第38話
「はぁ…」
入浴を終え自室に戻ってきた私は深いため息をつき、うつ伏せのままベッドに倒れ込んだ。ぽふっと柔らかな寝具が私の身体を優しく受け止める。
―何だか…今日は色々あって疲れたわ…。
聖女に会ったり、その聖女に絵のモデルを頼まれたり、2階のバルコニーから落ちたり、義弟がデューデン国から帰ってきたり…。
思い返してみれば中々濃い一日だったと思う。最近、平和に過ごしていたから余計にそう感じるのだろう。
義弟に抱きかかえながら帰宅をすれば、父と使用人達はひどく驚いた様子をみせた。義弟は父にも帰ってくることは伝えていなかったらしい。
父が何故知らせてくれなかったのかと問えば、義弟は可愛らしく微笑んで「皆さんを驚かせたかったんです。」と答えた。その可愛らしさに私と使用人達はときめいていたが、父だけは惑わされなかった。父は笑顔のまま義弟に愛の鉄拳をお見舞したのだ。
その後、私が2階から落ちて、それを義弟が受け止めたという説明を受けた父は発狂し、光の速さで邸に医者を呼びつけた。診療の結果、私たち姉弟の身体に異常見られないため特に問題なし、とのこと。
私たち家族は一気に安堵の息を漏らした。
まぁ、特に何事もなかったのだが……父を死ぬほど心配させたということで、私と義弟は久々に父からお叱りを受けることとなったのだ。
父に叱られたことを思い出して思わず苦笑いをする。叱られるなんて何時ぶりだろう。
妙にくすぐったい気持ちを抱えたまま目を閉じれば、不思議と聖女ベティのことが頭に浮かんできた。
…果たして、彼女が言っていたことは本心なのだろうか。私の為に安堵の涙を流してくれた聖女。あの涙が嘘だとは思えない…。いや、私は嘘だと思いたくないのだろう。
一つ、ため息をつく。ここで考えていても答えなんて出てくるはずがない。堂々巡りなだけだ。
私は寝返りを打とうと身体を横に向けた。
――その時、
「よォ、エリザ。」
横を向くと、お互いの鼻先がくっついてしまいそうなほど近い距離にテオドール殿下の顔面がそこにあった。
「―っ!?」
突然現れた殿下に、私は目を見開いたまま固まった。そんな私の様子を殿下はベッドの傍らで頬杖をつきながら、いつものニヤついた笑みで見ている。
「はははっ!すっげー間抜け面。」
そう言って殿下は私の眉間を人差し指でグリグリと押してくる。
はっと我に返った私は身体をワナワナと震わせた。
「き」
「き?」
「きゃあああっ!!!」
女性の寝室に勝手に入ってくるなんてこの男は何を考えているのだろうか!非常識にも程があるっ!!
私はガバッと起き上がり、怒りのまま近くにあった枕を掴み上げる。
「ばっか!大声出すなっ!」
「もごっ!?」
焦りだした殿下が素早く私の口を抑え、その勢いのまま私はベッドに押し倒された。傍から見れば、女性の寝込みを襲う暴漢そのものだ。
「こら、暴れんなって!」
「もがー!?」
引っ叩こうとした私の両腕を殿下は空いている片手で押さえつけた。その力の差に愕然とするも、私は力を振り絞って自分に覆い被さっている殿下の下から這い出そうとする。だが、どう足掻いても身動きは取れなかった。もがけばもがくほど、ベッドの軋む音が寝室に虚しく響く。
いっそのこと、手でも噛んでやろうと思い私は口を開いた。
――コンコン
「―っ。」
突然聞こえた扉を叩くノック音に私と殿下はピタッと動きを止め、同時に息を呑んだ。そしてゆっくりと視線を扉に向ける。
「姉上?大丈夫ですか?何やら悲鳴が聞こえてきましたが…」
扉の向こうから聞こえてきたのは義弟の声だ。
咄嗟に私はまずい、と思った。この状況を義弟が見て一体どう思うのか、考えただけでも恐ろしい。
私は拘束されている両腕を振りほどき、口元を抑さえている殿下の手を剥がした。そして声を張り上げる。
「大丈夫よ!」
「ですが…」
「虫が出て驚いただけなの!でも、その虫は外に逃がしたからもう大丈夫。心配かけてごめんなさい。」
私はなるべく明るい声を出し、必死に誤魔化す。その様子を見下ろしている殿下は、くつくつと愉しそうに笑っている。バレてしまいますよ、と視線で訴えてみるが笑みを深めるだけで意味はなかった。
「そうでしたか。もしまた何かありましたら、遠慮なく僕に言ってくださいね。」
「ありがとう、ユーリ。」
「いえ。おやすみなさい。」
「おやすみ…。」
義弟の足音がだんだん小さくなり、完全に聞こえなくなってから私と殿下は一気に脱力した。なんて心臓に悪いのだろう。
「アイツ、隣の部屋で張り付いている訳じゃないよな?いっつもタイミングが良すぎて逆にホラーなんだけど。」
殿下は身体を起こし、ベッドの端に腰を下ろした。私もつられて身体を起こす。
「ユーリはそんなことしません。それより、何故殿下がここに居るのですか。女性の寝室に勝手に入ってくるだなんて非常識です。」
殿下に対する怒りはまだ引いていない。キッと殿下を睨みつけるが、当の本人はニヤニヤと笑っているだけだった。
「まぁまぁ、そんなに怒るなよ。眉間にシワが増えんぞ。」
実に愉しそうに私の眉間を人差し指でグリグリと押してくる殿下の腕を掴み、下におろした。
「ふざけないでください。目的はなんですか。」
「目的って…。お前のことを心配して、こうやって来てやったんだろ?この俺が、わざわざ。」
厚かましさが気になるが、私のことを心配して来てくれたのなら無下にはできない。
「それは…ありがとうございます。」
「そんな不満そうに言うなよ。…で、大丈夫なのか?どうせあの公爵と弟クンの事だ。医者には診てもらったんだろ?」
父と義弟の性格をよくご存知で。
「えぇ。診てもらいましたが、案の定何も無かったです。」
「そりゃ、良かったわ。」
そう言って彼は屈託なく笑いながら、私の頭をわしゃわしゃと撫で回した。正直、髪の毛がくしゃくしゃになるので切実にやめて頂きたい。だが、こういった所に彼の優しさが垣間見えるから憎めないのだ。
先程の怒りが潮が引くように小さくなっていくのがわかる。それが何だか悔しくて、殿下から視線を逸らす。きっと今の私は不貞腐れた子供のような顔をしているだろう。
「お前らが帰った後、すっっっっっっっっっげぇー大変だったんだからな。」
殿下は、私の頭を撫でながら話し始める。特に私に何か意見を求める様子が無かったので、私は黙って殿下の話に耳を傾けた。
「騒ぎを聞きつけた教師共に何があったのかめちゃくちゃ問い詰められてさ、いや、俺の方が知りたいんだけど?って感じだったわ。んでさ、今度は何故か俺の事を疑いだしてさ、マジでふざけんなよ、クソ教師共が!って思ったわけ。ってかアイツら俺が皇太子だってこと忘れてないか?まぁ、それは置いていてだ、当事者である聖女に何があったのか説明しろって言っても、ガタガタ震えてて使い物になんねぇーしで…………すげー疲れた。」
殿下からため息混じりで愚痴を吐き出され、私は少しだけ罪悪感を感じた。本来ならば当事者である私が弁解をしなければならなかったところ、その役を知らず知らずのうちに殿下に押しつける形となってしまっていたようだ。
「それは、すみませんでした。」
「ったく…。まぁ、目撃者も多かったし、そいつらの証言から校舎の老朽化が原因だろうってことで落ち着いたんだけどよォ…」
殿下は私の頭を撫でるのをやめ、珍しく真剣なサファイアの瞳で私をじっと見つめてきた。
「俺は聖女の仕業じゃないかと思ってる。」
その言葉に私は息を呑んだ。
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