ。それならブラックで大丈夫です」


霧島には何飲むかは聞かない。店のカウンターに近づき、店員の前にくる。ショートヘアーの笑顔の眩しい女性店員だ。私とそう年齢は変わらないだろうなと勝手な想像を巡らす。彼女は大きな声で注文を取り始めた。


「いらっしゃいませ!何にいたしますか?メニューはこちらです」


手のひらでカウンター上に置かれたメニューを指す。それにつられてメニューを覗き込んだが、目眩がするような単語の羅列の群れが私を襲う。

もっと、シンプルにしてくれ!


そう心の中で叫ぶ。誰にも届かない嘆きが私の心を燃やし尽くすのだ。

茜さんの店はシンプルだ。一人でこなしているからということもあるかもしれないが、カッコつけた横文字の隊列は存在しないのだ。


やはり、そちらに慣れてしまうとこの訳のわからない単語たちを操るのは難しい。

私がううむ、と唸っていると


「どうか、されましたか?」


と聞いてきたので、


「何でもないです。とりあえず、アイスコーヒーの普通サイズを3つ」


と、右手の3本指を立てて、店のルールを全部無視する形でオーダーしてやった。それでも店員は笑顔を崩さす、


「ドリップコーヒーのトールサイズが3つですね?テイクアウトですか?店内で飲まれますか?」


流れ出る清水の如く、滑らかな口調から溢れ出る横文字の嵐。私はたじろぎ、


「えっと、て、店内で」


それだけ言うのがやっとだった。


「では、そちらでお待ち下さい!」


と、指し示された場所には、ドリンクやらを受け取る人の列が出来ていた。はぁ、と嘆息してその列の後ろに並んだ。5分ほど経った後、ようやくコーヒーを渡され、霧島たちの席に向かうことができた。


霧島と森田は奥まった周りに比較的人がいない席を選んで座っていた。聞く内容が内容だけに人気の無い方がいいだろう。二人とも無言で座っているかと思い、席に近づくと笑い声が聞こえてきた。何だか盛り上がっている?


「レビンウィグナーが最終コーナーから追い上げてきたんですよねぇ」

「そうなんだよ!それで少ないなりに勝たせてもらっちゃってさぁ〜」


レビンウィグナー?何処かで聞いたことあるな。


「その後のジョッキーの相沢さんのコメントがかっこいいんですよねぇ」


ジョッキー……。こいつら競馬の話ししているな?補足しておくと霧島は、賭け事としての競馬はやらない。ただ、馬が走っているのを見るのが好きなだけだ。それに必要なのかどうかは分からないが、ちゃんと馬やジョッキーの名前を把握している。走るのを見るだけならそんな知識、不要だと思うが。


盛り上がっているところ申し訳ないが、テーブルにコーヒーを置く。


「ブラックコーヒーです。森田さんもどうぞ」


私の一言に、森田はおずおずとコーヒーに手を伸ばし、遠慮がちに自分に寄せた。

霧島は、不満そうに私の顔を見てくる。


「えっ?僕のもブラックなんですか?苦いのダメだって知っててやってますよね?」

「知ってる」

「もぉー!」


やけっぱちなのか、さっとコーヒーグラスをひったくって、ストローをさして一口飲み、うえっ、という声を上げる。


私はそんな霧島を横目に、霧島の横に座る。

森田に相対し、ここから先は真面目な話であることを視線で伝えた。伝わるかどうか不安だったが、森田の目の色が変わったところ見ると、ちゃんと伝わったようだ。


「結構時間かかってしまいました。お時間無いのにすみません。先程も事件の件で、と前置きしましたが少し聞かせてもらいたいのてす。警察に喋った内容と重複ちょうふくするかもしれませんがよろしくお願いします」


私がペコっと小さなお辞儀をすると、森田も霧島もつられてお互い礼をするかたちになった。


「じゃあ、霧島頼む」

「はいはい」


はいは一回。


「じゃあ、森田さん。いくつか質問させて下さい。答えづらいところは無理に答えなくても大丈夫です。まず、事件のあった時間、どこにいましたか?」

「ああ。その時間は彼女の浮気相手とこんな喫茶店で話し合いしてたよ」


眉根に縦じわが入る。そのシワが嫌なことを思い出させられたと主張しているようだ。


彼の言うこんな喫茶店というのは今我々がいるチェーン店のカフェを言っているのだろう。


「それは証明できますか?」

「ああ、恥ずかしい話だけど店の人に警察呼ばれちゃってさ……」

「警察署に行ったわけじゃない?」

「ああ。口論になっただけだから、その場で窘められただけ」


真野刑事が語った内容と一致する。


「その後はどうしましたか?」

「警察呼ばれちゃ、もうここにいれないと思って、家に招待した。彼女もいるしな」

「彼女がいるのは知ってたんですか?」


ブラックを一口すする。


「ああ。


ドラマ?


「じゃあ、浮気相手の人もその事を?」

「知ってたと思うよ。その日は絶対に家にいたもん」


そう言われて、その日のあの時間に放送していたドラマをスマホで検索してみる。検索のトップにドラマの名前が表示された。


『毒々しい彼氏』


何だこれは。微塵も見たいという欲求にかられないタイトル。果たしてこんなものが面白いのだろうか……。


「いつから彼女さんが浮気してるのを知ってました?」


そう言われて森田はうーん、と天井に視線をやった。やがて思い出したのか、忌々しそうな顔で喋り始めた。


「一ヶ月半前かな。きっかけは大した事じゃない」

「一ヶ月半前……」


霧島はブラックコーヒーのグラスを眺めながら独り言ちるように呟いた。


「えっと、その後、家に招待した時は玄関は鍵がかかってました?」

「ああ。俺が自分の鍵で開けて入った。あの浮気野郎も後ろでそれを見ていた筈だ」


即答するあたり間違い無いと見ていいだろう。


「で、その中で彼女さんは亡くなっていたと……」

「ああ。帰って名前呼んでも返事も何にも無いから、部屋の電気つけたら……」


死んでいた、と。


「何か変わった所はありませんてしたか?」

「そういやベランダ側の窓が空いてたな」

「全開でした?」


霧島にそう問われて、森田は首肯した。


「それも浮気相手も見ている?」

「ああ。あいつも一緒に見ているよ」

「遺体を見つけた後は……?」

「その後は、俺が警察、野郎が救急車を呼んだ」

「すぐに来ました?警察と救急車」

「ああ。すぐに来たと思うよ。10分ぐらいで警察、その後ちょっとしたら救急車が来たはず。ちゃんと時計見てたわけじゃないから正確かは分からないけど」

「その間、お二人は何していたんですか?」

「いや?特に何にも……」

「部屋の中を触ったりとかは……?」

「いや、してない。浮気野郎は何かしようとしていたみたいだけど。でも、現場保存とかいうじゃん?だから、何も触るなって言った」


殺人現場やらなんやら事件が起きたときには解明の為に現場は手つかずのままにしておく。ある意味基本だが、それは我々探偵だったり警察だったりの基本だから、彼のような一般サラリーマンは知らないほうが自然では?そう思いカマをかけるつもりで聞いてみる。


「よく知っていましたね。現場保存」

「ああ。ミステリーとかその手の漫画好きでよく読むんだ。そういうのでよく出るじゃない?現場保存」


まあ、確かに。


「そういえば料理ってしますか?」

「何だ?その質問」


出し抜けな霧島の質問に森田は訝しいんでいる。このタイミングでなんの脈絡も無い質問を打ち込んできたら、誰でもそうだろう。流石に霧島もそれを察したのか、慌てて取り繕う。


「あっ!?いや他意は無いんです!気になって!」


下手くそ過ぎる。


「それが重要なわけ?まぁ、いいけど。俺は料理はしないよ。昔から下手だもん料理は。全部、愛にやってもらってた」


森田はしぶしぶ答えてくれた。これで真野刑事が言っていた凶器の包丁に彼の指紋が出ない理由が分かった。まあ、そもそも指紋が拭き取られていたら、被害者の指紋も消えちゃうんだけどね。


「探偵さんも俺を疑ってるの?」


今までの顔とは打って変わって、不吉な笑みが森田の顔を覆った。


「ミステリーなんかでもよく警察の人が言うでしょ?関係者はみんな疑えって」


森田の笑顔に対しての意趣返しなのか、霧島もまたニコリと笑った。こちらは幾分爽やかだが。


「でも、警察の人が言ってましたよ。強盗殺人だろうって」


霧島は首を傾げて、返す。


「何か取られました?その強盗に」

「いや……」


森田はそう言って沈黙する。


「だから、強盗殺人はちょっと……」

「でも、警察の人に聞きましたよ?凶器についてはいろいろ分からない事があるんでしょ?」


警察の人間が本当にそんなことを言ったのか、それともブラフか。だが、今回の事件ではそんな事はどうでもいい。


「凶器は台所にあった包丁だって……」

「強盗が同じ包丁を持っていた可能性があるでしょ?」


それはない。部屋にあった包丁からルミノール反応が出ている以上、あれが凶器であるのは間違いないはずだ。被害者の指紋しか出てこないという不可解なこともあるが、そんな事は本当に些細な事なのだ。《ギフト》を使えば。


「あっ、後、浮気相手の人の連絡先って知ってますか?」


森田に聞くのは本来御法度だが、こういうところから情報を得るしか無い。


「ああ。知ってるよ。愛のスマホに入ってたから。ちょっと待ってて……」


そう言って、テーブルに備え付けられた紙ナプキンを取り出し、自分のバックをゴソゴソとあさるとボールペンとスマホを取り出すと、スマホを見ながらナプキンにスラスラと電話番号を書いてこちらに滑らすようによこした。


「ありがとうございます!」


霧島は頭を下げる。しかしまあ、個人情報についての扱いが存外だね。浮気相手だからそんな事を気にしてやる義理もないと考えているのかもしれないが。

霧島は丁寧にナプキンを畳んで胸ポケットに仕舞うと、腕時計をチラりと見てこう切り出した。


「最後に。『希望の家』って知ってますか?」

「えっ?希望の家……?」


珍しく言い淀んだ。だが、この反応は後ろめたい事がある時の反応じゃない。一生懸命、その単語の事を思い出そうとしている時の反応だ。案の定、


「知らない」


と首を横に振った。


「そうですか」

「何なんだい?希望の家って?」

「いえ、知らないなら教えられないんです。命が惜しいならこれ以上の詮索も避けたほうがいいですよ?」


飄々と脅しをかける。

実際、詮索されても命がどうにかなる事はない。これ以上ツッコまれて聞かれるのが面倒なだけだ。


それにしても、自分の彼女が亡くなった筈なのに随分と飄々としている印象を受けた。もともとそんな性格なのか、彼が犯人だからなのか。いや、浮気されれば気持ちも冷めるか?


「じゃあ、俺、もう行っていい?」

「ええ。ジャスト30分。ありがとうございました」


霧島がそう言ったためか、森田は自身の腕時計を確認した。


「本当だ。1分のオーバーも無い」

「では。本当にありがとうございました」


森田はバックから取り出したボールペンとスマホを乱雑に投げ込み、ベルト部分を持って


「じゃ!犯人を捕まえてよ!」


と言い残して、店内から出ていった。霧島はブラックコーヒーをストローで飲んでいる。私は私で一口もコーヒーに口をつけていない事に気づき、慌てて少し飲んだ。

うむ、やはり茜さんが淹れてくれたコーヒーの方が美味い。隣で空になったコーヒーをズルズル音させている霧島に質問する。


「何か収穫があったか?」

「いえ。でも、警察に喋った内容に嘘偽りが無いことの確証がとれてよかったです」

「次は金子か」

「ええ。金子さんには森田さんの証言の裏取りで十分だと思います」


そんな話をしていると私のスマホが鳴った。ベートーヴェンの優雅な『月光』である。ディスプレイには真野刑事と表示されている。


「はい」


通話ボタンを押して、スマホを耳に当てる。


「ああ。中川さん?真野ですが」

「あ、はい。中川です。どうかしました?」

「ええ。そちらの霧島君が見つけた、ソファの後ろの壁のキズ、あれが被害者の傷の大きさ等と一致した」

「えっ?それってつまり?」


どういうことだ?

……、まぁ、少なくとも今回の凶器と同じタイプの包丁って事だ」


霧島の予感は当たったのか。それがどういうことなのか、私は分からないが、お礼を言って電話を切った。


「真野刑事?なんて言ってました?」

「お前が気にしていた壁の傷の件だった。で、その傷はあの台所で押収された包丁でつけたらしい、という事だった」

「ああ。何か変な気がしたんですよ」


腕組みをして、うんうんと力強くうなづいている。


「本当か?出まかせ言ってるんじゃないだろうな?」


私はブラックコーヒーをそのまま飲んだ。


「もう一人の容疑者にはいつ電話します?」

「後で、電話しておくよ。応じてくれるかどうか分かんないけど」

「まぁ、応じてくれますよ」


霧島は、何も入っていないコップを啜った。

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