第43話


チョコレートムースに大満足した私はメルシー&リリーを後にし、同じ大通りにある屋台の前に来ていた。



「おっちゃん、ラム肉の串焼き2本ちょーだい。」

「あいよー!」



屋台のおじさんから、こなれた様子で串焼きを買う殿下をじっと見つめる。



「ほら、こっちがお前の分な。」



殿下から差し出された串焼きを反射的に受け取る。

ラム肉の香ばしい香りに唾液の分泌量が増えるのを感じた。これは食べなくてもわかる。絶対に美味しい。

今まで串焼きを食べる機会がなかった私は、物珍しく色んな角度から串焼きを眺める。そんな私の横居る殿下は、串焼きに豪快にかぶりついていた。

その姿はまさに下町の青年。そんな彼がこのノルデン帝国の皇太子だとは誰も思わないだろう。



「…。」

「なんだよ?」



私の視線に気づいた殿下は訝しそうに顔を顰める。



「…いえ、慣れているなと思いまして。」

「そうか?まぁ、町にはよく来るし?」



そう言う彼はあっという間にラム肉を平らげ、唇の端についていた肉汁をペロリと赤い舌で舐めとった。

はしたない、と思い眉を顰めるが美丈夫な彼がするとひどく扇情的に見える。その証拠にすれ違う娘たちは頬を赤く染めていた。



―顔がいいのって本当に得よね。



「お前も冷めないうちに早く食えよ。うめぇぞ。」

「…どうやって食べれば良いのでしょうか?」

「は?そんなん、さっき俺がやっていたみたいにかぶりつけばいいだろーが。」

「そんなはしたない事はできません。」



人前で口を大きく開けて食べるだなんて考えられない。困り顔で串焼きを見つめる私に殿下はため息をついた。



「これだから根っからのお嬢様育ちは…」



呆れたように呟く殿下に少しむっとする。



「殿下が特殊過ぎるのです。」

「あ、ここでは殿下っていうの禁止な。テオって呼べ。」

「あ、すみません。でん…テオ様。」



一応お忍びだという自覚はあったようだ。私も呼び方には気を付けなければと気引き締める。



「様もいらねぇーけど、まぁいいや。エリザ、はしたない云々は置いておいて取り敢えず食ってみろよ。郷は郷に従えって言うだろ?」

「ですが…」

「こういうのはだな、そのままかぶりついた方が1番美味い食べ方だ。やってみろ、世界が変わるぜ。」



“世界が変わる”

その言葉に、今まで築き上げてきた価値観が少し揺れた。

確かにそれは今の私に必要な変化なのかもしれない。



「おっ、兄ちゃん。分かってるねー!」

「でっしょー?」



おじさんと殿下は意気投合して楽しそうに笑っている。それを横見しつつ、モノは試しだと思った私は口を開きラム肉にかぶりついた。

歯を柔らかな肉に埋め、食いちぎる。そして噛めば噛むほど肉の旨みが口全体に広がった。存分にその旨みを堪能してからごくんと飲み込む。



「…美味しい。」



思わず、そう呟く。心無しかいつもよりも肉の味を楽しめたような…。

するとそれを見た殿下は嬉しそうに破顔した。



「だろォ?チョコレートをちまちま食っているお前よりも、今のお前の方が好きだわ。」

「ちまちまって…そう思っていたのですか!」

「ははっ。」



殿下の言葉に男女の気が無いのは分かっているのだが、アルベルト様の顔で“好き”だなんて言われると心が反応する。そんな自分に呆れた。



―自分が嫌になるわ…。



ため息を飲み込み、私は残りのラム肉にかぶりついた。



※※※※※



「おーい、大丈夫かー?」



噴水公園のベンチにぐったりと座っている私を殿下はニヤニヤと見下ろす。

ほぼ丸1日殿下に連れ回された私には、もはや殿下を睨む気力すら残っていなかった。



「お前、体力無さすぎるだろ。」

「…。」



その通りなので何も言い返せない。



「ほれ、飲み物。買ってきてやったぞ。優しい俺に感謝しろ。」



彼は余計な一言を言わなければならない呪いでもかかっているのだろうか、と思いつつ飲み物が注がれているカップを受け取った。



「…ありがとうございます。でん…」

「テーオ。」

「テオ様。」

「よろしい。」



満足気に笑った殿下は私の横にどっかりと座り、流れるようにその長い足を組んだ。その仕草は気取った素振りもなく、ごく自然体だ。普段はガサツで粗野な男だが、こういった所に優雅さが見られる。流石は皇族だ。


飲み物を一気に飲み干す彼を横目にしつつ、渡された水を口含むとレモンの爽やかさが口いっぱいに広がった。水だと思っていたが、カップの中身は果実水だったようだ。疲労した身体と心に染み渡っていくのを感じる。ほっと一息ついた。



「…悪かったな。」



横からポツリと呟く声が聞こえた。そちらを向くと殿下はあさっての方向を向いており、そんな彼に首を傾げる。



「つい調子に乗って連れ回しちまった。」



さっきまではニヤニヤと笑っていたくせに、バツが悪そうに謝る彼に思わず頬を緩める。彼は良くも悪くも正直なのだ。



「少し疲れましたが、新鮮で楽しかったですよ?」



この言葉は嘘ではない。

大通りにある屋台を全て制覇する勢いで食べ歩いたり、丁度今の期間だけ滞在しているサーカス団の演舞を観たり…殿下が財布を盗まれてその犯人を捕まえるという事故という名の事件が勃発したものの、今まで経験したことのないものばかりで、世界が少し変わって見えた。



「なら良かった。お前が楽しんでくれたのなら、俺は嬉しいから。」

「…。」



屈託なく笑う殿下を見て思わず黙る。



「何だよ。」

「…テオ様は思った事をすぐ口に出しますね。」

「そりゃ、言葉にしないとわかんないからな。そう言うお前は頭の中でぐるぐる考えて、結局何も言わないタイプだよな。」

「そんなこと…」



無い。とは言えなかった。確か、義弟にも同じようなことを言われたことがある。

急に黙り、果実水をちびちびと飲み始めた私の頭を殿下はポンポンと優しく叩いてきた。



「いいか、エリザ。人間ってのは、少ない情報でそいつのことを勝手に造り上げてしまう生き物なんだよ。」



突然語り出した彼に内心首を傾げつつ、黙って耳を傾ける。



「愚かなことに、その情報が本物なのどうかも分からずにだ。挙句の果てには、勝手に造り上げたそいつを嫌ったりもする。」



それには…心当たりのある。

仕方がないことだとはいえ、殿下のことをアルベルト様と思い怖がり、ずっと避けていた。



「本当、身勝手な生き物だよな。」と誰に言う訳でもなくそう呟いた殿下は、飲み干して空になったカップをゴミ箱に向かって投げた。宙を舞うカップは吸い込まれるようにゴミ箱の中に入る。私はそれをぼんやりと眺めた。



「そうならない為にも、言葉は大切だ。本当のそいつが知りたいのなら、とことん話し合わないとな。逆に知って欲しいときも同じことが言える。言わなくても分かって欲しいだの、察してくれだの言う奴も居るけどな…それはただのワガママだ。」

「…。」



その話を聞いて浮かんできたのは、皮肉にもアルベルト様のこと。

手元にある果実水の水面を眺めながら、昔のことを考える。


私は…伝えたいことを言葉にしていただろうか。答えはもちろん“NO”だ。思い返してみても、アルベルト様とまともに会話をした事はない。話しかけても冷たくされるとわかっていたから、いつも少し離れたところで彼の背中を眺めていた。いつか私の気持ちに気付いてくれると信じて…。


だが、それは殿下の言う通りワガママであり、アルベルト様から逃げたいたということなのだろう。



―あの時、勇気を出してアルベルト様に向き合っていたら何かが変わっていたのかしら…。



「試しにエリザ。俺は今、何を考えていると思う?」

「え?」



殿下からの突然の問いに我に返った私は、呆けた顔で殿下を見つめた。



「…分かりません。」

「ちゃんと考えろ。」



そう言われたら考えなければならない。唇に手を当てて思索する。そんな私を殿下はニヤニヤとしながら眺めていた。

しばらくして、ひとつの答えに辿り着いた私は口を開く。



「私の事、でしょうか?」



ただ単純に私のことを考えての質問だと思ってそう答えたが、彼はキョトンとした顔で私を見つめていた。どうしてそんな反応をするのか分からず、首を傾げる。



「…お前、可愛いこと言うんだな。」

「?」



「それは予想してなかったわー。」と言う殿下に、自分がとんでもなく自意識過剰な発言をしたことに気が付いた。



「ちがっ、そう意味ではありません!」

「じゃあ、どういう意味なんだよ?」



ニヤリとからかうような視線を受け、じわじわと憤怒が湧き上がる。また人をおちょくって!



「わかってて言ってますよね。…で、正解はなんですか?」

「めっちゃトイレに行きたい。」

「………早く行ってきてください。」



あまりにもしょうもない答えに私は呆れ、怒る気力も失われてしまった。

殿下はゲラゲラと下品に笑いながらベンチから立ち上がる。



「言っただろ?言葉にしないと伝わんないって」



ニヤリと笑う彼には妙な説得力があった。



※※※※※



果実水を飲み終えたカップをゴミ箱に捨てていると、殿下がお花摘みから帰ってきた。


何故かその手には真っ白な百合の花束が握られている。



「テオ様、それは?」

「行けばわかる。」



そう言って殿下歩き出す。私はその背中を追いかけた。



「行くってどちらに?」



殿下は私の問いに振り返らずに答える。



「今日の大本命のところ。」



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