第37話



「その瞳と、その髪色…」



頭上からポツリと呟く義弟の声が聞こえた 。



「姉上、この方は…?」



義弟は目をパチクリさせながら、私と聖女を見下ろす。その姿を見て義弟には聖女のことを伝えていなかったことに気が付いた。



「ごめんなさい、伝えてなかったわよね。この方はせい…」

「なんの騒ぎだっ!」



突然響き渡った低い声に私の声は掻き消された。

この声は…と思いつつ声がする方へ視線を向ければ、外の騒ぎを聞きつけたのであろうテオドール殿下が険しい顔をしてこちらに向かってきた。



「なんで、お前が…」



義弟の存在に気付いた殿下は驚いたように目を見開いた後、私に縋り付いている聖女を見て眉間にしわを寄せた。



「…またお前か、聖女殿。」

「ひっ。」



ギロリと殿下に睨まれた聖女は小さく悲鳴を上げ、咄嗟に義弟の後ろに隠れた。顔を青くした聖女は身体を小さくし、ガタガタと震えている。彼女は殿下のことがトラウマになっているようだ。



「殿下、おやめください!聖女様は関係ありません。」



聖女を庇おうと私は声を張り上げる。そんな私を一瞥した後、殿下は呆れたかのように深いため息をついた。



「また、お前は…。じゃあ、何を騒いでいたのか説明しろ。あと何で、留学に行っているはずの公子がここに居て、公然の面前でお前が抱き抱えられているか、それもな。」

「こ、これは…その…ユーリ、降ろして!」



義弟に抱き抱えられたままでは何を言っても説得性に欠ける。

殿下に訝しそうに見られた私は慌てて義弟から降りようとするが、相変わらず義弟の腕はびくともしない。「いい加減に…」と義弟を睨むも、義弟はただ首を振るだけだった。



「僕が話しますよ。まずは…尊く偉大なるノルデン帝国のテオドール皇太子殿下、ご挨拶が遅れてしまいまして申し訳ございません。デューデン国での目的の単位を全て習得しましたので留学を切り上げ、祖国へと帰還しました。」



いつもの様に穏やかに答え始める義弟に殿下は少し驚いた表情を見せた。



「は?そんな早く…」

「それと何故僕が姉上を抱き抱えているのか…それは、2階から落ちてきた姉上を僕が受け止めたからです。」

「は?落ちた…?何でそれを先に言わないんだ!おい、大丈夫なのか?怪我は…」



終始ピリピリとした雰囲気だった殿下は、その雰囲気を緩め私を心配そうに見下ろした。



「大丈夫ですよ。ユーリが受け止めてくれたので、大事に至らずに済みました。」



安心させるため微笑んで見せれば、殿下は安堵の息を漏らした。そして何故かこちらに自らの両手を差し出す。



「…公子、そいつをこっちに寄越せ。念の為、皇宮医に診せる。」



皇宮医とは皇族のお抱えの医者だ。高位の魔力保持者で高度な技術をもって皇族達の健康管理につとめているらしい。本来、皇宮医は皇族以外を診るなんて有り得ない。

流石にそれは恐れ多い上に、特に怪我もしていないので断ろうと口を開く。



「いえ、殿下にそこまでして頂く必要はありません。」



殿下からの申し出を断ったのは私ではなく義弟だ。思わず義弟の顔を見上げれば、いつものように穏やかな表情で殿下を見据えていた。


いつもの…?いや、違う。目が笑っていない。いつも甘く蕩けるような蜂蜜色の瞳は硬く無機質な色をしており、私の胸をざわつかせた。



「あ"?」



殿下のドスの効いた声に怯んだ様子もなく義弟は淡々と答えていく。



「僕が居ない間、姉上のことを見ていて下さいましてありがとうございました。ですが、姉上には僕がいますのでもう大丈夫です。」

「お前…」

「あぁ、だいぶ冷えてきましたね。姉上の体に障るといけませんので、僕達はこれで失礼致します。」



義弟はそう言うと殿下と聖女に軽く会釈をして、私を抱えたまま馬車が待機している方角へと歩き出した。



「ちょっと、ユーリ!待って…」



私は慌てて義弟を止めようとするも義弟は聞く耳を持たない。その珍しく反抗的な態度に戸惑いながらも、私は話しを聞いて欲しくて義弟の耳を引っ張った。



「…痛いです、姉上。」



やっとこちらを見てくれた義弟は情けなく眉を下げた。だが、その足は止まらず前に進み続ける。



「ユーリが私の話を聞いてくれないからよ。あのまま殿下達を置いては行けないわ。1回降ろしてちょうだい。」

「駄目です。」

「な…」



きっぱりと断る義弟に私は絶句した。いつもなら私のお願いを素直に聞いてくれるというのに…。

少しショックを受けた私は呆然と義弟を見つめる。そんな私を義弟は柔らかな表情で見下ろした。



「見たところ何ともないように見えますが、姉上は2階から落ちたのです。早く邸に帰って念の為、医者に診てもらいましょう。」

「…。」

「睨んでもダメです。」



いつも素直で優しい義弟は、変なところで頑固だ。

諦めた私はため息をつく。

義弟に抱き抱えながら、ちらりと後方を見れば、どんどん殿下と聖女が小さくなっていく。あの2人をそのままにしてしまって大丈夫だろうか?心配だ。



「姉上。」



殿下と聖女を見つめていた私に義弟は声をかけた。



「僕が居ない間に殿下とは随分と仲良くなっているようですが…」



その言葉に義弟を見上げれば、心配そうに揺れるシトリンの瞳と目が合った。



「姉上を油断させて、その隙に殿下が姉上に危害を加えようとしているんじゃないかと…思って…。…どうか…殿下と放課後を一緒に過ごすのはもう、やめてください。僕は貴女が心配で、とても不安です。」

「…。」



…この子は、留学前からちっとも変わっていない。何処か危うげで、心配症で、依存的。留学中にもこうして不安を募らせていたのだろうか。

…だが、この感じは嫌ではない。むしろ心地いい。あぁ、最近にはなかったこの感覚…。

義弟は私の元に帰ってきたのだと改めて実感した。



「そんなに不安がらなくても大丈夫よ。」



そう言って私は義弟の頭を撫でる。



「言うのが遅くなってしまったけど…おかえりなさい、ユーリ。」

「はい。ただいま、姉上。」



シトリンの瞳を嬉しそうに細める義弟を見て、ふと違和感を感じた。



―…あら、私…ユーリに殿下のことを話したかしら?



聖女の事だけでなく、殿下のことも義弟には伝えてなかったはずだ。放課後、殿下と一緒に過ごしているなんて伝えたらきっと心配するだろうと思っていたのだが……


まぁ…自分が覚えていないだけで、手紙に書いてしまったのだろう、と自己完結をした。

















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