ゴーストウエポン:1

翌日。


私と霧島はあるアパートの一室に集合した。分かりきっていたことだが集合するように言った本人は来ない。あの後、ノートパソコンの画面上に映し出された警察からのEメールを見せられ、住所を暗記させられた。印刷してくれればいいのにと抗議したら、


「紙代が勿体ない〜」


と急に倹約家な対応をされた。一枚分の紙代なんて浮かせてどうするのか。決して所長の事をバカにしている訳ではない。所長はとても頭が切れるから尊敬できるのだ。


話を戻そう。


今、真新しいアパートの一室で、私と霧島は捜査一課の真野まの刑事からある事件の概要を聞いていた。部屋にはまだまだ鑑識官がウロウロしている。いろいろと採取するものがあるんだろう、あっちをパタパタ、こっちをパシャリと忙しなく、公務にあたっている。この姿を見れば税金を払っているかいがあるものだと失礼ながらに思ってしまう。


真野刑事はこんがり焼けた肌に黒髪の短髪、キリッとした眉毛に何おも逃さないという意志がこもった瞳をしている。袖まくりしたシャツから覗く浅黒い腕が滅茶苦茶に逞しい。


私もあのくらいマッチョになりたいものだ、と自分の腕と見比べてみるが私のは細く白い貧相な腕がシャツから出ているだけだ。同じなのはシャツの部分だけ。


「いいか」


真野刑事の真剣な眼差しが我々を射抜いている。そんな目力にやられてか霧島はガチガチになっている。霧島は真野刑事と出会うのは2度目だから未だ慣れていないのだろう。慣れれば彼の視線に気圧されることはなくなる。


「は、はい!」


綺麗な気をつけの姿勢で大きな声で返事をした。まるで教官と見習い軍人みたいだ。いじめ抜かれた末に自殺しなければいいが。ちなみに真野刑事は私達に敬語を使うことは無い。


彼にとって私達は余所者なのだが、自身の部下と扱いがそう変わりは無い。彼が敬語もとい敬意を払う相手は神崎所長のみだ。私達の方が年下だからという事もあるだろうが。


「事件の概要を説明する」

「は、はい!」


それしか言わんのか。


「被害者は水島 愛。年齢27歳、OL、この部屋に男と一緒に住んでいた」

「被害者は女の人ですか」


被害者の遺体は既に検視に回されているのか、この部屋にはもういなかった。リビングに置かれたソファの上にその彼女がこう倒れてましたよと、床に人形のホワイトテープが貼られていた。


手が左右に投げ出され、足は綺麗に揃ている状態の形になっているところを見ると、彼女はTの字の形で倒れていたようだ。なのだろう。


「脂肪推定時刻は昨日の夜10時30分頃、死因は刃物による出血死。凶器の刃物は、刃渡り10cmから15cmぐらいの長さの包丁だと思われる」

「思われる?」


霧島が首を傾げ質問している。真野刑事は自身の刑事手帳を捲って回答を口にした。


「そう。現在、凶器は見つかっていない。犯人が持ち去ったのか、それとも……」


それとも……。真野刑事の言いたい事は分かった。彼が言いたいのは《人智を超えた力》で隠されたのではないかと言いたいのだ。


私と霧島が警察に呼ばれたのはここに理由がある。


私達、神崎探偵事務所は、《人智を超えた力》でおかされた犯罪に対応できる探偵事務所なのだ。我々はその《人智を超えた力》を《ギフト》と呼び、その《ギフト》を持つ者を《ギフテッド》と呼んでいる。世間一般ではおそらく「超能力」と呼ばれる類の力だろう。まぁ、どう呼称しても問題は無い。


そして、我々は警察では解決できない《ギフテッド》達の事件を解決する為に、警察に協力している。もちろん無償でだ。


今回も警察で頭を捻ったのだろうが中々答えが見つからずにそうそうに私達にお鉢が回ってきた、というところだろう。


私も霧島も《ギフト》を持っている。


何の《ギフト》かは、後述するとして、今は真野刑事の話の続きを聞こう。


「第一発見者は、同棲中の男、森田 悟。年齢は被害者と同じ27歳。サラリーマンをしている」

「あ、アリバイはありますか?」

「ああ。残念だが彼にはアリバイがある。事件当日の死亡推定時刻、カフェでとある男と会っていた」

「その男というのは?」


ついつい私も口をはさんでしまう。


「森田が会っていた男というのは、被害者の水島の浮気相手の金子 和也。森田と。森田から声をかけたらしい」

「え?出会うのはその日が初めて?でも、森田って人から誘った?」


霧島が腕を組んで首を傾げている。


「ああ。をつけようと呼び出したらしい」

「ああ~……」


そう言う事……。


「それでどうなったんですか?」

「話し合いはヒートアップし、ここから近所にあるカフェ内で物凄い喧嘩をしていたらしい。カフェのスタッフが困り果てて警察を呼んだんだ。対応に当たった警官が時間を覚えていた。記録も残さないといけないし、警官の言っている時刻は間違っていないはずだ」

「へぇ……。でも、動機はバッチリですね」

「そうなんだよ。でも、カフェの店員もうちの警官も、金子も皆も森田のアリバイを担保している。何だったらカフェの監視カメラもあるぐらいだ」


森田という男のアリバイは強固なようだ。それと同時にその場に居合わせた金子のアリバイも強固なものになっている。真野刑事は何かを思い出したように


「あっと、そうだ。森田が言うには遺体発見時、そこの窓が開いていたそうだ」


と言いながら、すっと窓に指を指した。その窓はベランダに続く窓で、ベランダの外は大通りに面しており、犯行時刻も人通りはそれなりに多いとのことだ。


「その森田という男の妄言では?」


これは私。


「いや、金子も一緒に見ている」

「え?金子って人も死体を発見してるんですか?」


真野刑事は頭をポリポリかきながらすまなさそうに言った。


「順序が逆になったがこの金子という男も遺体の発見者だ」

「じゃあ、この部屋に二人で来たって事ですか?」

「そういう事になるな」

「あっ……」


霧島は、何かを察したのかそれだけ言って顔が固まった。それを訝しいんだ真野刑事がツッコミを入れる。


「なんか勘違いしているかもしれんが、あの二人の話だと、んだそうだ」

「二人ともそう言ったんですか?」


霧島は真野刑事の言葉に自身を取り戻し、矢継ぎ早に質問をする。質問に対して真野刑事は静かに頷いた。


「ああ、二人とも同じ証言をしたよ。だから、嘘は言ってない筈だ」


被害者の水島 愛を交えて3人で話をしようとしていたのか。相当な修羅場になることは容易に想像できるが、何故森田はそうしようとしたのか?同棲している彼女なのだから後で詰問でも何でもすればいい。


どうしてだ?


そんな思案をしていると霧島がマヌケな声で真野刑事に質問した。


「凶器は見つかってないって言ってましたね?」

「現段階ではな」


手に持っていた警察手帳をパタリと閉じると残念そうに首を横に振った。


「そこの台所にも?」


ここの間取りを説明すると、遺体が発見されたソファから左手側に台所があり、台所を正面に左手に入り口へ続く廊下がある。ソファの正面はテレビ、インチはおおよそ42ぐらいだと思う。ソファとの距離を考えると少々大きい気がするが。


そして、ソファとの右手には先程話題に出た大通りに面した窓、つまりベランダがあるのだ。ちなみにソファの後ろ側は壁で、隣の部屋と面していると思われる。その壁には思い出いっぱいの写真たちが画鋲で留められていた。


女性と男性がにこやかな笑顔で海をバックに撮っているものや、有名な遊園地で撮ったもの、キャンプの時なのか森の中で撮られたもの等、多種多様なシチュエーションの写真だ。この女性が亡くなった水島 愛か。そうすると、自然とこちらの男性が森田ということになる。


霧島はソファからその台所を指さしながら質問した。


「ああ。あそこの扉の裏側に包丁が二本あったが、。それにらしい」


台所にはシンクと二口ガスコンロが置いてあった。ガスコンロは一体型のものでは無く、彼もしくは彼女が後で買ってそこに置いたものだろう。シンクの下は、観音開きの収納。恐らくあの中にフライパンやら鍋やらを仕舞っているのだろうと想像してみる。真野刑事の言葉だけで考えるとあの観音開きの扉の裏側には包丁置きが備え付けられているのだろう。


「彼女の指紋だけ?」


私は真野刑事の言葉をオウム返しする。彼も面倒くさそうに頷いてくれた。

この家の住人なのに包丁から一つ指紋が出ないということは、彼女に料理全般を任せていたということか。それにしたって包丁ぐらいは握りそうなものだが。


神崎探偵事務所の台所番を任されている私にとっては俄には信じがたいことだ。男子とて今日日料理ぐらいは出来なくてはいけない。


「ああ。森田の指紋は一つも」

「うーん。変だとは思いますが、でも、そういう家事分担もあるかもしれませんね」


ちなみに霧島は事務所では掃除と洗濯の家事を任されている。だからこそなのか、霧島はシミジミと感情のこもった声で言った。


「刃物っぽいのはそれだけてすか?」

「いや、あそこにハサミがあるがあれは傷の幅や深さなどが合わない。あれは凶器ではないな」


真野刑事の指先はソファの横に立っている150cm程の高さのシルバーラックに、ボールペンやら定規やらハサミやらが乱雑に入った缶を示した。


「ふーん……。あ、後、被害者の傷ってどんなかんじですか?」

「ああ、それが奇妙なんだ。被害者はソファにもたれるような姿勢をしていたのか体に対しての侵入角度が鋭角すぎるんだ」


真野刑事は縦にした右手のひらのはらに、指先を少し斜め下にした状態の左手の指先をぶつけ、カタカナのトを上下逆さまにしたような形を作った。おそらく右手が被害者の体、左手が傷口を表しているのだろう。


「普通だったらもう少し……なんと言えばいいのか、こうT字になるはずだ」


今度は縦にした右手のひらのはらに、水平にした左手の指先をぶつけ、横向きのTの字を作った。


「確かに変な傷ですね」


霧島が首を捻りながら言った。


「どうしてそんな傷になったのか……」


霧島は、真野刑事と話すのに興味が無くなったのか、そんな独り言を言いながら鑑識官達の仕事を邪魔しに行った。


彼が指紋を取ったり写真を撮ったりしている後から何か見ている。警察が見つけられない証拠を探し出そうというんだろう。ウロウロキョロキョロ野次馬根性全開だ。その時は、あっ、と小さく声を上げた。


「どうした?」


ソファの後ろの壁に貼られた写真をめくり、そこの壁をじっくり右から、左から、下から斜め下からとあっちこっちの方向から眺めながら答えた。


「いや、ここに切り傷みたいなのがあって……」

「切り傷?」


私は霧島に近づいていくと、その後ろから真野刑事もついてきた。そして、合点がいったのか納得した声で言った。


「ああ、それか。今回の事件とはあまり関係があるとは思えなくてな。そんなに真剣に調べていない」

「え?それの判断はちょっと早いんじゃないですか?似たような傷があっちにもこっちにもありますよ」


霧島の視線の向かう先は一つでは無く、ソファ後ろの壁にばら撒かれている。こいつの視線の先に傷があると考えてまず、間違いは無い。


「だって、殺害現場の真後ろにばっかり傷があるんですよ?」

「何?」


真野刑事もそれは初めて知ったようで、私達を押しのけて壁をじっくり見始めた。そして、そこら辺で指紋を取っていた鑑識官を捕まえて話を聞く。


「おい、この傷はちゃんと調べてるのか?」

「ええ。でも、なんですよ」


丸顔でメガネの鑑識官はメガネをクイクイさせながら言った。鑑識の帽子が入りきらないのか頭の上に乗っかっているだけだ。


「だから今回の事件とは関係無いだろうという判断です」

「でも、気になるなぁ」


霧島がそう独り言ちた時、真野刑事のスマートフォンが鳴った。


「おっと本部からだ」


私達はどんな内容なのかと興味津々に聞き耳を立てた。


「はい、真野です。はい――、ええ――、そうですか。はい――、分かりました――。はい、きります」


電話の内容は、よく聞こえなかった。なんの為に聞き耳を立てたのか。


「どうかしたんですか?」


霧島が小動物のように首を傾げて聞いた。


「凶器が見つかった」

「えっ!?」


私と霧島は、同時に声を上げる。


「どこでです?」

「さっき言った、被害者の指紋しか出なかったあの包丁だそうだ」

「よく分かりましたね」


私が質問をする。


「ああ、念の為、ルミノール反応検査をしてみたんだそうだ」

「そしたら、血液反応が出たと」


私が独りごちると、すかさず霧島が質問をする。


「えっ?じゃあ、彼女は自殺ですか?」


真野刑事は静かに首を横に振った。


「それは無い。言い忘れていたが、包丁は警察が指紋を採るために持っていくまで、シンクの下に仕舞ってあった。自分の事を一突きしてわざわざ凶器を元の場所まで戻す必要は無いだろう」

「え!じゃあ、どうやって?」

「さぁな。それが分からんからお前達を呼んだんだろうが」


それもそうか。次から次へと新しい情報が出てくる。もう無いか?と聞くと、あっ、と言いこんな話をし始めた。


「森田が言っていた事だが、彼らがこの部屋に来た時には鍵がかかっていたそうだ。森田がカギを開けるシーンを金子も見ている。遺体が見つかるまで、だったんだ」

「え?そうすると……ベランダ側の窓は空いていたけど、そちらは大通りからの衆人環視があり、玄関は鍵が閉まっていた……。これはある意味、密室……?」


霧島が顎に手をやりつぶやいた。


「難事件の匂いがするな。霧島」


私は他人事だと、あっけらかんと茶化すように言ってやった。霧島は私に忌々しそうな視線を投げかけてくる。


「おそらくこれで全て必要な情報が出せたはずだ。もう言い忘れは無いよな……」


最後の方はもう自分に言い聞かせるようなものだった。真野刑事はいつの間にかシャツの胸ポケットにしまっていた警察手帳を再度取り出し、ページを一枚一枚捲り始めた。


この人、有能そうな顔をしているが、もしかして……。そう疑いたくなるほど情報を小出し小出しにしてくる。意図的にやっているわけではないようだが、それがもう、言ってしまえば無能の証左ではないか。


彼は満足気に警察手帳を閉じると、うん、と言い、


「もう大丈夫だ。伝え漏れているものは無い」

「はぁ。情報は全て出そろったということですね」

「今分かっている事は」

「であれば、容疑者に会うことはできますか?」

「どうだろう?今は容疑者扱いで勾留できていないからなぁ」

「え?勾留していないのですか?」


霧島は目をぱちくりした。いちいち動作が子供っぽい。まぁ、この動作のせいで……おかげで年上の女性からは大層モテる。今はそんな話どうでもいいが。


「勾留は難しかった。彼らは犯行当時アリバイはあるし、窓のカギはかかってなかったが、玄関のドアのカギはかかっていた……。もうこうなると物取りの線としか捜査のしようがない」


確かに警察が森田もしくは金子を勾留するには少々難しいところがある。殺人容疑もかけられる状況ではないだろう。かといって別の罪状もかけられない。おそらく警察は泣く泣く2人を重要参考人扱いにして、警察に来てもらう事しかできないだろう。


「確かに。彼らの住所や連絡先なんかは聞いていますか?」

「聞いている。が、昨今個人情報保護やらでお前達に教えてやることはできん。当人にその事を突っ込まれたら警察のメンツにかかわる」


それはそうだ。一人分、二人分とはいえ、個人情報を流出させたとあっては沽券にかかわるだろう。こちらも警察以上に信用がモノを言う世界に生きているからその点を心配するのはよく分かる。


「でも、どうにか本人達から話を聞きたいですね。真野刑事が聞いた内容と同じであっても」


私は霧島の言葉に同意した。直接話を聞くことで新たな手掛かりが産まれる事がある。《ギフト》が無ければそれも難しいだろうが、私達にはそれがある。真野刑事は、頭を激しくかきむしりながら、困った顔をした。


「まぁ、重要参考人として任意で来てもらう事はできる。だが、任意だからな。来てくれるかどうかは分からんぞ」


任意という部分をやけに強調してくる。警察は強制力を持たないぞという意味を含んでいるのだろう。それならそれでもいい。


「そうなってしまったら仕方がありませんよ。それに、来てくれると思いますよ。二人とも」


霧島はそう言うとニッと、真野刑事に笑顔を見せた。その笑顔の意味を図りかねている真野刑事は質問をする。


「どうしてそう言い切れる?」

「二人とも無実だと思っているからですよ。どれだけ質問されても、無実を証明できると踏んでいるからです」


真野刑事は、大きなため息をしながら、手帳を胸ポケットに仕舞いこんで、部屋の大きな窓の外に目を向けた。

それにつられて私達も外へ目を向ける。太陽が天頂で輝き始めていた。霧島が一言つぶやいた。


「ご飯……食べなきゃ」

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