第26話



「ここは…?」



義弟の手を借りながら、私は馬車から降りたった。目の前には青々とした森林が広がっている。どうやら森への入口のようだが…。


馬車の中で義弟に何処に行くのか何度も尋ねてみたのだが、義弟は「秘密です。」と微笑むばかり。絶対に口を割らなかった。


てっきり街で買い物をするのだろうと思っていた私は、どんどん街から離れていく馬車に首を傾げていた。


…まさか行き先が森だったとは。予想外の場所に私は少し戸惑っている。



「わたくしはこれで失礼しますが…あの、本当に宜しいのですか?用事が終わるまでここで待機することも出来ますが…」



後ろにいるレナードが控え目に言ってきた。



「大丈夫ですよ。ここでしたら邸まで歩いて帰れますし、それに…今日は姉上とゆっくりと過ごしたいんです…。」

「…そういうことでしたら…畏まりました。そろそろ日が暮れます。お気を付けて下さいませ。」



切なげに言われてしまっては、レナードは頷くことしか出来なかったのだろう。何度も私達を振り返りながらレナードは邸へと戻って行った。


レナードを見送っていると、義弟にそっと左手を握られた。左を見れば甘い蜂蜜のようなシトリンの瞳と目が合い、にこりと笑いかけられた。



「姉上、こちらです。」



そう言う義弟に手を引かれながら、森へと足を踏み入れると、森林の香りが鼻腔を擽った。何だか、懐かしい。森に入るなんていつぶりだろうか。木々の隙間から溢れ落ちる光が、地面を点々と照らしている。それがまるで道標のように見えた。


今は夏から秋へと変わる季節の変わり目だ。ノルデン帝国は夏と秋が短いため、すぐに冬がやってくる。今はまだ青々しい森だが、あっという間に葉が落ち、雪を被るだろう。



「ユーリ、何処に行くの?」

「着いてからのお楽しみです。」



楽しそうに私の手を引くユリウスの背中を見て、私は既視感を覚えた。



―そういえば…昔もこうして、手を引かれながら森を歩いたっけ…。



私は頭の奥底にあった小さい背中を思い出した。あぁ、そうだ。メソメソと泣き続ける幼い私の手をユリウスが…。ユリウスが?



―…待って、あれは本当にユーリだった?



私は違和感を感じた。

ユリウスは身体が弱く、幼少期はほとんど邸から出られなかったのだ。そのユリウスが幼少期に私の手を引いて森を歩いた事があっただろうか?

それに記憶にある背中は幼い私よりも少し大きかった気がする。ユリウスは身体の発達が遅く、同じ歳の私よりもだいぶ小さかったのだ。だから、私よりも大きいだなんて有り得ない…。



「ぶっ」



突然、私の身体は何か温かいものにぶつかった。1番被害を受けたのは鼻だ。ジンジンと痛み出した鼻を思わず手で押さえる。



「あぁ、急に止まってすみませんっ。大丈夫ですか?」



慌てて振り返った義弟は、鼻を押さえている私の顔を心配そうにぺたぺたと触ってきた。

どうやら深く考え込んでいた私は、ユリウスが止まったのに気付かず、そのまま背中にぶつかってしまったようだ。前方不注意のため私が悪い。



「大丈夫よ。前を見ていなかった私のせいだから…。」



そう言いながら、噎せ返る程の甘い香りが辺りに漂っているのに気づいた。

この香りは…。

私はゆっくりと顔を上げ、はっと息を呑んだ。


私の目に飛び込んできたのは、一面、真っ白なカモミール畑だった。

どの花も午後の日差しを受けて眩しいほどに輝いている。


果てが見えないほどの広大な花畑に私はただただ圧倒された。



「凄い…。でも、どうして?もうカモミールの時期は終わっているのに…」



そうなのだ。カモミールが咲くのは春から初夏にかけて。夏が終わりゆく今に咲いていることは無いのだ。なのにも関わらず、目の前のカモミール達は全盛期のように美しく咲き誇っている。



「実は僕も理由は分かりません。何故かこのカモミール畑は枯れることなく一年中咲いているみたいです。」



一年中咲くカモミール畑。まるでユリウスの魔法みたいだと思った。



「…デューデン国へ行く前にどうしても姉上をここに連れてきたくて…。姉上は外で咲くカモミールを見たがっていましたから。」

「…気づいていたの?」

「えぇ。どうですか?喜んで…くれましたか?」



やや自信無さげに訊ねてくる義弟に私は笑みを返した。



「もちろんよ!ユーリ、連れてきてくれてありがとう。とっても嬉しいわ。」



私の笑顔を見たユリウスはホッと安堵の息を洩らした。



「ねぇ、もう少し奥へ行ってもいいかしら?」

「勿論ですよ。行きましょう。」



私は軽い足取りでカモミール畑の中に入り、奥をめざした。歩く度にカモミール達が様々な表情をこちらに見せてくれたり、甘い香りが鼻腔を擽ったりして、五感で感じるもの全てが私の心を踊らせていった。

私は何処か夢心地な感覚で、先の見えないカモミール畑の奥へと進んでいく。



「姉上。」



突然、私は後ろにいる義弟に片手を掴まれた。驚き振り返れば、何故か不安げな表情を浮かべる義弟がいた。



「どうしたの?」

「…姉上が、何処か遠くへと行ってしまいそうな気がして…」



義弟の言葉に思わず苦笑いをした。遠くに行くのは私ではなく、ユリウスなのに…。



「私は何処にも行かないわ。だからそんなに不安そうな顔をしないで頂戴。」

「頭では分かっています。でも、今とても不安なんです。」



まるで縋るように私の手を掴む義弟の頭を撫でる。

私達は出会った時からずっと一緒に育ってきた。今まで離れたことなんて1度もない。お互いがお互いにベッタリだったのだ。それが、明日から初めて離れることになる。


正直、不安だ。不安しかない。

今まで、義弟に支えられてここまで来たのだ。その支えがなくなってしまったら私はどうなるのだろう。そのまま崩れて立てなくなるだろうか。



―しっかりしない。エリザベータ。



義弟が私に、こんなにも不安を表してくれているのだ。義弟が私を支えてくれたように私も義弟を支えなければ。何故なら私はユリウスの姉なのだから。



「大丈夫よ、ユーリ。離れていても私達は繋がっているわ。だって私と貴方は姉弟だもの。血の繋がりはないけれど、もっと深いもので私達は繋がっているから離れていてもきっと大丈夫。だから、安心してデューデン国へ行って、知りたい事を沢山学んできて。ね?」



ユリウスを安心させるよう優しく微笑みかける。それを受けたユリウスは一旦何か考えるようにして目を伏せ、再び私を見つめ返してきた。



「姉上、1つお願いがあります。」

「なあに?」

「僕を抱き締めてください。」

「…ん?」



私は義弟を思わず凝視した。だが義弟の顔は真剣そのものだった。


抱き締めるだけで義弟の不安が少しでも取り除けるなら安いものかと思った私は「分かったわ。」と頷いた。

だが、いざ抱き締めようとするも照れが入り躊躇してしまう。今までよく抱き合っていたが、意識してやるとどうも小っ恥ずかしい。

両手を上げジリジリと義弟に迫る私は、傍から見たら立派な変質者だろう…。



「姉上、誰も見ていませんから…。ね?」



最後には義弟に諭される始末…。

私は覚悟を決め、目を瞑り義弟を抱きしめた。



「…。」



どれぐらい抱き締めているのが正解なのだろうか?なんの反応もない義弟に少し不安になる。

しびれを切らした私は声を掛けようと口を開いた途端、義弟はその場にしゃがみ込んだ。義弟を抱きしめていた私も当然それに引っ張られるようにして地面にしゃがみ込む。



「えっ、なに?」



義弟の突然の行動に驚き声を上げると、義弟はやっと口を開いた。



「…少し、立っているのに疲れてしまいました。」



確かに私たちはずっと立ちっぱなしだった。疲れてしまうのも納得だ。

私達はペタンと地面に座り込んだ。



「…姉上、僕をもっと包んでください。」



義弟がさらに要求してきた。

今でこそいっぱいいっぱいであるのに、さらに上を求めるのか!と私は叱りたい気持ちになったが、弱っている義弟にそんなことは出来ない。ここまできたらやけだ。私は膝立ちになり、義弟の頭を胸の中で抱きしめた。ついでに頭も撫でてあげる。可愛い義弟へのサービスだ。


それに満足したのか、義弟は特に何も言わず私に抱きしめられ続けていた。



*****


どれぐらい時間がたったのだろう。

私はカモミールの香りと義弟の体温の温かさから睡魔に襲われていた。こっくりこっくりと船をこぐ。

それに気付いた義弟はクスリと笑った後、私の頭を自身の膝の上にゆっくりと乗せた。今度は私が頭を撫でられる。それが堪らなく気持ちいい。



「姉上、ありがとうございます。僕はもう大丈夫ですから、姉上は少し休んでてください。」



その言葉に従うまま私の意識は深く沈んでいった。




*****



私は夢と現実の狭間に漂っている。

私の頭を撫でる義弟の手、これは現実?鼻腔を擽る甘いカモミールの香り、これは夢?


何処からが夢で何処からが現実なのかわからない。


義弟の手が私の頭から離れていった。少し、寂しい。寂しいと思うということは、これは現実?

つい、その手が何処に行くのか追いかける。その手はカモミールを摘み取り、そのまま義弟の口元へと運ばれていった。


それをどうするのか、ぼんやりとしたまなこで見ていると、義弟は躊躇なく自身の口の中へとカモミールをいれた。


歯ですり潰した後、ゴクリと喉が艶めかしく上下に動く。


義弟は飲み込んだのだ。


何を?

カモミールを。


ならば、これは夢だ。


食用じゃない花を咀嚼するなんて、有り得ないもの。



だから、義弟の瞳が淡く青色に煌めいているのも、きっと夢だ。




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